October 2009
29日、木曜日のことから。今月8日の日記に書いたが、今日30日まで祇園会館にて『チェンジリング』と『グラン・トリノ』の二本立てが上映されていたのだった。この日、29日に行こうとしたのだったが、同居人が明日なら共に行けると言うので見送り、街に出てちょっとした買い物などをする。
chikinの面々がみなiPhoneを購入したので、夜、我が家がiPhoneにおける最初の様々な面倒のサポートセンターと化す。一通り設定が終わり、例えばこういうようなアプリがあるよ、と産經新聞が読めるアプリなんかを無難に教えつつ、ほら、テレビ欄とかも、としているうちに『アメトーーク!』が本日放送であることを知る。慌ててチャンネルを変えたが東京での放映の時刻を見ていたため(地方版も出て欲しいよね、産經新聞のアプリ)、関西である京都ではまだ放送していなかった。改めて深夜『アメトーーク!』。
本日30日。最終日にしてようやく祇園会館に足を運ぶ。今月8日の日記にイーストウッド二本立ての情報を記載し、それを機に(つまり日記を見て)映画を観に行ったと報告してくれたのは母親だった。あと、先日実家に帰った際、父親に「お前、今月誕生日だったが、ビートルズのあれ(リマスター版のこと)はもう良いんだろ?」と言われ、それは、以前ビートルズの全作品がリマスター盤CDで発売された時に、誕生日プレゼントは是非これを、と冗談でここに書いたことと、それにまつわるその後(レンタルで解決したという記述)を、直接は言っていないので、考え得るのは日記を見て(おそらくは、家族の他の誰かが読んで教えたのだろう)知ってのことだと思われるが、そのことから、なんというかまあ、この日記はとりあえず家族への報告としては少し役に立っていることを知ったのだった。
話が逸れたが、『チェンジリング』と『グラン・トリノ』である。もう、この二本立ては凄過ぎた! 観終えての感情を、一本ならまだしも、二本分も言葉にすることはその日のうちに到底できることではないので、まあ、共に素晴らしい作品だったとだけ。
帰路にZAC BARANにて夕食。コロナを二瓶。そして帰宅後、もう日記を付けずに眠ろうと思ったのだったが、寝付けずこうして書いている。

日暮れも近い時間に起きてしまう。一日、ろくなものを食さなかった。駄菓子(コイケヤ)だとか、なか卵だとか、コンビニのペペロンチーノだとか。昨日、27日の夜は将月にて、すじ玉のジャンボモダンを同居人とともに食べるべく注文し、それほど空腹でなかった同居人なので(いつもはあれを半分ずつ食べる)、俺が3/4食べた。将月のジャンボモダンを御存知なら想像してもらえるだろうが、あれを3/4食べるというのはそこそこ大食漢に思う。
小さな頃は虚弱体質で偏頭痛持ち、胃も弱かったが、気付けば大食らい。それでふと思い出したのは、昨日に続きこれもまたどなたの発言か、それ以前にフィクション内での言葉かもしれないが、とにかく「大人になったら大体のことは治る」という意味のそれ。確かにそうかもしれない。『ちびまる子ちゃん』の登場人物である山根は胃が弱いというキャラクターだが、俺もそうだったため、胃が弱い小学生の不幸は良くわかるものの、大丈夫、治るから、という意味で微笑ましく見られるのだった。ただ、そうなれば、「卑怯」というキャラクターの藤木は、これ、大人になったら治るとは到底言えない特徴を持っているわけで、そのぶん、見る目も少し複雑になるのだった。「ひどくなるのではないか……」とさえ思う。
というわけで、卑怯になるくらいなら胃を痛めたほうがマシだという話……、なのか? 別にそんなことを言いたいわけじゃなかったけど、そうなったからそれで良いか。
あと、今「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里と『アメトーーク!』のプロデューサーが対談しているコンテンツが連載中だが、その第八回での対談中に次のようなやりとりがあった。
加地 そうですね。アホなふりをするってすごいと思います。ぼくもなるべくやるようにしてます。正論だけぶつけても、やっぱり勝てないから。
糸井 論争で勝っても一銭にもならないもんね。
加地 そのとおりです。自分がやりたいことを通すためにはへらへらすることも必要ですし、顔はいくつか、持っておかなくてはいけない。
なぜこの会話を取り上げたかというと、もちろんこういった処世術のような話はそれこそ耳にたこができるくらい聞くわけだが、今の時代に『アメトーーク!』のプロデューサーがそう言っているという背景は説得力が強靭だと思ったため、そして、こういったことが俺は本当に不得手だという自覚からである。処世術と書いたが、これはもはや戦術なのだと思うと、それが不得手なことへ危機感すら感じるのだった。嘘はつきたくない、というようなあれとは次元の違う話なのだと思うのだ。
……日記としては、今のところ遅く起きてろくなものを食わなかったという情報だけだ。一応書いておけば、掃除、洗濯、買い出し、月末なので銀行に、といった生活感丸出しのことをこなしていた。まあ、そんな感じである。

さて、日記である。このところ、例えば右のカラムにTwitterへPostすると連動して自動更新される箇所を作ろうか、だとか、検索はやはり便利だから(といっても、書き手である俺が一番多用していると思われるのだが)、過去の(つまり、右カラム下方にあるVer.1からVer.3のこと。ちなみに今はVer.4)日記も現在のシステム下に置こうかなどと考えるのだけれども、結局のところシンプルにしておくのが一番の長続きの秘訣だと知っていることから、幾度も考えるも幾度も首を横に振っている。
さて、そんなわけで日記である。夜、大阪の長堀橋に芝居を観に行く。試演会と銘打たれた「C.T.T.」という企画。同居人の出演していた『忘れられた日本人』(演出、村川拓也)が目的のそれ。面白かったし、試演会という枠組みの中で考えるにとても有意義なものだったと思った。つまりは、どうなるのか、に期待が出来るということ。
帰宅して日記を書こうとついさきほどFirefoxを起動させたところ、ホームページであるYahoo! JAPANのニュースに次のようなものがあった。「たばこ、「ニコチン課税」も=財務相が言及、本格議論へ」。説明のために一部引用すると次のような内容のニュースだった。
藤井裕久財務相は27日、外国特派員協会で記者会見し、たばこ税について「健康を考えると、ニコチンの含有量によって(税率を)重くしたり軽くしたりするような改革はあり得る」と述べ、たばこに含まれるニコチンやタールの量に応じて課税する方式に変更する可能性に言及した。
こんなこと言って良いのかしら。「健康を考えると」となれば、この文章、たとえばタール1mgの煙草は、俺の喫うタール11mgのラッキーストライクより「健康に悪く無い」と言っていることとなる。それで税金上げて、責任取れるんだろうな、と怒ったところで、そんなものは取れるはずもないし、仮にそういった「改革」が実施され、破綻しても責任追及の手は及ぶはずもないだろう。逃げ道が山のようにあるからこんなガキのような、白痴の言動が可能なのだ。全く苛々する。1mgの煙草が11mgのそれより害が少ないはずが無いだろう、というような記述は、バカ相手に真剣に話すようでつまらないので止す。
むかし、書物か雑誌か、そして著者は忘却したが、おおよそ「若者は個人では陰惨としているが集団になれば凛となり、逆に中年は個人では人柄が良いが、集まれば醜悪になる」といった意味の言論を目にしたことを思い出した。
とはいえ、大人は集まると悪だということを今の俺は言いたいのではない。良い集まり方および集まることの難しさについて無自覚過ぎることを嘆いているのだ。集団において「切磋琢磨」という言葉が有効なのは若者だけだと思う。端的にだが、それは子供の言葉なのだ。大人が励まし競い合っても仕方無い。それは、事前にやっておけってことである。良い歳して、わざわざ集まってまで励まし競いあってんじゃないよ。そんな汗はさわやかでもなんでもなく、加齢臭のひどい毒でしかないのだ。
ああ、児玉のやつ、今日はずいぶん毒づいてますねえ、なんてお思いかもしれないが、言っとくけどあんたのことだよ、あんたの。繰り返すが、あんたのことだよ。本当に。

23日金曜日のことから。帰省。翌24日、朝から仕事。夕刻終わる。25日、日曜日。この日の昼過ぎに家を出てからいろいろあって26時間ほど俺は自宅に帰っていないが、その間の移動距離/移動時間は相当なものになった。
京都で友人と会い、滋賀までバイクで送り届け、雨。
……あ、そうそう。23日金曜日は、本日(26日)に予約していた医者の予約をその日に前倒ししたいと電話したのだったが、少々駄々をこねたものの受け入れられず、それというのも、そうした届けをしたのは常時服用している薬が無くなってしまったからなのだったが、既述の通り願い叶わず、仕方無く23日から26日夕刻までは、数年前に処方されたもののあまり合わなかったため大量に余っていた薬で耐えしのいでいたのだった。
そして、そう、雨。夜の滋賀は雨で、合わない薬に頭もぼんやり。バイクに乗るのは危険だと判断し、朝を待つ。ただ、本日26日も雨は降り続いていた。前述の通り今日はあらかじめ医者の予約を取っていた日だったため、大阪のそれに向かうためには是が非でも帰宅せねばならず、引き続き雨だったが復調もみられたので午前、思い切ってバイクに跨がるが、しかし後輪がパンクしていたのだった。
雨に打たれながらガソリンスタンドまでカブを押す。スタンドでは修理できず、紹介されたホームセンター内の自転車工房に行くも(カブのタイヤは、構造は自転車のタイヤと同じなのだ)、店員に使う工具が違うからと嘘で誤摩化され(自転車屋で働いていたことから、自転車用の工具があればカブのパンク修理が可能なことはわかっていたのだ)、仕方無く2時間かけて最寄りのバイクショップまで雨の中歩く。雨、ガス欠、パンクのタイヤを引きずって、金欠。貧血こそ無かったが(別段俺は貧血持ちではなく、○欠、○欠、の語呂で書いただけだが、前月、採血し調べてもらった結果を今日医者から聞くところによるとカリウムが少々不足しているから貧血の兆候があるかも、とのこと……)、それはかなり過酷な状況だった。
なんとか滋賀の見知らぬ土地でバイクを修理に出し(このバイクショップの店員が良心的だったことが唯一の救いか……)、ロッテリアで濡れ鼠のまま食事をし、修理の終わったカブを取りに行くと雨は止んでいた。帰宅し、風呂! この辺りのあれこれはあまりに辛かったため、俺にしては珍しくこまめにTwitter(KODAMA Satoshi (sk_losco) on Twitter)でつぶやいている。
風呂から上がるとすぐさま医者に向かうべく移動を再開。大阪は森小路に。滋賀→京都→大阪と移動したことになる。診察後、実家に寄り、日付の代わる頃に帰宅。
もう寝たいが、あんまり滞るのも嫌だからね、日記。ただ、こういった日に無理矢理日記を書いてしまうと、どうも破廉恥な感じになってしまうきらいはある。まあ、どうであれこの日記は破廉恥に変わりは無いが……。
TORTOISEの『BEACONS OF ANCESTORSHIP』が思いがけず良かったので落ち着いた感じでそのことを書きたかったが、また後日だ。
外はまた雨が降り出している。ああ、色々あって大変だったんだね、というような日記しか書けなかった。もう全部消して、明日の日記にて「昨日は大変だった」と一行で済ませたい思いもあるが、ここでそんなことをしてしまっては私の考える日記ではなくなってしまう(というような逡巡を何度したことだろう)のだった。
雑誌「考える人」の2009年秋号、特集「活字からウェブへの……。」に掲載されていた養老孟司のインタビュー、その中で彼が言った「反論を予測しながら書く文章はつまらない。」という言葉がひっかかっている。毎度毎度、日記がどうのこうのとのたまい日々のそれを締めてしまっている俺には圧倒的に何かが足りない。
ああっ、もう寝よう。

昼過ぎ、来客。ドアチャイムの音で目を覚ます。太郎とトミー。ただ遊びに来たという案配で、二時間ほどおしゃべり。26歳25歳24歳で大体、下品なことを話していた。トミーのためにあえていえば、下品な事を言っていたのは主に太郎だ。太郎と俺の今週の労働時間は二人合わせても10時間ほど。そして平日の昼間から下品な話をしてどうかとも思うが、だけど……、のあとに続く言葉は一切無い。NERDと書かれたTシャツの男とトミーが去り、風呂を浴びて外出。
初めて嵯峨芸大に行く。友人の展覧会を観に。写真を加工した作品の展示を観て思い出したのは、エリックという写真家の『中国好運』という写真集。エリックに関しては、特に操作されていないスナップの写真を撮るが、その写真のコントラストやピント(マニュアルで撮っているらしい)の機械的なまでの合い方などから、どこはかとない違和感とユーモアを感じるのだけれども、果たしてそれ(のようなこと)を作為的に行うとなれば、ずるいかというとそうではなくて、よりそれは困難を伴うこととなる。選択肢と選択項目が増えるからだ。
現実と現状に対してシビアな目を持っているか否かというのは、作品にあからさまに露呈するが、そのことから、弱いそれを「ぬるい」と糾弾するようなおせっかいはもはやしないし、ではそのことから何を思うかといえば、作品に宿る真摯な目から作家を想像し、その人となりに興味を持つということに尽きるということ。なんというか、結局はそうだろう、と。ああ、そりゃあそうだ、と。全部「人」の話。
このトピック、あの、今ちょっと眠いから雑にやるのもあれだしもうやめるが、果てしないな。
まあ、良い日だった。良い人たちと会った一日だった。
あ、戯れ言かもしれないが、「俺の言う、良い、は信用できるよ」と断言したい気持ちもあるが、とはいえ無責任に「良い」と言い放ちたい気持ちのほうがまだまだ強いし、そうであるべきに思う。「俺の言う、良い、は信用できるよ」と言わんとするのは、結局イチローのヒットへの執念と努力みたいなもので、つまりは、ルールの無い場所で記録は無意味だということである。

雑誌「考える人」の2009年秋号の特集は「活字からウェブへの……。」というもの。まだ少ししか目を通していないが、まあ、こういった特集が組まれているのを知れば買うほかないのである。長々と日記を付けているが、やはりいまだに良くわからない。読まれる日記を書くという事は何を意味するのか。
ここのところ世間的にも注目されつつあるTwitterのアカウントは随分以前に取得していたが(右のカラムの、Profile欄に「詳しく」というのがあるが、それは俺のGoogle プロフィールのページにリンクしてあり、そこに各SNSのリンクがまとめられている)、いま一つ俺は呟かない。
思えばこの日記は、夜にまとめて呟いているような体であり、なんというか、俺の体感としてはそのくらいの「リアルタイム」で十分なのが現在のようだ。
さて、日記である。昨日20日は、夜「おおきに屋」で御馳走になる。おいしゅうございました。労働をせずに旨いものを食うとなんだか罪悪感を感じるのが面倒だが。
本日。誕生日に尾上くんからもらったラッキーストライクのBOXのカートンが無くなったので、3箱ほどまとめて買いにコンビニに向かう途中、『Melody♡Cup』で出会った太郎から入電。京都で呑むって話で暇だったので顔を出す。まあ、終始くだらない話をしていたのだったが、収穫として、太郎が最近観たというオリヴィエ・アサイヤスの『クリーン』が観たくなる。アサイヤスは『レディ・アサシン』しか観ていなくて、まあ、それが大変良かったので他のものも観ないとなあと思いつつの体たらく。確か間もなく『NOISE』がみなみ会館で上映されるはずである。
と、まあ昨日今日の日記をTwitterで細かく発散すれば、せいぜい5tweetほどのものだろう。まあ、その程度のことしかいつもここには書かれない。とはいえ、日記は、その呟きの合間を「いらんこと」で埋める必要がある場合が多い。それがねえ、好きなのだけれども、それはそれとして、Twitterにおけるタイムラインのことを視野に入れて考えたとしても、結局、元はと言えば俺は軽薄な意味での「デザイン」と「好きに書ける」ということから日記を付けていて、タイムラインを構成したりといった先進的なメディアリテラシーは、もう、保守的というかなんというか、柔軟性に欠ける人間だからどうしたって馴染めないという、なんとも身も蓋もない感じ。なんか、流れていってしまう言葉の消費感が、以前(今年8月26日)の日記で述べた、「スイッチ」を押す感、と違うのだろう。もう、タイムカードのように打刻されねば気が済まず、さらにその古いタイムカードたちをファイルに整頓したい病らしい。
まあでも、考えてみれば、iPhoneで「つぶやき」を入力するのが面倒なだけなのかも。本当に口でつぶやいて、その声が文字としてpostされるのならつぶやくかもしれない。まあ、そんなようなものだ。その、そんなようなもの、が大きなビジネスチャンスなのかも知れないけど、そういうことに熱くなれない性格だし知らないよ、それは。
俺はねえ、海沿いの家に住んで、昼間は草野球なんかして、夕暮れ風呂を浴びて、夜、温かい照明の下の木製のダイニングテーブルでクリームシチューとかを食べたいんだよ。音楽をかけて。喧噪は時折、煙草を喫うように都会に出て浴びるくらいが丁度良い。
何が言いたいのか良くわからなくなってきたが、そもそも何か言いたいわけでは無いのだった。日記である。
なんていうかもう、あれ、ここどこ? って思いたい。

昨日18日のことから。友人の荷物運びの手伝いで一日外出。そのために家を出たところ、例の如く我が家の飼い猫が家を飛び出し、それは日常茶飯事なのでまあいいや、と構えていたのだったが、ちょうど隣人も家を出て扉を閉めるところで、隣家の閉まる扉の隙間に飛び込むように飼い猫が不法侵入してしまった。どうやら隣人はバスの時間が迫っていたらしく、早急に猫を連れ帰れと激しくせかされる。人の家のちゃぶ台の下で落ち着いていた猫を担ぎ出す俺を見届けると、隣人は風のようにどこかへと急いて向かっていった。玄関を開け一分程度のあいだに色々なことが起こったため、事が済んでからなんだかぼんやりとする。飼い猫のもきちに「怒られたなあ」と言ってみたが、特に反応は無い。猫を担ぎ上げ、ポイと家の中に放り込み、外出。
帰宅は深夜。道中、電話をしたり、メールをしたり、電車の発着時刻を調べたり、ゲームをしたり音楽を聴いたり写真を撮ったり、それらが全部できるiPhoneという機械になんだか呆れる。便利過ぎるのではないだろうか。
で、まあそのiPhoneでここのところ熱心にやっているゲームに、相模くんに教えてもらった「HOMERUN BATTKE 3D」がある。これ、初め相模くんに教えてもらったときはふーんと聞いていたのだったが、家で何気なくやり始めたら止まらないのだった。オンラインの対戦がね、楽しい。私、「Losco」の名前でやってますので、もしやってらっしる方いらしたら、対戦しましょう。
で、今日である。今日もまた一日、外に居た。良い陽気に眠い。体調が良くなってきてから眠りすぎることもなく、活力も以前よりあるので、眠気を帯びつつも活動する時間が増えたが(まあ、普通の人になりつつあるということになる)、そのせい(と言いたい)で、夜、観に行った演劇公演はすっかり夢の中だった。それも客席の一番前で眠ってしまったため、眠っていることが明白だったらしく、本番を終えた役者たちに非難される。まあ、非難されて当然である。つまらなかったとかそう言ったあれではなくて、もうただただ眠たかったのだと思う。ごめんなさい。劇場ですやすやと眠ってしまうのは二度目。
帰宅。同居人の誕生日を迎え、ケーキを食べる。
テレビではゴールデン番組のゲストがジャルジャルだった。もうそんなに人気者なのか。

日記が少し空いてしまった。いつだって過去も未来もほんの少し前/先しか意識していないので、もはや滞り始めた14日のことなどほとんど覚えていない。
それでもまあ、カレンダーに書かれた予定などを頼りに書き出して行こう。
14日。カレンダーに依って思い出すことに、午後、前日にクリーニングに出したスーツを取りに行った。以上。
15日。カレンダーに依って思い出すことに、朝、仕事のシフトをメールした。以上。
あ、違う違う。14日と15日はパンフレットの制作をしていたのだった。上の記述にそれがプラスされて、以上。
昨日16日のことはさすがに覚えている。午後7時から京都造形芸大にあるstudio21で、我が家にも度々訪問してくれる和田ながらちゃん演出の舞台公演『したため』を観たのだった。机が良かった。よく粘って作られているなあと思った反面、観客に対し、不用意に「考える間」を与え過ぎている気がし、そこが弱いと思う。観て、思いが舞い上がって、それが着地する前に次の風に吹かれたい我々だが、すっかり着地することが度々あり、それは一種の断絶であったように思う。
さて、その後、百万遍で役者の西山真来さんと会う。西山さんと会うのは二度目だったが、彼女と話すのは良い意味でとても体力が要るのだった。聡明な方だが物腰が柔らかなので、油断しついつい思考をさぼってしまいそうになるが、そうすればすぐに見抜かれてしまうぞ、と緊張に包まれながら話すという……、そういった今の周囲の人々とはあまり無いコミュニケーションを楽しむ。ってまあ、ただ単に会話を楽しんだだけなのだけれども。会った理由というのが、面識の無かった彼女の企画に俺が一枚かみたいと告白したことから、その企画に関してだが、まだまだ先の見えないそれも今の楽しみの一つ。
さて、本日。仕事。時折雨。以上。ああ、やはり間が空くと日記は雑になるばかりだ。このところ、抽象的なものいいだが、意識が外に向かっていて日記を書く気持ちがちっとも起こらないのだった。今日はもう、半分義務感で書いている。あ、そうそう。約一ヶ月ぶりに更新された相馬さんのサイト「web-conte.com」では、我が家の飼い猫であるもきちの写真が多数掲載されている。見ていただければわかるが、でかくてふわふわだ。でかふわである。

今は13日の昼過ぎ。10、11と仕事。共に晴天。
11日は南港で仕事だった。2年ぶりくらいに、とても好きなバイトの先輩に会う。3年ほど前、共に名古屋から新幹線で京都(その方は大阪)に戻る間、いろいろと話した記憶が強くあって、当時は俺の体調はまだまだ不安定だったのだが、その方はかなり快復していたとはいえ俺とは比べ物にならない厄介な病を患ってらして、年配の方の話としてとても励まされたのだった。共に歳を取り、俺も昨今は大分復調してきたが、久しぶりにあったその方はすっかり快復されたとのことで、とても嬉しく思う。
快復してきたとはいえ、電車に長時間乗っていた一日にすっかり疲れる。12日は眠りを貪る。
本日、13日。午前、誕生日にと頂いた快適な椅子が届く。それに腰掛け、ああ、快適、何か本でも読もう、と読みかけのものが多々あるのに『中原昌也 作業日誌 2004→2007』を読んでしまう。適当に止めて、事務作業を少しし、今、日記。だらしない生活である。風呂にでも入って、ちゃんと何かしよう。

最近気になったニュース、いや、それほど気になったわけではないのだけれども、なんといえば良いだろうか、日々、自身のアンテナをチューニングし続けるうちに、手癖のようなものが付いてしまい、その結果「気になる」と判断してしまっていると言うべきだろうか、そういったものにパブリック・エナミーの新作における制作費の捻出方法に関する記事がある。少し引用すると、
彼らは、アムステルダムに拠点を置くセラバンドというレーベルと契約。このレーベルのビジネス・モデルは非常にユニークで、サイト上で楽曲を聴いて気に入ったら、そのアーティストのアルバム制作資金をファンが援助できる仕組みとなっている。また、レーベルが資金を捻出しない代わりに、アーティストがアルバムの所有権を持つことができ、資金援助したファンへの見返りもアーティストが決められるということだ。
とのことで、これだけでは今ひとつどういうことなのかわからないが、とにかく表現者の自由を尊重しようということなのだろう。とはいえ、わかりやすいところだと無頼派と呼ばれる作家に顕著だし、テレビのタレントや俳優に良く言われることだが、「ダメで仕方無いから、そこに来た」というようなきらいのある人々が、会社勤めの人々より「経済」を意識せねばならない近況というのは、ひどく不自由な気もする。ややこしいのが嫌で、(ぼやけた言い方だが)裏返って(ある種の)ミニマミストになってしまうような性質の人々に、経済という「複雑系」を孕んだものとの格闘が待ち構えているわけだ。複雑系は人の心で十分なのに。
まあ、冒頭で述べた様に、少し前の興味というか、チューニングの手癖が残っていて取り上げた様な話だから適当なことを言っているが、それはそれとして、9万ほど振り込まれているだろうと勝手に勘違いしていた給与が、実際は3千円しか振り込まれておらず、困窮している俺である。どういう勘違いなのかは長くなるので省くが、それにしても困ったなあ。俺もファンに資金援助を要請したい。
夜、孝学くんが来訪。スザンヌより木下優樹菜のほうが可愛いという俺に対し、断然スザンヌだと彼は言った。孝学くんの話、終わり。
ああ、そうだ。TYONDAI BRAXTONと電気グルーヴとビートルズの話をしようと思っていたのだったが、もう結構書いちゃったし時間も遅いから諦めよう。
写真は鴨川のすすき。もう秋も秋。寒い。今年のあっという間感は俺だけじゃない気がするのだが、どうだろう。

台風一過で京都は快晴。暇だし写真でも撮りにでかけようと表を歩きシャッターを切ったが、掲載しているのは夜、このところテレビの番組を楽しみにした記憶など皆無だが、ほんとうに久しぶりに見ようと待ち構えていた「アメトーーク」を映す我が家の平面ブラウン管テレビ(地デジ非対応)である。バナナマンの日村が、やったことのないモノマネを徹子女史に要求されている瞬間である。3時間スペシャルを夜7時から放映しており、加えて、毎週の通常放送が深夜にあった。計4時間もテレビを見てしまったのなど何年ぶりか。深夜の「椿鬼奴クラブ」がむちゃくちゃ面白かったね。「徹子の部屋芸人」での、友近の徹子の部屋シミュレーションにおける芸も素晴らしかったが。
さて、テレビをたくさん見た人の日記である。
京都在住の方への有益な情報として、「祇園会館」にて、今月30日まで『チェンジリング』と『グラン・トリノ』の二本立てが上映されている。「WEB特別鑑賞券」を印刷して持って行けば千円で見られるぞ! 是非行こう。

5日のことから。ジャルジャルの福徳の誕生日。雨。街に出る。日付が変わる頃、腹が痛くてトイレに居て、あ、このままじゃ誕生日をトイレで迎えてしまう、と思い、慌てて出る。誕生日、6日。雨。なんとなしに、誕生日だということでケーキを食べる。こういう「何となく」がわりと好き。「誕生日だからってなんでケーキ食べるわけ? 意味わかんない」と言ってもいいのだろうけど、俺は機嫌良くケーキを食べる。物心付いた頃からそうしてきたのだった。10月6日が誕生日の美女に堀北真希と芦川いづみさんが居るが、「誕生日だからってなんでケーキ食べるわけ? 意味わかんない」とは思わず、きっと昨日は二人とも笑顔でケーキを食べただろう。
読書の秋というより食欲の秋といった案配の俺は、随分前に購入した佐々木敦の『ニッポンの思想』をまだ50ページほどしか読めていないが、さて、この思想と批評の入門書と帯にある本は「ニューアカ」から始まる。著者は、ゼロ年代で終わるのではないかと予想される思想体系の始点を、「ニューアカ」に定めているためだ。ちなみに、俺が生まれた83年10月は、『構造と力』(83年9月発刊)と『チベットのモーツァルト』(83年11月発刊)に挟まれている。別にだからって何もないのだけれども、小学校の時、学校から自分が生まれた日の新聞のレプリカをもらって喜んだ記憶があるが、そういったレベルで、なんとなしに生まれた日というのには愛着を持ってしまう。『構造と力』と『チベットのモーツァルト』に挟まれているというのが何だか知的で良い感じがするというだけの話だ。そんなわけで『ニッポンの思想』を読むということは、俺の生きてきた時代を読むということになるわけで、そんな読書は初めて。全く、歳を取ったのだなあ。余談だが、浅田彰は今、俺の母校である京都造形芸術大学の大学院長だが、少し前、大学の教室で騒がしく何かの稽古をしていた年少の同級生が、「今日、稽古をしていたら、なんか、大学院長に怒られた」と、そのことを笑い話にしていたが、つまり浅田彰に怒られていたということになる。とはいえ、「浅田彰に?」と問うても、なんだかぼやけた返答しかなかったのだった。そんなエピソードからも、ゼロ年代によってそこから発した系譜が断絶するという予測に、白けたリアリティを感じてしまう。
7日。雨。晴れ男だと言い張っている私の誕生日周辺は台風にやられてしまった。雨のせいで体調も少し悪い。あ、そうそう。「opus design – オプスデザイン」という情報サイトが、先日作った木ノ下歌舞伎の公演のフライヤーを紹介してくれている。ここ、8月に出演した『Melody♡Cup』のフライヤーも取り上げてくれていた。ちなみに『Melody♡Cup』のフライヤーのデザインは、容姿が似ているということで勝手に姉さんと呼ばせて頂いていた木村敦子さんによるもの。姉さんは俺の人生の中で出会ったことのない、破天荒な個性を持った面白い人だが、もはや人妻なのであまりエピソードを語るべきでもないだろう。あまりに容姿が似ているということで携帯で二人の写真を撮ってもらったことがあり、それを「日記に載せても良いよ」ともおっしゃっていたが、それは載せない。なんでもかんでも載せないし、なんでもかんでも書かないんだよ、私は。
さて、最後になりましたが、また一つ歳を重ねられたのも周囲の皆様のおかげです。どうもありがとうございました。そして26歳の私も一つよろしくお願いします。
少し日記が滞ったが、先ずは3日のことを。
例年、私の誕生日(10月6日)をたくさんの方に祝って頂いて恐縮だが、今年も3日にたくさんの方に来て頂いて、我が家で誕生会を。来て頂いたほどほどの男子と美女のみなさん、本当にありがとう。プレゼントも色々頂いた。どれも大事にします。
さて日記だが、1日2日は細かな作業など。外付けのHDDが不調で嫌な音がし、加えていっぱいになってしまったので、これはもう仕方無いよなあ、と新しいものを買う。1TB。Amazonで買ったが、1TBも相当安くなった。そして一緒に注文したTYONDAI BRAXTONの『CENTRAL MARKET』がすごい! こんなの聴いたことない! が2009年に。感動。ただただ音楽。
3日、朝から仕事。寝不足。帰宅し仮眠し、冒頭に書いた誕生会。明け方まで。
4日。昼前から仕事。夕方に帰宅。誕生日とは別の素晴らしい祝い事があったので、これは良いものを食べに行こうと、初めて「おおきに屋」に。おどろくほど旨かった! ああ旨い旨いと食べ過ぎる。全部旨かった。カウンターに掛け、早い夜だったので他に客も無く、あんまり旨い旨いと店内で言えなかったので店を出て旨かった旨かったと言う。日記を書いている今は翌5日の早朝だが、今朝も、ああ昨日、旨かった、と思ったほど。夜の食事はそれなりの金額になるが、ランチは手頃に食べられるようなので、おすすめ。『CENTRAL MARKET』と「おおきに屋」は、俺、全力でおすすめします。