November 2011

2011. 11. 30|WED

昨晩、無性に腹が立っていたので良くないと思い寝たのだが、起きて気が付いたのは、一昨日届いた無印良品の安い布団が思いがけず体に合っていて、布団を新調してからというもの、腰痛が緩和されたということと、同居人の証言により、歯ぎしりが無くなったということである。

同居人からずっと布団を疑われていたのだったが、俺は、硬い布団が良いと思っているのだ、と撥ね除けていて、ただ、最近、ずいぶんと長く使っていることと、重い、ということから、まあ、新調しても良いか、と思い始め購入に踏み切ったのだった。完全に正解だった。

夕刻、銀行やカナートに行くがてら散歩。今年の家賃は全て払ったことになるが、つまりもう師走なわけだが、今年の初めから自営に切り替え一年、かなり運で乗り切ったところもあり、ちょっとこのやり方で来年を乗り切れる気はしていない。たとえば、「ビジネス」という語の意味を「商取引」としたときに、それは取引なのだからコミュニケーションであり、相手がいて、そしてある程度の共通認識のうえに成り立つわけだけれども、デザインという仕事の曖昧さ故か、そのあたりの摩擦に適したグリップが全然足りていないのである。参ったな……、などと考えながらカナートのHMVに行きPerfume『JPN』を購入。

帰宅途中、近所のたこ焼き屋「たこなぐり」をチラと見ると、たこ焼きが焼けるまでにはもうしばらくかかりそうだったため(そういえば、昔、北白川に住んでいた時、近所に「たこやき焼けた?」という看板の、開店しているのを見たことの無い店があり、気にかけていたのだったが、ついにたこやきは焼けないまま、建物は取り壊されてしまった)、「ひとつ」と注文し、「15分」と聞き、一度家に戻ったのであった。15分後に行くと、最後のひとつ(8個入)が売られているところであった。店員がマズいという表情をし、いろいろあって、その更に15分後、俺はたこ焼きふたつ(計16個)を無料でもらってしまった。なので、間食にしようとしていたそれで満腹になってしまい、複雑な心境であった。

21時過ぎに仕事を切り上げ、「家政婦のミタ」に備える。やはり面白い。『やさしくなりたい』のイントロからの流れが毎度良いのだけれども、今回は抜群だったね。始まりも良かったし。無茶苦茶なんだけど、テレビドラマにはこういう力技をやってもらわないと。堪能。

しかしここ数日、寒くないな。

2011. 11. 29|TUE

もう明日で今月も終わりか……。今月は遊びの誘いも断り勤勉だったよ……。そんなわけで日記だが、書ける事と言えば日常の些事であり、だからこそ忘れてしまいやすいそれであり、だから思いつくままに書くが、『僕の小規模な生活』5巻に涙腺が。で、刊行時にすでに家にあったのだけれども最近読んだ『きのう何食べた』5巻。あと、最近、読んだ漫画といえば『姉の結婚』2巻。それで、その並び、というか、俺が本気で娯楽として楽しむために購入している漫画を改めて意識し(あとは『イエスタデイをうたって』『海街diary』くらいかな)、思うところがあったのだった。

全部、世界が小さい。そして、とにかく画が巧い。で、マイクロポップ/ネオテニー/セカイ系などの言葉を持ち出して考えたのである。いろいろ。

で、小難しいことをさんざ考えて、いま俺が気にかけているのは、インターネットと日常/風景のコントラストをどう描くかなのだった。いや、そんなことはとっくにわかっていたし、苦しみの痕跡もたくさん見たように思うのだけれども……、とにかくいま、ひとは日常の一部をトリムしクローズアップし反復し咀嚼したがっているわけだ。俺が好んで読んでいる漫画に、俺が求めていることはまさにそういうことである(『姉の結婚』だけ例外的に、少年マンガ的だが)。続き!と同時に反復の喜びがそこにあり、続き!もいわば反復の形のアップデートを求めているようなものだ。で、ただ、それは俺にとって、純粋に娯楽である。それらの中で、やっかいもののインターネットは簡略化/記号化されている。

で、言いたいのは、インターネットの本質は、『サマーウォーズ』のように風景とバーチャル空間にコントラストを作り描くものではとっくに無いということである。『サマーウォーズ』は超おもしろいわけだが、あれは、我々が知っているインターネットじゃない。あんなだったら良いのに、であり、そういう意味では、風景をクローズアップしているものを求める感覚と形が反転しているだけで、同じなのだ。インターネットなんて無くなっちまえ、と。

で、この感じ。どうするよ? と。俺はそれを拙作『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』で書こうとしたわけだが(もちろん、それだけがテーマではないが)、その結果、得たもの、それは書けた感触と、それと同時に矛盾することとして、その掴み所の無さの愚直な抽出は「伝わらない」という特性の確認なのである(結局、書けてないっていうことか)。

となると、次、どうする? と。そもそも、「次、どうする?」とかってことなのか? と。たとえば、失われた風景/幻/幽霊/能/私/妄想/解体/崩壊/逃避、それらが並行することをコントラストと形式は壊してしまう。イタチごっこであることはわかっているが……。だけど、こうなってしまったいま、俺は勘で、小説に一番可能性を感じているのである。それは研ぎ澄まされた勘だと言いたい。この勘の前では如何なる言葉も無価値だから、このことに関して、俺には人と話すことがない。ここに記録されるだけである。そして俺は繰り返し自家撞着するだろう。さらにそれの継続の可能性は、小説に……。

それはいったい、どういうことなのか……。

2011. 11. 26|SAT

25日、労働。労働、とわざわざ書かなくったって働いているに決まっているのだけれども、俺はわりとそうは思われていないということを幾らか前に知り、ふざんけなよ、どうやって俺は生きてるんだよバカ野郎、わりと本とかCDとか買うし、月に最低でも15万くらいは稼がないとキツいよ、ってなことでこのところ、労働、だとか、仕事、だとか書いているけど、そろそろ誤解も解けたかと思うので、そろそろそれを書くのをやめにする。

まったく金を稼ぐというのは大変なことだ。出来ればアルバイトなんかで楽に稼ぎたいところだが(以前はそうしていた)、そんな展望の無いことを続けられるほど楽天的でもないので、必死に働いている。

ところで、相馬(称)さんが、web-conte.com今月22日付けの日記で、

これは、デコードされたことばがエンコード元に届くメディアではない。

という俺のツイートに触れてくださっているが、その部分を以下に引用する。

ああそういうことかと納得しかかりながらも、あー、そこんところ、もうちょい説明がほしいなって感じもして、やっぱり、ぐいっと掴むには至らない。このへんのことにかんしては児玉君とゆっくり話がしたいよ。勉強会でもいいけど。まずはあれか、スチュアート・ホールの「Encoding and Decoding in the Television Discourse」あたりから読まないとだめか、ふたりで、声出して。
うーん。
まあ、「これ」っていうのはツイッターのことなんだろうと思うけど、いったい「デコードされたことばがエンコード元に届く」とはなにごとだろう。

俺の日記は、読んでもらうとわかると思うのだけれども、だいたい、何を言っているのか良くわからない。これは、「難解」とかそういう意味でそうなのではなくて、不親切に「気分」や「勘」を書いているだけだからだ。論考と呼べそうなものはおそらく過去にひとつも書かれていない。Twitterも同じで、ときおり、何の意味も無い、ただ口にしたい言葉のようなものをつぶやいている(「トミーズ雅」や「ドリュー・バリモア」など)。

で、上のツイートも、つまり、「デコード」って言いたかったということに尽きる。あれがそうしてでっち上げられたツイートなうえに、考えていることを話すのが苦手(まだ、書くほうがいける)なので、相馬さんとゆっくり話をしても、わけのわからないことしか言えないと思う。ただ、「Encoding and Decoding in the Television Discourse」という書物を読むという提案に関しては、おそらく「デコード」という単語が頻出しているそれな感じがするので、賛成である。

でもなんだろうな。エンコードに関して、Twitterはその文字数の限られたツイートとともに、その人のツイートする頻度、内容の傾向、フォロー数/フォロワー数とその関係とかが、ぎゅぎゅぎゅとなるわけで、それがまあ、無茶なことだから無茶を承知でやらないといけないのだけれども、それを真面目にデコードし、ふたたびエンコードして伝えても、会話になんてなり得ないんじゃないか、というようなことだったと思う。だからつまり、タイムラインを見ていて、「それ、無理やろー」と突っ込みたかっただけなのだろう。対象には届かないとわかりながら。あの、Twitterの鳥のマークが飛び交っている姿を想像しても、牧歌的ではまったくなくて、なんだか『フィフス・エレメント』のびゅんびゅん飛び交う空飛ぶ車の喧噪のようなものを思い浮かべてしまうだけである。あの車たちがそれぞれ目的地を目指しているのではなく、何か曲芸のようなことを競っているのだったら、愉快だとは思うのだが。

2011. 11. 24|THU

23日。勤労感謝の日。立川談志の訃報。俺は落語については門外漢なので、談志といっても古いテレビでの記憶、en-taxiで読んでいた『談春のセイシュン』(『赤めだか』として単行本化)、同じくen-taxiでの特集記事や快楽亭ブラック『二千万円借金地獄除名顛末記「あゝ、愛がほしい」』くらいでしか触れていないので、あまり感慨がない。

その昔、まだ実家に住んでいた頃、中島らもの訃報を新聞で知った俺が落ち込んでいると、珍しく虫の居所が悪かった父親に、「芸術が文学がなんになるんだ」という旨で、わりと不条理に怒鳴られ、悲しい気持ちになったことを思い出した。そこにあったのは壁である。Twitterを始めてから、不必要な壁の乱立を見ている気がしているのだった。

夜、大事な用事で京都駅に。帰宅後、テレビで『家政婦のミタ』。体調が悪かったのと疲労とで、少し休むことにする。

24日。休もうと思ったのだけど、結局1時間ほど横になっただけで徹夜で働いてしまう。深夜、DVDで『ファンタスティック Mr.FOX』。ファンタスティック!

2011. 11. 22|TUE

疲労困憊である。早朝からJUSTICEのライブ盤『A Cross the Universe』を聴いて、様々の無意味化を図る。良くできているものはもう良い。だから摩擦で血を通わせようとしているので、ただただ疲れる。粘り強くやるしかない。自分の作っているものに愛着は要らない。それは、作り終えてからだ。ただただ冷たく赤の他人を見ているかのように。そしてすぐに捨てられる。墓場行きだ。だけど、それがなければいけなかった。数日前の、陳腐な精子の例えだ。

で、寒いし、いよいよフィジカルに参ってきたのが今日だ。酷い頭痛。本とか読みたい。遊びたい。外国行きたい。

2011. 11. 20|SUN

作業中の音楽、坂本慎太郎『幻とのつきあい方』/KAKATO『KARA OK』/Buffalo Daughter『New Rock』。

自宅が職場、寝て起きてはひたすら労働なので、何も書くことがない。テレビで日本シリーズ最終戦は観た。

ところで、Twitterの、俺のタイムラインの流れがこのところ穏やかだ。フォロー数は減っていないから、みんな飽きてきたのだろう。日本人の好きなツイッターじゃなくなってきたんだろう。わかりやすいものである。

外国に行きたいな。頑張って働こう。

2011. 11. 19|SAT

雨。仕事。ぐったり。作業中の音楽、坂本慎太郎『幻とのつきあい方』/KAKATO『KARA OK』/banvox『Intense Electro Disco』。ペーター佐藤のポートフォリオやロシア・アヴァンギャルドに関する書籍をパラパラ。Tumblrで画像を探す。夕飯は親子丼。わからなくなったり、わかった気がしたり。遊びたい遊びたい遊びたい。

2011. 11. 18|FRI

17日。写真撮影。坂本慎太郎『幻とのつきあい方』、西炯子『姉の結婚』2巻。

18日。友人の結婚披露パーティ。久しぶりの顔も多々。帰宅して仕事。

困っている。方法を知れば知るほど、見え透いていくから、ブレーキが。何が問題なのかといえば、ああ、これね、と、知ってる、と、そこから逃れようとすることにある。知ってる、が増えて逃げ場が無くなるというか。なぜ逃げようとするかといえば、退屈したくないからだが、仕事となれば、このこととの折衷が……。この状態はバイオリズム的だとは思っているので、ふんばりどころ。

しかし、『姉の結婚』、姉が主人公なのだから、タイトルのために妹は登場したのだろうか。すごいな。

2011. 11. 16|WED

15日。深夜、DVDで『危いことなら銭になる』。

16日。夜、打ち合わせ。構想数日、そして丸一日の作業、あまりうまく行かず。また、予想外のことがあり、14日の撮影テストも水の泡。参ったな。時間も無いし。もうダメだ、となっても誰も助けてくれないのが自営業の辛いところ。うそ。今日ダメでも明日逆転できるのが良いところ。胃が痛いよ。ぜんぜん銭にならんよ。まあ、でもあれだね、子供作るのもいっぱい精子が死ぬんでしょ、良く知らないけど。生き残りだけが日の目を見るんでしょ。それだな。違うか? 違わないか? どっちでも良いか。

2011. 11. 14|MON

12日。夕方、近所のたこ焼き屋「たこなぐり」でたこ焼きを買って戻ると(5分ほどの不在)、家の前に誰かいて、父親だった。確か、5年ほど前に京都に越す時、それを手伝ってもらって以来、京都では会っていない。

俺は、通院のついでの毎月一回、実家に立ち寄るのだけれども、俺が引っ越して間もなく帰ると、「エンジンを買った」と父親の部屋にはエンジンだけがあり、毎月いろいろなパーツは増えていき、そして完成し、その650ccのバイクでその日はやってきた。とても薄い皮のシート(サドルと言うべきか)だったので、「尻、痛そうやね」と言うと、「馬の鞍の職人が作ったやつで、よく考えられているから、ふつうのふかふかのやつよりも痛くない」とのこと。

で、なんの用事かと思ったら、「お前、自賠責(保険)入ったか」と言われ、今月中で切れると思っていたら、5日で切れていたそうだ。「あ、忘れてた」というと、「入っとけよ」と。それから飼い猫のもきちを少し撫でて帰っていった。

夜、Apple TVで『殺しの烙印』。映画って、おもしろいんだった……、と、『リミッツ・オブ・コントロール』からの流れで「なぜ、俺は、それを忘れていたのか」を思いつつ、水道管を使った殺しのシーンに、あれ、俺、これ知ってるけど、知っている画はカラーで、となり、ジャームッシュの『ゴースト・ドッグ』。映画の教養があまり無いから、オリジナルを後に見た格好だが、『リミッツ・オブ・コントロール』、『殺しの烙印」、なんとも趣のある映画体験の連鎖に心躍る。

13日。新装版の『人間臨終図鑑』1と2が届く。筒井(康隆)さんが解説を書いている4巻は、来月刊行予定。あと、下に貼るPVが素晴らしかったが、その再生回数は少なく(数十回は俺だし)、情報も少ない。SEYEの公式サイトも、幾つかのソーシャルメディアへのリンクがあるだけだ。

14日。昼過ぎ、ロケハンに。撮影のテスト。夜、山村(麻由美)が急にTwitterをやめてしまったので、アイコンを(今だったら何が良いのか皆目検討もつかないが)適当に変えて、「山ちゃんは〜、Twitterを〜、やめへんでー!」とツイートし復活してはどうか、と提案したのだったが、却下。

2011. 11. 11|FRI

まず、「バリモア問題」についてだが、『100万回のウィンク』で決着がつきそうである。「そんなこと、言われても……」と思われるだろうが、俺は、おそらく10年以上前にテレビ放映で鑑賞した、バーガーショップのドライブスルーで働くカーリーヘアーのドリュー・バリモアが好きだった。そして、今でも好きなのかもしれない。

「バリモア問題」の本質は、俺が、どことなく、いま現在使われやすい差別語で言えばメンヘルの、Bitchとしての、自滅型の女性にまんまと惹かれてしまうという、どうしようもなさにある。いつまで、ネルシャツを着て、リーバイスを履き、ラッキーストライクを喫って、Route 66を夢想しているのか。

心象風景からなる桃源郷は、ユートピアへの展望を妨げるだけなのだが、いまにして「バリモア問題」が再浮上してきたことは、何か象徴的である。

とにかく、俺は「バリモア問題」と決着を付けるべきである。そのためにも記憶の曖昧な「バリモア問題」と2011年、もう一度対面しなくてはいけない。俺は、Amazonに出品されていた、1円のレンタル落ちビデオを注文したのだった。

だが、ここで新たな問題が発生した。それは、「レンタル落ち商品を扱っていた店が、在庫をちゃんと確認していなくて、すでに店頭で売れてしまっていました、ごめんなさい問題」だ。これは、「まあ、いいか。他にもレンタル落ちを出品しているところはあるし。どちらにしろ1円+送料だし。じゃあ、次に評価の高いここに注文しよう対策」で解決したが、このことがもたらした副次的な問題に、「っていうか、俺、もう別にそんなに『100万回のウィンク』観たく無いっていうか、Youtubeの予告篇だけで満足っちゃ満足なんだけどなあ問題」があり、これは、もととなった「レンタル落ち商品を扱っていた店が、在庫をちゃんと確認していなくて、すでに店頭で売れてしまっていました、ごめんなさい問題」よりもはるかに難しい問題である。

この問題も「バリモア問題」に内包されている問題のひとつとしてとらえることは可能であり、つまり「バリモア問題」との決着はまだそれなりの時間を要するだろう。とりあえず、今日のところはこれまでだ。

つぎに、ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』である。10日の「爆音上映 in 京都」で観た。これはものすごかった。ものすごい映画だった。必見! というほかない。できれば、「爆音上映」で観て欲しいが、DVDでも良いだろう。ここで言葉は無意味だ。観て欲しい。

で、今日の日記は昨日の日記のメモをもとに書かれているが、つぎは米屋尚子『演劇は仕事になるのか? 演劇の経済的側面とその未来』。これ、まだ読んでいる途中でございます。『家政婦のミタ』、これ、おもしろいね。「幾つかのウェブ・サイト」、これは、最近製作した演劇関係のウェブ・サイトを紹介しようとしたのだった。

です。よろしければ、ご覧ください。つぎが、「才能が無いということ」、お前だよお前、お前、才能無いからとっととやめちまいな。

2011. 11. 10|THU

7日から日記が滞っている。なぜだろう。このところは、すこし日記が止まると大体のことは忘れてしまうので、日記を書くためにTwitterを参照することになる。

しかし、日記を書いていて思うのは、ほんとすぐに忘れてしまう、ということだ。そして、とりとめのない日常を思い返すことは、とても億劫だということだ。

だから、この日記は2005年から書かれているが(ここに何度か書いたことだが、ほんとうは2004年から付けていて、1年分、手違いでログを消してしまったのである)、当時はなにも思わず書いていた140文字に満たないそれ、Twitterが登場したからといって、140文字の意味合いはやはり違うわけで、いまはまだ(つまり、Twitterの仕様というか、技術的に)どこかへ流れ去っていってしまうつぶやきではやはり、なにかが違う。一行でもここに書き残そう。いや、べつに書き残さなくても良いんだけど。

しかし、思い出す、という行為を葬ろうとしていたことに気が付いた。思い出す手がかりに、というのはちょっと違う。やはり、葬ろうとするところがある。

このところ、人のリツイートなどを見ていて思うことだが、リツイートは葬っている。たとえば、極論で言えば、何か不満があり、それを向ける対象があり、それと同意のことを誰かがつぶやいていて、つまり汎用性のある論理を、リツイートする。で、本来、それは不特定多数であったとしても、向けるべき対象に、然るべきやり方で発することが好ましいそれの呪縛を、リツイートすることによって葬るわけである。ひとつの思考停止ボタンだと思っている。考えることから逃れるために、切り取り、スイッチを押し、葬る。見えない墓場は、いつのまにか死屍累々。まあ、見えないんだけど。だから、ものすごく悲しい場所。

しかしいまは雨が降っていて、頭がにぶい。壊れかけの三脚でフィックスを押さえようとしているような感じ。だから、ほんとうは明日の朝にでもちゃんと書くべきである。言いたいことを整頓できていないし、まずもって、それの実行を億劫におもっている。

明日以降へのメモとしての日記にしようか。いくつか名詞。ドリュー・バリモア。『リミッツ・オブ・コントロール』。『演劇は仕事になるのか? 演劇の経済的側面とその未来』。「家政婦のミタ」。幾つかのウェブ・サイト。才能が無いということ。

「孤独な男が、自分こそ偉大だと思う男を墓場に送る」。ノー・モバイル。

2011. 11. 6|SUN

午前6時起床。仕事。しばらくして、Twitterの(小西)小多郎さんのツイートが目に留まる。

今日はホーム・スイート・ホーム3日目にして最終日です。街はかなり発展しました。シャークモールという日用品販売商店の社長(小3男子)が完全に豪族と化し、周辺地域に公園、球場、釣り堀と福利厚生施設を次々と建造しました。シャークに対抗する企業が出てくるか、注目です。

以下、やりとり。

@adanda106 え、そんなことになるんですか! 気になるから行こうかな…。

@sk_losco すごいですよ…こっちが用意しているルール以上に、抜け道もたくさんあって、それにいち早く気づいたのがシャーク社長です。表面上は子どもが遊んでいるだけにも見える、けど、ひとつの社会が出来ています。

@adanda106 シャーク社長…、ちょっと気になったので観に行きます。

@sk_losco シャーク社長の妹君がおいでになられたので社長のスケジュールを伺いました。社長はプールでひと泳ぎされてから出社されるようです。おそらく昼過ぎかと。お待ちしております。

まず、「ホーム・スイート・ホーム」というのは、

「home sweet home」は、イギリスのアーティスト・ユニット「Subject to_change」によるプロジェクトで、世界中のさまざまな劇場やアートセンターで実施されています。
日本では、「伊丹」バージョンとして、横浜(BankART NYK)に続き、2回目の開催となります。
劇場の中に入ると、「伊丹」の地図が描かれた大きなキャンバスがあります。そこに、受付で購入した自分だけの「家」を自由にデコレーションして、自分たちの「街」をつくっていきます。

という催しで、関係者の方からメールは頂いていたのだが、特に興味を持たずにいたところの、小多郎さんのツイートである。それで、宇野(恵理子)ちゃんにもらったくつしたを履き、向かったのだった。

正午、アイホールに到着し、とりあえず家(マンションの1F)を買い、周りの家のクオリティの高さにちゃんとしないと、と家をデコレーションしていると、小多郎さんと会い、「もう家が売り切れて、泣いている子供もいるのに何してるんですか」と言われる。えっ、大人とかもふつうに参加してると思ってたのに違うのか、と、周りを見るとほぼ100%家族連れだった。とはいえ、家は買ってしまったので、2Fの人を待たせてもいけないので(マンションのフロアは下の家に積み重ねて設置されている)、完成させて、与えられた土地に建設。その途中で、「社長がそう言ってるって言っといて」と話しながら街を闊歩している少年を見つけ、あれがシャーク社長かな、と思っていたらそうだった。Tシャツの背中には「HIGH SPIRITS」のプリント。それからシャーク社長に街を案内してもらう。「家、どこ?」と問われたので、教えると、「(シャークモールから)徒歩5分くらいやな」と。俺の家の前にはシャークの球場への案内板が置かれ、近くにはシャークの公園もあったので、シャークのおかげでなかなか住み良い場所だった。社長にシャークが運営する阪急電車の車庫の説明を受けていると、女の子2人が「ねえ、シャーク〜」とやってきて、社長は行ってしまった。それから、仲良くなった女の子が、市会議員から建設を依頼されていたコーナンの建設を行っていたのでそれを手伝い、完成したのでそれを報告すると、「空港より大きいじゃないか」と設置場所で困らせ、結局、街から河を隔てた場所への建設が許可されたため、ちょうどやってきた諸江(翔大朗)くんにコーナンまでの橋を作ってもらい、その頃には午後4時になっていた。最終日に予定されていたストリート・パーティで、催しはおしまいに。帰宅。就寝。

2011. 11. 5|SAT

ところで同居人はいま、東京である。とある演劇の公演のためだ。話をもらった時は少し悩んだ様子だったが、行くことを俺は勧めた。金が無いというので、勧めた以上、偶然すこし余裕もあったので貸しもした。

おととい、3日の日記でボランティアベースのその世界を強く否定したわけだが、ならば、なぜそうしたのか、そう問われるかもしれないが、俺がそのことについて考えている時間は、あの日だけにあるわけではない。何も矛盾は無いのである。そうしたほうが良いと思ったから、勧めたのだ。

理論値ではわからないことばかりだ。iPhone 4Sだって、よく知らないが、通信速度とかバッテリーとか、いろいろそうらしいじゃないか。

ほんとうに何が良いのかなんてわからない。何が良いと思うかしかわからない。それもわからなくなったらおしまいだから、そうならないように考える。

理論値で希望が算出できない。展望を余白にかける。そのために、ほんとうは余白ではない余白はつぶさなければならない。これは、確立の話になる。確立を上げるための、至って地味な作業だ。机上では成立しない作業だ。

それから、道端にゴミのように落ちているものを軽視してはいけない。お前の、何がそれをゴミとするのか。

すべてわかりきったことだ。それを続ける。その動力源は、つまらないという思い。こんなんじゃ、ダメなんだ、と。

まあ、そんな再確認はどうだって良い。それよりも18日に36歳になられる相馬(称)さんからの前歯が硬いという報告である。硬かったらしい。相馬さんは関東にお住まいなので、その事実を確認することは難しいが、おそらく事実だと思う。なにしろ、前歯は硬くなくては意味がないからだ。それに、俺の前歯もまた硬い。ただ、ここでの硬いというのは、なんというか、歯科医でもないわけだから人の前歯なんて触らないし、誰かの顔面を殴り、前歯をへし折って拳が血だらけだぜ、などといった経験もないため、その、相対値ではなく絶対値である。前歯は絶対的に硬い。そのほかにも前歯について考えることは多々ある。前歯が欠けていると間抜けに見える。笑うと前歯が見える。動物にも前歯はある。サメが怖いのは、その前歯に由るところが大きい。飼い猫のもきちは出っ歯なので、前歯の力を最大限に発揮できていないように見える。歯を黒くする化粧法があるが、奥歯を黒くしても見えないので、この場合も大事なのは前歯だ。前歯が白いことが売りのタレントもいた。蟹江ぎんさんは108才で亡くなるまで、その前歯4本は自前だった。

果たして、前歯とは何なのか。前歯を研究している人はいないのか。なんだかわからないが、とにかく前歯こそが可能性だ。

2011. 11. 4|FRI

1日に予定していた通院が睡眠によって果たせなかったため、再度予約を取ろうと電話。金曜日はわりと込み合うので来週かな、と思っていたが、木曜日が休日だった関係かわからないが空いていたので菓子パンをかじりながらすぐに向かう。

帰り路に、樟葉モールに。この時期、適当に羽織っていたカーキ色の上着がくたびれてきたので、似たようなものが無いか物色。GAPは、時折、やけになったのかと思うくらい安くなっている時があるけど、ちょうどそれで、あ、これこれ、というデザインのもの(M-51っぽいやつ)が、15,000円から2,900円になっていて、それ、そもそもの価格がどういうことなのかわからないが、ちょうど良いや、と購入。レジでさらに2割引になった。そんなに安くしなくても良いのに、と思う。

あと、ずっと買おうと思いながらも躊躇していたNew Balanceの1000番台、見にいくといつも1500、1700と並べて陳列されているため地味で目立たなかった1600だけが店にあり、あらためて見ると良いな1600、となる。

そんなわけで散財して帰宅。快晴の一日だった。

ところでトライアスロンだけど、アイアンマンレースじゃなくてオリンピック・ディスタンスならわりとすぐに可能性が出るんじゃないかと思う。でも、ちょっと真面目に考えると、信じられないくらいしんどいんじゃないか、だいたい、自転車が無いし……。

とりあえず、少し走ろう。

2011. 11. 3|THU

エレファントカシマシのデビュー曲『デーデ』(1988年)は次のように始まる。

溜め息ばかりついてたら/何もできないさ
こんなにつまらん世の中も/金がかたづける

23年前の歌である。別に、同感するとか、これはアイロニーだとかは今は良くて、だけど、今でもやっぱりこれは「歌」だということ。

まあ、少し嫌なことを書こうと思っている。しばらく前のことだが、ある都市の名を冠した国際舞台芸術際のレセプションの流れで訪れた居酒屋で、ある人が(高嶺(格)さんだけど)次のようなことを言った。「やっぱり、演劇はボランティアベースで、それがダメだということを再確認した」と。で、俺は「何十年か前に書かれたアメリカの学者の本に、そもそも演劇は経済的に成り立たないと書かれていたらしいですよ」と言った。だから、何をいまさら、と。でも、ほんとその通りだと思っている。ボランティアベースは絶対ダメだ。それで、そこを後にする時に、その国際舞台芸術際の実行委員をしている中年の女性の方に、俺が会計の時に金を出し渋ったというか、誤摩化そうとしたらバレたのでチェッと言ったことによって親近感を持った、という良くわからない理由から話しかけられ、その横にいた同じく実行委員の大学生の少年もまた演劇を志そうかと思っているのだけれども、何かアドバイスは無いかと問われたのだった。「とりあえず、信用できる人を見つけるのが良いよ」と俺は言った。で、俺が信用している人はくりかえすが、「やっぱり、演劇はボランティアベースで、それがダメだということを再確認した」と、そんな場所でいまさら言うのだった。そして、そうだよホント、と俺は思う。

なにしろ、夢が無い。夢と希望が無いよ。幾らがんばったってアルバイト生活なんだから。有名な劇団に所属しながら家賃が3万円弱のところに住み、アルバイト生活の人がいる。というか、そんな人ばかりだ。

さて、少し話しが逸れるが、むかしから俺は、そんなに金は要らないよ、と思っていた。本や音楽は好きだから、そういうのが買えれば家が狭くたって別に、と。たとえば俺が利用している電話はiPhoneだが、年収が数十億の人もまたiPhoneだろう。薄型テレビだって少し頑張れば買えるし、ドラム式洗濯機じゃなくたって衣服は洗えるし、乾燥機が無くても晴れた日に外で干せば乾く。数十万のオーディオでなくても、数千円のオーディオでそれなりに良い音が聴ける。そんなに金は、要らないよ、と。友達もいるし、楽しいし、良いよ、全然。しあわせだよ、と。

今、それじゃあ、ダメだ、と全力で思っている。全然しあわせでも楽しくも無いよ。っていうか、そんなものなのか、と。欲望は。希望が、上が見えてないだけだろう。上が無いと思っているだけだろう。仕方ねえよ、と。

俺は28歳だが、いま、父親の世代(人によるだろうが)、団塊の世代の彼らが、自分と同じ年齢だった頃の年収があったとすれば、どうか。それは裕福だと思う。だけど、俺は、全然使い切るね、そのくらい。貯金なんてしないね。と言いたいが、きっとそれなりに金を貯める。で、それ、端的にいやだ。縮小しているわたしの欲望がつまらない。

こんなにつまらん世の中も 金がかたづける

だから、別にそうは思ってないんだ。だけど、わかんないだろう。だって、そんなに金、持ってないんだからさ。持ってから言うしかないよ、それ。良いんだ、俺はアルバイトで。なぜなら、上記した通りだから。って俺は嫌だ。俺は今年に入ってアルバイトを一切していない。で、なんとかギリギリ年内は持ちこたえられそうだ。だけど来年はわからない。

そんなにやんや言うなら、就職でもすればどうか? と言われるかもしれないが、そうは思わない。俺は、自営に可能性を一番感じているからこうしてる。誰が柔軟に、状況に、順応などするものか。安い牛丼も菓子パンも要らない。寿司が食いたい。発泡酒なんて絶対飲まない。5,000円均一の眼鏡なんてかけない。だって、どんどんそれで満足しちゃうから、人って。

俺は、演劇って基本的に見ない。夢も希望も感じないから。観るのは、年に一度か二度。そこには夢と希望、もしくはそれに代わる別のものがあると思うから。だから、出るほうが多いということになる。で、出るぶんにも、小額だがギャラをもらい、関東や海外に連れて行ってもらえて楽しかった。やだよ、必死でバイトした金使ってダサい場所でがんばってやって、終わったらちょっと満足して、またくり返し。嫌だ嫌だ。絶対いやだ。そういうふうにしている人が9割なのが演劇だ。なんで? ボランティアで学生引っ張ってきて手伝わせてさ。それ、就職するよりは楽しい、ってだけでしょ。

もうずいぶん書いたぞ、嫌な事を。俺の本心を。だって、めちゃくちゃつまんないんだよ。大嫌いだよ、こんなの。もっとあるよ、良いのが。絶対。こんなことじゃないんだよ、何もかも。もっと、もっと。バカにされてるね、これじゃ。徹底的に反抗する。俺は嫌な奴だよ。それで良い。そっからだ。嫌われても良いよ。なにしろ、つまんないだ。

2011. 11. 2|WED

1日。火曜日。体調優れず。寒くなるにつれて、体がガタガタに。ほんとうはアイアンマンレースとかにも出たいのに。中学、陸上部、高専、水泳部、卒業後、1年間、自転車屋でアルバイト。どうだろう、結構アイアンマンレースに向けて着実に階段をのぼってきた感じが無いだろうか。

ただ、肩も首も腰も、このところは足も痛い。無理だ。それに、自転車持ってないし。でも1年くらいトレーニングすればそこそこいける気もしないでもない。ちょっと、ぼんやりとした目標だから、具体的に書いておこうかな。今、28歳だから、そうだな、5年後、33歳の時にアイアンマンレースに出場。そして完走。そういうことにしておこう。

そうだ。相馬(称)さんに、(相馬さんの)31日付けの日記で、

かわいいんだけどなあ。かわいくても関係ないんじゃなあ、日記に書くってわけにもなあ。どうだろ、このさい児玉君さあ、すこし関係あるってことにならないだろうか、おれ。山村さんのうしろに写ってるの、あれ、よく見たらおれだったりしないだろうか。

と持ちかけられたのは、山村(麻由美)のTwitterのアイコンの件なのだけれども、よく見たものの、どうしてもそういうことにはならなかったことをここに述べねばならない。ただ、相馬さんの上の前歯を良くみたら、このアイコンだ、ということで手を打ってもらえないだろうか。どうでしょうか?

2日。少し体調もどる。やや、アイアンマンレースに向けて前進。ただ、復調したのでガシガシとデスクワークをしていたら、やっぱり足が痛い。一進一退である。