November 2009

28日、土曜日のことから。朝から仕事。午後7時頃に終わり帰宅。同居人が不在だったので、料理を一切しない俺には食事を取る方法が外食しか残されておらず、とはいえ疲れもしていたのでその気にはならず、かといってこのまま食事を取らないのも良くないな、と思い、電話で人をつかまえる。
付き合ってくれた二人は「Parrot」という店にいたので、向かう。古い喫茶店の佇まいのそこでは洋食セットが580円で頂ける。おいしいし良いですよ、ここは。白川通から北泉を西に入って右手にある。
それから丸山書店(白川通沿いの方)に寄り、少し散財して帰宅。GEOで中古のゆらゆら帝国のPV集を740円で。書店の方で『僕の小規模な生活』の3巻と石川直樹の文庫。『僕の小規模な生活』を読んでから就寝。
29日、本日。洗濯。曇天。
夜、昨日買ったゆらゆら帝国の『CLIPS 1998-2003』を観る。すごくつまらなかった。良いPVというのは本当に少ない……。
続けてテレビでボクシングの試合を。
さて、そんなことはさておき、明日は我が家で京極くんの誕生日会を行います。メール無精な私なので、ここで告知しておきます。ご自由にご参加ください。別に誰でも来て頂いて結構です。京極くんって誰? という方でも結構です。私の家がわからない、という方はメールください。ではでは、そういうことで。おやすみなさい。
あ、中原昌也『12枚のアルバム』読了。本だと、たぶん今年のベスト。
26日、25日の夜にテレビで「シルシルミシル」という番組を何気なく見ていると、「しゃぶしゃぶ 温野菜」というチェーン店を紹介しており、それを共に見ていた同居人が「行きたい」となったので、夜、三条にある店舗に行く。店員同士が本気で喧嘩していた以外は満足だった。
帰宅して『崖の上のポニョ』をDVDで。『ハウルの動く城』を映画館で観、もう宮崎駿は観なくても良いかな、などと思っていたのだったが、少し前、深夜にNHKで、宮崎駿がポニョを制作している様子を捉えたドキュメンタリー番組をやっており、それを見たのがきっかけで鑑賞に至る。そしてポニョは素晴らしかった。ハウルはポニョへの助走だったのだな。渾身の愛の映画に涙腺が緩みっぱなしだった。
本日。雑務。夜、京都造形芸大にあるstudio21に『糊』という舞台を観に行く。空虚な作品だったが、後半、すこし確かな感触に触れそうなところもあり、とはいえ、それ故にもったいない、というほどのことでもなかった。

24日。夜から雨。崩れた体調は22日に快復したため、しばらくは安定すると思っていたものの、この日もまた優れなかった。夕方、大阪にある医者に。
実家に帰省する。妹は不在だったが、実家からその最寄り駅への帰り路にすれ違う。父親は室内で遊べるラジコンヘリをしていた。実家は散らかっているので障害物が多く、ヘリの飛行は難しそうだった。
日付が変わる前に帰宅。
本日。体調は良い。晴れ。街に出て買い物。夜、知恩院の中にある御影堂での松倉さんと渡辺勝さんのライブを観る。夜の荘厳で巨大な伽藍に少ない照明、頭上の暗闇はまるで夜空の闇のようだった。音楽が生まれて、とても静かな空間を楽しむ。
終演後、松倉さんと少し話し、お変わりない姿を嬉しく思う。

午前起床。祝日。快晴。午後からフライヤーのための写真撮影。ロケ場所に集合時間よりも1時間早く行き、プランを立てる。撮影できる時間が限られていたので、決め打っていきたかったのだったが、結果、気持ちが良いくらいにうつろった。
ただ、今回の撮影は例外的にギャランティを貰っての仕事ではなく、自身が出演することから、久しぶりに普段の仕事としてのロジカルでシャッターを切らず、つまり、良い意味でも悪い意味でもイニシアチブを握らなかったため、普段と違う重圧があり、人物を写真に写すことの怖さを、また普段と違った角度でひしひしと感じたのだった。
というわけで、いつのまにか舞台に出演することになっていた。詳細などはまだ発表できない段階だが、学生時代に一つ出演したきり、5年ぶりくらいに台詞を発することになりそう。絶対もう無いと思っていた機会である。
撮影が終わり(時間切れ)、撮れたという感覚が稀薄なまま、ZANPANOに。今回の共演者で唯一お会いしていない方が出演されていた公演を観に。噂ではいろいろと伺っていたが、とてもおもしろそうな男性だった。
それから我が家に流れ、主催者と写真の選定。タイから帰国したトミーも来訪しており、久しぶりに会う。土産物も多々(タイの皆からも)頂いた。どうもありがとう。
ところでトミーの話では、来年の秋、今年の夏に私が出演した舞台がタイで再演されるという話は濃厚なようで、それがとても楽しみ。仮に決定すれば、来年は二本、舞台に立つことになる。人生、良くわからないことになるものである。
タイの土産話で夜が更けた。天天有でラーメン。当たりの日で、とても旨かった。

20日、21日と体調が悪く、鬱屈した気分だった。そんなわけで20日は家でぐったりと過ごし、夜に百万遍でフライヤーの打ち合わせ、深夜、この日記のことがとても嫌になり、消してしまいたい気分になる。
21日、昼過ぎから体調不良のまま仕事に。同居人も風邪気味で、我が家は良く二人同時に体調不良になるので、ちょっとずれれば良いのにと思う。
本日22日。復調。朝に相馬さんの日記を読む。今月16日に亡くなったデーデのことを書いてくださっていた。離れた場所でデーデの名を呼んでくれていたことがとても嬉しかった。その記述に、今月9日、デーデを拾ってきた同居人が早く名前で呼びたいと言っていたことを思い返す。「デーデ」はどうだろうか、と提案し賛同を得た時はとても嬉しかった。名前は愛するための初期衝動だ。余談だが、デーデという名前は、比較的多くの人にはエレファントカシマシのファーストシングルを想起させると思うのだが、俺は筒井康隆の『旅のラゴス』のヒロインの名前を拝借したのだった。デーデは私たちの前でいつまでも仔猫のままになった。会いたい時は埋葬した川に行くしか術はない。
さて、日記を続けるが、朝から仕事。終わったのが午後7時頃。友人と会食し、就寝。
つまりこの日記を付けている今は23日の朝である。良く寝て体調もすっかり快復したが、20日にあったこの日記を消してしまいたい気分がすっかり払拭されたわけではない。とはいえこうして書いている。そういうものにこれはなったのだろう。その事実は、しっかりと受け止めないといけない。

朝、自宅の一階をルーティンとしての掃除の5割増しくらいのテンションで行い、風呂を浴びるとすっかり眠くなって寝てしまった。
深夜、『12枚のアルバム』を細かく読み継いでいる。今月17日に亡くなられた大里俊晴が二度目のゲストとして登場するところまで読み、全体の半分といったところ。とにかく面白い。
佐々木敦の『ニッポンの思想』のプロローグで、ゼロ年代、昨今、書店の「思想書」のコーナーに置かれている売れていそうな新刊を大別したときのその一に挙げられている広義の「左翼」本(ワーキング・プアに始まり、単に、貧乏でも大丈夫! みたいなあれ)、これはもう本当に最近良く目にするのだが、その系譜とも見てとれる「雑誌」やサブカル本もこのところ急増していて、とても嫌なのだけれども、あの、そんな代物より『12枚のアルバム』を読もう。正しいノイズを読もう。
面白いのだけれども、連続して読み進めると、知らない固有名詞にいちいち反応できないようになるので(知らないことに順応してしまうので)、『12枚のアルバム』はこつこつ読まれる。そんなわけで上記の箇所で読むのをいったん止め、Tyondai Braxtonの『Central Market』と、俺のアルバムを聴く。俺のアルバムって何だということになるが、俺がこつこつ作りためた曲の中から、コンパクトなものを集めた45分くらいのデータのことを言っている。幼少のころはレゴで遊ぶのが好きだったのだが、それが変化して、今はこれになっているという説明がふさわしいように思える、つまり、そういう個人で楽しむ代物のこと。
あ、どうでも良い話だが、Tyondai Braxtonを演劇だとかダンスの公演で使うの禁止! あんなものを大音量で流したら、杖なしでは歩けない老婆の歩行ですら躍動感に満ちてしまうだろう。
しかしまあ、日記は完成なんてしないところが良いよねえ。最近の俺は、「完成させないとだめだ」というようなことはもう信用しないことにしている。完成させるためにやってるんじゃないってことが、どんどん明白になってきたのだった。

とても寒い。17日付けの日記を書いた後、洗濯をし、二階を掃除してから外出。京都みなみ会館でオリヴィエ・アサイヤス『クリーン』。素晴らしかった。ショットとアサイヤスのタイトな編集が美しかった。「女が良く描けている」というような(今時、そんなことを言う人はいないだろうが)退屈なそれではない、「動く」女であったエミリー(マギー・チャン)、そして彼女を肯定した彼女の義理の父(アルブレヒト・ハウザー)の二人によって、軽躁かもしれないが、観ていた俺はとても大きな赦しを得た気がした。
残念ながらみなみ会館での上映は今日で終わってしまったが、是非観て頂きたい。ちなみにみなみ会館では知人が働いていたので、上映後「観た?」と聞くと「もぎってました」とのことだった。もぎってる場合じゃないよ。
次に制作予定のフライヤーが映画のフライヤーを意識したものになる予定なので、フライヤーを手当たり次第かばんに放り込んで帰宅。
しかし家は寒い。今日は家の中にいてこんなに寒いのだから大変だ、と厚着し外に出ると思ったほどではないどころか、日差しのぶんだけ暖かかったり。家で手袋をしている(指だけ出ているもの)。一階はこたつとホットカーペットがあるから何とかなるんだ。二階だよ、問題は。デーデが居た時は光熱費節約のために使っていなかったエアコンを仕方無く点けていたが、やはり乾燥していけない。加湿器を併用するとしても、やはり光熱費だ。石油ストーブを調べたりしてみたが、どうも面倒そうだし……。
まあ、寒いよね、冬は。で、済ましたいが、まだ冬は入口。どうしたものか。うーん。そういえば、去年はどうしてたんだろう……。
18日の朝にこの日記は書かれている。
16日、午後2時頃、9日に同居人が拾ってきた仔猫のデーデが死んでしまった。俺は眠っていて、仕事から帰宅した同居人が発見したのだった。その時はまだ温かかったから、それほど時間は経っていなかったのだと思う。
以前からいた猫であるもきちとも少し打ち解けて来たところだったし、それに、ただただ利発で可愛いデーデともっと一緒にいたかったので、悲しい。元気に振る舞っていたが、やはり随分と弱っていたのだろう。我が家に来て一週間だった。この日、医者に連れて行く予定だった。
17日、早朝。雨が降り寒い朝だった。同居人と話し、デーデは鴨川沿いの桜の木の下に埋葬することにした。埋葬し終え、帰宅するとなんだかぐったりしてしまった。何もする気にならないので、ただただ寝ていた。
今は18日の朝である。昨日とは違い、気持ちの良い朝である。早朝、昨日埋葬した場所へと向かった。雨の中、土を掘り埋めたその場所は本当に良い場所だったのかわからず少しもやもやとしていたのだったが、晴れた朝、向かうと気持ちの良い場所だった。夜は静かで、日が昇れば人が行き交う。今朝の鴨川は静かだった。犬の散歩をする人がいた。今は葉を落としている桜は、いずれ綺麗に咲いてくれるだろう。次の春はそこで桜を見る。
何も死ぬことは無いじゃないかと何度も思ったが、デーデはとても小さかったのだ。悲しいことだ。もう少し一緒に暮らしてくれれば良かったのに。
14日のことから。昼前から仕事。13日未明に、この日記の細かいデザインが無性に気になりだし、明らかにその時する作業ではないとわかりつつも、ひどく落ち着かない気持ちで朝まで主にスタイルシートを編集する。そのせいで、ほとんど寝ずに仕事に行く。夕暮れ、帰宅し少し眠る。夜に起きると来客があって、シーラカンスの孝学くんが、chikinからの依頼で、彼女達のプロモーションビデオを作ったということで、皆はそれを見ていた。俺も見せてもらい、以前、試作品も見ていたので、格段に良くなっていることがわかり面白かった。いずれchikinのサイトにアップするので、その時は是非ごらん下さい。
本日。二日ほど、あまりまとまった時間眠っていなかったので酷く眠く、ずるずると夕刻。16歳から20歳くらいまでの間していたアルバイトの先輩が結婚され、二次会が四条烏丸であり、夜、それに赴く。もう二度と会わないだろうと思っていた人たちにたくさん会う。
深夜、DVDで『ガントレット』。初見。凄く変な映画だった。1977年のイーストウッド。次は何を観ようか。まったく面白いなあ……。
どことなく年の瀬の雰囲気も漂い始め、日記も今のデザインになって約1年かと思い、度々デザインを変えているこの日記だが、果たして来年はどうしようか、変えるのも面倒だし、今更、何か凝ったことをする気も毛頭ないので、ここは刈り込んで来年に備えよう、と、不要に思った箇所を削る。右のカラムが長かったので必要最低限にし、毎月ラテン語を書いていた箇所は年月を記載した。時折、部屋を無性に掃除したくなる類いのあれだと思って頂きたい。
さて、日記だが、中原昌也の『12枚のアルバム』は半分を読んだところだがとても面白い。発言される名詞の9割は存じないが、そのことが清々しい気分にさせる。なんというか、こういうものをずっと読んでいたいと思う。
夜、来客があって、その方の誕生日を祝う。突然のことだったので静かな催しだったが、来月は派手にクリスマスパーティーでもしようか。忘年会とかね。呼べるだけ人を呼んで。どうでしょう、皆さん?
ところで前から思っていることだけれども、例えると「万能リモコン」を求めるような気持ちというのは良くないね。あれもこれも一つでできるっていう。iPhoneなんてその類いの最たるものだが、それはそれ、これはこれ、そうしないとだめだなあ、と。Kindleなんて、色気が全くないじゃないですか。なんていうのかなあ、パソコンやネットがネイティブな年齢の人々が成人する時代だが、それより少し年嵩の俺は、そこへの変遷の中で何を失い何を得たか、忘れない限り知っているわけで、例えば新しいCDを購入し、封を開け、ボタンを押すとミニコンポがガーとそれを受け取るトレイを出し、チュルチュルとディスクの回転する音が聴こえ、音が鳴る。歌詞カードを見る。もうね、しないもんね、それ。我が家でCDを再生できるものってMacだけだからね、もはや。そしてそれと、コンピュータにCDを挿入し、インポートし、データになったそれを再生するってのはやっぱりね、違うんだけど、ただ、後者を選択するんだよね、今は。絶対。うーん……、って思いながら。負けてるね。確かに凡庸な話ですよ、これは。ただ、俺が年配の方にレコードに針を落とす愉楽を語られるのとは少し毛色が違うとも思うのだ。あ、まあそうだとしても凡庸極まりないことに変わりはないか。……変遷から今を読む、というのは愉快であること以上には何もないんじゃなかろうか。そんなことより今、どう愉快であるかなんだろう……。つまらないこと書いちゃったなあ。うん。そう、つまんない。なんかねえ、もう、つまんないよね、いろいろ。楽しいこと……。あ、ボーリングは面白いね。玉を転がしてピンを倒すだけだけど。あとバイクに乗るのも楽しいね。歩くのより速く移動しているだけだけど。あの、バラバラ死体の筆致で申し訳ないが、俺が小学生だった頃の少年マンガには「不老不死」だとか「世界征服」が欲望の最たるものとして良く登場したけど、あれ、もう有効じゃないよね。もう、全然「不老不死」も「世界征服」も興味無いね。なんでだろうね。どちらかというと、どっちもなりたく/したくないね。それよりも断然ボーリングがしたい。あと、バイクは今、雨が降っているから嫌で、それより寿司が食いたい。

昼過ぎに目を覚ます。机の上にある無印良品のメモ帳に書かれたToDoを処理しつつ、夜。久しぶりにガケ書房に行こうと思ったのは中原昌也の『12枚のアルバム』を読みたいと思ったからだった。ガケ書房は中原昌也を確実におさえてくれるので助かる。左京区で『12枚のアルバム』はガケにしか無いだろうと踏み、当然のようにあったそれと、青山景の『チャイナガール』という漫画を購入。
深夜、DVDで『ミスティック・リバー』。初見。恐ろしい映画だった。これを撮った人と『グラン・トリノ』の主人公を演じている人は同じ、と思うともの凄いが、それよりも肝心なのは、同じ、という事実の前に、同じ、それを意識させられるということにある気がする。良くわからないが。……未見のイーストウッドはまだ山のようにある。迷宮だ。
さて、細事を幾つかの後、『チャイナガール』を読む。これはもう、作中のチャイナガールがかわいいからそれで良いのだろう。かわいいがぶれていない。ところで今、テレビドラマでこれをするのは至難だろうが、何がそうしたのだろう。『結婚できない男』の夏川結衣のかわいさは相当なものだったが、テレビドラマはあのくらいのかわいさをコンスタントに作り出さなければダメだよ。もしもそれを成せれば世の中もうちょっと良くなるはずだが、そのまえに立ちはだかるものたちの醜悪さと言ったら……。
掲載の写真はまだ仲良くなれていない二匹の猫。遠近法でその体躯に大差は無く見えるかもしれないが、ほとんど違う生物だ。背後が以前から居て、巨大な猫、もきちである。手前のデーデはもきちなど歯牙にもかけないが、もきちよ……。ちょっと警戒し過ぎだろう。体の大きさと反比例の臆病さである。

10日のことから。9日の夜は、同居人に拾われてきた仔猫が心配で眠れず。明け方に眠る。写真はその仔猫の今日の様子だ。名前はデーデに決まった。以前からの飼い猫であるもきちと対面させたが、もきちは警戒し、デーデの1メートル圏内には近寄らない。体重でいうと、もきちはデーデの20倍ある。デーデがどんなに攻撃しようともケガなどし得ないもきちだが、ずいぶん臆病である。少しづつでも仲良くなれば良いが。
さて、そんなわけで、明け方に眠った俺は夕方に起きた。ずいぶんと眠ってしまった。夜、雨の中、四条まで。関係している舞台公演の企画会議。帰宅は午後11時ごろ。DVDで中村義洋監督の『フィッシュストーリー』を観る。『アヒルと鴨のコインロッカー』がとても良かったので期待していたが、それは裏切られることなく、面白い映画だった。『アヒルと鴨のコインロッカー』も『フィッシュストーリー』も、どちらも荒唐無稽な話だが、前者に比べ後者は、前者にあったシリアスさを取っ払い、ただただ爽快に徹したバカ話。多部未華子と森山未来のシークエンスが良かった。何度か観たくなる爽快さである。
本日。爽快な気分で眠ったせいかずいぶん眠りを貪ってしまった。起きたら真っ暗だった。明日はちゃんとToDoを処理しよう……。

昨晩は何故か寝付けず無意味に徹夜をしてしまった。掲載の写真は、腹が減ったので本日早朝、なか卵に腹ごしらえに行った帰り路に撮ったもの。先月、CanonのPowerShot SX120 ISという比較的安価なデジカメを購入したのだが、それで撮った。いわゆるコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)だが、シャッタースピードや絞りをマニュアルに出来たり、10倍ズームだったりするのであまりコンパクトではないものの、あまりコンパクトで無いと思うのは昨今のコンデジがあまりにも小さいからな気もする。
で、まあそんなことはどうだって良いのだった。徹夜をして、本日午前眠り、昼過ぎに同居人からの電話で起床。出ると寝耳に水で、仔猫を拾い、いま家の前だが、すでにいる飼い猫のもきちと鉢合わせてはならないので手伝って欲しいとの内容。もきちは毎日、俺の部屋の椅子で眠っているので、自室を閉じ表に向かうと、驚くほど小さい猫と同居人。ずいぶん汚れていたので少し洗い、部屋に暖房を入れ(我が家では初めてエアコンの暖房機能を使った)、水を与え、動物病院の午後の診察が始まる時刻まで待機。
もきちは随分と大きな猫なので、それの1/10くらいの仔猫などどう扱って良いのか良くわからず不安だったが、連れて行った動物病院での検査結果はひとまず安心できるものだった。初めて行った動物病院だったがとても良い医者だった。出町柳にあるひとみ動物病院というところ。隣家の家族も猫を飼っておられ、そこの奥さんに教えて頂いた。
さて、その小さな捨て猫はメスだった。生後3から4週間だと思われる。なかなか人なつこい猫。名前はまだ無い。以前からもう一匹飼いたいなあとおぼろに思ってはいたのだったが、思いがけず実現してしまった。とはいえまだもきちとも会わせていないし、なにぶん小さくて弱った捨て猫、しばらくは油断できない日々になりそう。

7日のことから。早朝から仕事。終えたのは午後6時前だったが、すでに空は暗い。比較的あたたかい一日だった。
8日。本日。昼前から仕事。出勤時刻を30分勘違いしていることに、本来出勤せねばならない時間の15分前に気が付き、大慌てでスーツに着替えバイクを飛ばし、その後走る。息せき切れて足が怠くなり、何かスポーツをしたほうが良いななどと思いつつ職場に着く。
午後5時頃帰宅。煙草を買いに行くついでに東大路通りを散歩する。通りに面した石川電機という、ほとんど閉じている最寄りの電気屋が数日前から改装工事をしており、はて何ができるのか、と思っていたら、リカーマウンテンであることが判明。どんどんと自宅のある田中里ノ前周辺は便利になる。スーパーマーケットは徒歩10秒だし、コンビニに安い食堂をはじめとする飲食店、100円ショップ、クリーニング屋、ZANPANOやweekendersなどの喫茶店も徒歩5分圏内にあるのだった。
少し寝て、夜、D Diningで夕食。ついでに白川通りのTSUTAYAで幾つかDVDを借り帰宅。
写真は東大路通り。バスに叡山電車と交通の便も良い。近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

5日。どうも体調が優れない。倦怠感の中、読書も捗らない。本日6日もそんな感じなので、日記に書くことが無い。
とはいえ、書き始めてしまったので、何か適当なことを書き連ねなければならなくなってしまった。しかし、構造主義について何の見地も持たないため、ここ数日、Twitterやブログで良く目にしたクロード・レヴィ=ストロースの死去に関しても何も書けないし、では関連する何かを題材に少し書けるとすれば、Twitterやブログの普及で、我々は著名人の訃報や、その訃報へのリアクションを、それらの普及以前と比して、飛躍的に早く知る事ができることになったということについてくらいだろうか。
体感としてその加速は、著名人を葬る速度の加速と比例しているように思うのだが、その背景を思うと、それは存外に複雑な現象にも思えるのだった。と、「何か」を書き出そうと俺はしたのだけれども、その概要を頭の中でこねているうちに、反発だとか警告だとかいった威勢の良い感情は全く沸かず、ただなんだか憂鬱になってきたので、書くのはやはりよそうと思う。
このところ、この日記に関してはこういう事が多々有る。簡単に折れる長い棒を、ただなんとなく立てようとしている。どうもダメだ。もっと短くて茎の太いそれらを高速に乱立させるべきだと思う。
ひどく抽象的なことを書くが、広い空き地で、創意工夫し、慎重に、とても長い棒を直立させようと試みる姿よりも、広い空き地を駆け回り、ぶつ切りにした丸太のような無数のそれを乱立していく姿のほうが、爽快ではないだろうか。
と、わけのわからないことを書いて、それなりに日記が埋まった。全く……、こんなことでは全然ダメだ。俺は一体なにをしているのか。遅い。酷くのろまなことになっている。

2日。あまり覚えていない。Twitterへの「つぶやき」を見るぶんには、夜、ミリオンでロシアンバーグを食べている。そしてそう、この日から急に冷えたのだった。夜、webの仕事を少し。
3日。これもまたTwitterへの「つぶやき」から思い出したことだが、昼過ぎに寒さに耐えられず炬燵を出そうと思い立ち、炬燵を出し、炬燵でつい眠ってしまっている。そして夜、鍋を食い、ああ腹いっぱいだと思っていたら相模くんが遊びに来たのだった。だらだらしているうちに深夜の4時頃になっていたのではなかったか。そんなわけで続きをやろうとしていたwebの仕事は手を付けられず。
本日。先月の光熱費が予算より安く済んだため、同居人が以前から欲しがっていた新しい炊飯器を買いに行った。ずっと使っていた無印良品の丸い三合炊きのものは蓋がばかになっていて、それに我が家は大食らい二人だから、客人があると三合では足りないのだった。それで何ヶ月か前、今は東京にいる役者の川口くんが京都を経つ際に同じく一度に三合しか炊けないものの無印良品のそれよりはましなそれをくれ、場合によっては二台体制でしばらくありがたく使っていたものの、先日、東京の川口くんから返却依頼の連絡があり、いったいどんな生活をしているのかと思いつつ急いで炊飯器と米を送ったところ、米へのお礼と、しかし茶碗が無いということ、それと最近は篠原ともえを良く聴いているというメールが送られて着て、こちらでは今、川口はいったいどんな生活を、ともっぱらの噂。
さて、そんなわけで炊飯器を買ったのだった。一度に五合炊けるものだ。素晴らしい。米、大事!
深夜、webの仕事を詰めて行い、終了し、こうして日記を付けている。それもこれも、ご飯のおかげだ。

昨日10月31日のことから。昼過ぎから外出。神戸アートビレッジセンターで「drowning room」という展覧会を観る。知人の画家が出展されていたから行ったのだったが、思いがけず規模の大きな展覧会で、それにそもそもあまりコンテンポラリーな美術というのを観た事が無いから新鮮で楽しかった。一室を使った暗闇の中で観る作品があり、高嶺(格)さんの『在日の恋人』のことを思い出した。もうこの季節、山奥のあの洞窟は寒いだろうなあ……。
帰宅するとchikinと孝学くんが居て、なにやら会議をしていた。帰ると言った孝学くんを引き止め深夜まで話す。あまり何を話したかは覚えていない。
午前2時頃、皆帰り、そういえば今日(10月31日)はハロウィンだったが(chikinのトミーはハロウィン好きなので)、なにかそれらしいことをしたのか? と同居人に問うと、「いや、していない」との答えで、まあ、そうか、と思っていたら「あ、そういえばcossiは一応ジェイソンのマスクかぶってきて家のドア叩いたよ」と続けて言うので、思いがけずちゃんとした(というのも変だが)あれを……、と驚き詳細を問うと、cossiはジェイソンのマスクをかぶり無言で我が家の薄い玄関の戸を叩き、同居人と来客たちがなんだか外が騒がしい、と思うも放っておくと、なおも叩き続け、仕方が無いので誰だと思いながら同居人が戸を開けると、「お菓子くれー」と言ったのだという。ところが皆のリアクションが小さく、しっくりこなかったのかさらに戸を叩き、同居人に「こらっ、やめろ」とcossiは注意されたという。かわいそうに……、と俺が言うと、同居人は「でもお菓子はあげたで」と言うので、なぜそこまでハロウィン的なことをしておきながら「いや、していない」と答えたのか良くわからなかった。孝学くんに至っては、ハロウィンがいつで、何をするのかも知らなかったため、cossiに「一体、なんなんですか?」と本気で訊いたと聞き、日本にハロウィンは無いと改めて知る。
本日。11月1日。早朝から仕事。昼過ぎに終え、昼寝。夕方に起き、飼い猫がやたらとあまえてくるのでしばらく抱き、今日、職場でビデオカメラマンの女の子にiPhoneの待ち受けにしていた飼い猫の写真を見せ「かわいいやろ」と言うと、全く悪気を持たずに「でも、猫って大体かわいいですよね」と言われたことを思い出し、飼い猫だとか飼い犬の写真を人に見せてはいけないと改めて知る。
その後、今年5月号のユリイカ「特集*クリント・イーストウッド」を、先月30日にようやく『チェンジリング』、『グラン・トリノ』を観たので、改めて読む。再び蓮實重彦と黒沢清の対談をはじめ、イーストウッドに関する考察を細かく読んだが、彼の映画を観る度に感じる「なにかが変」、違和感とも言えるひっかかりについて自分に言葉が生まれるかというとそうではなく、ああ、皆やはり「なにかが変」って思っているのだなあ、という認識の共通の確認に終わる。しかしまあ、そのことが嬉しいのだけれども。
深夜、何か格好良い音楽を聴こうと思ってジョン・マッケンタイア(TORTOISEとThe Sea and Cake)をかけるも、なぜかいつのまにか『奇跡の夜遊び』を聴いていて、問診を受けたような気分になる。ところで、掲載の写真は神戸に行った際、手洗いを求めて立ち寄った大丸にいたペコちゃん。あと、三宮にはドクロのマークが描かれた真っ黒の風船を持った子供がたくさんいた。世の中、よくわからないことばかりだ。