2011. 7. 30|SAT
ここ数日、体調がいまひとつで、案の定、天候も落ち着きが無い。
深沢七郎『みちのくの人形たち』再読。やはり『秘戯』のほうが面白い。
御存知の通り、アナログ放送が終わったので、我が家のテレビは映らなくなってしまった。その影響もあってか、DVDばかり見ている。『男はつらいよ』第一作。若かりし頃の倍賞千恵子に思わず「かわいい!」と声を出す。『刑事コロンボ』はとにかく格好良いし、『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』は傑作2作を作る前夜の原恵一の安心の仕事。『クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者』は傑作『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』以来の本郷みつる作品だったが、かつての勢いは失われており、とはいえ楽しむ。
今日は訃報が二つ。
思えば、上記のそれらは、もういない人たちの映画だった。渥美清、ピーター・フォーク、臼井儀人。3人の生前にも同作品群を観ていたから、時間が流れて、人が死んでと当たり前の話なのだが、薄気味悪いことを言えば、というか思っているのだが、3月の震災以降、人が死ぬと、なんだかそれ以前よりも、悲愴である。静電気が埃を集めるように、暗いなにかを帯びてしまう。
まるですでに大きな悲劇の序章を見たような、そんな憂虞がどこかにある。
25日と26日については、あまり書く事が無い。
ガケ書房で『私家版 差別語辞典』(著:上原善広)を買う。ここ数年のいろいろな出会いや元田中という土地に住んでいること、筒井康隆の愛読者であり続けたことなどから、被差別部落に関しての書籍を読むことは、飽きっぽい俺にしては長く続いている行為の一つだ。
ただ、「マイノリティ」なんて言葉がインスタントに使われ出したいま、WWWの拡張と反比例して小さくなる街と様々な格差が近しいところにあって、自分の何かを重ねて読んでいる節も無いとは言えない。
歪み。黙っていたって歪むだろうし、それは不可視の大きな力だ。まるで装置の様相ではないかと疑っている。発動すれば、機械的な作動があると考えている。だから、歪みがもたらす応力は何かをねじ切るまで終わらないのではないか。それは90年代の終わりにおぼろげに待ちわびた世紀末とは対照的な、悲観的な予測である。
考えてみればセカイ系的とも言える境遇に自身を置き、そして静観しているのだから滑稽にも程がある。大きな物語の代わりに大きなフレーム問題を抱えているようだ。ってホントに大きいのか?
だったら、②を選ぶしか無いじゃないか。だから人は本を読むのだろう。
早朝、バイクで大原に。「里の駅 大原」というところで催されていた朝市に。涼しくて気持ちの良い道を往復。
夜は『刑事コロンボ/殺人処方箋』をDVDで。オープニングが格好良すぎて吃驚する。そしてもちろん、すこぶる面白かったのだった。
青山景『よいこの黙示録』1巻を読む。
21日。いま個人的に思っている「フレーム問題」のことを引き続き考える。ウェブにおけるメディア・リテラシー(ウェブ・リテラシーに非ず)についての考察と重なる点も多く、複雑である。
端的に、攻撃しようとしているのに意識は防御のことばかり、という矛盾、その矛盾をもたらす何らかの力の強大さ。森達也『放送禁止歌』のあのラスト・カットのナレーションと同じ言葉が想起されるも、比較にならないのは問題の大きさ、というか、問題と呼ぶほどでもないそれ=フレーム。そしてつまりそれの矮小化が問題なのだが、それを促すのは、と思考を進めた時、ウェブにおけるメディア・リテラシーは卑怯でナイーブな表情を見せる。
夜、下鴨神社で足つけ神事。
22日。梅田に。友人のノクボさんの働くTHE SALONで髪を切ってもらう。その足で、『おもいのまま』@兵庫県立芸術文化センター。
もちろん、例えば照明/音響の凄さ、役者の凄み、いろいろあるが、そんなことは後から思うことで、とどのつまり、最高級のフィクションがそこに。そうか……。って。観劇後、しばらく言葉を失うのは素晴らしいフィクションの仕業だ。そのことを思い出す(あと、「かっこいい」という点で、青山真治『レイクサイド マーダーケース』を想起した)。
そうか……。ってなったのは、このところの不快なひっかかりを取り払われたからである。そんなことが、ひっかかっている時点ですでにわたしはちがう。そう。気持ちが良いくらいだ。
23日。夜、『借りぐらしのアリエッティ』。いまひとつ。というか、音がダメだったことが序盤に気にかかると、あとは何でもっと面白くしないの? という、嫌な見方をしてしまったのだった。『おもいのまま』を観た翌日だったものな。比べてしまえば、どうしても、か細かった。
颱風。おそらくそれによる気圧の変化のせいか、一過の後、体調を崩す。目眩があって、この場合、臥していると余計に辛いので、椅子に腰掛け大人しくしていた。
少し快復したので、『White Album(The Beatles)』の2枚目を聴いて過ごしているうちに、なんだかやるせない気持ちになってきて、業田良家『新・自虐の詩 ロボット小雪』を読む。機械が感情を持ち、そして愛を描く。『わたしは真悟』と同じく、古典的なモチーフを用いた傑作だ。ひさしぶりに再読し、例の結末を再び読んで、「フレーム問題」について思ったのだった。
枠を初めに意識するのがデザインで、そうで無いのが絵だとした時、もうデザインは良いから絵を描こうよ、と今、思っている。連想ゲームをしていると、枠じゃ生温い、檻だ、となってきて、いよいよ沈鬱である。
仕方が無いので、10年ぶりくらいにSHERBETの『セキララ』を聴いている。
颱風。それとは無関係だと思うのだけれども、近所にアイス珈琲を買いに行こうと雨の弱い時間、家を出ると、家の前のアスファルトに片足突っ込みそうなほどの大きさの穴が空いていた。「おや、穴が空いているぞ」と思ったのだけれども、今ひとつどうしたら良いのかわからない。仕方無いので観察し、アスファルトが意外と薄いので、いろいろと不安になる。我が家が薄氷の上にあるようにも思え、しかしそんなはずは無いので、局所的に薄いここに穴が空いたのだろうけれども、それはともかく、とにかく躓きそうな場所に空いた穴である。

17日。颱風が来るらしいよ、と聞く。炎天下をバイクで三条に。暑いついでに汗だくで(店舗が半屋外の)みよしでラーメンを食う。それから西光(祐輔)さんの写真展『I forgot but I can see. I remember but I can’t see.』を観にLABORATORYという場所に。帰宅し、日曜日だし、このところ本を読んでいないし、と本棚を眺め、以前購入したまま未読だった『伊賀忍法帳』を読む。山田風太郎・忍法帳シリーズの中で、シリーズの愛読者からどういった位置付けをされているのか良く知らないが、俺、これ好きだったな。揶揄としてではないメロドラマと、エログロナンセンスを爽快に読ませる、澱みない風のような彼の文章を堪能する。夜、ひさしぶりに南国サンサン食堂に。元田中駅前に越してからほとんど行かなくなっていたのだったが、ふと。
未明に目を覚まし、女子サッカーW杯決勝戦を観る。数年に一度しか落涙するほど泣かない俺なので(しかも、記憶にあるそれは全て悲しみが原因だ)、もちろん泣いたりはしなかったのだけれども、とはいえ澤選手のゴールにはぐっときた。曇りが一切無い運動だった。
18日。海の日だと知る。すなわち休日である。そのことを知らなかったので少し予定が変わり、このところ調子の悪かったコンピュータを修繕する。どうもシステム終了が成らないのであった。いろいろ試みたがダメだったので、バックアップからシステムを復元し、原因として疑っていた外付けHDDもその後、消去する。それから再びバックアップを取り直したりだったので、ただただコンピュータに時間を預ける格好となり、仕方無く、昨晩、『伊賀忍法帳』に触発されて買いに出た『くノ一忍法帳』を読む。もちろん面白かった。読んでいる間に颱風はやってきた様子で、豪雨。ザザーッと降った。
ああ、日記、書きたくないな。困ったな。あんまり書くこと無いし……。15日は、夕暮れに通院。その帰りに実家に寄る。実家でうたた寝してしまい、終電で帰宅。
16日。土曜日。晴れ……。ほんとに書くこと無いのだけれども、こういう日は大抵、日記は書かず空白にしておくのだが、今日は何となく、空白にしておかないでおこうと思ったのだった。大体、書こうが書くまいがどちらでも良いことを元々書いているだけなのだから、空白の理由は、俺が日記を書く気を起こさなかっただけであって、つまりは空白によって、この日は日記を書く気分ではありませんでした、と記しているわけで、それが嫌だなと今ふと思っただけである。だから、この日は日記を書く気分ではありませんでした、ということを書いてみても良いのではないかと。
大体、そんなに面白いことも無いし。金も無いし、体調もあんまり良く無いし。
ロールプレイングゲーム(RPG)は、主人公が育った町から物語が始まることが多い。それは大抵、小さな町で、選択肢は限られている。
選択①。俺は、大阪府寝屋川市というところで育ったが、小学校高学年から中学生当時(90年代半ばから後期)、その町でCDを買うとなれば、駅前のTSUTAYAで、知識も金も無く、品揃えも豊富で無く、そういった理由がいろいろと絡まって、俺が初めて買った音楽CDは『Scatman』である。
選択②。今、SbtrktとZombyの新作ならばどちらを買うのが良いだろうか。どちらもイギリスのプロデューサーらしい。iTunes Storeで試聴してみたところ、どちらも買いたいのだが、金が無い。SoundCloudで検索すると、Sbtrktはオフィシャルっぽいのがあったが、あまり参考にならなかった。たぶん、何となく忘れてしまい、どちらも買わない気がする。
選択③。高専に入学した時、スケボーを始めようと、大阪市内に出向きスケボーを買った。当時、「Ollie」という雑誌がちょうど発刊されたところで、それには、俺のような郊外でスケボーをやりたがっている少年向けに技の解説などが掲載されていた。雑誌には音楽のコーナーもあり、初めて買った号に、ズボンズの3rd『Let It Bomb』がリリースされたとあった。1998年。今思うと、雑誌に掲載するクオリティの文章では無いが、ズボンズの知名度もあまり無かったことなどもあり、文末に「この作品のタイトルはおそらく、『Let It Be』ではなく、『Let It Bleed』を意識してであろう」という意味のことが書かれていて、はて、『Let It Bleed』とは? となった15歳の俺である。それで、BIG1という近所のレンタル屋に行くと、もちろん『Let It Bleed』は置かれていた。今では、Neil Young『After The Gold Rush』と並んで、最も良く聴いたアルバムになっている。
「選択」という行為はとても難しい。未熟なうちは、選択肢はある程度限られていたほうが幸福な場合もあるのではないだろうか。RPGで、ゲームを開始したその時から、ラストボスのところへ行けるとなっても、困ってしまう。というか、面白く無いだろう。
選択④。インターネットを利用して、「そんなの友達に訊けよ」というような質問を投げかけている人がたくさんいる。
選択⑤。選択①と③には物語があるから、話になるが、②と④に物語は無く、批判にしかならない。「選択」にかかるバイアスが減り、それによって生まれたより平面的な「選択」はもはや画面だ。話は物語の共有ではなく、情報の交換へと移行した。
選択⑥。すると、次に「情報の交換」が生む物語に思考は向かうわけだが……、そろそろこの話題に飽きてきた。あんまり興味が無いのかもしれない。
選択⑦。お薦めの動画やアプリ、ニュースの話より、その人が街で転んだ話のほうが面白い。Twitterで「転んだ」と報告されても、それは文字だから。だから今、Twitterが難しい。とはいえ、だから何、ということは何も無い。そろそろ、日記を閉じよう。って全然、日記じゃなかったな。
少し眠り、昼に喫茶店で打ち合わせ。アイス珈琲を飲む。隣を見ると花柄のワンピースを着た美女がいたのだけれども、あまり見てもあれなので、居るなあと思いつつ打ち合わせをしていたら、声をかけられ、それは令ちゃん(磯村令子)だった。
店を出ると小雨。ほとんど眠っていなかったので、家に帰りまた少し眠る。
夜、飼い猫を風呂に入れる。YouTubeで見た、ゲストがレディー・ガガだった「徹子の部屋」が面白かった。かわいらしい人なんだな、彼女は。知らなかった。
ところで、俺はいま、今までしたことのないことがしたい。
10日の記憶が余り無い。朝、上村(梓)さんを見送り、それから眠って……。うーん……。で、11日の今日はといえば夕方の5時過ぎに起きたのだった。どういうことだろう。わからないが、夕方に目を覚ますと、(朝倉)太郎から電話があって、三角州に呼び出される。「ビールを買っておく」と言われたので、黒ラベルを頼んでしまったが、起きて早々にビールを飲むのもあれだよな、と思いつつ、幾つか仕事のメールを済ませ、風呂を浴び、まだ陽のあるうちに出町柳の三角州に。太郎とその友人が居て、だらだらする。するとそこに誰ぞやが来ては去り来ては去りで、何だか良くわからないうちに夜も更けてしまった。帰ろうかと思っていたら、高嶺(格)さんとあやりちゃん(伊藤彩里)が三条で呑んでいるというので、ふらふらと合流し、鴨川沿いで引き続き。二人の友人の女性も居て、やんや話していると、午前3時になっていた。帰宅すると4時。目醒めて酒しか呑んでいないのでふらふらとしていて、仕方が無いので横になり5時を迎えると、ようやく意識がちゃんとする。でも、意識がちゃんとしたのが午前5時だから、もうダメだ。びっくりするくらいダメな日の日記。
でもまあ、幾人かの友人に久しぶりに会えたし、高嶺(格)さんにも久しぶりに会えて嬉しかったし、もう会うか会わないか、次に路で会っても気付かないか、というような初めて会って話した人たちも良い人たちだったし、良い日だったのだけれども、しかし意識がちゃんとしたのが午前5時だから、やっぱりダメだ。びっくりするくらいダメな日の日記。
暑い一日。日差しが強く、バイクに乗っていると目が眩んで危ないので、例年、この時期になるとサングラスが欲しいと思うのだけれども、誤摩化し誤摩化し月日は流れ、今日の午前中、ふと思い付きで作りに行った。その足で京都駅に行き、東京からの友人、知人と太陽の塔を見に行く。写真の通り青空の下、太陽の塔には夏が似合う。

夕方、別れ、帰宅し少し眠る。早朝に我が家を訪れていた上村(梓)さんが帰宅(京都の宿として一泊することになっていたので)したことで目を醒ます。思えばそれほど二人で話す機会も無かったので、いろいろと話せて良かった。
ところで、万博にプールがあることを初めて知ったのだった。万博プールガーデンというらしい。外からは様子がわからなかったが、行ってみたいな。泳ぎたい。泳ぎたいよ、俺は。
愛車(スーパーカブ)に約二ヶ月間も乗っていなかったので、調子はどうだろうかと、少し出掛ける。調子は悪く無いのだけれども、東京滞在中(梅雨)、ずっとカバーも被せず置いていたので、雨でいろいろ傷んでいる。悪い事をした。
もうこの中古のカブにどれほど乗っているのだろうか。6年くらいかしら。一度、事故ってしまって、フロントフォークが曲がったので(この曲がったフロントフォークは、確かベンリィからパーツ取りしたのではなかったか)、前半分は2代目である(2代目はカブのものだ)。もうしばらくは頑張ってもらわないといけないから、大切にしなければ。
深夜、そうだそうだ、と、入手しながらも長期の不在で放置していた火災報知器を設置する。こんな木造の家、火災報知器が鳴る頃にはもうダメだから、付けろと言われて付けるようなものだが、どうせ付けるのだし、と設置場所に悩む。
付けたので、The Streets『A Grand Don’t Come For Free』を聴きながら、ラッキーストライクを喫って、アイスコーヒーを飲んでいる。もう、明けるかな。
ところで、最近、お会いできていない高嶺(格)さんの新作は『ジャパン・シンドローム』というタイトルらしい。
(前略)そんな高嶺が、ブラジルに行く。夏(ブラジルは冬)の一ヶ月間、家族と共に。この体験は高嶺の人生になにを与えるか?果たして彼は戻ってくるか?もし戻らないなら、彼はそこに何を見たのか?もし戻ったならば、どこに戻ってくるのか?このプロジェクトは3年に渡り継続される予定で、今回は最初の滞在をもとに「展覧会」として発表される。
との文章を読み、何となく「高嶺さんは戻ってこないんじゃないのか」と思う自分が居る。それは一体、どういうことなのか。簡単なふうで根源的かつ難解/数値化不可能、居住とは何か。自分はどうしてここにいるのか。その問い/探求はつまり、自分の解剖であり、だからとても恐い行為だ。つづく。
雨の七夕。テレビを見ていたら、ダコタという賢い犬の話をやっていて、真面目に見れば見るほどに、画面左下のカウントダウンに腹が立った。あと17日だという。
深夜、『日本暗殺秘録』をDVDで。中島貞夫である。『暴動島根刑務所』に始まり、『実録外伝 大阪電撃作戦』『暴力金脈』『沖縄やくざ戦争』『脱獄広島殺人囚』『狂った野獣』、そして『日本暗殺秘録』と観て来たが、まだまだ観たくても観られていないものがたくさんある。『893愚連隊』はDVDで出てるし、観なくてはと思いつつ……。『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』も観たいし、あ! 『温泉こんにゃく芸者』ってDVDになってるのか! ……金が無いからなあ。とはいえ、いつまでもソフトとして売っているとは到底思えない作品ばかりなので、ついつい買ってしまうのだが……。
さて、『日本暗殺秘録』は面白かった。もの凄い豪華キャストなのだけれども、千葉真一、良いね。音楽が中島貞夫作品にしては特殊だと思って調べると冨田勲だった。変な使われ方するんだけど、良いんだなあ。というか、かなり大事な要素として働いていた。で、相変わらずのスタッフ/キャストがダダダッとオープニングで記され、そしてバーンとタイトル、最後は「完」。これが大好きなのだった(『狂った野獣』のタイトルバックは最高だった)。
でもな、やっぱり『暴動島根刑務所』のカタルシスを超えるものはないのか、とは思いながらも満足しつつ、SONYのブラウン管にとまっていた虫を潰し、ついでに画面を拭いていると、なんだか徹底的にやりたくなって、液状のクリーナーを持ち出して再度、拭いていると汗だくになり、ついでに朝日も昇った。
綺麗になったのを確認しようとテレビ番組を映すと、画面左下のカウントダウンに腹が立った。日付変わってあと16日だという。
昼、雨の中、歩く。カナート洛北のHMVで二階堂和美『にじみ』を買う。聴く。襟を正される。「歌う」という行為を行う、そのことへの説得力が半端無い。
丹波マンガン記念館での日々を思い出した。当時の日記(2009年6月3日付)を読み返す。
なぜそれをするのか/居る、ということ。誰からも怒られず、誰からも許されないのはそこに居ないということだ。何もできていないし、何もできない気持ちでいっぱいだ。つまりは今、とにかく良くなりたい。新しい、が良い。今はそういう時間を過ごしている。
それなりに大事なことはたくさん学んだつもりだけれども、いろいろは簡単に忘れてしまう。そして、そのことには感謝している。完成されない。綺麗には消えない。残像の集合体がそこにある。繰り返される諸行無常、よみがえる性的衝動、である。たぶん。わからないけど。つづく。
外は暑い。昨晩は強い雨だった。帳簿を付けて寝た。今朝は晴れていた。テレビを久方ぶりに点けると、我が家の、SONYの、重たい灰色の箱では放送を見られなくなる日、その日までのカウントダウンが、画面左下に大きく表示されていた。あと19日。でかでかと表示されているので、テレビ番組の情報が隠れてよく見えない。もちろん、コマーシャルになれば、表示は消える。ネットでニュースを見ていると目眩がする。みんな下品だ。あなたたちがなにを知りたいのか、それを知ることが金になる。そうやって工夫は凝らされ、それにしても、みんなすぐ人に訊きたがる。それにしても、外は暑い。
いや、もう夜だから外の方が涼しいだろうか。わからない。誰からも怒られず、誰からも許されない。
たとえば不可能なこととして、一からやり直す、ということがあるが、ついつい人は、その難しさを想像せずそれを口走る。なんだかぱらぱらと剥がれている気がするんだ。俺は。そして一からやり直す、ということは不可能なので、想像されるのはレストアのニュアンスにある行為である。
自己評価が、久しぶりにギリギリの及第点。東京での2ヶ月に及ぶ仕事のことである。ちなみに、落第点は今まで無いので、つまりは評価が低いということである。あくまでも俺自身の事だが、しかし、まずい。
イメージとしては、錆びたり、ねじが弛んでいるような。だから、新しい方法で、レストアを試みなければいけない。新しい方法でないと、レストアはできない。
俺は意地を張っている。だから、大変だ。錆や、ねじの弛みに気付かず放っておけば、あとはバラバラになるだけだから。バラバラは嫌だ。俺は諦めちゃう。
そんなわけで日記は連綿と続いている。ようやっと京都に戻ってきたのであった。今は強い雨。荷解きが大変だ。
では、『絶対わからない』劇中歌を2曲、どうぞ。
7月1日。金曜日。晴れ。退屈なので寝ていた。深夜、明日、『絶対わからない』の面々とボーリングをしに行く予定だったので、肩慣らしに。散々な結果。
2日。昼に起床し、JTBでぷらっとこだまの予約を取ろうと駅前に向かう。途中、おそらくJTBの、背中にねじの付いた着ぐるみがチラシを配っていた。ぷらっとこだまは、目的のものが満席になってしまっていたため諦める。JTBの着ぐるみがカウンターをくぐり、事務所の奥に消えて行った。
北千住の家に戻ると、(佐々木)キミテルさんが来ていた。この日はボーリング大会である。その後、『絶対わからない』の面々が次々と集まり、総勢12名でボーリング場に。俺は、小澤(薫)と狗丸(トモヒロ)さんと3人のチーム。3ゲーム目に大勝。地味なチームが堅実に勝った印象。
その後、皆で「かほりや」に。鯖が抜群だった。ハートランド。北千住の家に戻り、トランプで花火を買いに行く人員を決め、それになった(橋本)和加子さん、二村(香央里)さん、(佐々木)キミテルさんはドン・キホーテに向かい、残りは家で松下(壽志)さんに撮影して頂いた、ゲネプロの記録写真を鑑賞。
0時頃、荒川土手で花火購入班と合流。花火。
戻り、皆が眠ってもしつこくふざけ続けて午前6時を過ぎる。眠る。
3日。午前の終わりに目覚める。午後2時頃、原宿で孝学(直)くんと会う。DOUTORで長話。元気そうで何より。それから北千住に戻り、小澤(薫)、今野(裕一郎)、小林(光春)と最後の晩餐。京都行き最終の新幹線に乗る。
京都の自宅に戻ると、山村(麻由美)が、孝学(直)くんとSkypeで話していて、その後、家にトミーも訪れる。トミーはなんだか痩せてシャープになっていた。ハイネケンとエーデルワイスを飲んで寝る。