July 2010
午前中に電話があり、エアコンの修理の人が予定より早く部品を取り寄せることが出来たため、訪問するとのこと。数日かかると言われた翌日のことだったが、それは予想通りで、というのも、それは修理を専門にしている所にマイコンやファンのような当たり前のパーツが常備されていないというのはあり得ないし、恐らく暑くなってきて修理/新規設置が立て込んでいるために、猶予を得るための方便を修理の人は使っただけだと予想し、とはいえ修理に来てくれた方は人の好さそうな方だったので、ちょっとした時間を使って来てくれるだろうと思っていたからだ。
そしてエアコンは直り、部屋は快適になった。あまりの快適さに感動すらしたのだった。
夜、サンケイホールブリーゼという会場でエレ片コントライブ『コントの人4』を観る。笑った。思ったのは、そのコントに於ける演技のスタイルの質が、いわゆる演劇に寄っていることから、俺が思うコント的演技(これはコントです、という作為的階層の構築)を彼らがした時に、それがパロディとして十全と機能しているところがかっこいいな、ということ。
終えて、山村(麻由美)と鑑賞に行っていたことから、やつい(いちろう)さんに声を掛けさせてもらい、挨拶。
ところで、昨年のクリスマスに我が家で催したパーティではプレゼント交換をしたのだけれども、俺には尾上(一樹)くんのプレゼントが回ってきて、それは漫画だったのだが、昨日まで未読だったのだ。その漫画は市川春子という方の『虫と歌』という単行本だったのだが、これが驚くほど素晴らしかった。すぐに他の作品も買おうと調べると、今、刊行されているものはそれだけだった。で、とにかく巧い。そして夏っぽい作品群だったので、今読んで良かったなあと思った。

我が家のエアコンが近所のスーパーマーケットへの落雷の影響で壊れた事は以前ここに書いたが、29日はそれの修理のために、修理の人がやってきた。だが、修理の人は本日の修理が不可能だと判断し、後日、と言い残し去ってしまった。とほほ。
28日はアトリエ劇研に「C.T.T.京都 vol.88」を観に行った。それは簡単に説明すると、選ばれた何組か(今回は3組)が、ワーク・イン・プログレスを簡素な空間で発表するものなのだが、友人でもあるダンサーの京極(朋彦)くんのそれを目的に雨の中、赴いたのだった。とはいえ、今回はソロダンスが3作品上演され、素舞台に体一つ、それを3つも並べてしまうという、ある種、とてもサディスティックな企画に興味をそそられ、全て観たのだった。
どれも面白かった。愉快な気持ちでアトリエ劇研を後にするのは随分ひさしぶりのことに思った。時間の関係で、面識のある花本(ゆか)さんの作品について本人と話したいことが幾つかあったのだったが、止む無く諦める。ワーク・イン・プログレスを上演した3人は、共に本公演が決まっているとのことなので、京極(朋彦)くんのそれは東京になるが、興味のあるかたは「C.T.T.京都 vol.88|2010年7月 上演会 | C.T.T. official blog」に多少、情報があったので、それを参照ください。
さて、それを観終えて老安記で夕食。旨いし安い。帰宅し作曲。深夜にwebの作業。
本日は冒頭にある通り、エアコンの修理が成らず、比較的涼しい一日だったためさほど腹も立たず(俺は一応、高専で機械工学を学んでいたから、故障の原因はマイコンのクラッシュだって見当が付いていたのだ。そして、故障なのだからそのくらいのことは予想して来たのかと思えば、大した道具も持たずやってきて、俺にもできるような調査をして修理の人は帰っていったのだ。とほほ)、しかし腹は立たずもやたらと腰が痛くて困っていた。
深夜、新しい仕事先で労働中に、「腰、痛い!」と思い、それは相当に腰に厳しい仕事であり、それが原因でこんなに腰が痛いのかと認識する。RPGで、もう手元に、例えば「強くしなやかな上腕二頭筋」だとか「逞しくバネのある太腿筋」だとかを購入できる金銭があったとしても、そして、目的のそれがまだまだ手に入らない状況であっても、俺は「強くしなやかな上腕二頭筋」だとか「逞しくバネのある太腿筋」には目もくれず、「痛くならない腰」のためにモンスターを倒し続けるだろう。
……こんなくだらないことより何か書くべきことがあったと思うのだが、忘却してしまった。本日は以上。

25日のことから。下鴨神社で御手洗祭というのをやっていて、同居人に誘われて行く。風邪で体調が優れなかったのでどうしようかなあ、と思っていたのだったが、足つけ神事という、無病息災を祈るために水に入るのがメインイベントの祭だと聞き、まあ、無病息災は祈りたいので出向く。暑い日だった。風邪で少しふらふら、人が多くて苛々しながら一通りお参りするも、御手洗池に足をつけると冷たくて気持ちが良かったので、ああ来て良かった、となる自分の単純さには助けられる。
26日。夜、西山(真来)さんと飲みに行く。あれやこれや話し、いつになく酒を呑み、山本(大樹)くんと濱ちゃん(濱崎彰人)と合流し、最後は何だかパッとしない濱ちゃんを家に誘い、朝まで話す。濱ちゃんはDirty Projectorsの話をした時だけ少しいきいきとし、後は大体、ダメな感じだった。
27日。本日。落雷によるエアコンの喪失、風邪、肉体労働でバテ気味。エアコンが壊れてから、飼い猫であるもきちは一度も二階に上がってこない。確かに今の二階は暑い。
日記はこんなところだ。あ、そうだ。『ねじとねじ回し』は25日の未明に読了している。後半、話がマニアックになってきてからは面白かったものの、前半はさほど工具に詳しく無い人を意識してか軽いタッチで導入したので少し退屈し、読み終えてみると、後半のあれこれは、前半で意識している読者を完全に置いてけぼりにしたような格好に思えたので、あんまり出来の良い本だとは思えなかった。なにしろ、ねじを題材としているため、後半は旋盤の進化が大事なトピックになるものの、旋盤の図解も無いため、登場する様々な旋盤の部位の名称は、旋盤を知らぬ人からすれば何が何だかだと思えたのだった。ちなみに解説は元旋盤工の方が書いている。ところで、旋盤というものはその昔、18世紀のヨーロッパ諸国においては知的文化人の趣味だったという記述が面白かった。たしかにあの機械は美しく奥が深い。俺もその文庫本の表紙が旋盤と旋盤工のイラストだから買ったところもある。で、話が戻るが、だからこそその旋盤の面白さについてもっと分厚く書いてくれればと歯がゆいのだった。前半の導入、ほんと要らなかったな。
さて、それに対して一緒に買ったいましろたかしの『引き潮』は掛け値なしに素晴らしく、何度も読み返してしまうのだった。正直、何がそんなに面白いのか自分でもよくわからないのだけれども、そういうものの存在はほんとに嬉しい。『3匹のタヌキ』とか、ほんと何回でも読めるし、何回もなんだか切なくなる。
と、空が明けてきた。夏の朝。バテてるけど、気分は良い。
いま、『ねじとねじ回し』という本を読んでいる。
ときどき、俺は日記を書くうえで(もちろんその日あったことを文章にする、という行為自体によって今から述べることの意味を果たすことはできるのだが)、客観性を強めるために少しバカになることがある。例えば、当たり前のことを書く、というようなことも、バカになる、と俺が呼称することの一つだ。他にも、バカ丁寧に書く、だとか、言わなくて良いだろうくだらないことを敢えて言う、だとかがある。今日の日記はそんな体である。
23日。どうやら風邪をひいたらしい。のどが痛いので、トローチを舐めてそれをおさめてからでないと旨い煙草が喫えない。鼻水も出る。持病のパニック障害で、ひどい時はあたまの、ちょうど鉢巻きを巻くあたりを縄でぎゅっとやられたような感じになるうえに息苦しい、という状態になることがたまにあるが、大抵の場合は具合が悪いといってももっと軽いもので、その症状というのが、顔がほてって、のぼせた感じになったり、少しふらふらする、というようなものなのだが、初期の風邪の症状というのがそれと混ざるので、俺はこのところ風邪に気付きにくいのだった。だから、風邪はおそらく数日前からひいていたのだろう。風邪は薬などを飲まず、寝て治す方針の家庭に育ったものの、最近の俺は、前述したように、風邪の諸症状と、持病の症状が混ざってしまうため、風邪によってパニック障害の発作を誘発する場合があり、もう少し詳しく言えば、風邪のせいであたまがぼんやりするのに、脳がバカだから、それをパニック障害のそれだと勘違いして、パニック障害のほかのあれこれも引き起こしたりすることがあり、そうなると、風邪でしんどいだけのことが、脳みそのせいで二重苦に仕立て上げられるので、しぶしぶ、風邪だとわかると、風邪の症状を市販の風邪薬でおさえることにしている。バカバカしいのが、先ほど書いた、はちまきの辺りが締め付けられる感じも、つまり実際に鉢巻きなんかを巻くと、誘発されることがある。だから俺はよく野球帽を被っているが、それは髪の毛をセットしたりという行為が面倒だから被っているわけだけれども、あまりぴったりだと頭を軽く締めるので、それは大抵、緩く調節して被っている。従って、強い風が吹いたりすると、帽子が飛ばされることが多い。
冒頭に書いたように風邪だろうと自己判断がついたので、風邪薬を呑み、風邪の時は何となく飲んでしまうポカリスエットもごくごく飲み、少し落ち着いた頃に、今野(裕一郎)くんとSkypeで話す。2時間ほど話し、その後、テレビで『朝まで生テレビ!』を観る。Twitterで、どうやら若者の不幸について討論するらしい、と知り、ついでに番組放送開始時間も知っていたのだったが、同居人とともにその時間、そのチャンネルを点けると、『朝まで生テレビ!』はやっておらず、ブラックマヨネーズの小杉や、アンタッチャブルの山崎、FUJIWARAの藤本が犬を散歩させている様子が映り、おかしいなと思い「あれ、関西だともうちょっと遅いのかな」と、東京で人気の深夜番組が関西ではもっと深夜に放送される法則に慣れ親しんでいるせいでそう口にすると、同じ慣習を持つ同居人も「そうかな」と言い、しばらくその番組を見て、山崎の連れている犬がクローズアップされているが、小杉が連れている犬のほうが実は顔がおもしろいなどと言いへらへらしているとハッと気が付き、「でも、生テレビだから、生放送じゃないか」と言えば、同居人も「そうだ」と頷くのだった。
どうやら何かの理由で放送時間が変更していたようで、その芸人が犬を散歩させていた番組の後に、例のジングルで番組は始まった。「始まったぞ」と俺は言った。番組が終わったのは午前5時頃で、俺は「終わったぞ」と言った。このコメンテーターは良い人そうだな、とか、この人は甘えん坊だよきっと、というような会話をしながら観るくらいしか楽しみは無かったのだけれども、一つ日記に書いておこうと思ったことがあって、それはアルバイトという労働の難しさについてである。
俺は、わりと多種多様なアルバイトをこれまでしていて、というのも、飽きっぽい性格だから、その時ほとんどよく知らないことをしようとしないと、一定期間モチベーションを持てないのである。なので、自転車を持っていないのに自転車屋で(それも幾つかの情報を処理した結果、日本でトップレベルに多忙な店舗)働いたりしていたこともある。話の本題に入るが、本来はより一般的なアルバイト、例えばコンビニの店員や居酒屋の店員を例に挙げたいのだが、勤務経験が無いので、ここでは自転車屋店員のアルバイトを例として挙げる。出勤、朝礼、開店の準備。開店時は表に陳列している自転車を閉店時に店内に運び入れるため、開店の準備として自転車を表に陳列しないといけないのだけれども、一台ずつ運んでは遅いので、二台まとめて表に運ぶ。これが先ず、難しいだろう。つまり二台の自転車の並行を保ちつつ素早く移動させなければいけない。俺が働いていた自転車屋の店員はみな素晴らしい人たちで、とても親切丁寧に仕事を教えてくれ、多少の失敗は赦してくれたが、俺の経験上、客商売でのミスはサッカーでいうレッドカードになり得るものが多く、そこまでにはならずとも、確実にイエローカード相当にはなる。客に嘘の情報を伝えてしまったり、金銭を扱う場合、間違った釣り銭を渡したりすれば、カードが出る。ただ、考えて欲しい。毎日、忙しい中、様々なことを行いつつ、しかも経験が浅ければこういったミスを犯してしまうのは当然のことだと思うのだ。そして、勤務先によれば(もちろん比喩だが)すぐにカードが出され、そのプレッシャーが逆にミスを誘発する。そしてレッドカードに至る。
こういうことを言うのは少し嫌だけど、俺はわりと器用なほうだから、大体のことはそれなりにこなせるし、こなしてきたつもりだ。そして酷いことを言うが、イエローカードが出される人というのは、会って数分でわかる。どこのバイト先にでも居る「仕事が出来ない」と称される人のことである。当然、彼らはいわゆるミスを犯し、怒られる。そして反省する。しかし繰り返す。追い込まれる。辞職するか、雇用を解除されることになる。
つまりアルバイト先というのは、常に即戦力を求めるから、育てる気概というのはあまりない。それは実は非常にハードルの高い就職なのだ。それぞれの仕事は「簡単」だということになっているが、簡単なものか。簡単で無いことは働いている当人が一番わかっている。そして、だからこそ小器用な人間は「あいつは仕事が出来ない」と言って自分の力を誇示するわけである。
仕事が無い、金が無い、プレカリアートでない就職先が無い、なのでアルバイトをする、しかし器用にこなせない、簡単な仕事を優しく教えますと言われるもそれは嘘だ、だから追い込まれる。これは不幸だと俺は思う。それもこれも、どこにも余裕が無いことから作り出される不幸だが、一番余裕が無いのは、プレカリアートにも属せないため、他の可能性を模索する余裕などあり得ない人たちである。それはチャンス/希望を持ち得ない状態だと想像する。
暗いうえに収拾のつかない話をしてしまった。日記を先に進めよう。本日、24日。
昼、風邪マック(風邪を患いながら、マクドナルドで食事をとること)をしようかと店舗に向かうも、やっぱり風邪だし胃にやさしいものを食べようと考え直し、しかし妙案が出ず、結局コンビニでパンを二つ買うと、そのうちの一つはまずいパンだった。残念な食後、以前、出演した舞台がタイで再演されるという話があり、それが濃厚になったというメールを受けて、パスポートの期限などを確認していたら、外では強い雨が降り出し、稲光と雷鳴があり、夕立だな、と思い作業を続けていると、聞いたことのない乾いた、そして強烈な雷鳴が轟くと同時に窓が白くなり、驚愕する。後から知った情報に由ると、自宅から程近いスーパーマーケットの倉庫に落雷があったそうで、近隣の家では電話が使えなくなったりしたそうである。我が家の被害はというと、なぜ(前後に接続されたものがあったのに)それだけなのかは不明だが、MacBookのUSBポートに繋いでいたUSBハブ(この先に、オーディオインターフェイスと汎用カードリーダーが繋がっていた)が壊れてしまった。他のデスク周りの機器は無事だったが、そんなことより、この暑い中、エアコンが壊れてしまったのだ! 夏場に部屋を涼しくする優れた機械のことである。それが壊れて、部屋を涼しくすることが出来なくなってしまったのだ。これは憂いべき事態であることは間違いない。なにしろ、木造二階建ての我が家の二階は酷い湿度で、表に出た方が涼しいくらいなのだ。帰るべき場所が一番、蒸し暑いとなれば、これは嫌だ。外で汗をかき労働するなり遊ぶなりする場合、帰る場所が、部屋を涼しくする優れた機械を備えているのか、そうでないうえに、外より悪条件な場所であるのかの違いは、パフォーマンスに著しい影響を及ぼすだろう。しかし、我が家の場合、一階は日当りも悪くそれなりに涼しいので、エアコンの修理がなされるまで一階で主に過ごせば大した問題ではないこともまた事実だ。
ところで、随分と長くなってしまったし、この調子で日記を書く事に飽いてしまった。どうしよう。ああ、そういえば『ねじとねじ回し』という本を読んでいると記述したことを忘れていた。『ねじとねじ回し』は半分ほどまで読み進めたが、そのうちの半分ほどはハンマーやのこぎりについて書かれていて、ねじ回しについての記述はじょじょに増えてきたものの、ねじについては、まだあまり書かれていない。俺はねじが好きだから何となく、そしてエアコンが壊れ、家にいると暑いため、そうだバイクに乗ると爽快なのではないかと思い少しバイクを走らせ、24時間営業の本屋に立ち寄り、何か適当な読み物を、と手にした書物がそれだったが、まだあまりねじが登場しないのでそれほど面白くないのだった。
最後に。インタビューイという言葉がある。インタビューやインタビュアーには馴染みがあるが、インタビューイという言葉は何故かそれほど知られておらず、これはインタビューされる人のことを表す言葉だ。敬愛する筒井康隆さんの小説に『インタビューイ』という短篇があり、それは新潮文庫の『エロチック街道』に収録されている。筒井さんは、SF作家であり、その先見性を評価されることが度々あり、それは例えば、わかりやすいところで嫌煙運動の激化の予見などに代表されるが、『インタビューイ』という作品の中にも、予見を試みていると思われる箇所がある。以下、引用である。
「ああ。先生。先生。次にお訊ねしますが、どういう女性がお好きですか」
「柔らかい方がいいですね」
「あ、あの、ちょっとそれは。また、あの、抗議が来たり」
『インタビューイ』著:筒井康隆(新潮文庫『エロチック街道』収録)より抜粋
いや、待てよ。これは昭和56年、つまり俺が生まれる2年前に文庫で刊行されているから、発表はもっと以前のはずで、つまり俺が知らない時代に書かれたものだから予見などではなくて、当時、実際、そういうことがあったということかもしれないが、さて、ふらりと『ねじとねじ回し』(著:ヴィトルト・リプチンスキ 訳:春日井晶子)を買った左京区にある丸山書店のマンガコーナーで、平積みされたそれらの表紙を眺めた印象では、現在、このような問答に抗議が来る様な雰囲気は一切無い。なにしろ、いやらしいイラストの表紙で、タイトルが『柔らかい女』というものがあった。他にも同じ類いのイラストで「おっぱい」がタイトルに付くものが多々あった。丸山書店にはいやらしいマンガのコーナーがあり、俺が眺めていたのはそうでないほうのコーナーであったにも関わらずである。
さて、ほんとうはここから、先日書いた「封建的エロス」の話に繋げたいのだけれども、いくらバカになっているからといって、さすがに書き過ぎたし、疲れた。ところで『ねじとねじ回し』と同時に買ったいましろたかしの『引き潮』はとても面白かった。

21日。夜、同志社大学の新町別館という建物に行って写真を撮る。なんというか、とりあえず写真を撮ってくれと頼まれたので快く引き受け、一時間ほど撮影し、撮影したものをレタッチもせずにそのまま渡す。基本的に、あまり良い機材を持っていないので、レタッチをしていないもの……、っていうか、それとは別に、俺は自分がシャッターを切った瞬間の全部、を見られるのが嫌いなので、撮影したその日に撮影したものを見せるというのは、極力誤摩化して断るのだが、なんというか、別段悪い意味ではなく、そういう類いの撮影ではなかったので、そのままデータを渡す。
で、帰り路の途中、山村(麻由美)と岩澤(侑生子)さんがのら酒房で呑んでいるというので合流し、岩澤のやつは相変わらずだな、山村は酒が入ると調子に乗って姉御肌を強調するな、ったくこいつら……などと思いながらビール2杯で帰宅。
あまり体調も優れなかったので、酔いが醒めたくらいにそのまま寝入る。
本日。数日前から喉が痛いし、体調もさっぱりだから風邪かしら、などと思いつつ、でもまあ、大丈夫だろう、と行動しようと思うも精神状態が悪かった。苛々が強かったので小一時間眠り沈静化。
夕方、『Night Bus』という曲が出来る。6月、東京に行く前に土台を作っていて、で、結局どういうものにしようか考えあぐねていたそれを、ふっと完成させる。以下にMP3ファイルへのリンクと、iTunes用の高品位なものをダウンロードできるリンクを。
『Night Bus』(MP3)/『Night Bus』(ダウンロード)
ところでTwitterでは、今月末刊行予定の『現代語裏辞典』のプロモーションとして、筒井康隆名義のアカウントが出来ている。今のところ、Postは全部下ネタだ。
新潮文庫『玄笑地帯』(解説はラサール石井)は昭和63年の刊行だが、これは『筒井康隆全集』の月報として書かれたものを編んだもので、毎回、山藤章二のカットが挟まれるのだが、その中に、タモリ、ビートたけし、谷岡ヤスジ、立川談志、筒井康隆のイラストを書き、その下に、
いまを時めきたいのなら二つの条件が必要だ。
- 衆愚に対する強烈な差別意識と毒性
- 名前が「タ行」であること
と書かれたカットがあり、谷岡ヤスジは亡くなっているが、存命の四人は今も現役で、でもブログやツイッター(もともとコンピュータに強い興味があり、近年はライトノベルまで書いていることから想像はつくものの)に手を伸ばすのは筒井さんだけであり、どちらも当然促されてやっているのだろうが、幾つになっても「簡単に馬鹿にされ兼ねない状態」に自ら身を置く筒井さんは本当に不思議だ。異常なサービス精神。
そんなこんなの7月22日。今日も暑かった。

WordPressのバージョンを3.0にしたのだが、なんだったか忘れたが、何かの都合であえて英語版のまま使用しているそれは当然、インターフェイスのすべてが英語で書かれているので、なんだかわからずとあるボタンを押してしまって18日付けの日記が消えてしまった。Googleのキャッシュから復旧したのだけれども、フィードで購読されている方には、同じ内容の日記がまた更新された体になってしまっている。わざわざ断る必要もないようなことだと思うが、わざわざこんな、この日記を読んで頂いている大半の方には意味不明の説明をしてしまうのが俺なのだから、日記としてのここでのこの記述は致し方ないとも思う。
さて、おかしな枕で始めてしまったが、日記だ。19日。『筏』というタイトルの曲を作ろうと前々から考えていたのだけれども、歌詞の初めの1行が出て来て、あとは一気に書けてしまった。次のようなものだ。
丸太を買うのはホームセンター
ロープを買うのもホームセンター
組み立て作業は家の近所
町中十円ハゲの空き地
イカダが出来たらどこ行こうか
海までどうやって運ぼうか
車の免許は持ってないし
電車にイカダは迷惑
遠くに行きたいだけなのに
お金はあんまり持ってないし
イカダはそういうのりものって
昔の本に書いてたのに
イカダは出来ずに日が沈んで
街には灯りが溢れ出して
昼間の汗だくシャツは脱いで
誰かのもとに歩みよる
イカダが出来たらどこ行こうか
見たことない場所あるだろうか
本当は乗りたいごうかきゃくせん
イカダは実はどこにもない
イカダは実はどこにもない
『筏』
『おばけ強盗団』の時(5年前)もそうだったが、わかりやすくてキャッチーなものを、と思って書くと、いつも物悲しいものになってしまうのはなぜだろう。
さて、日記を続けよう。20日。音楽制作の相棒、山村(麻由美)に、『筏』の話をした流れで、J-POPについて延々と話してしまう。出て来たバンド名が、SOUL FLOWER UNION/神聖かまってちゃん/The ピーズ/相対性理論/THE BLUE HEARTS/THE HIGH-LOWS/浜崎あゆみ/B’z/岡村靖幸。
先日Twitterに書いた、
- 俺は「神聖かまってちゃん」は支持しないよ。
- 「相対性理論」は好きだし、ライブにも足を運んだよ。
- そして1と2が同時に成立することを言葉で証明できる。
- ところが3の批評性は何の意義も持たない。
- そしていつだって僕らはそうだった。
というPostの説明を絡めて、それは老人の昔話のように長い長いそれになってしまった。夜には今月18日付けの日記に書いた「封建的エロス」について、再び長く話してしまい、ちゃんと説明しようとすればこれだけの時間がかかるのに、何となくつぶやいたり、それぞれの単語に極端な濃度を期待して日記を書いてしまったりと、自分の怠惰に由る片手落ちを意識する。
でも、だからといって毎日毎日、馬鹿丁寧に書いてしまうと、読むのも書くのも辛いだろうし、それにこの日記はその日のそれだけでなく、他の日のそれと適当に組合わさることによって相互補完的に成立することを望んでいるから、まあそれほど悪いこととも思ってはいない。
封建的なものがもたらすエロスについて考えたのは、同居人が買ってきた『アンラッキーヤングメン』を読んでのことである。『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』、そしてそれの稽古が始まる前に読んでいた山本直樹の『レッド』、安部公房の『方舟さくら丸』、当然のごとく思うのは21世紀における核のシニフィエだが、興味はどちらかと言えば、冒頭に書いた封建的なものが呼ぶエロスにあるのだった。
ただそれは、男のエロスについての言及は全く無い。至極、一方的なものでしかない。アニマと呼べば話は変わるかもしれないが、それはどうも違う気がするのだ。さて、とりあえず今の俺は肉体労働の後、ビールを呑んでぼんやりしていることを告白するのは、その気弱さ故だ。きっと適当なことを書いてしまうから(すでに書いているかもしれないから)、言い訳を用意しているのだ。
問題は、その封建的エロスが、心象風景に匹敵する甘美を持つことにある。昭和58年生まれの俺の異性への興味は多種多様だと思ってはいるものの、例えば不良だらけの街で育った身として、不良の恋愛に顕著に見られるその封建制は、2010年だって変わりないし、不良に反発し、そうだ、勉学に励めば(進学後)不良と離れるし、その差別化を図れると短絡に思い、テストで良い点数を取ることに努めた中学時代を終えて、だけどやっぱり、というかむしろ顕著になりだした自身の嫌らしさを目の当たりにし、屈折/反発しつつも結局同じところへ辿り着こうとしている自分を思えば、時代に対する反発心はひどく浅はかで、 且つ猥雑なものに思え、そしてそれは否定のしようがないのだった。
いや、本心で事がそれほど単純なものだとは思っていない。だけど俺にとってそれが巨大なものであることに変わりはないのだ。
かなりトブが、そういった思想が純粋とストイックに迷い込み、そして危険なゾーンまで突入し偶発したのがレッドだとすれば、だがしかし、今のレッドは偶発性を持ち難いし、物語は生み難いだろう。そして懐古的に、今、「そういった」物語が消費されているとすれば、それは古い時代に見た、悪夢のSFだ。って、もう何を書いているのか全然わからない。適当なことを書いてしまうかも、と断ったが、適当にもほどがある。
ふと『ミステリアスセッティング』が脳裏をよぎる。『ピストルズ』は未読。なんだか、いよいよ読まなくてはいけない気持ちになってきた。ずっと机の上にあるのに、重たい本で手が疲れるから、なかなかページを繰る気になれなかったのだ。
嫌だなあ。別に解決したり納得したりしたいあれでは決して無いのに、頭をもたげてしまった。何もそこから生み出る気もしないし……。っていうか、自分で何が何だか上手く書けないし(今は)。だから今日はもう眠ろう。ちっぽけな破壊衝動。
16日、17日と快晴の二日だったのだが、脳天気に転がる天候/雨/豪雨/落雷/忘れた様に晴れて強い日差し、それで体がすっかり弄ばれた格好になってしまった。
SOUL FLOWER UNIONを聴いている。発表当時大好きだった『Screwball Comedy』では無く、『CANTE DIASPORA』。巨大な洗濯機の中に閉じ込められて、ぐるぐる槽が回転し出したら、きっといつか終わるだろうその回転に耐えられる体勢と精神を確保しようと勤めるだろうが、そうすると洗濯が終わった時には保守的な体勢で縮こまっていて、あとは干されるだけだから、やっぱりそれは違うのかもしれない。
天候と同調して気持ちも慌ただしく変容していたが、どうしたって今の「サイズ」でしか居られないわけだし、全く不健康な疲れだった。やれやれ/さてさて。
14日。思いがけず早くMacBookが直ったので、雨の中、心斎橋までそれを取りに行く。Apple StoreにはiPadやiPhone 4が当然のことながらたくさんあり、その様子を見て、なかなか手に入らないとか言われているけど、意外とすぐに買えるんじゃないだろうか、と短絡に思い、通りかかったSoftbankの店舗で訊いてみると、「お渡しにはひと月ほどかかります」と言われ、ああ、やっぱり、と帰路に着く。
それにしても雨だ。今日も雨。所用でバイクに乗って行かざるを得ない場所に向かいずぶ濡れになる。俺は「あんまり雨に打たれる気がしない」という、良くいる類いの莫迦だから、Apple Storeの100メートルほど手前でも豪雨に立ち往生したし、今日は松屋から出るとやっぱり雨で、濡れながら走って帰宅した。そのわり家に傘が無いと不安で、晴れた日に傘を買いに行くようなところもあるから、やはり莫迦なのかもしれない。
それにしてもいただきますは大事。っていうのは松屋に行って思ったことで、ひどい時には食券を渡して1分に満たない時間で雑に盛られた牛丼が現れるので、どうも「いただきます」と言えない。「ごちそうさま」は、何となく店を出る行動に紛れ込ませて言えるが、紛れ込ます、って。言うべきことを言いたいのに言い難い状況が馬鹿げている。だからやっぱり「いただきます/ごちそうさま」をきちんと言える食事を取りたいわけだし、それができないことは貧しいということだ。余談だけど、店員がおばちゃんのほうが言いやすいよね、ごちそうさま。ああいったファーストフード店でも。「いただきます」は食べ物に対して言うけど、「ごちそうさま」は人に対して言うところがあるから、幼少の頃に食事を作ってくれた人、俺の場合は母親だが、それに近い雰囲気が対象のほうが言いやすいのだろう。
何を今更、というようなことを書いてしまった。これは日記だが、なんだっけかな……。そうだそうだ。さっき、コンビニでBRUTUS(690号、スタジオジブリ特集だった)を立ち読みしていると、巻末のほうで『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』で、オープニングに流したナレーションとアカペラの歌唱を担当してくれたサブリナ(・ヘルマイスター)が参加しているデュオ「アルトゥール&サブリナ」の記事に1ページがまるまる割かれていた。『バラとひまわり(A Rosa e o Girassol )』というアルバムの記事だった。それにはバストリオの映画の中で歌っているものも収録されているらしい。会ったことがないのだ。きっと会う機会は来るだろうから、それを楽しみにしておこう。CD買わないとな。もう今、買おう。それにしても『ガール・プロブレム』で使わせてもらった音声は録音も整音も悪くて申し訳なかった。それでも整音のために繰り返し聴いた彼女の唄う故郷の歌はとても良かった。
思いつくままに書いている昨日/今日の日記なので、それにしても、それにしても、と連呼しているが……、あと何があっただろう。まあいいか、もう。雨のせいか頭が自覚できるほど鈍い。洗濯物は溜まる一方だ。

日記を書き始めて丸6年を超える。LOSCOとして現在読めるものは2005年の4月からのものだが、誤って消去してしまったぶんが一年分ほどあった。
二十歳から書いていたということになる。読み返すことはあまり無い。
昨日のことだが、『おばけ強盗団』をiTunes Storeをはじめ各所で配信しているものの、さて、聴いてくれた(未知の)人は一人でも居るのだろうか、と思っていたところ、Twitterを検索して、聴いてくれている方が居たことを知ることができた。
例えば『おばけ強盗団』だが、この5年ほど前に思い付きで作ったそれを、なぜにいまさら配信などしたのかと思い返すと、やはりこの日記に依るところが大きい。先ず、作った当時はそれをCD-Rに焼いて知人に配ったりしていたのだったが、それもほんの数日間のことで、あとは放っておいた。それから5年、なんだかんだがあり、15曲ほど音源が溜まっていたので、思い付きでアルバムとしてこのサイトでダウンロードできるようにしたのだった。それを聴いてくださり、そのうえ誉めてももらえたりしたため喜んでいたところ、簡単に各配信サイトでの楽曲の配信を委託できるサービスがちょうど立ち上がったとTwitterで知り、じゃあ、と、これまた思い付きでそうなったのだった。
それで未知の方に聴いてもらえたのだから、日記も書いて公開してみるものである。そもそもその誉めてくださった方との出会いもこの日記がきっかけだし、その他にも、例えばバストリオからの出演依頼も、この日記を付けていなければ無かったのではないかと思う。
時折、無性に気持ちが悪くなって消してしまおうかと考えるこの日記だが、それでもなお、決してダラダラでは無く、真剣に書き続けている。5年でこれだけの意義を感じることが出来ているのだから、10年続ければまた違ったものになるだろう。
まあ、だからといって「がんばる」だとかそう云うあれでも無いし、「日記を頑張る」なんて小学生の夏休みの宿題だし、そもそも頑張りようがないのが日記だ。そして今日も日記を付けよう。
断続的な豪雨の一日。雨の中、夜にふらりと山本(大樹)くんが家に遊びに来てくれた。彼は気さくで気持ちの良い人だ。『西山真来はなぜこうなってしまったのか』が終演してからは、ほんの数回しか会っていないと思うが、それでもすぐにすっと落ち着いて話せるのが楽しい。
山本くんが帰ってから、バストリオのサイトのことを少しだけし、椅子に座って強い雨音を聞いていると、とつぜん井上陽水の『夜のバス』のことを思い出し(梅雨時期に傘を二本も無くしてしまい、『傘がない』を頻繁に口ずさんでいたことも関係しているかもしれない)、聴きたくなって調べたが、iTunes Storeには無さそうだったため、仕方無くYouTubeで聴いているうちに中学のころ良く聴いていた陽水の『九段』というアルバムに収録されていた『ビルの最上階』という曲を思い出し、こっちはiTunes Storeにあったので試聴していると、「あ、俺このアルバム(『九段』)大好きだったんだ」と思い出し、Amazonで中古のそれのCDを注文し、それにしてもこんなアルバムを愛聴していたなんて暗い中学生だな、と思っていたら、ついつい中学生の頃、ほぼ毎日聴いていたGreat 3の『Romance』という暗いにもほどがあるCDのことを思い出し、当時、ファンから「死ぬんじゃないか」と思われていた片寄(明人)はところで今、何をしているのかと思い少し調べるとblogを書いていると知り、意外だったので少し驚きつつそれを読むと、彼がプロデュースしたフジファブリックの1stについて丁寧に書かれていて、「ああ、俺、あれ好きだったな」と思い出し、こちらはiPodに入っているのでヘッドホンを付け久しぶりに聴くと、「あれ、けっこう繰り返し聴いてたはずなのに」と驚いてしまうくらい、それは新鮮で、変態的で、そして素晴らしい音楽だった。そしたら朝になっていた。
そろそろ6月28日に上演した『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』について、ある程度の分量の文章を書こうと、今朝、思ったのだった。
出演者は5人。ライブハウスのフロアをアクティングエリアとして利用したのだったが、そこには女性が3人と男性である俺。本来バンドが演奏するステージに、もう一人男が居て、彼はドラムセットを前に座っている。
「言葉」の多い作品だった。50分弱、言葉で埋め尽くされていた。俺はライブハウスの壁に「E=mc²」と書き、広島に投下された原子爆弾/死んだよ。死んだ/これは葬式です/皆の夢が一瞬で消えてしまった/さようなら、などといった台詞を声にした。使われた「言葉」たちは、何かと結びつこうとするも、最後にはやはりバラバラでしかなかった。これもまた俺の台詞だったが、8時15分で、も、よほど勘の鋭い人でも、せいぜい暗喩の意味でしか捉えなかっただろうし、それ以上ではなかったと俺自身思う。
原子爆弾が投下される映像が投影される中、ステージの男は特殊相対性理論について語るが、それは俺が演じるバンドマンの「曲の意味」として語られる。一般的に特殊相対性理論と原子爆弾は、直接は繋がらない。
だがしかし確かなことに、それは葬式だった。ある女の葬式が始まり、そして終わる。その間、記号が暴力的に飛び交った。ある女のことは何もわからない。だけど、葬式に参列する女性3人と司会の男は、言葉を発し続ける。しかし、意味はどうしたって生まれない。音楽が流れても悲しみは生まれない。ただ、それは葬式だったのだという。
彼/彼女たちは最後に別れを告げる。何かが生まれる可能性を持っていたのは、その後の一瞬だけだったはずだ。
これが俺の思う『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』。出演者としての、そして演じ終えてある程度の時が流れての視界である。まさしく演じていたその時は、もっと違う視界がそこにはあったはずだが、それはもうその時だけのことなので、何か日記に書ける類いのことではないと思っている。了。
さて、LOSCOは日記として在るので、日記を付けよう。今日は、夕方、通院。薬を2ヶ月間減らし、それによる悪影響は見られないため、さらに減薬。減らし始める以前の半分になった。つまりは薬代も半分ということで、大いに助かる。過労が原因で罹り、そしてこじらせた風邪のようにしつこいパニック障害だったが(この日記/サイト、を、付けている/運営している、期間はまるまる投薬し続けていた)いよいよ先が見えて来たように思う(ロングテールのグラフ形状のように、ゼロまでの粘りがしつこい気はするものの)。
病院に行ったその足で、心斎橋まで行き、予約を取っていたApple StoreのGenius Barに。連日、書き続けたMacBookは、残り時間を「約10分」としたままに強制終了され、ディスクを呑んだ状態で運ばれた。一通り説明し、やはり明らかにおかしいそれは、「おそらくHDDの異常」ということになった。やっぱりなあ、壊れるんだよな、機械は。壊れる、それが機械。機械とはそういう付き合いをしないと人間がダメージ受けるから気を付けないと。
で、自宅までの帰り路に実家に寄り、少し滞在して午前様で帰宅。
元々は、この後、端的に言えば、この日記を付け続けたことによって受けた恩恵、について書こうと思っていたのだったが、やはり今日はこのあたりにしようと思う。そんなわけで/ではまた/つづく。

誰も、もはや俺すらも興味が無いこととして、残り時間は「約11分」である。
雨の一日。少し体調が悪かったものの、俺の場合は原因はわかっているし、良くあることなのだが、Twitterで体調の悪そうな方を幾人か目にし、心配する。
夜の手前、雨が一休みしていたので出かける。途中、投票所である近所の小学校に立ち寄る。ずいぶん以前の早朝、なんだか煮詰まっていた俺は、ふらふらとその辺りを散歩しており、その小学校の前にある公園のベンチに腰掛けた。雨の日だったと思う。で、ぼんやり登校前の学校を眺めていると、門の前に居た教員と思われる人に疑いの眼差しを向けられたように思った。で、仕方無く自分の年齢や容姿を思い、煙草を消して後にしたそこは、去年のいつだったか、思い立ったように住民票を、生まれてからずっとそこにあった大阪府寝屋川市から京都市左京区に移したため、今日は投票所として利用することが出来たのだった。あ、そうだ。免許の更新が煩わしいから、免許証の住所変更を目的にようやっと移したのだった。だけど役所でのあれこれは疲れるから、住民票を移したことで満足してしまい、免許証の住所はまだ大阪のままだ。次の更新はいつだろう。バイクは気持ちが良い。
それにしても、クリティカルな投票というのが考えても難しかったため、つい打算的、というか、牛歩な展望によるそれになってしまった。結果は大方予想通りの残念なもの。迷い煮詰まった軌跡が残るノートは捨ててしまい、白紙のそれに代えてしまえれば、と言いたい気持ちは当然あるが、それはとても下らない言葉だし、とはいえそういう思いが頭をよぎることによって酷くつまらない気分になるのだった。
W杯の決勝戦まではあと2時間ほど。特に意味は無いが、今からの2時間は特別、丁寧に使おうと思い立った。今。

現在、残り時間は「約15分」である。ここ二日の計測から、おおよそ24時間≒6分。つまり、表示の1分は約4時間だと推測できる。では、インストールの完了は60時間後、現在を11日、AM4:00として、13日の18:00と目論むことができる。12日にはApple Storeに行くから、今後の加速が無ければ、インストールが成されていない、良くわからない状態のHDDを内蔵したMacBookを持って行くことになるが、修理に直接持ち寄ったことがないのでわからないものの、向こう側も検証にある程度の時間が必要だと思うし、手っ取り早く改善を求めている者としては、もっとわかり易く壊れてくれてほうが良かった。面倒だな。
ところで、イオンモールが京都駅の南側に新しく出来たことをみなさん御存知だろうか。カナートで大抵のことが片付く俺だが、京都にも大きなショッピングモールが出来たのだと知り、財布に10円しか入っていなかったが、同居人が行きたがるためバイクで向かう。
思いがけず広大なそのモールで、存分に「売られている物を見る」という遊びを興じる。トマス・ピンチョンの『メイスン&ディクスン』の装丁もじっくり見る。シルバニアファミリーも見た。鉄道模型も見たし、犬猫用のケーキやたい焼きも見たのだった。
帰宅し、煙草を買いに出たものの、財布には10円しか無かったために、コンビニのATMに今日が土曜日だと教えられ、つまり金を引き出せず、それでぼんやりと百万遍まで歩いていたら、西山(真来)さんと、『西山真来はなぜこうなってしまったのか』で共演した山本(大樹)くんと会う。昨日のことだが、西山さんには先日、『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』を観に来て頂いていたので、感想を聞きたかったこともあり、食事に誘うメールを出していたのだったが、そして返信があったものの、メール無精の俺が返事を先送りにしていて、ああ、返信しないとな、と思っていた矢先のことだったので、驚く。立ち話。ぼんやりしていたので、突然のことにうまく言葉が出て来なかった。良くわからないことばかり言っていたのではないかと今、少し心配している。
で、煙草を何とか購入し、家で『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』をDVDで。ちなみに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を鑑賞した時のことは、昨年6月28日の日記に詳しい。しかしまあ、「序」を観たという予習だけでは、その目まぐるしさに到底付いていけないし、そもそもそういうものだった。何が何だかわからないうちに終わったのだったが、それが面白かった。その映像は相当に異常なものだった。ここまでのクオリティの、「相当に異常な映像」をこれだけ押し広げるその状況も含めて、ガラパゴス現象と呼ぶだけでは手に余り、つまりそれはキメラ的に生まれた映像だったのだろう。
もうそろそろ今日の日記は閉じようと思っているのだが、ここまで書いて、一体、俺は何をそんなに一生懸命書いてるんだ、と少し呆れた気持ちもありつつ、とはいえ、何でこんなこと書いたんだろうという未知への驚きも少なからずあったわけで、なんというか、引き続き/ではまた/ということで。

現在、残り時間は「約22分」と表示されている。おおよそ24時間で6分経過したことになる。今朝の様子次第では(インストールが終了していなかったら)諦めようと考えていたのだったが、来週の月曜日に、大阪にある医者の予約を取ったため通院のついでに、心斎橋のApple Storeにも出向くことにしたので、それでもうとりあえずそれまで放っておくことにしたのだった。現在、残り時間は「約22分」と表示されている。静止でなく緩慢なのが逆に腹立たしいが、反面、まあもう好きにやってくれ、と開き直ってもいるのだった。MacBookの話である。
さて、『ブレイキング・バッド』は現在、発売およびレンタルされている3枚に「Season1」を全て収録していたのだった。第3巻を見終え、つまり「Season1」を見終え、全7話(DVDの第2巻と第3巻は2話ずつの収録だった)笑ったが、特にEpisode6の終盤は大笑いだった。早く続きが観たい。
昨日から続く話題として最後に、『方舟さくら丸』は読了した。むろん、面白かったのだが、とりあえず、主題とはほど遠い野犬のことが気にかかった。野良犬は、怖いんだよ。もう見ないな、野良犬。そういえば、淡路島にある由良という地名の場所には居たな、野良犬。人自体が少ないから、それほど多く無かった野良犬の存在感が大きかった。変な場所だったな、由良。ところで『スタンド・バイ・ミー』も犬が怖い。確か追いかけられるシーンがあったはずだ。なんだろう……、だから何だって話だが、犬が怖くなくなっちゃったな、今は。あ、『暴力金脈』で、河川敷で袋に入れた野良……、あれは猫だったか、叩き殺すシーンがあったけど、あれは猫か。確か商売で叩き殺していたんだ。猫はその後、その変死体が猟奇的な犯人像を臭わす安易な小道具として使われていた頃があったふうに記憶するが……。文学/映画における犬猫の存在意義の変化っていうのを調べるのも面白いかもな。
『ブレイキング・バッド』の2話、3話をDVDで。レンタルされているDVDには1巻につき3話収録されているので、第1巻を見終えたことになる。ちなみにTSUTAYAで見たところ、現在は第3巻までレンタル可能だ。
第1巻のラストカットは、限りなくベタだが、続きが非常に気になるそれだった。ついつい「何してんねん、お前ら」と突っ込みながら観てしまうそれだが、とりあえず第1巻を見終えて思った、作品の感想ではない感慨は、松本人志はこういうものを作れば良いのではないか、というものである。『しんぼる』を観ていないのにそういったことを口にするのはあれだが、単に俺は彼の「映画」よりも、贅沢な予算を使った「連続ドラマ」を見てみたいのだろう。到底、今の日本では無理な話だとは思うが、間違いない話であるとも思うのだった。……なんというか、とりあえず夢はあると思う、この妄想には。
次に。『笑う月』や『砂の女』は繰り返し読んでいたものの(特に『笑う月』は3本の指に入る愛読書だ)、恥ずかしながら初めてページを繰っている『方舟さくら丸』はちょうど半分ほど読み進んだところだ。ハードカバーの状態の良い古本を、雨宿りしたスーパーの前で催されていた古本市で偶然、手に入れたのだったが、先ずその素晴らしいブックデザインに触発されて読み始めると、あとはもう、ああ、小説ってこういうふうに書けば良いのだったか、とすら思わせる(そんなことは不可能であるからこそ、そう思わせるのだろう)、少し大仰かもしれないが、そんな原始的な読書の感触を思い出させるそれに従うだけである。
最後に不調のMacBookのことだが、OSの入っていた内蔵HDDを消去し、Snow Leopardを再インストールしているのだが、その挙動はただただ緩慢だ。それの終了までの「残り時間」として示される「約28分」は何時間経っても「約28分」である。ところが、そのさらに数時間前には「約29分」だったことが悩ましいところであり、静止ではなく緩慢であることをつい信じてしまったのだった。まあ、半ば諦めているのだが、明日の朝までは様子を見よう。その後は、俺も大阪の医者に行かねばならぬ予定もあるし、MacBookも医者に連れて行くだけの話だ。そんなわけで、今月6日からの日記は、名付けるならば「(OS X)Tiger日記」。先月はあまり日記を(特に、どうだって良いことを)書けなかったし、Tiger日記では初心にもどってどうだって良いことをつらつらと書いてやろう。『ブレイキング・バッド』を引き合いに出すのは違うかもしれないが、今は引き算より足し算に愛着を持っているのかもしれない。……ふとした(ほんとに軽はずみな)連想でその行為をレジスタンスという言葉に繋げそうになるが、そんな話では全くないのだった。今日はそうだな洋食より和食が食いたいかな、っていうような、そんな程度のあれ。というわけで、明日につづく。
昼過ぎ、髪を切りに行く。美容師に例の如く、今日は仕事は? という質問をされたので、今日は多忙の中、時間を縫ってやって来た、ということにした。嘘である。自宅で仕事をしているので、時折、気分転換に表に出ないとしんどいですよ、などと適当なことを言う。しかし俺は基本、聞き上手なので、結局は美容師やシャンプーをしてくれた助手の方の話に相づちを打っていた。いつだってそうだが、美容室で話すことが俺には何も無い。俺が彼/彼女たちに求めているのは髪を切ってもらうことだけだ。ただ、彼らは自分たちの仕事を、理髪と、そして会話だと考えているのかもしれない。だとすれば、会話という仕事を軽く見過ぎてやいないだろうか。それをしている当人が最も敏感に察知してしまう白々しい会話のその白々しさ。それはほんとうに嫌な時間になる。黙っているほうが完全に素晴らしい。序破急を作るつもりがないのなら、そこでは余程、愉快な小話くらいしか存在し得ないだろうにと思う。
別に何かに腹を立てたとかそういう話ではないし、髪も綺麗に切ってもらえて良かったのだけれども、メインで使っているコンピュータが動かなくなるし、体調も優れないし、バイクで移動していたのに突然雨も振り出したりで、少し黙っていたかっただけなのだろう。
夕刻、所用で少し出かけ、その時間を使ってOSを再インストールしていたMacBookだが、帰宅するとそれはどうやらダメな雰囲気を漂わせて机上で待っていた。面倒だな……、と少し憂鬱になっていたのだったが、居間に下りると山村(麻由美)が、素晴らしい夕食を作ってくれたので、もうそんなあれこれは良いや、となる。作るに至ったきっかけが何だったのかはわからないが、イサキという魚を使った土鍋ご飯、とても手の込んだ夕食がそこにはあった。淡路島で買ってきた玉葱も旨く調理されていて、御馳走で腹を満たし、食後に中元でもらった羊羹を食べ、TSUTAYAで借りてきた『ブレイキング・バッド』の第1話を鑑賞し、続けてテレビ放送でW杯を見たら万事好調だとすら思えたものの、自室に戻って日記を書こうとする段になり、やはりMacBookはまだ使い物にならず、こうして昔使っていた古いPowerBookで書いていると何だか沈鬱な気持ちも再浮上し(現在進行形で使用していないそれは、やはり小さなストレスの種がそこかしらにある)、いやはや、まったくコンピュータは恐ろしいな、と思う。
5日。体調優れず。医者に行く予定だったが寝過ごす。次の予約を取らねばと思いつつ薬の残量を見ると、減薬しているおかげでわりと残っていて、それほど慌てて行く必要もないことに気が付く。安く無い出費なので、この方法で通院を減らそうと思う。もうそろそろさらに減薬しても良いのではないかと思える程度の体調不良。悪く無い。パニック障害の話である。
6日。引き続き体調不良。加えて、常日頃使用しているコンピュータであるところのMacBookもまた不調。いろいろと初期治療と呼ぶべきあれこれを施すも改善しないため、外出の時間を使い、Time Machineで復元する。
外出というのは、バイクで貴船に行っていたのだった。凄い湿度の樹林をバイクで走る。貴船神社では七夕ということで短冊が用意されていたため、願い事を書く。ライトアップされた川床は綺麗だった。帰路、蛍をたくさん見る。あんなにたくさん蛍を見たのは初めてだった。 鳥目で近眼なのが疎ましかったものの、それでも嬉しくなって帰り路に旨いものを食おうと北山にあるキャピタル東洋亭本店に行く。良い日だったな、と帰宅し、復元されたデータを使いコンピュータを起動させると不調もまた改善されていた。ところが、ややあって再び不調になり、ポンコツな状態でバストリオの二人とSkype。
と、ここまで書いたところで、Macの例の虹色の円が単語変換の度に登場するようになってしまったため、昨日の俺は日記を書く事を中断したのだった。日記の時間軸に戻り、Skypeを終えた俺は、再びTime Machineでの復元作業。安部公房の『方舟さくら丸』を読みつつ待ち、うっかりミスでその日行った貴船での写真が全部消えてしまったというちょっとしたショックも乗り越え……、と時間を浪費したのだったが、どんどんコンピュータは不調に陥って行った。
そして今は、PowerBook G4でこの日記を付けている。まあ、マシーン・トラブルのせいでいろいろ良くわからなくなってしまった。MacBookの復活の見通しは立っていない。しちめんどくさい。あんた、丈夫さが取り柄じゃないか。もう。PowerBook G4はこんなにも頑張っているっていうのに。
まあいいや。とりえあえず俺は今から髪を切りに行く。

さて、平凡な一日であった。平凡でつまらないこんな日こそ日記を丹念に書くべきだろう。
午前に目を覚まし、銀行に出向き通帳を見て頭を抱え、帰宅し掃除、洗濯、洗い物。買いたい消耗品が幾つかあったが、ほぼ無一文だったので諦める。こたつ布団のカバーと衣類を同時に洗濯機に放り込むと、すすぎの行程で洗濯機が自ら移動するほどに大暴れしたので、慌てて分けてすすぎ、脱水。洗濯槽に大量に洗濯物を入れることが、故障の一番の原因らしい。以前壊れた洗濯機は、去年の8月26日付けの日記の写真に詳しい。
突然だが、先月28日に大阪の北堀江club vijonに『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』を一人で観に来てくれた母親は、帰路が一緒になった山村(麻由美)に、それの感想を、「悟之(俺のこと)は髪の毛がもじゃもじゃやったね」(補足すると、単に、直毛で、普段、整髪剤など絶対に付けない俺が役柄の関係で髪の毛をもじゃもじゃにしていて、それが珍しかっただけのことだ)、そして「何であの子は舞台に出ているんやろう」と話していたと聞き、全くごもっともだと思う。俺も良くわからないのだが、出演の予定だけが次々と立っていく。来年の2月まで予定がある。それはまあ、嬉しい話ではあるのだが、それとは別に、別段、将来的に表舞台に立つことを生業にしたいと望んでいるわけではない俺が、いま、本当にすべきことを置き去りにしているのだとすれば、という不安があるのだった。
いつまで子供のような悩みを抱いているのか、というような話だが、例えば俺は器用だから、印刷物やwebサイトを作るのが得意だし、機械にも強い、そしてそのことが嫌ではないし、それらの作業はそれなりに面白いものの、やはり当たり前のように満たされない何かがそれらの作業中にも俺を覆うし、もらえて当然だと考える対価も得ていない。ならばそれらのことで正当な対価を得るために努力すれば良いのだが、それに尽力するのならば、適当な歯車として働き、一定期間、何か面白いそれに参加することのほうを望んでいるのだった。
どう考えてもタイムリミットが迫る状況である。いつか絶妙のバランスを会得できるのではないかと楽観していたが、難しいだろう。ただ、困ったことに欲望は姿を変えながらも一向に消える様子はないのだ。
こんなことを書いていても仕方が無いな。何か別のことを……。そうだ、昨晩読んだよしながふみの『愛すべき娘たち』は面白かったな。残酷なほど緻密で正確で、それを判っていながらだからこその誤摩化しの一切無い筆致に畏怖する。
しかし『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』の稽古期間はゆらゆら帝国の『男は不安定』が頭の中でしょっちゅう鳴っていたな。ガール。あえて言うが、まったくもってほんと、何がどうなってんだか。
ヘイ ボーイは不安定 ヘイ ガールはいつも元気
ヘイ ボーイは不安定 ヘイ ガールはいつも元気
ヘイ ボーイは裸 ガールはいつも元気
ヘイ ボーイは裸 だれか僕を君の部屋に入れてくれよ
これはパーティーじゃない これはパーティーじゃない
これはパーティーじゃない これはパーティーじゃない
ゆらゆら帝国『男は不安定』より

先月6月の27日から日記が滞っているので、つまり、27日、28日、29日、30日、7月1日、2日、3日、合計1週間分の日記が無いということだ。
今は京都の自宅で時間もたくさんあるので、焦らずゆっくり日々を振り返ろうと思う。
その前に、遅くなりましたが『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。そして、北堀江club vijonのみなさま、共演の方々、お手伝いいただいた三人、どうもありがとうございました。
さて、27日は東京から大阪への移動日だった。俺は東京へ持参した荷物が多かったため、一人新幹線で一旦京都に帰宅する。荷物を置き、作品のための作業をしてから大阪へ。club vijonのご好意で前日に行えるリハーサルの時間が増えたため、電車でタイムスケジュールを組み替える。この日、初めて自分が立つ場所を見たのだったが、少し困惑した後、思いのほかリハーサルが順調に進んだため、その場所への愛着が湧き、帰りの車中は士気も上がり良かった。日付が変わり28日、みなほとんど眠れていなかったが、昼過ぎから我々のリハーサル時間を使いゲネプロ。とにかくゲネが出来た、というのが自分の中では大きく、後は本番とにかくプレイヤーとして頑張れば良いのだと思うと少し気が楽になって疲れがどっと出る。楽屋でふらふらになり、あまり食事も取れなかったためまずいなと思っていたが、30分ほど眠ることが出来、それがすごく良かった。
本番を終える。来ていただいた皆に挨拶。そしてバストリオをイベントに呼んでくださった「kanina」のライブ。清々しい時間だったなあ。
それにしてもvijonのスタッフの方々にはほんとに助けられて、『原始人みたい』の時に続き、バストリオは小屋に恵まれているのだなあと思う。傲慢な言い方かもしれないが、先ず小屋の人に作品の何かが伝わっているのだろう、そして伝えようとしていることが伝わっているのだろう、そうも思える反応があり、それが何より嬉しい。
翌29日は打ち上げ旅行ということで淡路島に。食って遊んで。5年前にパニック障害が発症して、しかし何の病かわからず死ぬんじゃないかと思いつつ食っていて味があまりわかっていなかった「ママン」のトンカツは本当に絶品だった。そして温泉に入ってW杯を見る。日本代表は良いチームだった。30日も淡路島。この日の夜に京都に戻る。
7月1日。大学時代京都に住んでいた面々と京都をうろうろ。夜、MOVIX京都で『アウトレイジ』を観る。空虚な怒号が飛び交う。感情が含まれた暴力は大友への刃だけでは無かったか。乾いていた。面白かった。
2日。我が家に滞在していた今野(裕一郎)くんとみっちゃん(小林光春)が東京に帰っていった。楽しかった『ガール・プロブレム』の日々も終わり。夜にはchikinがやってきて会議をしていた。飼い猫のもきちを撫でる。近所のたこ焼き屋「たこなぐり」は価格設定とたこ焼きの大きさを変更していた。
日記を書く3日である。また新しい時間だ。そして金が無い。働かなくては。次が次々とあるはずだから、金が要る。