このところ、デザイナーとして俺を紹介してもらい、ここがポートフォリオのようになっていないので、説明が不便だと言われることが何度かあり、大変申し訳ないのだけれども、ここは日記である。
右のProfileのところの「デザイン」から(わかりにくいので、右のInformationの欄にも書きました)、簡単にいくつかの制作物をまとめたものをご覧頂けるので、ひとまずそちらをまずご覧いただければと思います。
しかし、なんだかよくわからない人として生きていくのはほんとうに難しい。ふざけてんのかと思われるかもしれないが、まったくそんなつもりはない。むしろ、真逆である。仕事は、ほんとにどんな場合であっても手を抜くなんてことはありえない。それがデザインでも、パフォーマンスでも、音響でも、なんでも。と、確かにおもな収入源はデザインだけど、いろいろやっている以上、俺のサイトとしてのここを、デザインのポートフォリオ・サイトのようにはできないのだった。
まあ……、よくわかんないよな。よくわからないってのは確かにいかん。でもわかりやすいってのはそもそも嘘だからなあ……。話が変わるけど、わかりやすくするために嘘を付くことでセンスってのは濁っていくね。たいして感動してないのに、感動した!みたいに言ったり、最高!みたいに言ってさ。ブログじゃそんなふうに書いてても、実際会って話したらそうじゃなかったりとかあるもん、結構。最近、みんな何かしら発信してるから。嘘つかなきゃなんないんなら、やらなきゃ良いのに。良いものは良い、嫌なものは嫌って言い続けるしかないでしょう、なにか作ってる人間は。そりゃあ、俺は莫迦正直に仕事し過ぎて金ないけど、そして金は大事だけど、でも濁るのがいちばん嫌だ。この際だから書くと、最初に金の話が無いってのは逆に汚いね。無いなら無いって言って欲しいね。なんとか考えるから。
追憶よりなお 遠いところで
ミュータント吠えて 胸をつらぬいた
やらずにいられない 事があります
やらずにいられない 事をやるだけなんだ
ただ それだけ
他には何も 他には何も 何も何も何も何も
THE CRO-MAGNONS『他には何も』(作詞/作曲:真島昌利)
22日。わりとゆっくりとした日にする予定だったのだけれども、いろいろ重なってバタバタ。ポスター を納品し、その足で友人の相談を受けに三条に。帰宅して仮眠し、映像編集。THE CRO-MAGNONS『ACE ROCKER』をくり返し聴いていた。
23日、24日。ひたすら自宅で仕事。THE CRO-MAGNONS『ACE ROCKER』をくり返し聴いていた。短いアルバムだから、もう25回も聴いている。リキッドレイアウトに関する勉強不足を反省する。Dreamweaverって、マクロメディアが開発していたころのものしか使ったことがないから良くわからないのだけれども、いまは、そのあたりのスタイルシートなんかも簡単に書き換えられるのだろうか。よほど時間が無いと、電卓片手にカタカタ書き換える気にならない……。
新しく書こうと思っている小説のことが少し固まってきた。
20日、仕事。徹夜。21日、14時頃、寝る。16時にハッと起き、雨だったのでバスに乗り「メトロ大學 シリーズ:311以後を生きる テーマ『プロジェクトFUKUSHIMA! レポート 〜社会とアートについて〜』 」に。この間、ETV特集「希望をフクシマの地から ~プロジェクトFUKUSHIMA!の挑戦 」の再放送を見たところだったので、これは!と予約していたのだった。大友良英×高嶺格×小崎哲哉のお三方の鼎談はとても面白かった。特に大友良英さんは(当然だけれども)声がとても素敵で、内容はもちろん、音として心地よいので、あっという間の2時間だった。
質問の時間で、福島市出身で京都在住のある方が、高嶺(格)さんの作品『ジャパン・シンドローム~関西編 』が震災以降、放射能を扱った美術作品でいちばんしっくりときた、という旨のことをおっしゃっていて、がんばった甲斐があったなあなどと喜んでいると、それに答える高嶺さんと話が噛み合っておらず、それは高嶺(格)さんがほとんどこっちに丸投げだった『ジャパン・シンドローム~関西編 』のことをうっかり忘れていたためだった。あいつ!とムッとしたのだけれども、その時、進行をされていた小崎哲哉さんが、その作品を知らない方のためにスクリーンにミラーリングされていたMacで画像検索をされていて、偶然、俺の日記に載せていた飼い猫のもきちが映ったので、かわいい、と癒される。
そのまま吉田屋というおいしいお店に流れる。鼎談のお三方を含め、いろんな方がいた。帰宅が午前2時過ぎ。作家のいしいしんじさんが、ずっとさかなクンのモノマネをしていらしたのが耳に残っている。
18日、19日。体調不良で進行が芳しくなかった仕事をこつこつと進める。とりあえず、散らかった部屋が片付きつつあり、気が楽になったような頃合い。
映像をリッピング、コンバートしている間に、深沢七郎『生きているのはひまつぶし』を拾い読み。読んだものをわりとすぐに忘れてしまうほうなのだけれども、この本、というか深沢七郎の文章は俺にとっては忘れにくいもののようで、あ、知ってる、と何度も小さく落胆する。
ところで、今日、すごく莫迦なことに気が付いたのだった。俺は深沢の小説で『秘戯』がいちばん好きなのだけれども、ずっと「秘技」だと思っていて、Googleで「深沢七郎 秘技」で検索しても、自分の日記しか出て来ないから、なんだろう、どういうことだ、とずっと思っていたのだった。ものすごく阿呆である。恥ずかしい。気が付いて良かったよ。ちゃんと『秘戯』で検索したら、たくさん出て来た。
わりと朝早くから働いていて、20時前に眠気に負けて少し寝る。で、起きてしばらくし「iBooks Author」のことを知る。
これ、電子書籍という訳が良く無いのは、ついつい「書籍」という言葉にイメージを持っていかれるからで、もちろんその意味でも凄いのだけれども、それと同時に、「俺はウェブサイトじゃなくて、ほんとうはこういうのが作りたかった。簡単だし」という、つまり、ウェブサイトを作りたかったんじゃなくて、ウェブサイトしか無かったんだということに直面したというか……、ひと月ほど前「Webは(繰り返し)死に、インターネットが進化する – Goodpic 」という記事を読み、「なるほど、そうだよなあ……」なんてぼんやりと納得していたことが、一気にクリアなビジョンで見えた感じがして……。
常々、なんでウェブサイトはもっと簡単に作れないのだろうか、と思っていて、BiND とかそういうのがあるのは知っていたが、中途半端というか、単純にダサイと思っていたし、もっとこう、みんな映像とか音楽とか画とか小説(タイポグラフィ)とか簡単に良い感じにあれしたいのに、なんでこう……、で、ダサイのが嫌だから、俺は勉強して、出来得ることはしたいと思い続けてきたわけだけど、というところ(もちろん、入念の準備、そしてこのタイミングを加味して)の「iBooks Author」である。
まだどういったものかそこまで理解していないのだけれども、「Pages」とか「Keynote」の具合でインターネット(ウェブに非ず。ブラウザなんて無粋なもの、わたしは開かない)の海に船を出せるわけでしょう。そして「映像とか音楽とか画とか小説(タイポグラフィ)とか簡単に良い感じにあれしたい(加えて、それらを混ぜこぜにしたものも!)」ができるのでしょう。これはもう、書籍どうこうの話じゃないだろうね。経済的に、国の特性からして日本に朗報!くらいの勢いで俺は感心している(俺の中では、円城塔が芥川賞を受賞したのとかも、なんだか繋がっている)。「Webは(繰り返し)死に、インターネットが進化する 」ってのはすごい言葉だな。
まあ、わかんないけどね。明日には「インターネット無くなれ」って思ってるかもしれない。だけど、今日とにかく、なんだか久しぶりに未来を思ったのだった。つづく。
17日である。阪神・淡路大震災から17年。天気の良い日だった。
俺はわりとネアカだと思うし、ネガティブな思考をあまりしないというか、時には「もうだめだ」と口に出してみるのだけれども、その発声された言葉を聞き、「そうでもないか」と確認し、さらにその確認の言葉もまた発声する。
だから、何となく自分を鼓舞するようなことを考えたりして、よし、がんばろう、とかすぐに思えるほうだったのだが、昨年の東日本大震災、それからもう300日以上経過したというのに、とてもじゃないが、よし!とは思えない日々を過ごしている。
かんたんに言うと、なんだかずっと落ち込んでいる。「もうだめだ」と口にせず、「もうダメなんじゃないか」と疑っている。単純に、世の中がここまで八方ふさがりな状態を、俺は初めて見ている。引き出しから何かヒントを、と過去を駆けずり回り、すぐにそこにはヒントが無いことを知る。
夢や希望が脆くなって、正論ばかりが増えていく。あとは、1秒後は誰も知らない、そのことを忘れた時にすべてが終わる。
しかし、ここまでダメージを受けるとは思わなかった。いままでのバランス感覚では、歩けなくなったのだった。悲しくて涙を流すほうがずっと良かった。堪え難い不安定。おばけももう、あんまり怖くない。
体調優れず。
PowerBook G4 12inchには過酷な仕事ばかりしている。それにしても(そのあたり詳しく無いから感触だが)OSX Tigerは丈夫。落ちない。illustrator、保存を選ぶと、しばらく黙り込み、おもむろに砂時計と進行具合を表示し、遅々として進まないそれはしかし、止まってはないから、自室を出てリビングでけん玉をしたりお茶を飲んだりした後、戻ると、保存を完了している。
とはいえ、保存にそんなに時間がかかってはたまらない。⌘+Sなんて手癖になってるから、うっかり保存しちゃうと、部屋を出てけん玉をして茶を飲まねばならなくなる。その間に、なにか忘れてしまいそうだ。頭の中と処理速度のかけ離れ過ぎた機械は、道具としては良くない。……きっとどこかに無駄に高性能な機械があるのだと思うと、経済の活性化はそういうあれこれをしかるべきところに、なんて陳腐なことを考えて、貧乏くさくて嫌になる。
今後、Webサイトの作成は¥100,000〜、DTPの仕事はデザイン費¥50,000〜しかしないように決めようと思う。書いとかないと忘れちゃうからな。頼まれるとついつい喜んでやってしまうのがいけない。もう大人なんだし。自腹切ったり、莫迦なんじゃないか、俺は。俺は、労働がしたいのだし、そうすべきだ。じゃないと、他のことができないよ。
13日、14日、15日のこと。13日、体調不良。『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』読了。14日。やや快復。我が家にて、スキヤキ。旨い。深夜、12日付の相馬(称)さんの日記 を読むと、こちらから送った年賀状に書いたイラストを気に入ってもらえた様子で、良かった。飼い猫を描くつもりだったのだが、書き損じ、ことしの干支を使って誤摩化そうとしたイラスト。
15日。また体調悪い。ストレスなのか、ずっと胃が痛いし、例によって息苦しい。体調不良も飽きた。しかし、体調が悪いっていうのは、才能無いな。莫迦莫迦しいので、改善したいところだ。
寒い。K・クロスリイ−ホランド『北欧神話』、山代静という方の訳が直訳に寄り過ぎていて、ただでさえわけのわからぬ読み物なのに……、となる。周辺の解説等をその方が担当していて、じっさいの神話の訳は別の方なので、まだわかり良い。ただ、そこまでたどり着くのが、なんとも苦行であった。であった、というか、諦めて、読み飛ばした。読み飛ばしたとたん、なんだか気持ちが折れて、実は、じっさいの神話の訳は別の方なので、まだわかり良い、などとさきほど書いたが、三行くらいしか読んでいない。読むのを止めると、PowerBook G4をカタカタ。そちらの用事が済み、iTunesを動かしていただけのMacBook(白)へと移行し、カタカタ。
その後、今日はふたたび『北欧神話』を開く気持ちにならなかったので、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ 』を読み始める。表紙の印刷がすごい。金の花ぎれがかっこいい。半分くらい読んで閉じ、大好きな『Rosemary』を聴く。
ところでさいきん、ドクロが気になっている。で、WilD90 のキャラクターみたいなのを作ろうとレジデント(「メンバー」じゃないので、こう呼ぶことにした)の南(康彦)くん に頼んでいたら、今日(13日未明)アップされていた 。あんまりWilD90のために働いてはくれなさそうだが(なにしろDOKUROとしか書かれていないし)、良いと思うし、そのうち良い形になるだろうと思う。だいたい、WilD90がなんなのかもよくわかってないし。あ、あと(一応は架空のアパートの設定だから)入居者がもうちょっと増えたら面白いだろうし、まだ何もしてないのに時期尚早? ともとくに思わず、今の、俺を含む3人が良いナと思えばそれだけなのだが、とりあえず、いまは、デザイナーと役者と絵描きだから、そうだなあ、音楽家とかが良いかな……。いや、気さくな富豪とかが良いか。アパートも潤うし。パン屋とかでも良いよね。
日記……。そういえば、夜、リビングで寝ていて起きたらトミー(佳美)がいたな。ところで、トミーは絶対俺の日記(LOSCO)読んでないんだよ。あとcossiも(絶対!)。やっぱりちょっと距離のある人が読んでくれるね。なぜか京極(朋彦)くんのお父様が読んでくださっていたし。
もう7年くらい書き続けている日記だけれども、当初から一貫して、俺のいまの気分、しか書かれないここを読んでくれている人は誰なんだろう。解析するに、東京/大阪/京都が3割ずつくらい、あとの1割がその他、って感じだと思うのだけれども、果たしてなにかその人たちのためになったことはあるのだろうか……。
それはそれとして、今日Facebookで見つけた、いま、俺が、最も観たいものの予告動画を下に。そして日記を閉じよう。
VIDEO
寒い。洗濯機をまわすと、雨が降り始めて、夜には雪になった。だから、衣類は洗濯槽に入ったまま。明日、もう一度。
やはり体調いまひとつ。『北欧神話』を読んでいたら眠くなり、夕方少し寝る。夜は鍋焼きうどんだったが、まだ蟹の出汁は健在。旨い。
9日。夜、街に置いてけぼりだったバイクを取りに行く。24時間300円の駐輪場にて、小銭が無いことに気が付き、まんまと設置されていた自販機で100円の缶コーヒーを。旨く無いあたたかい缶コーヒーいっき飲み。帰宅後、風邪気味。なかなか寝付けず。
10日。めずらしく一日家にいなかった。風邪っぽいと思ったのは、気のせいだったのかもしれない。月に一度行く古本屋でK・クロスリイ−ホランドという人が書き、山室静と米原まり子というが訳した『北欧神話』という本と、『アフリカの爆弾』山上たつひこが同名の筒井さんの小説を漫画化したものの文庫本。
『アフリカの爆弾』、68年か。俺が生まれる15年前。……朝、DAFT PUNKの2000年リリースのシングルCDのジャケットを写真に撮った。その時、どういう気持ちだったのか、それはわかっていなかったと思うが、夜も更け、それは、さらにわからない……。
昼過ぎにUrBANGUILDに。去年の忘年会 によくわからないけれどもふらりと来てくれたArmelle というフランス人の女性が、すごく素敵な帽子を作っているとその時に聞き、今日、UrBANGUILDで売るから、とのことで、iPadで見せてもらった販売予定のものの中から目星を付けていたそれ を買いに(リンク先の写真の、右の帽子。モデルはArmelle自身。左の、もはや帽子じゃないそれを被っているのは、Armelleの彼らしいが、これはこれですごくおもしろいのだけれども、欲しかったのは右の帽子で、俺が冠っても仕方ないので、山村(麻由美)にプレゼントした)。買う時に、これはフランスで欲しい欲しいといろんな人に言われたけど、たぶん日本で売れちゃうから、という断りを入れたものなのだとArmelleは話した。ハサミのボタンが付いたとても素敵な帽子。
で、夜に同場所で、アコーディオン奏者でもあるArmelleと、同じく去年の忘年会 によくわからないけれどもふらりと来てくれた(大歳)芽里さん、以前、舞台で共演したニイ(ユミコ)さんのライブがあるとのことだったので、それまでの間、みよしでラーメンを食い、ひさしぶりにAce cafe で珈琲を飲む(すこし内装の雰囲気が変わっていた)。
ライブが終わり、二杯目のシャンディガフを飲みながらバイクで来たことを思い出し、仕方が無いのでバスで帰宅。昨日の蟹で取った出汁を使った炊き込みご飯とだし巻き。
先日の高嶺(格)さん宅での新年会の写真を、姉さん(木村敦子さんのことである。勝手に姉さんと呼ばせてもらっていて、実の姉さんではなく、以前、舞台で共演した方である。五反田団の宣伝美術のイラストなども書かれている。ちなみに俺は長男で、妹がいる。妹の名前もまた敦子である。もうひとり、幼いころに亡くなった妹の名前は弥加である。綺麗な名前で、いつか子供が出来たら、何らかの形でその文字を受け取りたいとぼんやり思っている)が、Facebookにアップしていると山村(麻由美)から聞き、「見たいなあ……」と思っていて、さらにiPhoneで遊んでいる「ゾンビカフェ」というゲームで、毎日、料理の注文をくれていたYさんからここのところ発注が無いな、と思っていたら、そのゲームでの交流がFacebookベースだったため、繋がりが無くなってしまっていた。あと、WilD90に掲載したものがFacebookに反映されていなかったのもまた、俺が自身のアカウントを消したからであり、……とにかくFacebookのアカウントが無いといろいろに影響がおよぶことを身を持って知り、再度以前のアカウントでログインすると、それは呆気なく復活した。その勢いでTwitterも再度ログインすればアカウントは復活し、もとにもどったのだった。
もとにもどった。「そうかあ……」としみじみ思う。
WilD90 に「アパートメント 」という文章を書く。なんとなく、WilD90でやりたい(というほど能動的でない)それを、端的に書いてみたのだったが、これは、明らかに昨日観た『スペース・カウボーイ』に触発されたものである。
さて、夜は妹の敦子から届けられた蟹を食べた。旨かった。鍋だ。雑炊も旨かった。まだ、蟹は、ある。同居人は蟹の有効活用を考え、絶え間ない努力をしている。これぞクリエイティビティ、と蟹が旨かったのでそう言いたくなる。
ため息は終わらない。それをまとって動けるだけの筋力を新たに必要としている。どんどん体が重くなるし、歳も重ねる。まだ何もしていない。7日は飼い猫のもきち の誕生日だった。5歳になった。毎年食べていた七草粥を今年は食べなかった。代わりに蟹を食べた。旨かった。
夜中になにか映画を観ようかと思っていたら、テレビで『スペース・カウボーイ』をやっていた。大好きな映画なのだけれども、コマーシャルが多いのと吹き替えに集中力を削がれ、1/3ほど観た後、けっきょくApple TVでレンタルし、頭から観直す。
2000年の映画である。当時、観た時はそんなふうに思わなかったのだけれども、『グラン・トリノ』や震災もあってか、シミュレーションで不可能だと揶揄された着陸方法でシャトルが帰還したその後の(おそらくそれほど多くない)数カット、それがどうも……、なんというか、まるで幻のようだった。
まるで幻。それにしても……、幻を見るのに疲れて取るような眠りの日々だ。
たとえば「DOMMUNE オフィシャルガイドブック2」を読みながら、ふむふむ、しかしなあ、などと考え事をしているのだけれども、とはいえ、たとえば「偽文士日録」の一月一日(日) 、
ホテルで、ビールを飲みながらテレビを見る。識者ばかりが出て、これからの日本をどうするかと大声で議論していた。そんなことをいくらテレビで主張したってどうなるものでもあるまいに。これからどうなるかはもうほとんどわかっているではないか。まあそれでも他の番組よりは面白い
の一文に吹き飛ばされる。これは、シニシズム的態度とは不幸にして到底言えない。水分の無くなった砂の城のようなものを作るのはもう疲れたのだった。
さて、日記である。ここは、いくらでも、大袈裟かもしれないことを足止めされることなく書ける。「考える人」の2009年秋号で養老孟司がwebにおけるメディアに対して、「反論を予測しながら書く分章はつまらない。」と語っているのだけれども、Twitterはその極北で、どこかの洋服屋の店員が来店した芸能人の悪口を書いただけでニュースになるようなこともあった。なんだろう、それは。反論を恐れて、とかではなくて、著名人でも無い人間が何を抑圧されているのか……。それじゃあ、お天気か、断片的な気分くらいしか……。いろいろと考えたが、結局、現在のTwitterは、ある一部の層だけしか茶飲話以上の利用ができないものなのだと思う。で、FacebookがTwitterと決定的に違うことに、Googleにインデックスされないということがあるが、だからこそのものでもあり、それはそれでやはりまだ俺には使えないのだった。
昼過ぎに田中神社に参拝。最寄りの神社である。孔雀が二羽いる。それから灯油を買いに行く。夜にトミー(佳美)とcossiが来訪。chikin の物置になっている2階の押し入れを掃除していた様子だった。
しかしとにかく色々と狂ってる。巨大なアウトサイダー・アートみたいな世界。……それだと、アウトサイダーがアウトサイダーじゃない。それは、狂ってる。きっとグレーゾーンがどんどん白々しい白に流れて来るだろう。そして黒は黒を深めるだろう。そしたら、オセロみたいなことも起こるってことだ。
……占い師みたいなことを言ってる場合じゃない。占い師だったらもっとわかりよく言葉を並べるだろうし……。しかしまったくいつまでこんな気分なのか。飽きるよ、ほんと。
寒い日だった。雪が散らついた。
それにしても、この白々しい時代に何をしたものか。たとえば、階層的になりつつあるインターネットの、現在の最下層、それのさらに地下に潜るにはどうすれば良いのか。どうすれば危険であり得るのか。
確実に「地下」はあるが、グラデーションは無くなりつつ。白々しい白か、漆黒のどちらかに。昨年は暴力団排除条例なんてわけのわからないものも出来たし、確実にある「危険」が強烈になり過ぎて、それは白のメタファーであり得なくなるだろう。
なにもヤバくない時間が来る。Imaginary numberか……。数学がよくわからなくて高専をドロップアウトした俺だが、だから、というわけではないけれども、どうも印象として実数に捉われすぎて、虚数のイメージがロマンチックになってるというか……。虚数が必要になるほど追い込んでないんだろうな。想像力を。正確に、確信とともに虚数軸をゼロに突き刺してiを打ち込みたい。ロマンチックじゃなくて、ゼロから血が滲むような……。
日記である。2日。夕方に三条で山村(麻由美)と共に(橋本)和加子さんと六曜社で会う。手土産をもらって、それぞれその後に用事があったので街中で別れる。
3日。大阪の実家に新年の挨拶に。家を後にし、そのまま高嶺(格)さんの家にお邪魔し、鍋を馳走になる。楽しい時間。帰宅後、前々からTwitterとFacebookをやめようと考えていたのを実行する。
LOSCO(この日記)を現在の形にした際、コメント欄を設けなかったのは、コメントは別にいらないと考えたからなのだけれども、そんな俺だから、やっぱり面倒だったというか、iPhoneのせいで、いつでもどこでもそれらをチェックできてしまう状態がなんだか嫌になってきて、むかしだったらその時間になんかつまらない考え事なり何なりしていたはずだし、そっちのほうが良いなあとなり、まあ、TwitterやFacebookでしか連絡を取らない人も多いけど、そしてそれらの人はメールのやりとりをしないし、さらに俺は仕事でない場合、メールのやりとりすら億劫で……、まあでも、もう一度この日記だけのほうがいまは良い気がしたのだった。……とどのつまりは面倒くさくなったのだった。
そんなわけで、あれ、TwitterとFacebookのアカウントは? となりここをご覧頂いた方がもしいらしたら、あの、(いまどき窓口がメールだけってどういうつもりだよ、と思われて当然なのですが)御用の際はメール頂ければと思います。アドレスはサイドバーにも記載していますが、mail@losco.jpです。
と、2012年の正月三が日が終わった。例年に無いくらい会いたい人と会い挨拶を出来、良い正月だったな。そして、別に新年を迎えてどうこうということはなにもないが、なんだか数年に渡った(自分の)長いパラグラフが終わった感じが皮膚感覚としてあり、視界はクリアだ。とりあえずこの日記で許容可能な程度の大袈裟と、目に見える時間とともに。前進である。何も気にせず、それはただの前進。何も否定はしていない。肯定しているものは変わりない。おみくじは好きだけど、だからやっぱり大吉だろうが大凶だろうがなんだって良い気分で、それはつまり、グランドキャニオンを実際に見たいけど、とりあえずは今、眼前にある名も無い渓谷のほうが面白い、というおどろくほどつまらない気分。一周してどうこうってことじゃない。いまの、ただの、気分の話。良い気分。静かで冷たくて、冬の気分。それがつまり、良い気分なのが、今の気分である。
謹賀新年。
日記を書き続けることの辛さのひとつに、いまのこの気分、をおざなりにしないことがある。というか、そういう意思を持たないと書けないものである。別にそれは丁寧だとか、真摯だとかそういう意味合いを持ってはおらず、ただただ時間と忘却への畏怖からのものだ。
年が明け、辛い気分、楽しい気分、会いたい気分、別れたい気分、けちをつけたい気分、いろいろと、それぞれの気分。ただ、ここに書かれるのはどうしても私の気分だけである。
下鴨神社に初参りし、引いたおみくじは吉だったが、大吉だろうが大凶だろうがなんだって良い気分で、まったく静かな気分だ。