February 2010

他より僅かに短いながらも色々とあった2月が終わった。今日は少し寒さが戻ったが、それでもここ数日は春が近づいているのを感じられる日々だった。
昨日27日は朝から夕方まで外で仕事。朝、家を出る時、一昨日風呂に入れた飼い猫が少し寒そうにしていたのが仕事中ずっと気がかりだったが、帰ってみると元気だったので安堵する。それで猫を撫でたりつついたりしているうちに眠って朝になってしまった。自発的に猫を飼っているわけではないが(同居人が猫が好きで、同居前から飼っていた)、もしも猫がいなかったらその撫でたり云々の時間を自分はどう過ごすのだろうか、とぼんやりと思う。というのも、相当な時間、猫をかまってしまっているからだ。そんなのは迷惑だよ、とそっぽを向く猫だったら良かったのかもしれないが、飼い猫は相当に人なつこいので、いくら相手をしても嫌がらない。なので、いくらでもかまってしまう。これがエスカレートすると、猫が寝ている時はかまったり自分も寝たりし、猫が食事を取れば自分も取り、生活がほとんど猫になってしまうだろう。ただ、俺は猫では無いからそんなことは赦されないし、ちょっと猫寄りの生活、というのは、人でいうとただの怠惰だ。
そんなわけで怠惰な俺の2月は他の人と比べてどうだったかは知らないものの、それなりに色々とあり終わった。なぜだか二度も舞台に立ったりしたわけだったが、3月もちょっとした催しで人前に立たされるし、さらに4月は東京で舞台に立つ予定だ。そんなわけで小説を書きたいものの、来月の大半は東京に滞在する予定であり、ただ、意外と環境が変わって集中的に書けるかもしれない、などと楽観してみるものの、俺を呼び出したのがバストリオなので、おそらくそんな猶予は無いだろう。おおよそ7年程の付き合いの二人だが、共に何かを制作するのは5年ぶりになる。果たしてその5年がどんな5年だったのか、それが今から楽しみ。
うっかり今日の日記を書き忘れるところだった。今日はうとうとして観に行く予定だった『動くな、死ね、甦れ!』、京都最終上映に行き損ねる。自分に「死ね!」と罵声を浴びせつつ、来週いっぱいは神戸で観られるので来週行くよ、神戸まで。あー、それにしても今日は最低だったな。ぼんやりしてると死んじゃうよ、ほんと。とほほ。
引き続き暖かかったものの、雨の一日。朝眠り、正午ごろに起床し、テレビでオリンピックの女子フィギュアを観る。金銀銅が決着し、見応えがあったなあと満足した後、うとうと。
夕方、入電で起き、細かな作業を少ししていると、同居人が百万遍のあたりまで散歩に行くが一緒に行かないか? と言う。雨なのに? と思いつつ、作業があったので断り、それから一時間ほどすると帰宅した様子だったが、玄関がやけに騒がしいので階下に降りる。すると同居人が悲愴な顔をして立っているので、どうしたのかと思えば、家の前に米が散らばっていた。思いついて米を買ったというが、米は重いので大抵、俺のバイクで買いに行くのに、加えて雨の中、なぜ今日? そして米袋は家まであと数センチのところで破れ、米粒は雨のアスファルトに散らばったのだという。今もまだ、米は雨に打たれているだろう。
そんな米を横目に玄関に鍵をかけ、夕食は「あおぞら」というタイカレー屋でカレー。美味。帰宅し、米を横目に家に入り、珈琲を飲んだ。終わり。
暖かい一日だった。昼過ぎに京極(朋彦)くんのブログのデザインを微調整。その作業の間にトミーが来て、我が家でつまらなそうな作業(大量のパンチカーペットの長さを測っていた)をしていた。
その後、滞っていた読書を再開し、筒井康隆『アホの壁』を読了。たとえば筒井さんには『着想の技術』という素晴らしい著書があるが、そもそもが『アホの壁』は新書だし、比較するべきではないものの、あの当時の硬質で難解な文章を好んでいたものにとっては、ずいぶん歯ごたえの無い本だった。ひっかかりが殆ど無く、ともすればあまり本を読まない人に向けられたものにも思えた。かの有名な断筆宣言の解除直前に愛読者となった俺からすれば、それから十数年経ち、今もまだ筒井康隆の新刊を読めるという幸福は予想していなかったが、とはいえ、響かなかった。しかしまあ、悲観はしていない。なにしろ2008年に『ダンシング・ヴァニティ』という傑作を刊行しているのだし。引き続き、お待ちしております。
夕食は美女であるところの舞台監督が我が家に来ていたことから共にし、その後うとうとと眠り、今野(裕一郎)くんからの電話で気が付く。Skypeで色々と話す。まだ未確定なことだが、面白そうな話がいろいろ。
全然、小説が進まない。フィクションの世界に没入するモチベーション/理由が今に無い。不思議なことだが、実際、そうだとしか言いようがない。
朝青龍と呑みに行く夢を見た。目覚めると昼過ぎで、御存知の通り普段から怠惰な俺だが通夜、葬式と疲れての久方ぶりの午後起床である。
体を起こし自室から出て、階下の居間に行き、なんとなくテレビを点けて炬燵に入り、テレビは見ずにうとうと。夜、京極(朋彦)くんが来訪。webサイトのことで相談が、とのことだったのだけれども、以前から中途半端なサイトを作るくらいなら無料で作れるブログを丁寧にデザインしたほうがよほど格好良いと思っている俺は、もうすでにブログを立ち上げている彼にそれを有効活用する方向の話をする。
というのも、これはちょっとした弊害にも思えるのだが、それほどサイトを見ないのにその作り方や構造を知っている俺は、例えば大体のものはRSSリーダーで読むし、フィードが無いサイトだとちぇっとなるし、リーダーで読んでいる時点で見た目のデザインにかなり興味を失っているし(Flashで出来ているサイト、嫌い)、結局、ユーザビリティに関わるデザインとコンテンツ以外のウェブ的な見た目はもうどうだって良くて、その視点で見ると、ブログで良いんだよ、もう。とはいえ、この視点は、大抵の「ウェブサイトを作りたい人」とずれていて、なんというかつまり、もはやwebサイトに飽きてきているのだなあ、と。
ここ(LOSCO)もチューニングを重ね、もはや画像は上のロゴだけだし、これといってこうしたいというのも無いし、美しいコードを追求したってそれほど良いことがないことも知っているし、日記が書ければそれで良いし……。
日記。その内容とはつまり、誰と会っただとか、何を食っただとか、どう思っただとか……。簡単に消費できないもの。間に合わなければならないことは昨日、肝に銘じたが、とはいえ、もうつまらない消費に関係することはまっぴらごめんだ。間に合うか間に合わないか以前に相当追いつめられている。退屈に殺されそうだ。全く、死にたく無いよ俺は。
朝、実家に一度帰り父親の車で葬儀場まで向かう算段だったのだが寝過ごしてしまい、慌てて自宅から直接電車で向かうと思いのほか早く目的地に到着する。
祖父の葬式である。葬儀場の職員によってオートマティックに式は進行されるのだったが、それでもなかなかの長丁場に疲れる。喪主の叔父や母は大変だっただろう。妹に父親が死んだら喪主は俺だからしっかり見て覚えておけと忠告される。
精進落としの際、酒好きだった祖父にあやかって昼間からビールを口にしたりしたが、周りは年寄りばかりなので余った料理が次々と寄って来、ビールを呑んでいるのに米やら天ぷらを一人前以上食べ腹一杯になる。腹があんまりいっぱいになると何だか自分が馬鹿に思えるのだが、その時は一際。
このところ時間がぼんやりとしがちだったのだが、高い気温と青空、春めいた気候によって過去にあった様々な始まりと終わりは想起され、そして今まで居た人がいなくなった、だから改めて、間に合わなければならない、ということを痛い程に思い出した。
妹を亡くした時に、ああ、間に合わないといけない、ということをあれだけ強く思ったのに、いつのまにか風化していた。間に合うはずも無いのに間に合わそうとすることによって生きているのに、全く。
例えば葬式のような、そんな非日常の出来事があると、ついつい日記はシニフィエを肥らせて簡素になりがちだが、それもまた……、と日記はいつものように脱線しそうだ。俺は今日、『まっすぐな男』というテレビドラマを観て興奮したり、存分に日常を浴びているのに、それらは省略して日記は閉じられそうだ。物差しの尺度を意図的に変えてはいるものの、これは書き手にとって都合の良いことであって、読み手にとってはそうではないはずだ。日頃読んでいる極日常的内容のブログに突然ポエムが書かれたら、嫌じゃないか。そこから読み取れるものはどうしてもあるが、それに興味は無いのだった。
そんなわけでどうだって良いことを書きたいが、それはともかく疲れたよ、今日は。なんだか長くなってきたし、閉じてしまおうか。あ、夕食のハンバーグが旨かった。あと、『まっすぐな男』を観て興奮した俺は、同居人にその興奮を暑苦しく語り、挙げ句に「面白くなかったん?」と強い語気で問えば、「そんなに興奮している奴が近くにいると覚める」と要約すればそのような意味のことを言われ、この気持ちは一体どうすれば……、と思い、そのことから昔、『恋ノチカラ』というテレビドラマを一人で観て興奮し、感情の行き場を失って、どうすれば良いのかよくわからなくなったので夜を徘徊し、最後には恋愛感情を消化/昇華できずにいる間に世界が爆発するという荒唐無稽な短篇小説を書いたことを思い出す。ああ下らない。忙しいよ、全く。
20日、21日と外で仕事。21日、夜、父親から母方の祖父が亡くなったとの報せを受ける。
本日。通夜のために夕刻、家を出る。享年85歳。十分に長生きだったが、父方の祖父は98歳で健在だし、今回が祖父母を亡くす初めての経験だった。
京都駅から葬儀場のある岸和田まで電車で向かったのだったがやけに時間がかかってしまい疲れる。久しぶりに会う親類が何人か。年を取ったのだなあ、と思う。
帰宅が午後11時ごろ。靴を磨く。記憶にある祖父は常にお洒落だった。明日は葬式。
16日からの日記が滞っているが、もう4日も空いてしまうと詳細を思い出す事は不可能で、もっといえば時系列もぐちゃぐちゃになってしまっており、だから記憶の、ここ数日の断片を。
先ず、16日の夜から18日の昼まで、舞台の稽古のために京都に来ていた川口(聡)くんが我が家に滞在していた。舞台というのは、先日までお世話になっていた西山(真来)さんも出演される、マレビトの会の『血の婚礼』。明日から東京で、とのこと。詳しくはリンク先を。
そんな川口くん滞在中の17日は我が家で、孝学くんと向井ちゃんの誕生日会が催された。
筒井康隆『アホの壁』を読み始める。
あと、幾つかwebの更新をしたが、バストリオのサイトがようやく形になる。Skypeで(橋本)和加子さんの指示を受け、リアルタイムで修正するという作業をしつつ、俺の使っている機械が変わり(PowerBook G4→MacBook、それに伴い、主に使うソフトウェアも、「Dreamweaver MX 2004」というポンコツから前から気になっていた「Coda」に変える)、不慣れで戸惑いつつも慣れたころ、指示を出すのが今野(裕一郎)くんに代わり、ようやく納得の形になったのだった。今野くんとは昨晩、webの作業が終わった後もついつい雑談をしてしまい、結局今日の朝まで話していた。
あ、あとそうだ。サニーデイ・サービスが新譜を出す! 『本日は晴天なり』2010年4月21日発売。それでついつい、昨日は今野くんと、サニーデイ・サービスでどの曲が一番好きか、というような話をしてしまったのだった。
最後に、ヴォネガットやディック、ウィリアム・ギブスンなどの翻訳で知られる浅倉久志の訃報。お世話になりました。

14日のことから。夜、木屋町でイベント『work for the public good』。ご来場頂いた皆様、どうもありがとうございました。
何をするかさんざ悩んでいたわけだったのだが、結局この日やったことは、控えめにいってもなかなか好評だった。出演の順番にも恵まれていたと思う。自分の出番を終えて、思いのほかリアクションが良かったので調子に乗った俺は、酒を呑んで酔っぱらったのだった。で、さっき気が付いたのだが、デジカメが無いんだよな。誰か知らないだろうか。黒いケースに入った黒いデジカメなのだが。知っていればご一報を、っていうか取りあえず会場だったUrBANGUILDに問い合わそう。
打ち上げがAM4:00頃まで。帰って風呂を浴び寝て、15日は正午くらいに起きる。あ、デジカメ見つかった。ありました、今、デジカメ。と、いうわけで写真を載せよう。
15日だが、ぐだぐだしていた。家でぼんやりしていて、ああ、昨日はもてたなあ、と思い、Twitterでつぶやいてみたところ、とんだ馬鹿野郎がいるぞ、というようなことになってしまったので、今日は煙草を買いに行った以外は家に居たのでもてなかった、と加えてつぶやこうかとも思ったが、悲しくなるのでやめる。さて、実は今は16日の朝だが、これから何をしようかしら……。

さて、2月14日の朝に書いています。『work for the public good』本日です。お暇な方はふらりとどうぞ。
5分ほど考え込んだが、空白の12日に何をしていたのか全く思い出せない。あ、そうだ。夜に丸山書店(高野店)に徒歩で向かい、『海街Diary 3 陽のあたる坂道』を買ったのだった。雑誌コーナーが雨漏りしていた丸山書店でついつい『Sillyなコダマ!!』という漫画を衝動買いしそうになるが、日々、兵糧攻めにあっているのにこんな買い物をしてはならぬのだ、と当たり前のことを自分に言い聞かせ、本屋に行けば何も買わないか、数冊買うかのどちらかの俺だが、漫画一冊を手に自宅へと戻る。
13日。Appleに注文していたMacBookが届く。我が家のWi-Fi環境の実力をようやく体感できた高速ブラウジング。新しいキーボード、加えてUSキーボードにしたことから、まだ入力は慣れないものの、どうせ嫌でも5年はお世話になるだろうから、嫌でも慣れるだろう。そんなわけで、一日、新しい機械のことを色々としていたため、結局『work for the public good』のための準備はほとんど出来ていないのだった。大丈夫かしら。数時間後だが、まだ何をしようか悩んでいる。まあ、前回(『水着のあとがやけにセクシー』)と同様、始まってからの空気で決めるしかないか。怖い怖い。
夜に『海街Diary 3 陽のあたる坂道』を読むが、やっぱり良いね、これ。早く夏になれば良いのに。あ、そうだ。私、チョコは甘ったるいくらいのやつが好きです。『work for the public good』、ご来場の際は是非……。
午前起床。断続的にとあるwebの作業。夕方、自室で今度のイベント(『work for the public good』)の稽古をしていると、chikinの連中がやってきた。なんだか音楽を使用してがやがやとやっていたが、一体どんなことをするつもりなのだろう。それはともかく、これを宣伝文句として良いのかは良くわからないのだけれども、葵マコが2,000円で観られるイベントは他に無いのではないだろうか。俺はもう客として行きたいが、とはいえ、とにもかくにも出演することになっているから、さて、どうしようか。ごった煮のイベントは特に生ものだから、幾つかのパターンを準備しておきたいものである。今、思案しているものも悪くはないけれども、今回のラインナップではインタールードになってしまうきらいがあるし、もっと時間の使い方を考えるべきだな……。今出ているタイムテーブルは本当に読めない……。
夜、webの作業が落ち着き、小説に取りかかろうと思うもイベントのことが気にかかって落ち着かない。器用に同時進行、は死ぬまでできそうにない。大体、今日は雨で体調も落ち着かないし、早寝早起きだから日付が変わるともう眠い。
ところで昨日今日のwebの作業で、もうIEは完全に無視してCSS3を使ったりもしたのだったが、昨今のようにブラウザがまともになり、且つ自由にwebを触れるようになってくると欲が出て、そろそろphpの勉強もしようかしら……、などと思うも、webに関しては適当なところで手を打たないとエンドレスに学ばねばならないわけで、っていうか俺は一体何がしたいんだ、と。
俺はもう十分に大人と言って良い年齢だと思うが、それにしても学生の頃は、大人というものがこんなにも選択肢に溢れていて自由だとは思っていなかったよ。ボクシングや書道も始めたいし、なぜか先月あたりから天狗のことが気になってるんだよ、俺は。
それに、ああ楽しいな、と思った次の瞬間には悲しくなったりするし、忙しいよ。合間をぬって南国や女の子のことも考えないといけないし、金の心配までしなければならない。食事もしなきゃだめだし、こうして日記も書くんだから、もうほんと大変だよ。まあ、もう寝るけどね。夢に可愛い女の子が出て来たら良いな。でも出て来たら出て来たで、明日の朝、失恋しなきゃならないから、それはそれで面倒なのだけれども、出て来ないよりは出て来たほうが良い。というか出て来て欲しいわけで、もう、ほんと大変。ああ忙しいな。寝よう。
今は11日の朝。9日、10日のことを。
公演が終わり、打ち上げ、一日眠り、すっかり早寝早起きである。そんなわけで朝に起きた9日の俺は、滞っていた色々な作業を再開。夕方、こんなことを書くとあれだが、無性に空虚な気持ちに何故かなって、何かしたいのに何もしたくなく、困ったなあと取りあえず表に出たのだった。
東大路通りを歩き、京阪出町柳駅に着き、仕方が無いので電車に乗って三条で降りた。音楽を聴きながら徘徊するも、何もすることがない。腹が減ったので木屋町でラーメンを食い、また電車に乗って帰宅。ビールを呑む。
眠って10日だ。朝から作業。午前11時頃、スーツを貸していた山本(大樹)くんがそれを返しに来る。家に寄ってもらって、なんとも穏やかな昼。降っていた雨が止み、午後2時頃、山本くんが帰ったのでまた作業を再開したのだったが、俺は集中し過ぎてしまうところがあって、パソコン作業をすると、大抵3、4時間で気分が悪くなるのだが、それで横になったところ、そのまま寝てしまった。
そして11日の朝。あ、もう11日か。14日のイベント(『work for the public good』)のこと考えなきゃ。

『西山真来はなぜこうなってしまったのか』無事、全日程終了いたしました。ご来場いただいた皆さん、どうもありがとうございました。
さて、これを書いているのは9日の朝だが、6日、7日、8日のことを時系列に沿って。6日は本番二日目。客席からのリアクションが大きな日で、終演後、たくさん賛辞も頂いた。そして、一日、雪が降り続けた日だった。今回の公演は、窓を遮光せず、自然光を使ったものだったので、観客の方には、雪も美術として楽しんでもらえたと思う。綺麗な日だった。終えて皆で夕食を取り、バスで帰ろうと思うもバイクで良いや、と突然なり、劇場のあった三条から自宅方向、北へと進むにつれ雪は強くなり、眼鏡が凍った状態で帰宅。
7日。楽日。朝、テレビで映像が綺麗になったドラゴンボールが放映されていて、思わず見入ってしまう。それが終わって慌てて身支度をし、劇場に。集客が108人、立ち見の方も居ての大入りだったとのこと。終えて、劇場を元の状態に戻し(ほとんどそのまま使用した形だったので、すぐに終わる)、打ち上げに。二次会はカラオケだったが、芸達者が多くて愉快。朝、久しぶりに叡山電車に乗って帰宅。
8日。一日寝ていた。昼過ぎに一度起き、スーツを貸して欲しいという山本くんと西山さんが来て、それを渡し、少しして再び眠る。気付くと外が明るいのであれ、と思ったのだったが、もう9日の朝だった。暖かくて、穏やかな今だ。
思えば、昨年の夏前に偶然、西山さんの破天荒なプレゼンを兼ねた公演を観、ピンときて声を掛けたものの、出演するなどとは全く思っておらず、強引に舞台に上げてくれた西山さんに感謝だ。そして、ピンときた自分の直感を自画自賛したい。
例のプレゼン公演の後には、「西山さん一人で演れば良い」という声も多かったという。それはわからないでも無いが、彼女は一貫して人を探し続けた。とにもかくにも、その「加害」と表裏一体の「愛」を貫いた彼女に敬服するし、だから彼女は今回、告白によって好意と同時に憎しみも得たのではないだろうか。その表現者として美しく正しい(あんまり言いたく無いのだが、正しいって)姿に愛を。そしてそれと同じ感情を、共演者とスタッフに。
そんなわけで静かで暖かい朝だ。風呂が沸いたし、洗濯も終わったので、日記はこのあたりで。また新しい時間ですよ。
5日、『西山真来はなぜこうなってしまったのか』初日。
その前に、3日と4日のことから。時間に追われながら慌ただしく色々なことが確認され、そして変更され、実現され、といった二日間。良い時間だった。
そして公演初日である本日があり、それは午後4時に始まって、日が暮れ始める頃に終わった。母親と伯母が来てくれていて、終演後、保育士の仕事を終えた妹と合流し、会食。
良い一日だったな。『西山真来はなぜこうなってしまったのか』、明日6日、7日、それぞれ16:00、残り二回の公演です。7日の予約はもう難しいかもしれませんが、明日はまだ僅かに余裕があったと思います。当日券だと立ち見になってしまう可能性が高いとのことだったので、それはそれで悪く無い気もしますが、来場を考えてらっしゃる方は、リンク先の予約フォームを見てみてください。
それでは、劇場でお会いできる人は、劇場で。それ以外の方は、また此処でか、もしくはどこかでお会いしましょう。

さて、随分復調した体だが、目眩が少しあって遅れて稽古場に。この時期(本番直前)に遅れてくるとは何事か、とつくづく自分が嫌になるが、この年齢になると怒ってくれるような人もいないし、だいいち、怒られたくないし、粛々と自戒する次第。
掲載の画像は『西山真来はなぜこうなってしまったのか』の楽日、今月7日の一週間後、14日に催される『work for the public good』のフライヤーの裏面。ハトロン紙という表がつるつる、裏がざらざら、そしてわりと透ける紙を使っているので画像では感じがわからないのだけれども、実物は表の青が透けて見え、反対、表は掲載の画像の赤が透けて見え、となかなか作成者として出来に満足している。ぼちぼちと京都市内に撒かれると思うので、見かけたら是非手に取って頂きたい。
今日、帰宅後テレビで『まっすぐな男』というドラマを観、主題歌がトータス松本であることから、Twitterに、その主題歌は何故ウルフルズではないのか、コーラスも入っている楽曲だしウルフルズで出せば良かったじゃないか、ソロアーティストのほうがセールスに結びつきやすい昨今の事情のせいか、と勘ぐったpostをしたところ、そのドラマの主演である佐藤隆太とトータス松本のいわゆる良い話を得る。佐藤隆太がオーディションに参加したとある舞台で、音楽をトータス松本が担当していたらしく、佐藤は彼の後押しでそのオーディションに合格し、役者としてデビューしたのだという。そしてその時、トータス松本が、もしも君がドラマの主演をすることがあれば主題歌を歌わせてくれ、と声をかけたとのことだった。勘ぐって恥をかく、という典型的な例だ。ともあれ良い話で良かった。疑ってごめんなさい、トータス松本。
と、謝りつつもしかし、ウルフルズでない根本の理由が他にあったことを知る。初めて購入した邦楽CDがウルフルズの『バンザイ』である俺は、もうJ-POP離れしていた年齢の時にも『ええねん』というアルバムに感動したし(ベーシストのジョン・B・チョッパーの脱退、再加入にまつわるあれこれが込められていた)、だからこそ気にかかっての勘ぐりだったが、今調べて、そもそもウルフルズは昨年活動休止していたのだということを知った。そうだったのか……。
ちなみに初めて買ったCDはスキャットマン・ジョンのシングルである。
あと、Twitterによって思い出したことがあり、それはある方のpostによって、昨日のタモリ倶楽部で、どうやら役に立たない機械を作る、というような企画をしていたということを知ってのことだが、そういえば高専に通っていた頃、一年がかりでパスタを巻き取る機械を作ったことがあったのだった。記憶が曖昧だが、エアーコンプレッサーによって動くピストンエンジンのようなものを、鋳型から始めて全部作り、さらにそれによって何かを動かす、というのが目標の通年の授業だったはずだ。俺はこの頃からあまり学校に行かないようになっていたし、5人か6人でグループを組み製作していたはずだが、なぜか、俺が機構の設計図を仕方なしに書いた記憶がある。とはいえ、不真面目な生徒だったから大した案も無く、とりあえずどこかで軸が回転すれば何かできるだろうと、そういう設計図を書き、それに必要なクランクなどは俺が欠席している間に作られたと思う。で、他のグループが船を走らせたりいろいろしている中、我々のグループはフォークを高速回転させる、という無駄なことにエネルギーを費やすことにいつのまにかなっていた。ちなみに、そのフォークはたしか、当時大阪に二台しかなかったという、水によって金属を切断するウォータージェットという機械によって作られたはずだ。今思うとなんだかいろいろと申し訳ない感じだが、ともあれ、それは完成し、結局「スパ王」を巻き取ったのだという。伝聞したかのように書いたが、発表の日も俺は欠席していたのだった。だから聞いた話だが、機械は見事に動作し、瞬時に全ての「スパ王」を巻き取ると、ベタンベタンとそれを床に叩き付け続けたのだという。こうして俺はその授業の単位を得たのだったが、翌年自主退学した。なんと下らない青春の思い出か。
ああ、長くなってしまったうえに下らない。下らないついでに書くと、「ほぼ日刊イトイ新聞」に久しぶりに「天久聖一の味写入門。」というコンテンツのバナーが掲載されていて、なんだろう、と見てみると、そのコンテンツが書籍化されることになり、それへの掲載の為に投稿者に連絡を取ったが、あとこの方がたのみ連絡が取れません、という、連絡を促す内容だった。ちなみに俺もこのコンテンツに掲載されたことがあるのだが、連絡は無かったので書籍には載らないようだ。まあ、そりゃあそうか。というのも、投稿し掲載されたのは、交通事故に遭い、血が出ているのに何故か笑顔で救急車に運び込まれた俺の写真だからだ。今思うと、何で載ったんだろう。そして何で投稿したんだろう。下らないなあ……。
もうさすがに閉じよう。明日は最後の稽古だ。今年は吉田神社の節分祭、行けなかったなあ……。
先月の29日から日記が滞っているのだが、月に一度通院している医者の予約を、この日の朝、1月、二度目となる寝過ごしによって再びすっぽかした俺は、じわじわと体調が崩れていることを自覚しつつ夕方、稽古に。そして30日、31日はすっかり体がダメで、多くに人にご迷惑をかけてしまった。わりと強い目眩が日をまたいで続いたのは珍しく、それはそれで辛かったのだったが、それのせいで迷惑をかけてしまうことが一番辛い。31日は、こりゃもう家に居たら貧乏暇無し、何かしてしまう俺だから、と医者の近い実家に帰り、一泊。日をまたいで実家に帰るのは随分と久方ぶりだった。わりと休めたものの目眩は続き、とはいえ本日は医者に行き、稽古にも行く。体を動かし続けたのが功を奏したのか、じょじょに復調にある。実家から自宅への京阪で2月の14日にあるイベント『work for the public good』で何をするか思いついたりも。ようやく人間らしい生活が戻ってきたのでこうして日記をしたためている。
と、まあいよいよ2月になってしまった。『西山真来はなぜこうなってしまったのか』、楽日である7日の予約はもう残り僅かとのことなので、ここ読んでらっしゃる方でご来場を考えている方がいましたら、予約、リンクを張っているブログを参照して頂くか、もしくは私にご一報ください。
何かいろいろなことを臥している間に忘れている気がするが、そして体がポンコツでご心配/ご迷惑おかけして、ったくよー、と死にたくもなるが(こういったweb上の日記に死だとかを書くと、妙にシリアスになるのはなんだろう。文脈や文体もあるだろうが、web上という書く場所の磁場も大いに関係があるとも思う。とはいえ、ここでの「死にたくなる」は、高校生がテストで凡ミスをおかし赤点になったときなどに呟くであろう「あー死にてえ」であり、っていうか、こんな注釈をつけていると、「考える人」の2009年秋号、「特集 活字から、ウェブへの……。」にある養老孟司のインタビュー記事で彼が、ウェブに載る文章を「明らかに反論を予想している」と明言した上で続けて、
反論を予測しながら書くとどうなるかというと、これは官僚の作文に近くなっていきます。しかし、用意周到な文章なんて、読んでいてこれほどおもしろくないものはない(笑)
「考える人」(2009年秋号)44ページ
と口にしたことが想起され、養老さんの本を読んだ事も無い俺だが、全くもってほんと……、とほほ。となるわけで、いやはや、まだ括弧の中だったよ、早く閉じよう)、とはいえ、明日は明日、どちらにしろそういうことだから、さて眠ろう。明日に備えよう。