February 2009
2月は短い。もう、終わってしまった。
やろうと思っていた事の半分も出来ていない気がする。実際できていない。ただ、別にやろうとは思っていなかったことをしていたりもする。当たり前だけど。
さて、日記だ。購入してあった「いましろたかし」の『デメキング 完結版 』を読む。「STUDIO VOICE」の今年3月号に映画化に際しての記事があったのと、それの表紙(工場地帯をスーパーカブで疾走) に惹かれて購入したため、作家のこと、作品のこと、共に何も知らずに読んだのだった。
だから、面白かったものの、なぜ完結させなければならなかったのかが良くわからないのだった。放っておいてはダメだったのか。『デメキング』は未完のほうが魅力的だったことに間違いはないと思うが、つまりはそれを避けたかったのだろうか。
夜、麩屋町で夕食。京極くんにもらったディナー券によってである。美味しかった。
帰宅し、帰り路にレンタルした『接吻』を鑑賞。ドキドキ。みなみ会館で観て以来だが、思いがけずDVDになるのが遅く、待望だったのだ。みなみ会館での上映を同居人が見逃していて、観ろ観ろと言いつつもパッケージ化されておらずやきもきしていたのだった。ようやくである。この日記を読まれた方で未見の方は是非観て頂きたい。万田邦敏監督による『接吻』、小池栄子主演! で、まあ、観終え、やはり疲労し、しばらくしてからの同居人の感想には驚いた。たどたどしい会話で記述が困難なためざっくりとなるが、つまりは男女間でこうも見方に差が生まれるのか、ということ。そんなの、当たり前ではないか、とも思われるだろうが、これ、うまく言えないから書く価値がないが、『接吻』におけるその差異は特殊だ。それもこれも、小池栄子の奇跡の名演が全てだが。やはり、凄い。凄い、というほかない。そして、小池栄子のあのあやうさを生む要因の一つが彼女の左利き、ということを確認。あの左利きが、不安定を生み出す。なんだろう、なんであんなことが可能なのか。おっぱいも全然邪魔じゃないんだよ。っていうか、要るんだよ。それがもの凄い。……凄い凄い、と五月蝿いだけだからもうよそう。
午前起床。昼過ぎ、フライヤーの入稿に。
帰宅して、ポートフォリオを作る。
浅めの夜、アトリエ劇研に『建築家とアッシリアの皇帝』を観に。美術や照明が良いなあ、と思いつつ観ていたのだったが、俺、劇場で眠ってしまったのって、過去に記憶にないが、気が付いたら終演していた。完全に俺のミス。失敗したなあ。よほど眠かったのだなあ。
で、帰宅してポートフォリオが完成。
Amazonから届いていた『ジャルジャルの戯2』を観て、寝る。以上。
久しぶりの晴天。昼に京都市美術館に。京都造形芸大の卒展が催されていて、そこで以前、俺が音響をやったパフォーマンスの変形バージョンが演じられることから、来訪。
ついでに全体を観て回る。自分はどんどん「美術」に興味を失っていると感ずる。
俺が音楽を提供したパフォーマンスは面白かったが、せっかくならもっととことん観てもらえる状態を作れば良いのになあ、と思いもし、ただ、俺も在籍していた母校の映像・舞台芸術学科の生徒というのは、そういったプロデュース面において、まったく無頓着だから、まあ、仕方無いというほかない。
昼食として、「グリル子宝」に初めて来店。ナイスオムライス。
帰宅し、デザインの仕事の作業を少し。
『死の谷’95』読了。これ、読みながら、そして読み終えてもなお終始感じていたことに、「俺、たぶん、これ読めてないんだろうなあ」という感触がある。読み終えて思うならまだしも、読みながらそれを思うというのはつまり、自身に決定的に何らかの論考が欠けているということを自覚しているのだと思う。読み飛ばしてでも読みこぼしでもなく、読めていない気がしたのだ。ただ、もしかすれば、これは「読めてないんだろうなあ」と思いながら読む小説なのかもしれない、という気も、全くしないわけではない。で、「読めてないんだろうなあ」という思いを抜きに感想を率直に言うと、ある程度、早く読める文体だが、時折その文体の美を崩すひっかかりが、はずしている気がしてしまう。お笑いでいう、すべっている状態に近い。ただ、それもまた、「ただすべっている」のでは無いのでは? と疑いながら読んでいたが、読み終えても答えは無い。あと、ハードボイルドな会話が、好きなのはわかるけど、矢作俊彦のクオリティの低い模倣にしか感じられない。これもなあ、俺がそう感ずるくらいだから、確信犯なのではないかとも思うのだが、結局はつまり、体質的な部分の抵抗が、そこの判断を鈍らせる。というのも、過去何作か青山真治の小説は読んでいるが、どれもその文章を好きになれないところがあるし、今は無き彼のblogの文章から、ほんとうに「ただすべっている」だけの可能性も俺には否定しにくいからだ。
ただやはり、それは結局、「「読めてないんだろうなあ」という思いを抜き」にしてのものでしかなく、肝心なのは「読めてないんだろうなあ」の不安感というか、闇というか、謎だ。何か光を見るには、彼の著作を読み続けるほか思い浮かばない。
夜、chikin と森山さんと会食。楽しかったな。昔の話をする、という行為のことを今度真剣に考えてみようと思う。
青山真治の『死の谷’95』を読み始める。
夜、京極くんがやって来てディナー券をくれた。
天気はすぐれなかったが、あたたかな一日。昼ドラを見て、連ドラの再放送を見て、「いけるかなあ?」と思いつつ洗濯物を干すという、主夫のような日を過ごしてしまう。
帰宅した同居人が「ポートフォリオを作ったほうが良いのでは?」と提案してくれる。そうよねえ。これまで話をもらうも、連絡がつかなくなったり、後で聞けば夜逃げしていたり、向こうの失敗を半分なすりつけられたり、webに無闇に希望を抱いている人に現実を説いてそれが無くなったり、大体、個人を相手にばかりしているから、俺が思う正当な金額をなかなか提示できなかったり、と、まあ、ある種、柔軟性に欠けた性格のせいで苦労している俺だから、何か紙媒体にまとめたものを作成するというのはワンクッション置けて良いかもしれない。
大体、個人サイトをこうしてデザインの仕事をやりつつ日記にしているというところがおかしな話なのかもしれない。もっとポートフォリオの要素に特化したサイトにすべきだとは百も承知だが、そしてもちろん寺山修司じゃあないが、どうも職業は自分でいたいという希望があり、それが強過ぎるのだろう。
じゃあ、仕方無いよなあ。欲望を捨てるくらいなら、はなからこんなわけのわからない生き方はしていないわけだし。
まあ、そんなことは良いや。点ではどうしても、極端な判断しか不可能だ。だから、線を描く。点の集合体を。どこをどう結んで頂いても結構だ。だとしたら、やっぱり「良い」だけじゃなく、「悪い」も口にせねばならんよなあ。この日記で具体的なものに怒ることはもうよそうかと思ったこともあったが、やっぱり出来得る限り正しく怒ろう。じゃないと、ダメだ。
考えれば、もちろんいろいろ言葉が溢れるが、やはりどれも思想家のようなそれ。そして、そういった類いは何か後ろめたさがある時、一気にメッキが剥がれる。人は絶対に、それが見える。結果的に騙されて、それでも気付かなくても、人は、見ている。「どちらにしろ」見ている……。
……このまま日記を続けると分裂を繰り返してわけがわからなくなるだろうから、そろそろやめよう。それはそれで良いかもしれないが、下げのある日記なんて嘘だが、でもまあ、わけのわからない日記はあとで読み返すと面白い反面、情けないのだ。何が情けないって、なんだか情けない、としか言いようがないが。……何の話だろう。いやいや、話とかじゃなかった。日記だよ。これは日記。かれこれ5年もの日記との格闘。今日のような日記が過去に何度あったか。何年か前にも似たようなこと書いてたりして。もう、ネジのピッチで前進していることを信じるしか……、って、このネジのピッチって話、たぶん2回か3回目な気がするなあ。
日記って、たぶん、「最低」は書いても「最高」は書かない。日記というより、言葉というものの性質のせいか。じゃあ、「最低」なんて別に書いても仕方ないから、「普通」の蓄積で「最高」を構築するしかないだろう。あれ、上と同じ話か。酔っぱらっているわけじゃないよ。日記を長年書いているとわかると思うんだが、時折こういった日がある。無意味に書いてしまうのだ。こういう日の日記をどう鎮めるかというと、大体、それを果たすのは尿意だ。一度、パソコンから離れて用を足して戻ってくれば、まあ、もういいやってなるのだ。本当に。
ああ、なんかオチみたいになっちゃった。いやだなあ。いやだなあ。
今日もまた全部消してしまいたい系の日記だ。消さないけど。こんなことしてないで『死の谷 ’95』の続きを読もう。
昨日、23日のことから。終日、フライヤーのデザイン作業。chikin の二人に見せると「良い」と言ってくれたので喜ぶ。
本日。ここのところ、早寝早起き。昼飯は、近所の焼肉屋で弁当を買う。390円。安いし、旨いから頻繁に行くため、店主が顔を覚えてくれる。片側二車線の道路(東大路通り) に沿った店だが、「お兄さん、いつもありがとうございます!」と、対岸にまで聞こえる声で言われ、少し恥ずかしい。昼間に頻繁にやってくる私服の男を、一体何者だと思っているだろう。学生かしら。
事務作業を少しと、訪ねねばならない場所に夕暮れ。
貼付けているのは、ここのところ聴きまくりの「METRONOMY」のPV。これ、良いよ。すごく良い。オフィシャルで出ている動画だから、消されることもないだろう。YouTubeで見て、「良いな、買おう」となるか、「タダで見れるから、買うこともない」となるかは、その表現者の立ち方に依るところが大きい。俺は端的に、オフィシャルに動画を公開しているミュージシャンを、正しいと思っている。「MONTY PYTHON CHANNEL 」などではそのことを明言していて、そこに皮肉も交えているところがいかにもらしくて良い。それはもちろん、英語で書かれているが、簡単に言えば、簡単に言ってしまうと面白くもなんともないのだが、つまり「3年もの間、勝手に俺らの動画アップしやがって。カスみたいな画質のそれを。俺たちは反撃として、貴重な最高画質のそれらを自らアップしてやる。勝手にアップしたお前らのしょぼいのはもういらない。で、せっかくタダでアップしてやってんだから、代わりに、そう、くだらないコメントとかそんなんはいらんから、俺たちの作品をパッケージでちゃんと買え」とのお言葉。
あ、ミニロトで1,100円当たった。早くこの日記で得しないかなあ。
早朝、起床。食事を挟みつつ、フライヤーのデザインのために資料を見たり、実際に制作したりしていたら夕方。
夕食を取り、また作業。雨で体調が良くなく、腰も痛くなって来たので寝た。
なので、今は23日の朝である。ここのところ、日記をその日付の翌日朝に付けることが多いが、経験上、日記はその日の晩に付けるのが良い。夜は、その日のざわざわが、ほこりとして宙に舞っているような状態である。その感じ、が、その日であり、だから、その埃の舞った空気を残すことに日記の真髄がある。ところが、翌朝には、埃は静かな眠りのおかげですっかり沈んでいる。朝から昨日の埃を舞わすこともないから、昨日はクリーンになってしまう。そういった類いのことは様々に言え、ほかのことにおいては大抵それは有益だが、俺が思う日記においてだけは違う。22日も、すっかり三行になってしまったわけだ。
ちなみに昨日2月22日は猫の日で、同居人の以前の飼い猫、瑠(りゅう) の命日でもある。さほど猫になど興味は無かったのだけれども、飼ってみると面白いものだ。なんというか、勝手なのが気持ち良い。たとえばりゅうは、朝飯が食いたいのに、飼い主が起きないなら、ただでさえ体が大きい猫なのに高いところに上り、腹に飛び降りて飼い主を起こす。完全な不意打ちだから、眠り、から突然、「うっ」と呻き起きることになる。そして餌をやればもう知らん顔である。退屈だと遊べと寄ってくるし、疲れたらどこかに行く。わかり良い。
それで見た目がちっとも愛くるしくなければ、嫌だなあ。かわいいから成り立つ生き方だ。かわいいって大事だな。かわいいは身を助ける。
19日のことから。街をうろうろ。夕方、小川珈琲で尾上くんと会う。卒制の合評、どうだった? という話。小川珈琲にその時居た店員さんがとても可愛かった。
20日。街をうろうろ。18時から、京都造形芸大で『美しい前歯 – Roads to Lebanon – 』を観る。レバノンへ思考を向かわせるということが、自分の内向になるということは、まあ、わかるけど……、という感じで、何より出演者の「曝される身体」としての脆弱さというか、ひ弱さに苛立ちを感じる。
夜、誕生会 in 我が家。楽しい時間。
21日。早く作業に取りかからなければならないフライヤーのデザインとはまた別のデザイン作業。夜、「陽陽食堂」に久しぶりに行く。
とりあえず今の俺は、難解な懸案についてもっと熟考してから口にする必要がある。何か一つ、クリアな具体を提示できる身体を精製せねばならない。それができていない。そのことへの自己嫌悪に近い感覚が、『美しい前歯 – Roads to Lebanon – 』を観た時の苛立ちを生んだのかもしれないし、今の余裕の無さの原因だろう。苦しくて、人に頼ることを私はずっと肯定してきたが、初歩的なことでつまらないが、つまり、人に頼る前に独りで苦しまなければならない苦しみを私は苦しんだのか。もっと、あるんじゃないか。そういうことだ。当たり前の、ことだ。
早朝、起床。なんというか、虫の居所の悪い日で、イライラしていたのだと思う。この日記を付けているのは19日の早朝だが、一日経つと、必ず昨日の苛立ちを纏った自身に反省する、それを繰り返す愚かな俺である。
まあ、そんなわけで夜まで大体苛々しつつ、夜、「秋葉館」から届いたメモリをPowerBook G4に増設。買ったままの状態でずっと使っていた愛機だが、ここのところ、webの作業をする上で、「Mail」「FireFox」、あとテキストエディタ、FTPアップローダーとして「Dreamweaver」は必ず起こすのだけれども、そうすると、コードを書いている際に、俺の打つスピードに機械が付いてこず、それがとてもストレスで、まあ、もう512MBのメモリなんかで本気で作業しているDTP、web関係の人も稀だろうから、周囲の環境がそうなってしまっているのは仕方が無く、それほど高価なものでも無いし増設するかあ、と。そんなわけで、今は1.25GB、PowerBook G4だとおそらくマックスまで上げている状態だと思うが、その環境でWordPressのインターフェイスをブラウザで使っている。かなり快適。写真が10,000枚以上入っている「iPhoto」もサクッと起きる。もっと早くすれば良かった。
元はっぴいえんどの鈴木茂が大麻所持で捕まったニュース。それはそれとして、鈴木茂の音源を扱う主要な大手レコード社が関連のCDの販売中止を決めたとのこと。岡村ちゃんの時も、というかかつて、そんなことあっただろうか? なんだろうこれは。文句を言われるのが怖いのだろうか。不戦敗でノーリスク・ノーリターンを選んだのか。音楽を扱っているのに? 音楽の歴史は、負け戦の輝きだったのではないのか。負けるにしても、確実に戦ってきたのに? っていうか、今回は戦いとか以前の話だよなあ。何をそんなに怯えているのか。甚だ不快だ。
なんだか、強い酒を飲みたいような、ただアルコールは薬のこともあってなるだけ控えているから、代わりに「The Mars Volta」の『The Bedlam In Goliath』を聴いている。大体、今は早朝だし。俺は破天荒に憧憬を持つが、決してなれない小市民で、だから音楽が必要なのです。今、凄いギターリフの連続。非日常の速度。要るんだ。それが、要るんだよ。
寝坊。ダッシュで大阪の森小路にある医者に。閉院1分前に着く。あいもかわらずの簡素な診察を受け、薬を受け取り、またダッシュで恵美須町駅に。
わけあって「対戦型演劇バラエティ・アドシバ! 」というのを、大阪に観に行ったのだった。医者に寝坊した時点で、「もう間に合わない」と思っていたのだったが、奇跡的に間に合う。芝居はシンプルに楽しめた。
その後、難波にあった串焼き屋で食事。共に赴いた孝学くん とcossi と。なんか、良い感じの店。京都にもこういった安くて雑多な雰囲気の、ぜんぜんオシャレとか良いから、っていう飲み屋があればなあと思う。
話は変わって、最近は自分をかなり追い込んでいる。というのも、例えれば、……俺は例え話が好きだなあ、あの、例えば、50メートル潜水に挑戦しているとしよう。まあ、息苦しいわけである。酸素が無いから。でも、もしもすれば、水中で呼吸する方法を会得できるのではないかという期待もあって苦しみに耐える。50メートル潜れば、それを獲得できるのだと仮定している。ただ、40メートルで顔を水中から上げるのか否かは、限界との会話による。無理な時は、無理だ。その時は出直して、訓練して、再度、挑む時期を待つわけだ。そんなわけで潜っている。夜のプール。関係ないけどR.E.Mの『Nightswimming 』という曲が大好き。で、夜のプール、いわゆる一寸先は闇だし、今、何メートル? だ。何してんのかも良くわかってないし。ただなあ、窒息死したら、再起は無いわけだよ。そこが難しい。
良くわからない話だな。やっぱりまた寒くなったなあ。雪とか。むー。
なんか、いろいろとボロボロというか……。
昨日、良い陽気で、風も温かく、「もうすぐ花見だな」などと思い、昨今のペラペラのJ-POP群はなぜか「あげろ! 上を見ろ!」的なことをやたらと歌うが、大体、私たちはそんなことを言われずとも向上心を持っているし、それと同時に今の状態を憂い、そして同時に幸福にも思うのだと感ずる。
帰る家があって、贅沢はできないが来客があればちょっとした食事を振る舞え、時折花見や海水浴に行ければ、それはそれで俺は「良い」。断じて、良い。薄型テレビもドラム式洗濯機も不必要だ。ビッグになりたいという幻想も信じない。
大体、昨日購入した「METRONOMY」のような素晴らしい音楽を、珈琲でも飲み、煙草を飲み聴ければ私はそれで良い。というか、それに関してのいわゆる「それ以上」は、さほどのものではない。音を鳴らすのが高級オーディオ機器であったり、珈琲豆が高価いものであるくらいだ。俺は今、「METRONOMY」を鳴らすONKYOのスピーカーが気に入っているし、「WORLD COFFEE」で買った一番安い珈琲も旨いと思うし、ラッキーストライクはいつもの煙だ。
そして、少し先の桜のことを考えて楽しい。
だが、問題は、帰る家も桜を楽しむ余裕も無い人々がそう遠くでないところに居るということだ。その日暮らし。あてもない。果てしない。彼らに「挙げろ!」などと誰が言う? うるさいよ。お前らは軽薄な唄を歌い、金を持って、勝手にわけのわからない天井に挙がってれば良いよ。そんな言葉は無意味だ。意味のある言葉を、吐けるか? そうしようと試行錯誤する人々は、ありあまる金など持っていない。
問題は、皆が桜を楽しみにしているかということだ。例えだよ? ある季節に咲く花である。帰る家に帰り、「少し」の先への不安があり、だけど何とかなっていて、だからこそ向上心を持ち、同時に今の幸福を知り、今の不幸を知り、正しいを思考し、動く。敏捷で無くても良い。動ける。その状態を与えられない人々は、ただただ怠慢なだけでは決して無い。全体的負の連鎖が生んだ虚ろな被害者だ。彼らに桜を思わせるのは、音楽でも小説でも映画でもなく、それ以前だ。しばらく暮らせる家であり、そう遠く無い未来までを想像させる金銭だ。そして明日を持ち得る今日だ。与えよ、されば与えられん。国よ、資本的「上」で「挙げろ」だの何だの叫んだり、空虚な贅沢を消費する人間のことはもう良いだろう。真摯な生活者、真摯に成り得るはずが、虚ろにのまれて闇を抱えざるを得ない被害者に、桜を思わせなければならないはずだ。それが成れば、全体的エネルギーは格段に上がる。
なんか、いろいろとボロボロというか……。
それを矯正するのは、一時的な按摩でなく、全体的筋力だ。
いろいろとのたまい、俺はどう思っているのか。具体性を持たない幻想を語っているのか。何を、しようと、しているのか……。どんどん思想家のようになりつつ自身を感ずる時もあるが、でも、やはりどうしても体言したい。身体で表したい。嘘が無いこと、そして可能性、「俺は本気であなたの苛立ちを解消したいのだ」。思い……。いや、動きが必要で、そしてその困難さは、身に染みて。
……そして「良い人ですね」なんて言われたくない! ただ、苛立ちが解消された様を見たい。
と、ここまでは俺が目の敵にしている中川財務・金融相の醜態を機に昼に書いたのだったが、ここからは夜に付けている。
夜、雪の中フライヤーのための写真撮影。出たとこ勝負だったからあれだが、まあいけるだろう。とりあえずデータのバックアップだけ取り、作業は後日。
深夜、「SHIENYO|紫煙葉 」の更新。
あまり睡眠を取らず、午前早くに目覚める。天気が良く、洗濯や部屋の模様替え。最中に宅配便。「METRONOMY 」の『NIGHTS OUT』。
これ、まあ、SNOOZERで2008年の年間アルバムのトップに選ばれていて、過去に選ばれていた、例えば「The Libertines」とかは良くわからんかったのだったが、これは大体アートワークが素晴らしいし、っていうか半分ジャケ買い。
で、かなり良い。イギリスかあ。なんか、出そうで出なかった盤なんよね。ニューヨーク界隈のあの感じとイギリスの流れの美しい融合。どっちも行ったことないから知らないけど(海外に実際に赴かねば、実のところはわからないというある種、常識的考えに対して反旗を翻していた大物は誰だったっけ?) 、それでもまあ、私の音の世界ではそういうファンタジーになっている。
これ、ほんと良い。2曲目の『THE END OF YOU TOO』とか、すごく好き。なんか、こういうことしてオルタナティブってくくりに入れられないのがほんとに素晴らしいよ。ナイス音!
で、まあ『NIGHTS OUT』をリピートしながら何やかやして、街で妹の誕生日プレゼントを購入し帰省。喫茶店「LOSCO」の跡に出来たインド人が経営するカレー屋で食事。ここ4日ほど、カレーばかり食べている。ほぼ、カレー。
いやあ、あたたかい陽気だったなあ。ただ、明後日、京都は雪が降るとか……。まったく金の悩みは尽きないよ。制作さんが欲しい。制作……。制作募集。mail@losco.jp まで。……や、なんというか、便宜上制作と呼称しているが、ある種、非常にマルチな人材を求めているのです。何を言っているのか不透明過ぎるが、ここではうまく言えないのだ。良い思いをさせられる確証もゼロだし。……難しいなあ。まあ、でも、ほんとに募集しています。
もう寝よう。一日でできる事って少ないよなあ……。
とても暖かな一日。
珍しく外食。帰宅して『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦 』を観る。俺のサイト、なぜか「ヘンダーランド」という言葉で、Googleのイメージ検索にかけると一番に出てくるのだが(以前、とある日の日記にパッケージ写真を載せただけ) 、画像を載せた当時、おそらく『『河童のクゥと夏休み 』に感銘を受けて、原恵一作品を見返していたのだったと思う。そんなこともあり、さらにテレビで放送もされていたのに未見であったのが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 』に匹敵する傑作と名高いこれを、なぜに見ていなかったのか。ただ、見始めると、ところどころ記憶にあるシーンもあった。だが、まあ、そんなことはよろしい。とてつもない精度の映画。ぼんやり観ていては見逃すところばかりだったろう。唸るカットの応酬に、美しい画。そして10回くらい泣きそうになる。素晴らしかった。クリアだった。
さて、それはそれとして、俺も俺の創作をしなければ。いつも何か書こうと思い始めるのは、春の夜の匂いがし始める頃である。日記を書いている今も、窓を開けて気持ちがよい。でもまあ、また寒くなるんだろうなあ……。
昼前、散歩。帰りに近所の焼肉屋で弁当を買う。雨で体調が悪い。
webやデザインの勉強。
それにしても、たとえば最近俺が作ったイラストレーターの方のサイト、同程度のものを企業がどの程度の価格で作っているのか調べたら、安く見積もっても40万、実質60万くらいではないだろうかということがわかる。なんだかなあ。まあ、労力からすれば、俺はそのくらいもらっても罰は当たらないだろうけど……。企業相手じゃないからなあ……。webサイトって、表象化していない部分が大事なのだけれども、そこらへんになると、素人目にはただの「文字列」だから、なんていうか、適当なこと言って搾取しているのではないだろうか。
しかし演劇のひとびとはなぜwebサイトにはお金をかけないのだろう。ほとんどのものが玄人目には残念なものである。いわば内蔵の部分において。見えないからなあ。見えないってのは、難しいなあ……。
まあ、そんなことは良いや。どんどん次だよ。同じところに長くいると、濁る。金銭を頂いている以上、webやグラフィックの勉強はライフワークだが、それとはまた別に次だよ。次を考えないと、濁る。濁るのは嫌だ。
今日12日は、ひたすた寝てしまった。そんなつもりは無かったのに、ただただ眠ってしまった。起きたら体がガタガタ。これほど無意味な睡眠があるだろうか。そしてそんなことに慣れてしまうのも危ない。
メールチェックをすると、いろいろ溜まっていた。なんだろう、ケータイの機種が悪いのか、ここのところ本当にケータイに着たメールを返すのが億劫だ。画面がさあ、小さいんだよ。やたらでかくても困るけどさあ……。ここのところ、ケータイに仕事関連のメールが着ても忘れちゃうから、そういうメールは全てパソコンに転送している。何か俺に用事がある方はmail@losco.jp にお願いします。そのほうが確実にわたくし、見ますので。
起きて、細かい仕事。それからフライヤーの仕事の構想を練る。
あ、そうそう。俺はケータイでネットを使う気には全くならないのだが、忙しい世の人々は結構ケータイでネットを見るらしい。そんなわけでここのところ新規で作っているものはケータイで閲覧可能なように対応しているのだが、今後、ケータイで閲覧の傾向は強まるのだろうなあ。『アロマロア エロゲロエ』の舞台中にあれだけQRコードについて語ったのだったが、自身はQRコードについて全く興味を抱けずにいた。みな、わりと使うのだなあ、あれ。いやはや。
ああ! またあごが痛くなってきた。ちくしょう!
昨日、10日のことから。「夕暮れ社 弱男ユニット 」へのインタビュー記事を「SHIENYO|紫煙葉 」に掲載すべく、とにかく文字起こし。録音した音声を聞きながらの作業なので音楽も聴けない。数時間かけそれを終わらせ、編集、推敲。あんなに時間がかかったのに起こされたものを読むと短くてショック。インタビューって、大変だなあ。それからひたすらコーディング。掲載できたのは朝だった。もう今後、インタビューは映像でやろう。映像を編集するほうがよっぽど楽だ。ちょっと、編集人が俺ひとりだと、コンスタントにインタビューを文字に起こすのは難しいし。
そのまま寝ずに、今日だが、フライヤーの仕事のために移動。特にこれといったことは思い浮かばず。昼過ぎ、帰宅して寝る。夜、それの資料を探そうと「Flickr」を巡ったり、スケジュールの都合上、フライヤーのための写真撮影は夜になることから、移動手段も限られるし、と近所をロケハン。「丸山書店」で立ち読み。「STUDIO VOICE」を買って帰宅。今回もまた、時間のゆとりが無い仕事だ。そんなにポンポンアイデアが浮かぶと思ってもらうと困るよ。丸投げしてくれるのは良いが、だとすると俺が売っているものは技術ではなく、センスなのか。だとしたら、もっとギャランティ、取らないとなあ。安請け合いは、負へのスイッチになりかねないから、気を付けないと。
ああ、「カンパニー・マリー・シュイナール」観たかったなあ……。カナダ発、っていうのが気になったのだ。アメリカの、北と南のことをもっと知りたい。なんというか、カナダは「アメリカの北」であり、ラテンアメリカは「アメリカの南」。どうしようもなく巨大なものを軸に、どう北と南は変容するのか。それが面白いのだった。ああ、観たかったなあ……。日本の小劇場とか、ほんとどうでも良いんだよ。貧乏くさいのはいやだいやだ。なんでもっと「かっこいい」を考えないのか……。
朝、掃除洗濯。webの作業を少しして、うとうと。玄関チャイムで起きると、「夕暮れ社 弱男ユニット 」の面々が。今日、「SHIENYO|紫煙葉 」の編集長としてインタビューをさせていただきたいとお願いしていたのだった。完全に寝起きで出迎えてしまうという失態。
勢揃いして頂き、インタビュー開始。大体、一時間半ほどレコーダーを回す。その後、雑談をして、午後10時半ごろ解散だったか。楽しかった。
それから孝学くん と「将月」で夕食。近頃俺が懸念している「web格差」という概念の話や、「mixi」についてなどいろいろ話す。
また家に戻り、同居人も含めて三人で話す。深夜4時にお開き。
眠いが、少しでもテープ起こし(実際はデジタルレコーダーで録ったのだが、テープ起こし、って言葉以外しっくりこない) をしておこうと、聞きつつタイプするも、開始5分で挫折。これ、「SHIENYO|紫煙葉 」の編集長として初めて編集長らしい作業だが、テープ起こしは編集長の仕事じゃないのではないか。でも、編集人は俺だけ。ちょっと、とりあえず聞こう、聞き直すところから始めようと聞く。って、聞くだけで1時間半かかるのを起こすって……。だから、先に編集からする事に決める。雑談まじりなので、音声ファイルの編集をしてから、文字起こしをし、そこからさらに削ることにしよう。後半なんかはなかなか面白い。きっと良いものになるはず。ああ、今月、予定している作業全部終わるかしら……。
しかし人と良く話した一日。楽しかったなあ。「夕暮れ社 弱男ユニット 」、良い集団になったなあ。羨ましい。
とりあえず、もう寝よう。
映画が観たいなあと思ってバイクで白川通りのTSUTAYAに向かった。丸山書店の前を通ったので、立ち寄る。「装苑」でも買おうかと思っていたら、「STUDIO VOICE」がラテンアメリカ特集だったので、気にかかる。『シティ・オブ・ゴッド』は面白かったし、「CSS」は良いし、なによりラテンアメリカ文学の偉大さのわりには、その規模が大き過ぎるがゆえに俯瞰の困難なその土地土地のことを知りたかった。「よし、これはキープ」と決めて併設してあるCDショップに行くと、「HERCULES AND LOVE AFFAIR」というバンドのCDのジャケットがすごく良くて目に留まる。なにやら、DFAから出ていて、またもニューヨーク発らしい。すごく気にかかるが、保留。
欲しいもの全部買ったらちょっと金銭的にまずいし、大体俺はTSUTAYAに行くのだった、と思い直し、何も買わずにTSUTAYAへ移動。「『ハプニング』面白いかなあ、うーん、なぜかここは吉田喜重がたくさんあるし、観たほうが良いかなあ、や、『シティ・オブ・メン』は、なんかダメな気がするけど実際どうなのか」などと逡巡しているうちに面倒になって手ぶらで帰宅。帰って「HERCULES AND LOVE AFFAIR」のMySpaceを覗くが、まあ、無くても良いかなあ、と。代わりに「!!!」や「Gang Gang Dance」を聴きながら、ちょっとした資料とノートをまとめる。
そういえば長年、放置してあるmixiをどうしたものかと気がかりだったのだが、外部のものもfeedを入力すれば、更新状況が反映されるということを知ったので、それを試す。ああ、なんかmixiやってるっぽい感じになったぞ。やってることは何も変わらないが。
9日になるころ、帰宅した同居人が相模くん と偶然会ったということで、「MICK」に。思い出せないようなとりとめのない話を深夜4時過ぎまで。やっぱり「MICK」は良いな。なんか、治外法権な錯覚がして。
細かいwebの仕事。なんとか今抱えている仕事が終わってエアポケットが出来るまでに何か創りたい。自由ゆえに布石を置き続けることがライフラインだ。
webの仕事というのは正直、見限っているところがある。中途半端なwebサイトを持つくらいならば、その時間や費用をblogサービスの勉強に費やして、良いblogサービスを利用すれば良いと思う。そのほうが、よっぽど体裁が良い。すでにこういった考えは一般的になりつつあると思っているのだが、この傾向がさらに進むと、webデザイナーというものは、大規模な、企業向けサイトを作る人間と、インタラクティブなものを制作するプログラマーだけになると思う。あとの人々は、簡単にしっかりとしたものを制作できるツールを手に入れ(もちろんそのツールを誰かが作るのだが) 、必要なのはグラフィックデザイナーだけになる。こうして資本はそのツール制作者に一点集中し、小さなweb制作者は仕事を失う。
今後、こうならない理由が思い浮かばない。良いか悪いかは別にして、それは流れだ。
そして、それに抗うための方法を考えているweb業者は多いと思う。ただ、俺はそれはどうだって良い。端的に言えば、そういうことが見えているものの、それに抗う方法を考えることに全く興味が無い。
そんなこたあ、どうだっていい。そのために布石を置かなければならないはずだし、学ばねばならない。
そんなことをのたまっている俺は、今日「ビックカメラ」で電化製品の山を眺め、「わあ、Blu-rayってDVDに比べてこんなに綺麗のか」とか、「こういう高価い炊飯器で炊いた飯は本当にうまいのだろうか」とか、「電動ハブラシって良いのかな」とか「iPod Touch欲しいなあ」とか思い、それを尻目に手ぶらでぼろい木造一軒家に帰宅。金があったら、何か買ったかもしれない。それってなんだろう。家のテレビは右上に「アナログ」と表示されている。何だよ。どう考えたって馬鹿にしてるぞ。くそう、と。これは分裂ではない。両義的なだけだ。面倒だな。もう、こうなったら徹底的に見て考える人生にしてやる。金はついてくる、たぶん。……。
また『銭ゲバ』見逃した。
昨晩、『まほろ駅前多田便利軒』を読了。おもしろかった。詳しくは「SHIENYO|紫煙葉 」の「今日の芸術」に書いてあるのでよろしければ。
チュートリアルの徳井と夏川結衣がなんかマジで付き合ってるっぽいっていうニュースにちょっとした精神的打撃。
久しぶりに『探偵!ナイトスクープ』を見たら、58歳のニューハーフの母乳でバターを作ってパンに塗って食べていた。すげえな、ナイトスクープは。
もう終わってしまった『痛快!エブリデイ』の月曜日は、午前中から無法地帯を作り出していた一つの奇跡だったのだが、なんか、『○○!カタカナ』は凄いね。
ごちゃごちゃ五月蝿い連中を圧倒的パワーでねじ伏せる。そしてその「パワー」ってのが権威じゃないのが良いよ。これだよなあ。
ちなみに写真は、我が家の猫、もきちをデザイン演習に利用しているのだが、下に書かれたラテン語は「自分自身を知ることが知恵の始まり」という意を示している。もきちを知る人は、「何を言うか」と思われるだろうが、あれだけ色に囲まれて美しく写るのは動物の成せるわざだと思う。
昨日はこたつで寝てしまった。風呂に入ろうと思ってこたつで風呂が沸くのを待っているうちに寝てしまった。
起きてなんやかや作業や調べごと。で、昨日買った『はじめてのラテン語』を読んでいるうちに再びこたつで寝てしまった。
起きて大慌てでカブに跨がり移動。なんか、やっぱり俺の、いや父親に借りているカブの調子は芳しく無い。98ccにしては遅いよ。それでもまあ、20分くらいで目的地まで。焼肉を御馳走になる。ありがとうございました。
雨が降り始めたので早々に帰宅し、『まほろ駅前多田便利軒』を読み始める。断章の一つ目を読み終える。まだ今ひとつ面白さがわからない。
最近、「悪い事をする」ことへの想像力が皆無なことに気が付く。なんだろう。「悪い事をする」というのは、非常にエネルギッシュな行為だ。なにしろ法に背くのだから。
最近、ちょっと「良い人」に成り過ぎている気もしなくはない。別段、「良い人」だと言われた覚えもないが、自覚はある。
いわゆる「良い人」ってのは、先天的によっぽどの人で無い限り、どこか嘘をついている状態だ。罵詈雑言を呑み、笑顔を絶やさない……。や、ちょっと書こうとしていることとずれているな。端に「悪」の色気が恋しいだけなのか。
ある側面では俺は非常に「悪い」し、「怖い」部分もある。
……今日は珍しく何が書きたいのか自分で把握しかねている。ただ、恐らくだが、どうやら今の自分の何かに大いに不満があるらしい。なんだろう。
そもそも今どんな路を進んでいるかも不明なのに、脱線への憧憬があるのだろう。……そういえば『脱線3』っていうミュージシャンが昔いたよね。
我が家の猫、もきちにひっかかれた傷が痛い。なにしろ、爪と指の隙間!
ようやく晴れたので掃除洗濯。
夕暮れ、白川通り沿いの丸山書店に。大西英文『はじめてのラテン語』を探しに行ったが、それは新書だったのだけれども、新書の品揃えがそれほどでもないから、無いかしら、と思っていたらあったので喜んで買う。理由に思い当たらないが、とつぜんラテン語に興味が沸いたのだった。幼い頃から英会話教室に通っていたのに英語が不得手な俺は、ここのところwebの関係で海外のサードパーティのサービスを使ったりするから英語が「読める」ようになりたいのだが、それはラテン語に興味を抱いた理由にならないと思う。だって、英語で無くてラテン語だもん。日記の上の部分にラテン語の、いわゆる格言を記述しているのも、自分でなぜだかあまりわからない。でもまあ、そういうことって、時折あるのだと思う。たぶん、ラテン語を学ぶと良いことがあるよ、というお告げだと思って素直に勉強しよう。
写真は、丸山書店で思わずジャケ買いしてしまった三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』文庫版。長年ラッキーストライクを愛飲しているものからすると、無条件に嬉しい。三浦しをんという作家の作品は読んだことが無いのだが、帯に由れば直木賞受賞作だという。直木賞作品を読むのは何年ぶりか。意識せず古い直木賞作品を読んでいるかもしれないが、比較的あたらしいものは読んだ記憶が無い。面白いかしら。
さらに冬目景『イエスタデイをうたって』の6巻! これ、読み始めてかれこれ10年近く経つのではないか。ついに主人公が就職した。別に、がんばって就職する人の漫画ではないのだが、なんとなく、「ああ、ついに」と思う。読み始めた頃は割合年上だった主人公に追いついてしまった。ずっと終わんないで欲しいなあ。
夕食は海老である。同居人がバイト先の方から頂いてきたのだった。来客とともに鍋にしておいしく頂く。鍋にはchikin 『豚』の野菜ゲームに登場した玉葱も。おいしく頂く。
作業が溜まっているから、このままだと後がつかえるし、どんどんこなしたいのだけれども、ここ3日ほど体調が優れず、パソコンが見たくなくなる。それでもまあ、深夜に少し集中してwebの仕事を一つ。IEで不備が無いことを確認してほっとし、今日記を付けている。
はやく花見したい。
節分。ということで、例年足を通わせている吉田神社の節分祭に。
もう、3年目になるかしら。恵方巻もまた、例年この日だけ訪れるお店にて。あいにくの雨だったが、午後8時頃には傘がいらない程度の霧雨で、露店も含めて祭は賑わっていた。フランクフルトと、去年も繁盛していた店でたこ焼き。
しめ縄などを燃やしてもらう。盛大に燃やされ始めるのは午後10時からであったため、同居人も含めそれほど体調も良く無かったし、雨もあり火を見ずに帰宅。
今年の恵方は東北東でした。
右上に貼ってある画像は、何の意味もありません。俺が、たぶんchikinの小道具だったと思われるアフロを被って、携帯で撮影してもらった写真を加工している。サイトを新しいデザインにして、どうも殺風景だから、それに何と言うか、グラフィックを作るのは趣味だし、この白いサイトにポスター感覚で貼っていこうと思って。
ある照明家の方のblog が好きで時折閲覧しているのだが、というのも、写真がとても良いし、文章も優れているからだが、面識の全く無い方のblogに関わらずそこに書かれていた薄利多売の罪に関する記述にとても納得する。ここからはそれを糧に俺が勝手に思ったことだが、薄利多売というのは言わずもがな、巨大なシステムが「勝つ」に決まっている仕組みである。絶対に。ただ、表現は工業製品ではないから、と、今の記述は別段、表現を崇高なものとして言っているのではない、だから、そこに「適正価格」を生み出すのは、社会性を伴った論理に委ねられる。そしてその「適正価格」を成立させないと、持続は不可能だ。ほとんどの表現を志す者、は、よっぽどの幸運がない限りここに盲目でくじける。そしてここに同情の余地は無い。
この挫折は、人をどうするかといえば、ねじ曲げるだけではないだろうか。古くからある種類の不幸だが、その形態は変容し、現代のそれは極めて醜悪な様相を持っていると思う。そして、その不幸は大量生産の仕組みができてしまっている。だからって俺が何をするかといえば、俺と、身の回りのおもしろい人々に不幸が訪れぬよう、武装するだけである。「SHEINYO|紫煙葉 」も、今はまだ冗談にもならない程度の力しか持さないが、そういった目論みから生まれたのだと思う。申し訳ないが俺はとても迷惑な奴だから、日頃から周囲の方々に迷惑をかけ通しだが、そのぶん、困っている時に助けられる力を付けたい。助ける想像力を。鬼は外、って言っても鬼は無視だから、やっぱがっぷり四つから逃げれんよなあ。
昼まで寝てしまう。溜まっている仕事、作業をどんどん済ませていこうと思うも、同居人が久しぶりに暇となったし、と思い、「weekenders」に。それから、「WORLD COFFEE」に行き、コーヒー豆を買って帰宅。
夕食を取りながらテレビを点けるも、何も見たいものが無くてショック。孝学くん に借りた「ガキの使い」の、楳図かずおに関する500問のクイズのやつの録画を観る。楳図かずおが何故赤白ボーダーが好きなのかというと、それは海賊が着ているイメージであり、楳図は海賊に憧れているからだ。松本人志が、休憩中に楳図さん好きだから家に遊びに行きたいんだけどなあと話していたのがなんか良かった。皆、作品に影響を受けたのだなあ。
びわ湖ホールで催される「カンパニー マリー・シュイナール」の来日公演を観たいが金が無い。むー。しかも、演劇には良くある「25歳未満」の割引も、もはや適用外の俺である。むー。
箇条書きの日記だが、次に2003年のニュースの引用。
米上院は9月30日(米国時間)、ファイル交換に関する公聴会を開催した。いつもであれば音楽業界のロビー団体が発言を行なうところだが、この日は、2人の人気ラッパーがそれぞれの意見を述べた。
全米レコード工業会(RIAA)は、一致団結してファイル交換に対抗している。ところが、ラッパーのLL・クール・Jとチャック・Dはファイル交換と音楽業界への影響について自らの率直な意見を述べ、2人の見解は真っ二つに分かれた。この2人が証言を行なった上院政府活動委員会は、ピアツーピアサービスを利用したファイル交換がエンターテインメント業界に及ぼす影響を調査している。
<中略>
まず、LL・クール・Jが次のようにまくし立てた。
「エンターテインメント業界の人間は他の米国人と同じように、正当な労働に対して正当な報酬を得る権利があるか? これが私からの最初の質問だ。建設業者がビルを建てた場合、その業者が成功したからといって、金も払わない人々がそのビルに引っ越してくることが許されるだろうか? 彼らをそのビルにタダで住まわせるなんてことができるだろうか? 私が制作したアルバムや映画が地球上に無料で広まっていくときの心境もそれと同じだ」
LL・クール・Jによると、このところ、自己最高のヒットが続いているにもかかわらず、楽曲の売上は徐々に落ち込んでいるという。
「アーティストは米国の文化の中で、とてつもなく大きな役割を果たしている。われわれは夢をかたちにしているんだ」とLL・クール・Jは述べた。
LL・クール・Jによると、たとえばスタジオ演奏専門のドラマーなどは、違法ファイル交換で深刻な影響を受けているという。「彼は私と違って、稼ぎはそれほど多くないし、映画やトークショーの仕事もない。彼にはドラムしかない――それで食べてるんだ。(海賊行為をされると)このような人々は生きていけない」
「私はテクノロジーやインターネットを否定しているのではない。ただ、合法的な方法で音楽をダウンロードしてほしいと願うだけだ」とLL・クール・Jは主張した。
一方、『パブリック・エナミー』のリーダーであるチャック・Dは、音楽業界のやろうとしていることを激しい口調で糾弾した。
「テクノロジーというのは恩恵ももたらすが犠牲も生むもので、音楽業界だってそのことは知っているはずだ」とチャック・Dは述べた。「馬の蹄鉄を作っていた人たちは、おそらく鉄道車両メーカーの登場に動揺しただろう。(新しい産業に)輸送手段の主導権を奪われたのだから。そして、鉄道車両メーカーも同じように、航空業界に対して腹を立てたはずだ」
「テクノロジーは芸術の幅を広げるものだと思う。要は適応できるかどうかの問題だ」とチャック・D。
チャック・Dは、「黒人ミュージシャンの80年にわたる歴史を代表して意見を述べるなら、私は著作権が保護されていると感じたことなど一度もない。私はキャリアの大半を、弁護士や会計士、企業のお偉方から逃げることに費やしてきた。総じてこういう連中のほうが、ファイル交換をしている人々やピアツーピアサービスよりもずっとろくでもないことをしてきた。このような企業の上に立つ人間に比べれば、消費者のほうが信用できる」と述べた。
「レコード業界の行為は偽善であり、業界の音楽に対する支配権は共有されなければならない。私にとって、ピアツーピアは『人々に力を与える』ものだ。権力の偏りをなくすこと、これが重要なのだ」とチャック・D。
俺はHIP HOPに対して造詣が浅いが、それでも何となくLL・クール・Jよりチャック・Dのラップのほうが好きなのだった。そして上のニュースでそれぞれの発言とされている言葉を見ても、やはりそうである。
5年以上まえのニュースを今とりあげて何だというのもあるが、今日Public Enemy を聴いていて、そういえばチャック・DはWikipedia によると、
また、アルバムをMP3フォーマットで(この形式がほとんど知られていなかった頃に)リリースした最初のミュージシャンであり、インターネット経由の音楽配信の可能性を切り開いた。
らしいが、詳細はどういったものだったのだろう、と調べていたところ、上記引用元を発見したのである。そうかあ。これもまた、メディアリテラシーの問題だ。
俺は「2ちゃんねる」のことも「ニコニコ動画」のことも全然知らず、チャットとかもしたことがないし、スカイプとかもあまり興味が無いが、それでもweb技術を学び続けた背景に、ある種、闘争の武器と成り得るのではないか、という勘があったのだと思う。いま俺は、あの、文筆で何一つ仕事をしてはいないくせに、だが、文筆業を目指す10代の少年と出会ったら、web技術を、そしてそこでのリテラシーを学ぶべきだと言うと思う。
うーん。考え出したらきりがないな。日記だから、そろそろやめよう。
旅行とか行きたいなあ。
カレーはうまい。
昼過ぎ、chikin 『豚』楽日、三回目の鑑賞。おそらく一番客入りが良かったのではなかったか。おぼろであった『豚』という作品の性質が大分わかってくる。
お客さんには知った顔も多々。賑やかでよろしかった。
俺がwebサイトの制作依頼を受けていた方も来場。その後、移動し我が家で話す。仕事としての話とは別に、表現の話になってしまうと、それは俺にとっては全人格にまで言及することとなるため、小手先の言葉では話にならない。その辺りに觝触することの迫力が共通認識でなくては、同じ地平に立てないだろう。ある種、覚悟と呼ぶべきか。それで色々な人のことを思う。例えば、高嶺格さんは、俺のような特に仕事を残していない若造にたいしても、本当に同じ地平で話してくださると感じて、だから尊敬しているし、慕っている。東京に行ったかつての仲間達も、今では時折しか合わないため、その迫力の相互関係は稀薄となったが、それでもやはり、いつ会っても気持ちが良い。
夜、chikinの打ち上げ。流れて我が家。もちろん、そういった迫力の共通認識というものは困難な事象のため、たとえばchikinと俺との間にそれは成立していないし、だけれども、付き合いが長いから彼女たちのそこへの覚悟は十分理解しているつもり。そしてその理解はじょじょに深まり、だから俺は今回、彼女たちの稽古場に行かなかったのではないだろうか。それは、もちろん、軟弱な寂しさは伴うが、きっと良いことだ。彼女たちが発し続けるならば、この状態は良いそれであり続けるだろう。
それにしても、chikinの打ち上げは例年、男子がいないから猥雑な話ができずさみしい。ちょっと「SHIENYO|紫煙葉 」の面々を集めて、猥雑な話がしたいなあ。これ、聞き役の女の子がいるともっと盛り上がるから、あの、や、何も無い。二月二月。