30|SUN
今月、2008年の11月は今日でおしまい。31日は無い。
昨夜から徹夜で作曲。朝少し寝て、昼前に右に掲載のポスターを印刷に。入稿だけ済まして帰宅し作曲の続き。もらったメールによればもう完成したとのことなので掲載しているが、できあがりはどうだろう。見ての通り赤にこだわって作ったのだが、実物はブラウザやパソコンの画面で見るのとは違うだろうし、どこかで偶然目にするのが楽しみだ。
ちなみに作曲には昨日からだけでもポスター制作の倍ほどの時間をかけているが、難しい。とにもかくにも金と時間がかかるのが舞台芸術だ。そして本番というものが、パッと終わる。アティチュードによっては相当粋だね。場合によっては限りなく無粋。まったく
夜に来客。テレビでやっていたたけしの特番は嬉しかった。
いよいよ金は皆無なのにやけに忙しい師走に入る。もう知らねえ。
……知らねえ、ってもなあ。2008年から2009年を綱渡り。と、なんとなく書いてしまうが、別に2009年も地平じゃないし、というか綱である。やらなければならないことが山積み。全部、自分の責任だ。価値観に、焼け付くようにスポットライトが照射されている。そういえば、そろそろ初雪があってもおかしくない頃だな。明日の朝は、冷えるらしい。
29|SAT
昨日の日記に
明日もがんばるぞ。
なんて書いてあるが、今日は音響で関わっているマイム公演のために朝から京都造形芸大に行かなければならなかったのだが、起きたら夜だった。ごめんなさい。そして体がガタガタ。
ちょっとがんばらないと、と思い作曲に取り組むも、全然集中力がもたず、意図的にやめる。で、ああそうだ、依頼のポスターのデータを明日までにまとめないと、と作業。
ところでWEBの仕事というのは定期的に話が来るものの、クライアントと会って話をしたら、大抵見送りになってしまう。無料のblogサービスがこれだけ溢れている中、それなりの金額を払ってわざわざ自身のサイト作るというのを選択するにはかなりの動機が必要で、俺はそこを揺さぶるようなことを言ってしまうからいけないのだと思う。とはいえ、それほど必要性が高いわけではないのならば、安いものでもないのだしblogで良いんじゃないか、と思ってしまう、そしてそれを率直に言ってしまう、このことについては、まあ俺の性格上仕方が無い。なので、もっと安く、そして簡潔にWEBを提供する方法を考えて、まあ、かなり主流になっているが、WordPressの導入というのをした。LabはWordPressで構築されているのだけれども、独自ドメインで自由にデザインでき、さらに骨組みさえ整えば、更新はクライアント自身がblogを書く要領でできるというもの。さらに、デザインは無料のものが大量に出回っているから、それを基に依頼の要素を組んで行けばよいわけである。更新費用もかからないため、サーバーのレンタル料、ドメイン維持費、そしてデザイン料のみで済むわけで、これはわかりやすくて良いだろう。
あと、WEBマガジンを創刊しようかという話があって、これはぼんやりと思っていただけなのだけれども、人と話しているうちに、ある程度の土着性と更新頻度、さらにクオリティの維持が可能ならばなかなか可能性があると思えてきて、さらに技術的にも不可能ではないレベルにまではきたから、具体的に動こうかと思うのだ。これはもう、個人サイトでは無いから、とりあえず色々な人と話すところから始めている。京都という場所で、あらゆる表現に関わる人、もちろん関わり方は問わない、そんな人々のためのWEBマガジンだ。もし少しでも興味がある方がいたら、mail@losco.jpまで。
28|FRI
午前中に起床し、昼過ぎから京都造形芸大へ。関わっているマイム公演の稽古場に。その足で家賃を振込に行き、続けて人と会い、再び大学に戻り、木ノ下歌舞伎の稽古場に。
帰宅し、猫のもきちを風呂に入れるとぐったり。移動の多い一日だった。
で、何気なく、俺がWEBを閲覧するのに利用しているのは「Firefox」なのだが、「Internet Explorer6」ではどうか、と、以前も確認してはいたのだが、それはもう、何気なく、 見たら、大きく間違ったことになっていたので愕然とする。以前、それを修正するための「ハック」と呼ばれるコードを書いたのだったが、また何か問題が発生していて、とても困った、WEBをやる人からは大変嫌われている「Internet Explorer6」は、ざんねんなことにシェアが未だに一位で、これはもう、これはWEBというメディアに公開しているのだし、という意識が働いてしまい、「もう風呂入って寝たい」と思いつつ、ひたすら調査。それは、恐らくWEBを作る人が俗に言う「float問題」というやつで、初心者の通り道なのだろうけれども、まあ、あれから勉強もしているし、と、以前「ハック」を書いた時よりも完璧に近い形で修正ができたのだった。と、思うが「Internet Explorer6」で閲覧していただいている方、どうですか? 何しろWindows環境ではないため、無料で、URIを入力するとそれを「Internet Explorer」で表示した際の画像(スクリーンショット)を見せてくれるサービスを利用して確認しているだけのため、詳細は不明であるし、そもそもページの下の方はどうなっているのか全くわからないのです。なんかわからんが、これおかしいんじゃないの? とお気づきの方はよろしければmail@losco.jpまでお願いします。あと、俺は今、非常にボーリングがしたいのだけれども、家賃を払って通帳の残高を見て、この通帳、盗まれても痛くも痒くもない、と思うほどにしか金銭を持っていないためボーリングを興じている場合ではないのだけれども、そんなこと言わずにボーリングしようぜ、という方もmail@losco.jpまで。
あーあ。何してるんだか。明日もがんばるぞ。
27|THU
午前7時前に起床。午後から雨だということで洗濯は見送り。
マイム公演用に作曲をしようと思い、とりあえず、と作り貯めていた曲を聴いているうちに「JAJAJAJARN」のサイトだけで音を公開しているのも効果的じゃないなあと思い、「MySpace」に登録することを思いつく。で、JAJAJAJARNのMySpaceはhttp://www.myspace.com/jajajajarnです。
MySpaceというSNSは普通の登録とアーティスト登録というのがあって、良くわからず普通の形で登録したら楽曲のmp3ファイルを公開できずやりなおし、さらにMySpaceの特徴としてmixiとは違いスタイルシートやHTMLを書き込めるとのことなので、せっかくだからとちょっとデザインに手を付けると、これがまあ、非常に不親切な作りとなっていて、大体スタイルシートが書けるったってどんなclassとidが指定されているのかもわからず、しかもidはいくら書き込んでも自動的に修正されて書き込みが受け付けられないことがわかり、結局「Firebug」というFirefoxのアドオンを使ってページの構造を調査しつつ暗中模索でスタイルシートを書く。まあ、こんくらいでいいやというところでやめる。6曲、フルで聴けるのでお暇な時は覗いてみてください。アクセスするといきなり音が出るから気を付けてね。
で、お気づきの方はかなり少ないと思うのだが、日記のフォントを変えた。これはまあ、スタイルシートの恩恵ですぐにできたのだけれども、どうだろうか。読みやすくしようと思ったのだが。
で、さらに夜、chikinの面々がやってきて、突然以前から考えていたサーバー移転をすることになる。これがもう、ふらふらするくらい面倒な作業だった。ブラウザってツールだけでどっか遠くで行われている移転作業を感じるのは限界があるから、もう、ちゃんと業者のサポートにメールで確認を取って教えを乞いやったにも関わらず不安で仕方なかったがなんとか無事終わったっぽい。
とまあ、なんとも残念なことにまごうことなきパソコンな日だって。で、疲れ果てていつのまにやら眠っていて今こうして日記を書いているのは明けて28日の朝である。
友人の女優二人、弓井ちゃんと岩澤さんが往復書簡形式のblogを始めたということなのでリンクすることにした。左サイドにも追加しているが、「ゆらり往復書簡」。
二人には俺の卒業制作の時にお世話になっていて、実はその時作りかけた映像作品が、二人のビデオレターによる往復書簡によって物語が進行するというものだった。結局映画は未完に終わってしまって、俺はその『YUMIKA』という企画を小説にて完成させたのだけれども、構想の大きさに思考がまったく間に合っておらず、こじんまりとしたものになってしまった。これについてはもう一度挑むつもりだが、こうして二人が往復書簡形式のblogを始めたというのは良い刺激である。往復書簡である時点で、すでに個人blogよりは面白いはずなのである。
写真は昨日の日記に書いた『Americo』だが、掲載するスペースが無かったので今日載せています。
26|WED
正午起床。なんやかやしていると、届け物。boidからAmericoのアルバム『Americo』が届く。ジャケットに思わず衝動買いである。
夕方に、音響で参加しているマイム公演の稽古場に。稽古場は京都造形芸大内だったのだが、作成した木ノ下歌舞伎のフライヤーが置かれていた。「お、できたのか」とそんな感じで知り、とりあえずもう撒かれているのだから掲載しても良いだろう。左のものがそれである。
そうそう。ところで、今日から一週間、「chikin-Podcast」を配信するために利用しているサービス「ケロログ」のサイト内の「話題のボイスブログ」にて「chikin-Podcast」が紹介されている。細々と一年やってきたが、全く話題などにはなっている気はしないものの、とにかく紹介して頂けてありがたい。
あ、で、稽古場に行き、とりあえず今回はかなりの曲数を作らないといけないことがわかった。曲を作って良いってのは楽しい。以前参加したダンス公演での音作りは、抑制に次ぐ抑制によって成立していたため、その反動というか、まあ、今回はとにかく数を作って消去法で組み立ててみるのも面白いかもしれないし、大体はそうすべきだが、幸か不幸か今回はそれをするに足る時間のゆとりがあるのだった。
そういえば昨日、宮沢章夫さんがNHKの爆笑問題の番組に出演されていたが、思ったのは、宮沢さん、声がかっこいいよな。俺は素っ頓狂な声だし、眉毛も垂れ下がっているので、ああいった風格に憧憬を持っている。とはいえ、この身体で生きていくわけだから、それに応じた風格の持ち方もあるだろうし、とにかく今は若過ぎる。そしてそれゆえに金が無くたって何とかなる気分でいるが、金が無いと金について考えないといけないのが億劫だ。ただ、どうせ考えるなら本気で考えようと思っている。そしてそれについてやんわりと動き始めてはいるが、とにかくその活動=面白い、でなければならない。無謀だろう。だけどまあ、既存の仕組みに納得できないのならば、全ての非難を受け止めて無謀を見つめるほかないじゃないか。
あ、もうすぐ今年も一月を切りますね。ようやく後厄も終わりだ。スーッと進めない。もう、ぐりぐり行くしかないよねえ。ぐりぐりにもスーッとにも年の瀬と正月はやってくるから、その時ばかりはもう、そういう気分に呑まれてしまうのが俺はわりと好きである。とりあえず、年を越すためにも金をどうにかせねば。って、つまんない締めになってしまった。
25|TUE
夕方に起きる。それから日付が変わる頃まで、テレビを見たり食事をしたりを挟みつつポスターの仕事。
そうそう、忘れていたが、一昨日「METRO」のイベントに出向いた際、「METRO」の二階「etw」も会場の一部だったのだが、そこで「TENORI-ON」を操作した。なんだかわからないが、置いてあったのだ。正確には記憶していないのだが、確かかなり高価なものだし、一体どんなもんなのかと触ってみると、思いがけず複雑だった。つまりは、かなりマジな電子楽器だったのだ。欲しいなあ。音響の仕事とか、ミキサーとか無くてもあれ一台でできんじゃないかな。どうなんだろう。
あーあ。ポスター作成で日付が変わってしまった。後は金にならない仕事ばかりが待っている。困ったな。
24|MON
昨日は朝からなんやかや。夜「METRO」に。 誘われて出演者を誰も知らなかったのだけれども「on-pa!08」というイベントに。聴き所はあきらかに「SOFT」と「DUBDUB ON-SENG」だったのだが、二組ともものすごいリズム隊で、「SOFT」のドラムはタイトでとても良かったが、「DUBDUB ON-SENG」のディレイの感じは、珍しく早起きの俺には吉と出るか凶と出るか、答えは、すごく眠たかった。
帰宅は朝六時頃。正午頃まで寝て、本日だが、アトリエ劇研で壁ノ花団『アルカリ』を観る。良かった。良かったのだけれども、そして『アルカリ』が何か関係しているとも言えないのだが、何か、最近演劇がちょっと嫌いかも知れない。何と言えば良いのか。とにかく今は演劇を疑っている。言葉が無いのが申し訳ないが。
Labに「WEBにおけるメディアリテラシーについて|Ver.1.0」を記載
22|SAT
昨日のことから。午後2時にしっかりとテレビの前に待機し、『結婚できない男』の最終話を鑑賞。ああ、夏川結衣は素敵。
午後七時、法然院へ。多和田葉子の朗読会『わたしはきのうみかんをぬすみたかった』。先ずもって、空間が非日常。声を、聞く。リズムと、思考の流れが表出する身体を、見る。すごく良かった。小劇場とかでやってる貧乏くさい演劇と比べてしまうと、豊穣さの桁が違う。空気が、艶やかなのだった。それはとにかく、そこにある身体に依るところである。素敵だった。
本日。朝から京都造形芸大に。音響で関わっているマイム公演のスタジオ実験に。なんとも緩慢な空気が流れていた。
夜、テレビ番組に触発されて今の俺の思うウェブにおけるメディアリテラシーを同居人に話すと、フラットな賛同を得ることができ、理解が深まり感触が生まれる。webにおける匿名での発言というものは、無意味に等しい。今日は断片しか書けないが、いずれそのあたりはLabにまとめよう。
それにしても携帯電話のメールがこんなに億劫になったのはいつからだろう。できれば全て電話で済ませたい。返信すべきものが溜まっていく。パソコンでフルサイズのキーボードを使ってメールをするのはさして億劫ではないから、全てはあの、「お」を打つのに「1」を五回も押す必要のあるユーザインターフェイスが原因だと思う。面倒なんだよなあ。まあ、でも、その他にも原因はあるように思うが。あれは多分、先天的に「まともな」文章を書くのには適していないものなのだろう。だから、携帯メールの派生系を生み出した俺よりも若い人たちは、端的にとても柔軟だと思う。アスキーアートなんかは今でもまだ少しバカにしているところがあるが、たぶん、それらについて語れる人の話を聞けば、思いは変わるんだろうな。
……と言いつつも、そういったことが予測できている時点でもう、そのことには興味を失っているのだけれども。
20|THU
いやあ、寒い。いよいよ寒い。誰か、コストパフォーマンスの最も高い木造一軒家の温め方を教えて下さい。
夕方に音響を担当しているマイム公演の稽古場に。帰宅して読書。梅田望夫『ウェブ時代をゆく』読了。一年前に刊行された新書だから、何をいまさら、な感もあるだろうが、同著者のベストセラー『ウェブ進化論』はリアルタイムで読んでいる。で、タイトルが今ひとつピンとこなかったので放っておいた『ウェブ時代をゆく』だが、ここのところwebにおけるメディアリテラシーについて真剣に考えていて、必然的に梅田の提言する「ウェブリテラシー」というもの知り、そして読むに至ったのだった。簡単に感想を述べると、先ず、序章で筆者自らが語る「オプティミズム(楽天主義)」が確固たるベースとしてあるうえで、極めて強固なロジカルで希望は紡ぎ出されている。そのうえで全体的に読者を鼓舞、啓発する文章が巧みなため自ずと「俺、何かすごいことできるんじゃないか」と思わされるであろう内容。ただ、ロジカルは強固だが、強固なだけに、ロジックをバトンリレーする走者、つまりは「課題」はその文章の軽さや面白さとは裏腹に、極めて実現の難しいものになっている。あえていえば、エリートに与えられるべくロジックがそこにはある。ところが、エリートになることは今の、そしてこれからの「ウェブ時代」においては、以前に比べ容易である、という飴もまた用意されている。まあ、とにかく巧いのだけれども、それだけに非常に読む意識をコントロールすることが大事な本である。
で、本の内容の感想はこんなところだが、『ウェブ進化論』の別アングルとも捉えられるこの書は、アングルが違うだけで、つまりは「とても親切な本」でしかなく、『ウェブ進化論』を読み、それを消化し、それからの時を過ごせば自ずと自分で知り得ることが、巧みな言葉で書かれているに過ぎない。と、いうことを知れたということが、この本を刊行されてから一年の後に読んでしまった俺の収穫である。
ただまあ、梅田もその文章の極一部で触れていたが、この本をオプティミズムというベースをとっぱらって読めば、これからまた別の新しい「格差」が生まれることが明白だという悲観のほうが、俺には脅威である。それはもう、オプティミズムなどとは言っていられないほどのネガを梱包していて、どうしてもそこに意識が行く俺というのは、イコール、人間の根源にある「ダメ」を無視できない、ということになる。とにかく「なんとかイズム」というフィルターを通さない目で見続けないとだめだ。だって、「ウェブ時代をゆく」人よりも「ウェブ時代をゆく人に巻き込まれる人」の方が圧倒的に多数であることは明白だもの。そしてつまりはそれを語る俺は、学ばなければならない人であることを、自分に言い聞かせることになるだろう。
ああ、なんかもっと軽い感じのことが書きたいなあ。そうだ。夕方にテレビの再放送で『結婚できない男』を見たけれども、やっぱり夏川結衣は良いなあ。良いなあ。
19|WED
早朝に起床したが、午前中は主にフライヤーとwebの作業。午後から街に出る。ちょっとした用事で出たのだったが、なんだか知らないが満身創痍で、もう歩きたく無いしふらふらだ、となり帰ってすぐに寝る。なのでこれを書いている今はもう20日になっている。全くなんだろう、この体調不良は。こんなことでは馬鹿になってしまいそうだ。
それはそうとして、未来のことを考えている。勝つつもりもないが、負けるつもりもないのだ。それは、言うのは簡単だが、果たして一体どういった言動が成り立たせる状態なのか。考えている。そして慎重に動こうと思う。無駄な失敗は単なる消耗になる。その時点で完璧だと思えることを試し、そして失敗した時に、ようやく失敗が何かを生むという現象が生まれる。25歳になって、何か、一度今の目線でしっかり見ておかなければならないことがあると思うのだ。抗うというほどのことでもない。ただ、モザイクを丁寧に除去したいだけだ。
18|TUE
17日のことから。夜、こたつで寝ていたらいつのまにかchikinの面々が居て、「Podcastを収録するから」と起こされる。収録。深夜、「丸山書店」に本を買いに行き帰って読書。
18日。家を掃除し、洗濯し、食器を洗い、本を読み、webの更新。深夜、フライヤーの修正をし、さらにwebの更新作業。
Macで、作業のために「Firefox」「Mail」「Photoshop」「Illustrator」「Dreamweaver」、で、カタカタキーボードを打っていても辛気くさいので「iTunes」、さらに場合によれば「iPhoto」「Word」、これらを同時に開きたいのだが、そんなことは愛機が耐えてくれない。道具なのだから、上記のものを同時に使用しても耐え得るものを持つべきなのだけれども、それはもちろん、経済的に今は不可能である。で、当然のこと、仕事としてwebやグラフィックデザインをやってはいるが、それで生活を安定させるのはかなり厳しい。そのことについて、俺はどう考えているのかというと、とにかく無茶苦茶考えている。果たして問題は、長期的に見た時にすべき行動と、短期、というより、今生活するため、の収入のためにすべき行動が相反しているという困った性質のものである。そしてそれは、俺の、たとえばwebやグラフィックに関するポテンシャルの部分が、良い感じに貨幣価値と結びついていないからだが、これは単純に俺の怠惰であり、何の同情の余地もないが、さらに言えば、webやグラフィックをしつつも、それが直接的にではないあり方で貨幣価値へと繋がる方法を模索しているという、かなり無謀なことを夢想している俺の思考に問題がある。ただ、表現者として行き続けるためには、現代において、この問題を抱え続け、何とか五里霧中を前進するほかないのだ、ということが、ここ5年くらいの思考の最果てにある。そこで即効性のある行為に、何かを犠牲にして、端的に貨幣価値を優先する行動を取る、ということがあるが、それを割り切れないのが俺であった。の、だけれども、さすがにそろそろ何かしらの折り合いは持たなくてはならないという意識が強くなりつつある。ここでどういった選択をするかは、とにかく全身全霊の知能を集中させ、導き出されたものによらなければならないのは明白で、それだけに今の俺は腰が重いが、それもまた矛盾をはらんでいる気もするのだから、いよいよもいよいよだ。
16|SUN
まだ日曜日は少し残っている時間である。14、15と日記が滞っていたが、遡って記述する。
といっても、ほんとに体がぎしぎしとしか動かず、ダメな時間だけだったのだが。風呂に入ると一時的に油を注した感じで動くといった醜態。14日の深夜に木ノ下歌舞伎のチラシに手を付ける。脳内でほぼできていたので、ただ具象化する作業。15日の早朝にはできていた。それからTSUTAYAにDVDを返却に行ったのだったが、到着が午前10時5分で、10時までならば返却ボックスというのに返すことができ延滞料も発生しなかったのに、アラレちゃんみたいな眼鏡を掛けた店員に、「5分過ぎてるんで」と冷たくあしらわれる。腹が立つことはしょっちゅうだが、苛つくということはあまり無い俺は、珍しくイラっとした。たぶん、徹夜明けで寝不足だったのが原因だったのだろう。久しぶりに苛ついて、「苛つく」ということのくだらなさを痛感。……でもさあ、返却ボックスに投函されたものを処理した後とかだったら作業上面倒だから断るのもわかるのだが、まだ作業ボックスの中身は手つかずで放置されていたし、「あ、はい」と言って受け取ってボックスの中身の山に放り込んでくれれば話は済んだだけに、そのやりとりと軋轢が単純に非合理的に思え苛立ってしまったのだった。大体さあ、……まあいいや。つまらない話はもうよそう。
15日もまた体がギシギシ。チラシのデザインの微調整をやったり。
本日、夜、チラシの件で、できたので打ち合わせ。ほぼオッケーとなる。あとは細かい情報等の修正くらいか。
で、ここからはもう日曜日が終わってしまった時刻の記述。
上記のDVDをTSUTAYAに返却に行き延滞料を支払い、CDを大量に借りて帰宅途中、家に帰って何か食うのも面倒に思い「なか卯」に。偶然、相模くんもいて、俺が『火の顔』に対する文章を書いていたことから(Labにある「破滅における邂逅へのプロセス」という文章)その話になる。相模くんは全然ダメだったとのこと。で、それは良くわかるのだった。「破滅における邂逅へのプロセス」では、実のところ作品に対する有意義な指摘は一切なされていない。『火の顔』を火種に、また別の何かを書いているのだ。ただ、日記では、今月11日に確かに誉めている。ここで難しいのは、「誉めた」時点で、とある何かを是なのか非なのか明言していると誤解されるきらいがあったこと。あえて言えば、俺は決して「是」では無い。ただ、俺の拙い言葉を使えば「非」にならざるを得ない「何か」を、感覚の語る「是」に従わせるために、何かアクロバティックな文章を書こうと思い、残したのが「破滅における邂逅へのプロセス」であるということ。あれがダメだと思った人を否定する気は全く無いのだった。実際、紙一重で俺も否定側にまわっていたことは容易に想像できるのだから。
それから相模くんが来年に伊丹のアイホールで上演する予定だという舞台の話を聞く。概要を聞き、大変なものに手を出したなあ、というのが率直な感想。ただ、いろいろな意味でそれは有効なのだろう。楽しみである。
13|THU
夜にお世話になっている舞台監督さんの誕生日会を我が家で。過去最高に人が集まった。皆を腹一杯にし帰した我が同居人はえらい。彼女は疲れて途中で眠ってしまった。
それにしても楽しい時間だった。皆、以前来訪してくれた時から、それほど長い時間は経っていないのに、それぞれ良い報告を持ってきた。各々が各々の選択で進んでいる。家主の俺は、お父さんのような振る舞いで、そして停滞しているのだった。問題はとても難しいが、それは俺のわがままを俺が容認しているからだ。俺のわがままを普遍化することができるまで、容認できることではないのに。
まあ、そんなことは今はいい。久しぶりに涙が出るほど笑ったが、それもまた過去の話である。
何か作ろうと思う。
12|WED
さてさて木ノ下歌舞伎のフライヤーをどうしたものかと悶々としながら眠り、起きると体がひどく調子の悪いままで、風呂に入ると突然血行が良くなったためか気分は悪いし最悪や、と思っていると行かねばならぬ稽古が始まる時間で、バイクでビューンと稽古場に、終わったらなかなか夜で、今日出さねばならんとしていた昨日撮影の使い捨てカメラの現像は果たせなかった。
夕食はもつ鍋。腹一杯になったら少し体調が快復したこともあって、うとうとしてしまった。
起きたら深夜。写真が現像されていないため、幾つか資料にあたってイメージを膨らませるほかなにもできない。そして依然、あごは痛い。
11|TUE
昨日の日記を書いていたのは11日未明のことだったが、どうも脳が混沌としている感覚があり、あまり良く無いと思いつつも日記を綴ったのだった。その後、だんだん頭のカオス的状況が悪化し、これは持病のパニック障害の症状の一つだとは認識してはいたものの、頭が意思から離れわけのわからない状態になるのはとても怖い。それで落ち着こうと音楽を聴いたりするものの、意味も無く聴いているものの歌詞が頭の中でリフレインしまくり、それに重なるようにそのことに焦る自分の言葉がさらに混沌を深める。結局、朝日が昇るころに少し落ち着き、もうまともな人々は働き始めるだろうという時間に眠りにつくことができたのだった。
午後3時からフライヤーのための写真撮影があったのだったが、3時4分にあった携帯電話への着信で目が覚める。大慌てで用意し、集合場所に行くと、疲れている、老けたと言われる。確かに全く覇気が無かったうえに、頭もストップしていたためぼんやりとなっていたが、とりあえず忘れ物をしなくて良かった。
そんなわけで電車移動しロケ場所に到着は夕暮れ。恐らく10分程度しか撮影しなかったのではないだろうか。とにかく撮るしかなく、幸いだったのは、被写体の三人が予想通り画になってくれる三人だと確認できたことである。
出町柳に戻り、京都造形芸術大学で『火の顔』という舞台を鑑賞する。初め体調が悪く、正直なところぼんやりとしてしまったのだったが、その作品は思いがけず良かった。なんというか、別に批判的な意味ではなくて、ある程度ぼんやりと見てしまったことが良かったのかもしれないと思う。何より、簡単に言葉に消化できないことが良かった。なんだか、良かったのである。とにかく、観賞後に「演劇的かっこ悪さ」が残らなかったことが、何よりも素晴らしい。
帰宅し、少し眠り、撮影した写真を確認する。たぶん、大丈夫だと思っていたが、やはり大丈夫だった。あと、デジタルカメラと並行して木ノ下歌舞伎の主宰である木ノ下くんに、レンズ付きフィルム、いわゆる使い捨てカメラを手渡していて、それでバシバシフラッシュを焚いて撮影してもらった写真はまだ現像に出していないため未見だが、今回はちょっと、あまり言うべきでないがパラダイス・ガラージの『奇跡の夜遊び』のジャケット写真を意識しているため、なんというか、荒い、猥雑な写真が撮れていることに期待している。
10|MON
街に出て、以前webサイト制作の話をもらった人の店を訪ねる。どう考えても依頼主の要望には答えられないため、そのことを長い時間かけ伝える。良く店にいらっしゃるwebショップを運営してられる人に君は真面目だね、と言われる。真面目というより、幾らお金もらえても無意味なことをするのは面倒くさいだけだ。
webを利用すれば簡単にお金が儲かる、ってのは言わずもがなだが違って、従来と同様、もしくはそれ以上に苦労することによって、「今までとは違った方法」での金銭の発生が期待できるというだけだ。そしてその「今までとは違う、金銭を発生させる方法」というのは、まだ探られ続けているが、ほんとうに進んだ人はもうそんなところは見限って、別の何かをしているのかもしれないし、していないかもしれない。そんなことを考えていると、以前買って置いたままのiPS細胞に関する本のことを思い出す。
あ、そういえば借りてきた映画も未見。こんなことを書き散らしている場合じゃないな。
ところで、左サイドバーの「また何かそして別の書くもの」にLabというページを追加しました。今はまだなんだか良くわからないサイトです。というか、ただのblogです。なんというか、メディアリテラシーの模索とかなんとか言ってwebであれこれすることが、ただ単に新しい経済システムに呑まれているだけの気もするが、それを疑うのはボスのいない敵と戦っているような不毛を感じさせる。それは大いに問題で、もっと思慮深くならねばならないが、そんなことよりも、あごだ。あごが痛い。顎関節症なのだけれども、あの、あごがカクカク鳴るやつ、以前行った整体が頭蓋骨を触ってくれるところで、ちょっとましになってたんだが、またあごがだめだ。あごを改善するべきだが、あごの改善にはわりと金がかかって、それなら散髪に行きたい気もするが、散髪すればさっぱりするけど、あごを改善してもさっぱりするわけで、問題はどっちのさっぱりを取るかだが、やはり、あごだろう。あごである。あご痛い。なにしろ痛いんだもんな。散髪しなくたってどこも痛くないしな。ただ、いまひとつあごが治らなかったらショックだよな。たいしてあご改善されへんかったし、散髪しとけば良かったってなるかもしれない。いや、でもやっぱりあごかなあ。何か、あの呪文を思い出した。ドラクエの、あれ。ベギラマじゃなくて……、あれ、ザオリク? だ。違う、ザオラルだ。だめだ。もうやめよう。
日付が変わってカート・ヴォネガットの誕生日。考えるという愉楽は、ほんとに諸刃の剣である。
9|SUN
毎日日記を書いてはいるが、「また何かそして別の書くもの」と称して(ちょっとしたパロディなのだけれども)別の感じで書けるページも作ろうとサブドメイン(http://○○○.losco.jpといったようなもの)を作ってみると、そうだ、試しに「WordPress」使ってみようかな、と思い立ってしまい、手を付けたが最後、とても長い時間を浪費してしまった。なんか、サブドメインのルートディレクトリに導入するのが大変だったんだよ。WordPressの説明全部英語だしphpはわかんないし……。なんとか導入はできたけど……、大変なものに手を出してしまった気がするなあ。まあ、でも、2008年にwebやってますって言ってこの辺りがいじれないってなると良くわからない人だし、勉強だとは思うのだけれども、しかし余技でやっているのだから、つまりは遊んでいるだけってこととなれば、あほみたいにテレビゲームやって時間を浪費したのと大して相違ないと思え、ちょっと落ち込む。
深夜にテレビで『日はまた昇る 〜野村のおっちゃんが残したもの〜』という番組を観る。
8|SAT
なおも体調の優れない一日。多和田葉子の『犬婿入り』は息の長い文章で巧みに景色を歪ませていたのだけれども、今日読み始めた『容疑者の夜行列車』は歯切れのいい文章に、良い感じに乾いた叙情性が好みの小説である。「……川上弘美のほうが好きだなあ」などと書いて申し訳ない。
サイトの左の四角い画像のところに「WEBサイトの制作をお考えの方へ」というバナーを貼っていたのだけれども、「WORKS & REQUEST」というバナーに変更した。ただまあ、このサイトはとにかく「日記」なのであって、何か仕事を依頼して頂けると嬉しいが、まあ、余技と言えば余技なので、それらしくこれまでの仕事の履歴ページとして落ち着かせることにしたのである。
ところで、このサイトもVer.3(このVerからXHTML+CSSになった)になって半年を超えるが、Ver.4ではCMSを導入しようとサーバーの移転も済ませたりで、一応ここが俺のweb上のプラットフォームだからちゃんとしているつもりなのだけれども、稚拙(あえての、ね)な作りのchikinのサイトなんかがやっぱり楽しいというのは正直なところある。
特に『の88-23』の特設サイトは気にいっている。かなり乱暴な作りだけど、「WORKS」を整頓するついでに久しぶりに見てみたが、やっぱり、良いんじゃないかなあ、と思う。乱暴、っつったって、もっと酷いのは溢れ返ってるし、なんかこう、ナイスに遊べてるなあ、って単純に思うわけだ。ただ、やっぱりサイトってのはコンテンツなんだよなあ。大して面白くないものでも毎日更新すればそれなりに人は来てくれるのである。実際、「LOSCO」は「木ノ下歌舞伎」のwebサイトの2倍の訪問がある。chikinのほうは何だか知らんが安定しているなあ。やはりblogが動いているからかしら。
木ノ下歌舞伎のフライヤーデザインの案が固まりつつある。かっこいいのができれば良いな。
7|FRI
引き続き体調が優れずぼやぼやとしていた。
多和田葉子の『犬婿入り』を読むも、「……川上弘美のほうが好きだなあ」などと身も蓋も無いことを思う。
6|THU
昼過ぎに木ノ下歌舞伎の稽古場を見学する。幾つか案を起こしておいて、再度稽古場を見に行って決めようかな。彼らが稽古をしていた施設には知り合いが幾人かいたが、みな、色々やっとるなあ。
夜から雨。体調は優れない。少し眠り、トミーの家で鍋を馳走になる。おいしかった。
ところで、ザ・クロマニヨンズの『FIRE AGE』は良い。少年たちよ、聴けば良い。真空で燃えている火でも良い(俺は、拠り所の無い衝動や情熱を、「真空で燃える」と良く書くのです)から、燃えれば良い。確かな火は、大人が燃やすから。きっとそうだから。そして火は絶やさないだろう。だから少年たちは、背景も知識も無くて良いから、ただ燃やして欲しい。本当の火を、絶やさない大人がいなければならない。これは、25歳の俺からの、14歳の俺への、たぶんメッセージと呼ぶべきものなのかもしれない。今はもう、エネルギーとして活用できる火を、起こさなくてはならないし、受け継がねばならないと思う。それは何も、責任感だとかいったことからではないのだ。ただ、そうであるべきだと思う。
5|WED
毎日書こうと言った矢先に滞ってしまった。
昨日4日のことから。
正午に家を出、京阪電車で古川橋駅まで。ホームで待っていると着たのが3000系という新しい車両。K特急が廃止になり快速特急と名前を変えており、さらにダイヤも新しくなっていたため少々戸惑う。乗ってみると、なんだかモデルルームのようなモダンな趣きの車内。特筆は進行方向左側に一人用の座席が設けられていたことである。あれは良い。そこに座り快適の中、古川橋に。そこからバスで門真自動車教習所に。というのも、期限終了が迫っていたため気合いを入れて運転免許証の更新に赴いたのだった。いつも混雑のイメージだったがわりと人は少なく、スムーズに手続きを終えて、違反者講習を2時間受ける。違反者講習では「交通事故、それはおそろしい」と思わざるを得ないビデオを見せられ、さらに「飲酒運転、それは絶対にしてはならない」と肝に銘じてしまうような実際にあったというエピソードを教官から聞かされる。大体、次のような内容のエピソードを聞かされた。先ず、妻子持ちの男が飲酒運転で人身事故を起こした。そして被害者は死亡。さらに、加害者の男も死ぬ。結果、矢面には男の妻が立たされた。人の死であるため、金では解決できるはずもないが、その金すらもあまり無い。テレビに家具、家財を全て売っぱらって作った120万円などでは到底納得してもらえない。まだ小さい息子はテレビが見たいと泣く。もうだめです。死んでお詫びします。という、その悲劇の顛末にある妻子の死を、妻が決めた際の遺書が教官によって読まれ、なんだかわからないが俺たちはそれを聞かされた。
帰り路、何の関係もないが坂上弘の『交通地獄』のことを思い出しながら、医者に。さらに実家に帰り、午前様で自宅に帰ると、同居人が一月遅れたが誕生日プレゼントということで、以前から欲しかったRIKI WATANABEの掛け時計をくれた(写真参照)。まったく惚れ惚れするプロダクト。加えて高田渡の『バーボン・ストリート・ブルース』も頂く。ありがとう。
本日。金の関係でなんとなく先延ばしにしていたバイクに関するあれこれを済ます。
夕方、木ノ下歌舞伎の主宰である木ノ下くんと打ち合わせ。次の公演のチラシについて。幾つかのキーワードとイメージをもらったので、仕事がやりやすい。
夜、『装苑』の12月号、『僕の小規模な生活』の2巻なんかを読みながら、デザインのことをあれこれ考える。
もっと来い、仕事。
3|MON
夕方、アトリエ劇研に『犬は鎖に繋ぐべからず』を観に行く。面白かった。
その後、来客。
先月、わりと更新が滞りがちだったため、今月は毎日書こうとこうしてキーボードを打っているが、特に書くことは思いつかない。ただ、例えば書く事がある時だけ書けば、それはトピックだし、日記じゃない。書く事がないということも書いてこその日記である。そしてそうこうしているうちに、わりと埋まってくる。ただ、だから何だろう。自分で設けたメディアだが、4年続けても未だにそのメディアリテラシーを発見できない。
だいたい、この日記を書き続けてきて得をしたというのは無いと思う。むろん金銭は生まれないし、むしろサーバーを借りたりドメインを取ったりで小額ながらマイナスだし、時間は食うし、何らかの批判を書いて苦情を受けたりだ。
その動機に、プリミティブな欲望(そこにナルシシズムが含まれないというのは、冷静に見てそうだと思う)以外に何かあるの? と問われれば、ある、と答えるが、ただ、具体的なものは提示できない。
立川談春は師匠談志に、「お前はばかだけど、ばかでも日記だけは書いておけ」と教えられたという。
思えば、日記は単純に、自分を見るための代物だ。それをwebで公開しているということはつまり、他人の目という、この場合ノイズと言えるものを、受け入れるということだ。そしてweb日記は迷い、ざらついて、不安定になる。自分を見ている自分を見られる。変化し続けるその時の意識を、書き続ける。流動的なその意識を、後に俯瞰し、俯瞰される。
そこに、巧く言葉にできない意義を、少なからずは感じている。何はともあれ毎晩、自分と他人のことを一定の時間考える機会を設けるというのは、端的に良いんじゃないですかね。書く事無いと思ったのに、書き始めれば書けてしまうものです。この実感は、なかなか力強いというのも、ひとつあります。
2|SUN
ぐうたら寝る。夜、作曲。狙っていた音がわりとすぐに作れたため、スムーズに作業は進んだ。12月にある公演のための曲作りだが、とりあえず今日のこの曲を充ててみて、それによる変化からまた思考しよう。それまでの間に、依頼のデザインの仕事、新規のwebの仕事を進めて行く。あと、先日高嶺さんから叱咤された映像編集もせねばなるまい。
高嶺さんは現在、仙台での個展の準備をしているとのことだが、その『大きな休息』という名の催しは、いつもながらに、生身に切迫した問題を具象化しようとする希有な表現だと思われるが、その『大きな休息』のwebサイトの「趣旨」という欄に書かれた言葉に強く惹かれたため引用する。
「私」にはどうすることもできない、巨大なシステムに突き動かされている−これが、現代世界に生きる私たちの実感ではないでしょうか。システムは情報化・グローバル化した産業・消費のサイクルとして、またとどまることを知らない監視化と規則の徹底として現れているように思われます。その息苦しさに倦み疲れた私たちには、たしかに癒し、趣味、レジャー、ゲーム、グルメといった「娯楽」が許されていますが、それらもまたシステムによって供給される「小さな休息」にすぎないともいえます。このような時代に、「アート」とはいったい何でしょうか?アートだってしょせんシステムの一部にすぎない、とシニカルにつぶやくことは簡単です。けれどもこのようなアキラメの気分こそ、「巨大な力の前では思考を停止せよ」というシステムの指令を、もっとも忠実に実行する態度にほかなりません。この困難な状況のなかであえて「私」という領域に踏みとどまり、素朴であることをおそれずに表現し続けるアーティストのひとり、それが高嶺格です。今回の展示では、これまでの自作を振り返る機会をもった作家が、1.095m2(引用者注:1095平方メートル)という大きな空間と向き合います。この空間の中に設置される高嶺の諸作品を「明日のためのガーデニング」として、とらえたい。アートを「大きな休息」として、つまり私たちの心の庭を耕し、希望の種子を撒き育ててゆく営みとして提示したいと思います。
高嶺さんの公演『リバーシブルだよ人生は。』を観た時に、「次に繋がっているはず」と俺は強く感じて、それが今回の作品になるのではないだろうか、と推測し、仙台は遠いが、そして金は無いが、観に行くことを決める。
いわゆる「システム」に対して圧倒的敗者であるわれわれが、いかにして「生きる」のか、そのことを問題とせねばならんということを肌で感じていない表現者は所詮「アート野郎」で、どうだって良いわけで、そのことを根底に抱えている人々の出すものは、いくらぼろくても支持したいし、逆にそれが無い人間の表現は、表面的に優れていたとしても、空虚である。
何か少し、動き方が見えてきた気がする。
1|SAT
昼間に東大路通りを歩く。何となく在ることを知っていたカレー屋で食事。思いのほか美味なカレーが出て来て喜ぶ。食事を終えて叡山電車元田中駅の踏切に差し掛かると、カメラを手にした人々が目に入る(写真参照)。そこにいた男性に声をかけ話を聞くと、今日最後の運行の車両があるとのこと。しかも、その男性と話している時に出町柳方向からやってきた車両が、その最後の車両。何の思い入れもないが、便乗して撮影。さよならデオ600形。
帰宅し、web関係の収入があったため、色々のデータのバックアップを取るために様々なメディアを買いに行く。主にDVDにバックアップをし、ついでに古いDVDの整頓をしていると、引越す前にそういえば使っていたな、という外付けHDDが出て来たため、それにもバックアップ。夜は作曲をしようと思っていたのに、バックアップでかなりの時間が潰れる。バックアップの度に思うが、なんだか良くわからないものの、しておかなければならない時間がそれだ。そして同時に『忍法忠臣蔵 山田風太郎忍法帳2』を読みながらの時間。『忍法忠臣蔵』は『甲賀忍法帳』とは趣きが大きく違い、女忍者が荒唐無稽なエロ忍法を駆使するのを堪能している。エロ忍法への想像力の強さに感服。えらい。
思いのほか作業が溜まっていて、体調不良の月初め。不用意に眠っている場合じゃないな。