August 2011
昨夜はどうも眠れず、薬を呑んで間もなかったが、まあ大丈夫だろうとビールを飲んで寝る。大丈夫だったが、短い時間で目が覚める。昨夜遅くに仕事に関するメールがあり、進められる作業が増えたので、それをしていた。
15時頃、光テレビの工事の人がやってくる。地デジ対策をしていなかったので、今月初めに頼んだのだった。いろいろあって、予定よりずいぶん早く、そして世界陸上後半戦が始まる前に彼らはやってきた。
なんとなく、ソファに座り立ち会っていたのだけれども、二人組の彼らは先輩後輩で、やや小競り合いがあり、少し時間もかかりそうだったので、二階の自室に移動し仕事を再開しようとするも、当たり前のことだが、作業中だったのでWi-Fiが切れていた。仕方ないので、読み進めているミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』を読みながら待つ。
「何見てたんだよ! お前!」と後輩が何度も怒鳴られている声が二階にまで聞こえるので、我が家のテレビは大丈夫かしら、と心配になる。
無事工事は終わる。
注文していたヘーベル『ドイツ炉辺ばなし集』を拾い読み。
『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』は10枚進み59枚に。今月中に50枚と思っていたので、とりあえず目標は達成された。しかし順調だ。ようやく書き方がわかったのかもしれない。同居人に途中までを読んでもらう。おもしろいみたいで一安心。読みやすいとのこと。
もう30日かあ。9月になってもどうせ暑いのだが、とはいえやはり8月の終わりは夏の終わりっぽい。海にはクラゲも現れるし。あー、海も花火大会も行かなかったな。毎年、なんだかんだで行ってるのに……。送り火も見なかった。
『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』は昨日休んで、今日4枚の計49枚。資料が届くのを待っていたのだけれども、気にせず進める。タイトルが長いから変えたいと思い幾つか考えるも、「Ⅱ」に入り、なにかが見え始めて、浮かぶのはそれに縛られたものばかりになるというのと、思いついた単語「プロトコル」がいまっぽすぎて嫌なので、引き続き上のタイトルで書き継ぐ。いまはタイトルとこのくらい距離があるほうが良い気もするし。
世界陸上4日目。今日、面白かったのはジェームスくらい。しかし今年のトラックは記録出にくそうだなあ。
月末なので、金にまつわる雑務。計算は得意だが、金のそれを真剣にやると身動き取れなくなるので無視していると、大抵、月末に絶望的な気持ちになる。そうして4年以上が経った。
さて、そんなことより世界陸上だ。ハイライトはやっぱり室伏広治。メインキャスターの二人、フィールドリポーターの小谷さん、それから投擲種目の解説の小山さんも2年に一度、夏に会う人、みたいな親近感を抱いていて、小谷さんは安定した不安定が崩れないのがほんとに良い。で、小山さんの声の中観た、今年の室伏は顔から違ったね。すごい表情だった。なんか、あの顔と予選通過の一発で、これ勝つな、と思ったのだった。全投擲、凄かった。6回、あの投擲をした選手をいままで観た事がない。男子110mHは、結果的にはロブレスの進路妨害ということで全体が繰り上げになったみたい……、いまひとつ。女子400mはおもしろかったな。アリソン・フェリックスが経験に敗けた感じが、陸上っぽくて良かった。あと、女子砲丸、アダムス(ビリ)が、大会記録タイ。それも最後の、金が決まったあとの投擲で。そして三連覇。素晴らしかった。
『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』45枚に。5節からなる第一章が終わった。実際はローマ数字の「Ⅰ」としているが。
「Ⅰ」を通読するがわるくない。たぶん、「Ⅰ」がいちばん短いから、全三章で150-200枚になるだろう。
世界陸上2日目。いやー、キム・コリンズ、銅メダル。勝負巧者だねえ。俺としてはボルトの断トツを観るよりもこちらのほうが面白かったと思っているのだが(というのも、今大会でボルトが世界新を更新するのは難しいと思っていたので)、世間的にはボルトのフライングはがっかりだろう。でも、200mもあるしね、ボルト。MJの更新不可能と思われていた記録をやぶって、まだ伸びしろを感じさせていたのだからこちらに期待したい。夢の18秒代は観たいからね。あと、ベケレ。終わったね、時代が。でもジェイランに笑わせてもらった。あれは意地だな。ファラーもまた一矢報えず。ただ、可能性は出てきたね。あと、明日の女子400mは俺、アリソン・フェリックスだと思う。あと、110mハードルね。劉翔は北京五輪、世陸ベルリンと、苦汁を飲んでるから、復活を期待したいけどね。確かにコリン・ジャクソン、アレン・ジョンソン時代がいちばん面白かったとはいえ、今回も、ロブレス、劉翔、オリバーの順にロブレスの世界記録から1/100秒刻みで、つまり歴代世界最高から3/100秒の間にいる3人がいるんだから、結構な見物ってか、過去最高におもしろいはずなんだ。でもやっぱり記録じゃないところはあるんだけど。とにかく楽しみだな。しかし今年もTBSの中継は見事だよ。あー、時差があって深夜だったらもっと観られるのになあ……。
26日。思えば、25日から、コカ・コーラ クラシックとシャンディガフと水とアイスクリームと煙草だけだったので、そろそろ飯を食おうと外出を考えていた矢先に驟雨。あー、もうめんどくさい、とその旨をツイートしたら、京極(朋彦)くんが、飯を作りに来てくれた。どうせなら……、と当然思ったのだけれども、ありがたいことには違いないのだった。
そんなわけで京極くんの旨い飯を食いながら、DVDで3回観ている『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のTV放送を二人で眺める。共にTVシリーズの際は観ていなかった口なので、京極くんは「綾波ってクローンなんやろ」と言い、俺は「なんか、そうやった気がする」などと話し、くだらない気持ちになる。
何か話があって来たのかと思っていたのだが、明日から東京に行くらしく、余っていた食材を処理するために来たとのことだった。
それにしても京極くんとは女の子のタイプが完全に合わない。腹が立つくらいだ。
27日。『わくわく☆ドキドキ♥劇場探検ツアー 』に参加するためにびわ湖ホールに。楽しかった。明日もあるので、いちおう明日以降に仔細は書くことにする。
世界陸上1日目。思えば、2年前のベルリン大会の際、ツイッターでボルトやゲイのことをつぶやいていたが、あの当時フォローしていて、今もまたフォローしている人というのは一桁程度しかいないではないか。いつから流行り出したんだっけか、Twitterって。すっかり馴染んでしまった。
それはともかく、今日のポイントを押さえると、アリソン・フェリックスが400mにも出場。この種目、今回、一番おもしろいんじゃないかっていう層の厚さ。室伏はすばらしいコンディション。10000m、ケニア勢の強さは相変わらず。ケニア大会が世界大会でも良いじゃない、という気分になる。しかも、ずーっと同じパターンで勝っていて、ただの観客がそう思うくらいだから、絶望的に、たとえば一矢報いる方法すらもいまはないのだろう。男子100m、ゲイもパウエルも故障で欠場だから、ボルトも気合い入んないんじゃないかと思ったが、ベテランがドーピングの問題とかが落ち着いたりで、いろいろ戻って来ていて、前回大会には出場していない何年も前から知っている選手が多数いて、それが面白かったり、あと、フランスのルメートルね。速い。でも、ボルトが今大会に完全に合わせてきていて、波乱というのは期待薄。速過ぎる。
筒井康隆『幾たびもDIARY』読了。『腹立半分日記』『日々不穏』と、日記もまた小説に負けず劣らずの面白さで、『幾たびもDIARY』読んじゃうと、未読の日記は今後更新される『偽文士日碌 』だけになっちゃし……と置いていたのだったが、ついに。『腹立半分日記』『日々不穏』に比べると落ち着いているし、量も少ないぶんあれだが、やはり面白いのだった。
『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』41枚に。行き当たりばったりで書きはじめたのに、ドンドンとややこしくしてしまい、じょじょに詰め将棋の様相を呈してきたためなかなか進まない。濃度がどんどん上がってしまっている。もう少し速度で薄めないといけないな……。将棋のたとえで続けると、初め棋盤の角が無い状態だったのが、さすがに目論みの25%程度の分量、書いてしまったため、四辺が。でもな、サンプリングはすると思うが、いまのメタは作りたくないから、拡張しながら詰めていくという矛盾と向き合うのがベストなんだろう……。疲れるな。
24日。朝、妹からメール。なんばHatchでのくるりのライブに一緒に行く予定だったひとが行けなくなったので来いとの旨。あいつ、今朝、夜行バスで横浜から帰ってきたんじゃなかったっけ、元気だなあ、と思いつつも、俺はそんなに元気じゃないので、身の周りにくるりが好きで暇そうなやついねえかなと考えるも思い当たらず、けっきょく俺がいちばん適当だなあとなって行く。
会場で知ったのだけれども、「くるり / TOWER OF MUSIC LOVER 2 スペシャルライブ」ツアーということだった。つまり、初の5人のくるりと豪華なセットリスト。
覚えているものを順不動に列挙すると、『キャメル』『ハイウェイ』『奇跡』『飴色の部屋』『シャツを洗えば』『コンバット・ダンス』『温泉』『さよならアメリカ』『さよならリグレット』『ブレーメン』『ワンダーフォーゲル』『旅の途中』『最終列車』『リバー』、あ、新曲『一歩(イッポ)』、アンコールが『お祭りわっしょい』『ばらの花』。
『リバー』良かったね。あと新曲も良かった。唯一、5人で作った曲だったから、白眉となって当然か。いやー、ファンファンがすげー良いよ。ファンファン! もっと近くで見たい! 目が悪いから。と思いつつ広いハコの後ろだったし、5つ下の妹と来ていてファンファン見たさにがんばって前に行くのもあれなのでしかたなく遠くから見ていた。ザ・ドクロズ観に行こうかな……。京都だし。
いま書いている小説でトランペットが出て来るから、ついつい感情移入してしまう。
帰宅し、所用でバイクを走らせる。
25日。夕方、(和田)ながらちゃんが『娚の一生』を貸してくれるために来訪。突然の雨だな、と思っていたところだったが、ながらちゃんは折りたたみ傘を持っていた。えらいね。
そんなわけで『娚の一生』読了。終盤、ちょっとわちゃっとなっちゃったけど(このわちゃっと感、少女漫画に良くあるのだが、たぶんなにか明確な理由がありそう)面白かった。
『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』は36枚。つまり14,400字。144って数字見ると、12の平方数ってすぐ思うのは理系の名残か、一般的なことなのか。なんか、高専の時、とくべつ暗記に努めたわけじゃないが、441、平方根が21くらいまではなんとなく暗算していた気がする。でももう、たとえば微積分のこととかなにも覚えていない。あの時、数学がおもしろいと少しでも思ってたら人生違っただろうね。どうでも良いけど。
昼、煙草を買うついでに3年間無視していた最寄りの古本屋に入ると、未知のもの1冊を含む持っていない筒井康隆が4冊あり、悩んだが買ったら、値段が880円で、その前に買った煙草2箱と同じ値段だったので複雑な気持ちになる。
昼飯を食い、なんやかやで通院の時間になる。わずか5分程度の診察を受けて処方箋を得るために森小路駅まで行くのは面倒だが、実家に顔を見せる動機になるので、実家に住んでいた頃から通っていたそこが特別良い病院だとは思わないものの、毎月通っている。それがもう7年になるが、あたりを散策したことが先月の通院まで無く、その時に良い古本屋を見つけ、今日もまた立ち寄った。そこでまた持っていない筒井康隆を見つけてしまい、散財。薬代もこのところ高価いし、奨学金の返済、あとまわしにできるらしいからそれの手続きしようかと悩むほどの困窮だが、たとえば煙草をやめれば奨学金の月々の返済額相当が浮く。でも、煙草くらい喫わせてくれよ。いまさら言うのももはや面倒だが、高価いよ、煙草。あんなの、ただの葉っぱを紙で巻いたやつじゃん。あれだけで結構、税金払ってるぜ。
で、実家に寄って、22時ごろ帰宅。
10月か11月かに、大阪でイベントを主催しようかと思っていて、そのための個人名義でのパフォーマンスのことを考える。過去にやった『ベリンダ』という演目(いま、名前付けた)をアップデートしたものにしようかしら(あれ、なぜかすごいうけたから)。それから、globeは絶対に爆音でかけよう。などとぼんやり思う、こういったことを企画する際のいちばん楽しい時間。具体的なことはなーんにも決まってない。ってか、10月までのそれを主催する母体が形になるかがまずもってのあれだな……。
深夜、『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』既述26枚を読む。たまったメモをまとめただけで進んでいない。いかんいかん。今月中には50枚以上になるようにがんばろう。
早朝から働いていた。このところ、日が暮れると眠り、日が昇る前に目を覚まして、仕事をしながら窓が黒い壁から蒼い、外の存在を教えるものに変わっていく過程を見ている。
そんなわけで、夕方にそろそろ寝ようと思いながら自室から階下に下りると大学時代の同級生がふたりいた。同居人が出掛けたら偶然会ったっていうんだが、我が家に来た二人もまた偶然会ったという。そんなわけで邂逅を楽しんで、夜に寝たから起きたのは日が昇った後だった。今は、23日の昼過ぎである。
ところで、はるかぜちゃん(@harukazechan )は相変わらず大忙しだ。Twitterの例の、素人が大喜利を楽しむためだけにできたんじゃないかという様相の日本語ハッシュタグで、「#タイトルを100倍にすると盛り上がる」、という例の如くなそれで、彼女が『五百体不満足』とつぶやいたことがことの発端であるようだ。一連の流れはTogetter で見ることができる。
で、はるかぜちゃんの偉いのは、「とんちんかんなバカ」たちと真面目に対峙し、それがその文章から、「真面目に対峙するポーズによる皮肉」を感じさせないことで、つまりは、(ご愛嬌として)滲み出ちゃうその精緻な言語に対する意識があること。
で、それはそれとして思ったのは、(タブーという、語源がポリネシア語であることから解ける自家中毒の話とか、はるかぜちゃんに絡むひとたちはたとえば「脳性マヒブラザーズ」をどう思うのか、などということはどうだって良くて、ってかかったるい。と俺はなっちゃう短気だから、不特定多数のバカに絡まれる著名な方々を見ると、精神的に参るだろうなということをいつもいちばんに思ってしまうのだけど、それはともかく)、確か、はるかぜちゃんの年齢は10歳だが、おれが同年齢の頃は、それなりに大人は賢いと思っていたのだったが、つまり、想像の先だと思っていたのだが(もちろん自分が大人と呼ぶべき年齢となった今は、そのフェイクの必要悪も感じつつ、憂うわけだが)、もうそんなことは無くなっちゃったんだな、ネットによって、ということ。
簡単に言えば、バカがバカを自分でどんどんばらす時代である。俺だってそうで、黙ってりゃ良いもの。語れば語るほどリスクが増える。で、それの継続および連続に耐久できるるほど頭が良い人はそんなにいないわけだから、言ってしまえば地獄絵図である。
差別用語は史上の比で無い勢いで新作の誕生とアップデートと淘汰とを繰り返し、人々は口をつぐんでうすらさむい嘲笑を浮かべるだけだ。脳みそは腐って自動化された言葉として溶け出して、きりが無いからそんなものの清掃は行われないし、あるとすれば汚れているそこをバーチャル空間に見なしてしまい、機械的にクリーンを再生/捏造することだけである。
俺たちはもうどこにも行けない。ただし、いやでも予想外の事態は起こる/善悪の概念にとらわれないものは発生する。そして直接タッチはできないそれは希望でもある。わかんないこと。宝くじや福引きへのアプローチよりはもう少しまともで冴えたやり方でその希望と対峙する。
さて、その時、君は完全に孤独にならざるを得ないが、そんなことへの覚悟はもちろんとうに済んでいることを僕は知っている。
雨の日曜日。山村(麻由美)がどうやら、何日か前から何かのワークショップを受けていたようで、それの発表公演が今日あるという。「京都クリエイションWS2011発表公演 」というやつ。アトリエ劇研で。
さて、おもに悪口をいまから書くのだけれども、上記の公演は3人の演出家による各々のグループの公演の集まりだったのだが、なにでだったか忘れたけど、同じくアトリエ劇研で、ひとつめの演出家の「shelf」というのは観たことがあって、それでまあその時にバカじゃねえの、と思ったことは覚えていたから、やだなあ観たくねえなあ、と思いつつ、雨もあがったし、時間もあるし行くかあ……、とバイクを走らせた。
で、発表のひとつめがそのshelfだったんだけど、ホント、バカだよ。とっとと演劇やめて、実家がどこか知らないけど実家帰って家業を手伝うかなんか、とりあえず他の事したら良いんだよ。才能なんて1mmも無い。その団体名から例えるなら、バカなやつが読む頭も無いのに本並べて、それらの好きなとこよりあわせました=本棚、を見せられるんだけど、お前もう良いよ、本、読むなってって。途中からもはや目も当てられないので目を閉じていた。
次が「重力/Note」というとこの演出家のグループ。あんまり覚えてない。ブルーシートが出て来て、俺もブルーシートとは随分付き合いがあったから(『Melody♡Cup 』)、あ、ブルーシートだって思ったのは覚えているのだが……。
で、最後が山村が出ていた長谷川寧のグループ。この時、流れから気持ちは絶望的なことになっていたのだけれども(それへのわたしの時間とそれへのわたしの金のことで)、冒頭の芦谷(康介)さんに助けられた。あとはなんか、マジックショーみたいな音楽の中マジックショーみたいな雰囲気でいろいろあったので面白かった。大したことじゃあないんだけど(まさか、あの長机をすべり降りるの!? っていうように思うところとかがあったんだけど、って、ねえ?)その大したこと無い出来事を、まさにマジックショー的ふんいきで、わあ、やっぱり、と喜べたので、それでまあ、うそを楽しんでいて良かった。バカバカしくて速度もあったから良かったよ。ホッとしたというか、救われた気持ちだった。
帰宅。なんか、後から聞いたら4日もあったらしい、WS。4日もあればさあ。モーツァルトは『リンツ』、4日で書いたらしいよ。関係無いけど。
昨晩から目眩がするので、ああ雨が降るなあと思っていたら降ってきた。それはじょじょに来たから体も順応できていて、土曜日だとわかりつつも仕事をする。
『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』は26枚に。
人の作りかけの作品、それはよほどのことでない限り、誰もがまったく興味の無いものである。
例えば、俺がいま興味がある未完のそれは、筒井康隆『聖痕』と坂本慎太郎のソロアルバムのみで、それはつまり、よほどのことである。表現のオープンソース化など夢のまた夢であり、つまりは幻想で、かつただの怠慢で、根底に矛盾をはらんでいる。だからやっぱり、ひとり粛々と時間を過ごすことになるのだった。
それはそれとして日記は書かれるが、『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』は21枚になり、一段落。書いていていまだにじぶんで付けたタイトルの意味がわからないし、おそらくいつか変えるだろう。
ジャケ買いした西炯子『姉の結婚』1巻を読む。つづきが気になることこの上ない。同時に買ったのは、色川武大の『百』だが、阿佐田哲也名義のもののほうがたくさん読んでいるとはいえ、好きだと自認していたので、とうぜん読んだ気になっていたのだが、そしてだから家にあるものだと思っていたのだが、未読なことに本屋で気付く。なんで読んでいなかったのだろう……。最も文章の巧みな作家のひとりだと思う。
さて、今は20日の未明、AM2:55である。完全な小室世代として思うのは、けっきょくあの天才は、それの度が過ぎていたことが理由で正しい評価を得られなかったのではないかということ。当時から、つまり振り返らずともその異常さはあからさまだったが、だからこそ嘲笑されるほかなかったのだろう。
ところで、彼はまさに現役である。そして、(癪だが)なんどとなく「復活」しては、その才能でただ圧倒する岡村靖幸。どうやら今の俺には、そういうことが唯一の希望みたい。さて、そんなわけでそろそろ時間である。
木曜日。プラゴミの日なので、他のプラゴミとは別になった、コカ・コーラだけの30リットルの袋をゴミ捨て場に。
危惧していたことだが、昨日から『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』という小説を書き始めたので、頭はそのことでいっぱいになってしまった。
拙作は、このサイトのProfile に載せているものでいえば、2005年の『SUPER SWEET BUT NON CALORIE』(約400枚)と、2007年の『YUMIKA』(50枚)だけなので、2007年のそれを最後に、実に4年ぶりにあたらしいものに手をつけているということになる。
なんというか、そのとき、解き放たれたのだった。解放されたのだった。呪われでもしなければ小説など書かないほうが良いと思っているから、せっかく解き放たれたのに……、という思いも無くもなく……、と書きかけ、やはり俺は書きたかったのだなという本音のほうを書いておく。
いやなのは、日記の文体にものすごく影響が出ちゃうこと、それは逆もしかり、それにくわえて饒舌になってしまって恥ずかしいということ。
過去2作は、文体と構成にとても工夫を凝らしたもので、息の長いセンテンスと短いそれで時間を歪ませようとかそういうあれをしていたのだけれども、今回はできるだけ平板な言葉で、まるで輪郭の無い塗り絵のような作業をしている。なので、大変つかれるのだが、ようやくそれが可能な筆力が携わったのだと感じるのは、先が見えないにも関わらず、ふらっと書き始め、ふらっと中断できるようになったことからだ。ずっとこんなふうに書きたかったというか、そうしないとダメというか無理だと思い続けて4年も経ってしまった。『SUPER SWEET BUT NON CALORIE』を書いていたときは(もう6年も前! ちなみにこの小説は大学の2回生の時に書いたものだが、卒業制作として提出している。(しかも映像学科なのに)。手っ取り早く卒業したかったので、ずるをしたのだった)、人といるのにとつぜんぶつぶつ言い出したり、不機嫌になったり、寝言で小説の内容を大声で叫んだりと人にいろいろ迷惑をかけていたので、もういやだな、と思っていたのだけれども、もうそれなりに歳も重ねたし、今回はなんだか大丈夫そうである。わかんないけど。とはいえあの頃とは違って仕事もしなければならないし、変わるほかないだろう。
計18枚に。『SUPER SWEET BUT NON CALORIE』は400枚もあったのに、毎日2〜3枚しか書けなかった。それはすべてのセンテンスを過剰にしようというおかしな文体のせいだったのだが、だからまるまる半年も学校に行かず書いていたし(4年で卒業できてほんとによかった)、もうそんなふうにはできないから、今回はこのペースでさっさと完成させたいところだ。
……危惧はしていたけど、やっぱりこういう日記になってしまった。明日からはちゃんとセパレイトしよう。
さて、『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』という小説を書き始めた。初日8枚。なんとなく俺はもう小説は書かないのではないかと思わないでも無かったのだが、わからないもので、唐突に大体のことが繋がって、つまり、とても苛立っているのだった。苦手だった100〜150枚で完成させたいと思っていて、ようやくそれが可能な気もしている。いままではがんばっても50枚か400枚かと、極端なことになってしまっていたのだった。
夜、能を観に行く。
いま、Wikipedeaで調べると
また玄人による能は、入念なリハーサルを行わない上に一度きりの公演であるという点も独特である。通常の演劇では事前にリハーサルを重ね、場合によってはゲネプロという形で全て本番と同じ舞台・衣装を用いるが、能では事前に出演者が勢揃いする「申し合わせ」は原則一回であり、しかも面や装束は使用しない。これについて前出の八世観世銕之丞は、能は本来、全て即興で演じられるものであり、出演者同士がお互いのことを解りすぎていることは、能においてはデメリットになると論じている。
とある。それ、すごく良いな。金剛能楽堂で観たのは『調伏曽我』という曲で、仇討ちのはなしであった。前半でうとうととし、気付くと不動明王が大暴れしていて、終わった。俺は、追加で出された簡易な席のおかげで一番前で観ていたのだけれども、まどろんでいて、自分が何処に居るのかおぼろのところ、いきなり真ん前で不動明王が大暴れしていたので、おそろしかった。原始的な恐怖をまさか客席で感じると思わなかったので、いま思うとなんだか稀有な体験であった。
ほんとにこわかった。「おばけ、こわい!」とか「鬼、こわい!」の感じ。
俺は目測が得意で、ほとんど外れないのだけれども、突然の不動明王は異様に大きく見えて、まどろみが解けて初めの光がそれだったから目測もかなわず、なんだか歪んだのも恐怖の要因かもしれない。
帰宅は20時の少し前。帰り路にバイクで通った出町柳周辺はすごい人で、通行止めまで起きていた。五山の送り火である。ずっと簡単に大文字焼きが見られる場所に住んでいるので、毎年見ているのだけれども、今日は眠気に負けて家でテレビを見ていた。
ところで、終戦記念日である。例年、この日の日記はそのことに触れなければならず、呪いだな……、などと思い、過去の8月15日の日記を読み返してみると、2007年8月15日に、
今日が終戦の日だからといって何にも思いを馳せることはできない。それが真実だとして、ならばその不明瞭な現在の意識をどちらの方向にも転ばせないで居続けることが大事だと思う。
抽象的なことばかりを思う。外国に行きたい。
と書いてあっただけで、2005年〜2010年、全て8月15日の日記は書かれているが、終戦の日であることに触れていたのは2007年だけだった。つまり終戦については4年前の記述が最後になるが、今も上に引用した文章にほとんど同意できるので、特に書き加えることもない。
それよりも日記である。仕事をし、夜フランス料理を食べる。
いま、ものすごく眠いのだが(16日AM6:37)このところ日記は毎日書かれているので、なんとなくがんばって書いている。さて、突然だが、俺は定職に就かず、フリーのデザイナーで、時折、演劇に出演したり音響をしたりしていて、いわゆるふらふらとした人ということになるが、断じて、それは何となくの行動ではない。そしてそれは厳しい決断だったと敢えて言おう。
正直、いま何らかの希望を持つことはかなり難しい。つまり絶望である。それでもなぜだか死にたくはないので、つまりは生きるためのことを考えるほかない。どうすれば、生きることができるか。どうすれば、愛していないものに(愛しているものにも、だが……)依存せず、刹那の希望を綱渡りすることができるのか。変化の中で、それに対応できるのか。邪悪な黒いもやに呑み込まれずにすむのか。しかも、とりあえずはまだそれに耐え続ける必要があり、耐えるだけでは弱ってしまうため、いかに新しくいるか、そしてそのための体力をどうやって得るのか。
毎月、いかにして今月の家賃を払うか、それに頭を悩ませることは、未来のための行為になっている。現在所持している鞄に詰められるものを、選別し、神経質に整頓しているようなものなのだ。そうしなければ、破綻してしまうのだ。鞄はやぶける。無理やりは詰め込まない。選ぶ。砂時計や日時計でなくて、対局時計。
夜、『海街Diary4 帰れない ふたり』と『ロマンスの薬あげます!』。吉田秋生と楳図御大、天才!
日曜日である。そういえば、たいして仕事も金も無いのに土日祝は働かないと決めていたことをすっかり忘れていた。
昨日、というかこのところ、首がずいぶん痛く目眩すらしていたのだったが、何年か前、旅行に行く目的で訪れた京都駅の薬局で「ピップマグネループ 」を買い、寝る時には付けていたそれが、首の痛みが増し始める少し前に四つに千切れてしまったため付けるのをやめたことに思い当たる。それで、おもいのほかあれは効果があったのかもしれない、と思い、買いに行き、付けると、首の調子はわりと良くなったのだった。それで気分を良くし、仕事をしていて、日曜日だったことを思い出したのだった。
夜、天下一品総本店。
午前9時過ぎに眠り、正午に起床。14時にイノダコーヒの本店で、『絶対わからない 』の衣装を担当してくれた、今は活動を休止しているirishcreamの安食(真)さん夫妻と待ち合わせ。
なんだかんだで、19時過ぎに別れる。別れ際に素敵なテキスタイルのパネルを2点、戴く。
ずいぶん楽しかったのと暑かったのとで、別れる前に中ジョッキを3、4杯呑んだのだけれども、バイクで街中まで来ていたことを思い出し、しまった、とバス停に向かいしばらく待つも、バス停よりも随分手前で目的のバスが停車し、そして走り去っていったのを眺め、少しぼんやりとし、それからようやくバス停を間違えていたことに気付く程度に酔っていたので、こうなったら修行だ、と良くわからないことを思い、1時間半ほどバイクを押して自宅に帰る。
だから腕が痛い。だけど、そんなことよりもとにかく首が痛くて、少し目眩もするので、今夜やろうとしていたデザイン作業は明日に持ち越し、「GINZA」をパラパラと眺めたり、資料を集めたり。
放射性セシウムの影響は五山の送り火にまで飛び火している。毎日まいにち放射能と原発と地震のニュースでうんざりである。地震は誰が悪いとかじゃないから何も言えないが、放射能と原発に関しては悪い奴がわかっているので、責任を取って欲しい。みんなのうんざりと苛立ちは、負の元気玉になって、大変なことになるだろう。
昨日、ウルトラマンについて考えていたのだけれども、正義のヒーローって難しい。イギリスの暴動で火を点け略奪をしている暴徒のことはわかりやすい。悪いやつがわかりやすいのは、天国と地獄ならば地獄のイメージのほうが豊かなことからわかるわけだが、そんなわけで、正義のヒーローはついつい背景を持たされてしまうのだった。
悪い奴はわかりやすいぶん、手段も多いし、逃げ道も豊富である。東電と政府が悪い奴で、我らは庶民。正義のヒーローは不在だし、仮に居たとしても、ヒーローの行動の背景がわからなければ人々は不安になる始末である。ああ、嫌だいやだ。
VIDEO
The Velvet Undergroundのセルフタイトルばかり聴いている。音源としては、紙ジャケットのCDを持っているけれども、盤のそれも含めて素晴らしいアートワークである。でもやっぱり『Heroin』の魅力には抗えずバナナも引っ張り出すが。
さて、日記だ。15時に河原町三条で(和田)ながらちゃん 主催のジャンボパフェを食べる集いに参加する。昨年は、元祖ジャンボパフェを制したので、今年は「ブーケ」という名のそれを食べるのだという。
これが「ブーケ」だ。12人の参加によってそれは食べられたが、塩をチェイサーにしなければ難しい試みだったと思う。腹がいっぱいというよりも、甘いものを脳が拒否しているような感じになるのだった。
これを平らげた後、18時、帰宅。木村敦子さんとその息子の温くんや、先のパフェに共に集ったトミーや(伊藤)あやりちゃん、その他たくさんの方が来訪。
このところわりと家で一人でいた時間が長かったので、ずいぶん楽しい時間だった。
姉さん(木村敦子さん)がお土産に持ってきてくれた、大江戸牡丹という名前の純国産の線香花火はたいへん綺麗であった。やっぱり薄利多売はいけないな。線香花火は本当に美しいものだと教えられた。
というわけで、今日初めてお会いした皆様、手土産と共に我が家に着て頂いた皆様、どうもありがとう。またのお越しを。
ところでロンドンを火種にイギリス各地では暴動が起きているらしい。暴動の発端は警官が黒人を射殺したことにあるらしいが、それとは無関係に放火や略奪が起きているようだ。そして一連の暴動での死者は、現時点で4人だという。
報道を見る限りではけっこうな大騒ぎなのに死者はたったの4人だという。戦争と同じように、実は大した問題でない何かを引き金に火を点け物を奪い暴れまくっても、結局、兵器が無ければ人はそんなに死なない。
おにごっこが楽しかったように、かくれんぼが楽しかったように、サバイバル・ゲームなんてものがあるように、暴動はきっと楽しいだろう。なんだかんだで楽しんでいるに決まっているので、羨ましいのだった。SNSを使って、みんなでやろうぜって企んで、そして実際に街に火を点けるのが面白くないはずが無い。ちゃんと理由はあるし、仕事も金も無いし、むろんITの性能はいつだって過去最高の状態だから、十全に暴れることが可能な環境である。
さて、対岸の火事だからそういうふうに思うと誰かには思われるかもしれないが、面白そう/もしくは本気で恐い、そうではなくその合間に居る人がいちばん何も考えていないに決まっている。つまり、せいぜいが最新情報をリツイートしたり、「不謹慎」な人を糾弾したりするだけの人たちのことだ。そんなことは、それこそ対岸の火事を眺めてのんきにしていなければできないだろう。
反原発におけるデモとかも俺はあんまりわからない。あんなの、無視されるだけじゃないか。それならツイッターの人たちがよく断罪している石原慎太郎に火炎瓶のひとつでも投げたほうがまだ見える。その代わり、逮捕されるから、誰もしない。っていうか、そんなに怒ってない。いろいろが有るから、怒る余裕が無い。ロンドンは違った。本気で怒った。怒るくらいしかすることがない。で、一通り暴れたら気分も晴れておとなしくなるだろう。青春の1ページだ。夏祭りだ。『White Riot』、『London’s Burning』でThe Clash。
通院の日だったのにすっかり忘れていた。
深沢七郎『生きているのはひまつぶし』、飴屋法水『キミは珍獣と暮らせるか?』読了。昨日の葬儀の際、死後のセカイだとか魂だとか、つまりは不可視な、霊的なものについて考えていて、俺は無宗教だから、その場から見えるものだけを頼りに色々と思ったのだけれども、どうも納得がいかないというか、骨を壺に入れてどうにかするということの意味がいまひとつわからないのだった。どの道、見えないものに対してその後は供養などを行うわけだから、骨をああいうふうに特別な「もの」にするのは、見えるものを用意することで、不可視なものを想うことを簡略化すると見せかけて、結局は死を平板に、均一に、つまりは思考停止装置になっているように思ったのだった。
見えないのだから、見えない状態で思考しないと、考えていないのと同じではないか。
そんなふうなことを思っていたのだけれども、今日、読み終えた二冊に横断する死生観は(特別、そういった題目で書かれたものではない)とてもかんたんな言葉で書かれていて、そして腑に落ちたのだった。
火葬とはつまり、宗教が関与しない場合、いちばん簡単な埋葬方法になる。いちばん簡単、ということにはとても価値があるわけで、なにしろ楽だ。その場合、いちばん簡単/楽、を選んだという「選択」を意識していれば、それはそれで良いと思ったのだ。嫌なのは、その「選択」が形骸化していることである。神経が通っていないことである。惰性である。
たしかな思考の痕跡が、それが不可視なものであってもそこにあれば、埋葬方法など何だって良いと思う。見えないものと対峙するのだから、それが良い。形は、副次的なものでしかない。
前回に続き5日間、日記が空いた。例の如く、仔細は覚えていないが、父方の祖母が無くなったので、主にその葬儀にまつわる時間だった。5日の深夜に母から連絡があり、7日通夜、8日葬式であった。7日は以前から、昨年亡くなった父方の祖父の初盆の供養がある予定だったので、午前にそれがあり、午後に通夜であった。
7日、早朝、引っ張り出したシャツにアイロンをかけ、靴を磨いて家を出る。どうせ知った顔ばかりの葬儀になるだろうと思い行くと、初めて知ったのだが、祖母は9人兄弟の長女だったという。妹たちは祖母に顔や声がとても似ていた。一番下の弟は、父とあまり歳が変わらない。俺の本籍地は静岡なのだけれども、生まれてずっと大阪だったし、なんで静岡なのか、と良くわからなかったが、さほど興味も無かったので気にせずにいたあれこれが氷解する。なぜなら、兄弟たちは静岡からやって来たからだ。つまり、とにかく俺は家系のことをほとんど何も知らないのだけれども、父も良くわかっていないところがあるようで、まあ、どこの家だってそうだろうが……、だから、連綿と何かが何処かで……、というような感慨で消化されるようなことではあった。
親戚に、静岡で児玉モータースというのを経営し、戦後、車両関連の事業で財を成した人がいたという話を聞く。長者番付にも載るような人で、鹿を撃ちに行くのが趣味だったらしいのだが、父はその人に、その鹿を撃つための散弾銃をくれと頼み、俺が死んだらな、と約束してもらったのだという。父いわく、ドイツ製の美しい銃だったらしいのだが、その人はその銃で自殺してしまったため、銃は警察に取り上げられたと父は悔しがっていた。父が銃やら車やらが好きなルーツが垣間見えたのだけれども、それはともかく、そんな話を聞くと家系について興味が沸くのだが、でもやはり、そうは言っても、連綿と何かが何処かで……、というような感慨で消化されるようなことではあり続け……、だからまあ、祖母の葬儀なので祖母のことを思い出していた。
父方の祖母に関しては記憶も多いので、書きたいことは色々とあるが、長くなりそうなので今日は書かないでおく。一生を和服で過ごした、歯に衣着せぬ人だった。
さて、体調が芳しく無くぼんやりとしていたら、5日間も日記が滞っていた。全然、はっきりとした記憶が無いので、先月の31日から今月4日までのことを、思い出すがままに。
1日の夕方に今野(裕一郎)くんが来訪。奈良に行った帰りだという。山村(麻由美)と3人でCOO・CIN で夕食。帰宅し、二階の自室で仕事をしていると一階のリビングがワイワイしていて、呼び出され下りると(橋本)和加子さんとSkypeをしていた。1時間ほどのSkypeの結果、和加子さんは眠眠打破 のCMに採用されるべきだし、鉄割アルバトロスケット も彼女を使うべきであることがわかった。わかった、というか再確認みたいなことだったが。
2日。父方の祖母が入院したというので見舞いに行く。京阪は寝屋川市駅で久しぶりに降車し、(何年ぶりだろう?)母校(中退だが)である大阪府立高専の前を通る。その近くの、当時、夜中に忍び込んだりした廃団地は立派な団地に変わっていた。あまりに懐かしいのでやや感傷的になりつつ、母と待ち合わせて病院へ。
昨年は両方の祖父が亡くなり(共に大往生というやつである。父方の祖父のことが昨年11月18日付けの日記 にある)、二人の祖母も精神的に堪えたのだろう。生まれてから知る限り頭の冴えまくっていた父方の祖母もずいぶん憔悴していた。元気になって欲しい。
夕方、自宅に戻る。少し仕事をして、体調が優れなかったので寝る。
翌3日の朝、今野くんが帰る。メモリが随分安価になっていたので購入した2GB×2が届き、いまはもうApple Storeには無い白いMacBookがずいぶん軽快に動くようになった。それから、突然、父親がテレビを買ってくれるというので、言葉に甘えて買ってもらったテレビが届いた。我が家の部屋に分不相応な大きさであるが、突然のことに地デジ対策をしていなかったため、テレビ放送はやはり見られないままだ。しかし、こんな立派なテレビが着たのに、何か……、と考えて、Apple TVのことを思い出し、近所のコジマに買いに走る。HDMIケーブルを初めて買う。それでYouTubeを見、綺麗さに驚いて、なんとなく立派なテレビに申し訳が立ったような心持ちになる。
4日。「笑犬楼大通り 」に「枕詞逆引辞典 」が。深沢七郎の『生きているのはひまつぶし』を読んでいる。