August 2010

2010. 8. 31|TUE

路地

昼間から雑務。夜、仕事の打ち合わせの後、『Melody♡Cup』の面々と会い、タイにどの程度の期間、滞在するか相談する。相談している間に8月も終わってしまった。

退屈が追いかけて来る。飽きている。体勢を変えようと思う。それもまた繰り返していることだ。

『東京ガールズブラボー』を再読している。軽い。こんなふうに軽薄に生きたいのだった。高級な腕時計も、車も、別にそれほど欲しく無い。昔は欲しかったのに。困った話だ。退屈が追いかけて来る。飽きている。体勢を変えようと思う。それもまた繰り返していることである。

2010. 8. 30|MON

国道1号線

28日のことから。昼間の記憶があまり無いが、何か作業をしていたのだと思う。夜、大阪にある「AD&A gallery」に行く。このギャラリーは今月で休廊することが決まっていて、この日、最後の催しとして、それまでにここで個展を行った作家たちが集まる「オールナイト解体」というイベントが行われたのだった。

28日の20時から29日の正午までの長丁場のイベント。ハイライトは25時からの1時間半で、30分ずつ、contact Gonzo西光祐輔DODDODO。contact Gonzoは以前、『Melody♡Cup』の稽古の一環として塚原(悠也)さんにワークショップをして頂いたが、パフォーマンスを観るのは初めてで、白い空間に車座で鑑賞する客の様相もあってか、儀式のような、静粛なものに感じられた。面白かった。西光(祐輔)さんはつい先日知り合った写真家だが、その時に作品の構想を語っていらして、それは映像作品だったが、構想を聞いていただけに、ある種、予告ホームラン的な要素が俺の鑑賞には含まれて、そしてもちろんそれとは別に面白かった。ドキュメンタリー映像だったが、被写体がその場所(上映場所)に居ることで成立するものであり、そのことからも真摯な人だなと思う。そしてDODDODOである。なんだろう、見事だったな。そこはライブハウスではなかったから音も小さいし、光も単調で明るいし、ライブハウスの時と違いノーメイクだったし、リハーサルも無かっただろうし、流れも映像を鑑賞したすぐ後だったのだ。良かったな、一曲目、『夕日』で鳥肌。久しぶりだったよ、鳥肌が立つことなんて。

日付は代わり29日、午前7時頃、京阪に乗り京都に戻る。車内でメールを幾つか送り、帰宅して少し眠る。12時前、孝学(直)くんが来て、とある撮影に向かう。日差しの強い、暑い日だった。暑い街を歩き続ける。孝学は被写体になってもらった方に水分補給を促されるほど汗をかいていた。俺ですら目に汗がしみたのだから、孝学を知るものであれば彼の発汗がどれほどのものだったか想像がつくだろう。思いがけず今年一番、夏を感じたのだった。「氷」と書かれたのぼりに吸い寄せられるように喫茶店に入りアイスコーヒーを飲み、日陰、それは涼しい、夕暮れ、日が暮れれば花火をする子供を見かけた。なんだかんだで家に帰ったのは日付が変わる頃だった。孝学くんは疲れでふらふらしていたが、素材を確認し、25時解散。俺は何だか寝付けず、漫画(岡崎京子『ジオラマボーイ☆パノラマガール』)を読み、お灸をして、午前4時頃にようやっと眠る。

30日。昼前に孝学くんが再びやってきて、(一人では運べない大きさだったため)二人で借りていた撮影機材を返しに行き、紫蔵というラーメン屋で昼食を取る。孝学と別れ、帰宅し、平日にしか処理できない雑務を片付けようと思ったのだが、あまり寝ていない日々だったので眠気に耐えれず夜まで眠る。日記を付けている今は、もう31日の陽が昇りかけている。夏休みも最後の日、という感慨は我々の世代までで、今はどうやら31日から学校が始まるらしい。日本は年々暑くなってるんだから、夏休みも延ばせば良いのに。しかし毎年夏は呆気ないな。

2010. 8. 27|FRI

MacBookのTime Machine用に使っていた1TBの外付けHDDが壊れ、保証期間内だったので修理のために郵送する。夜9時まで開いている最寄りの宅配便の営業所が一乗寺だったので、ついでに恵文社に寄る。今度共演するArthur & SabrinaのCD『a Rosa e o Girassol』が置かれていたので、イベントのフライヤーを今度、置いてもらおう。恵文社で物欲と戦いつつ、何とか財布を開けずに帰宅したものの、その後、やっぱり欲しい漫画があり、今度はガケ書房に行ってしまい、ついに散財。ガケ書房ではレジでUSTREAMをしていて、突然「告知とか無いですか」と言われたので、BUSSTRIO LIVE EVENT 「The Girl Problem」、渋谷ですが、と断りつつ宣伝させてもらう。

恵文社で手に取ったみなみ会館のパンフレットで、以前、相馬(称)さんの日記(2009年03月03日「シルビアのいる街で」)で読み、観たいと思っていた『シルビアのいる街で』が劇場公開されていることを知る。ようやく観ることが出来るのか。

深夜、孝学(直)くんが来て、『ゴールデンスランバー』二回目。俺、二回目だったから許したが、観ながら喋ってくるんだよあいつ。うるせえよ。ただ、今は借りがあり、何だか疲れている大男である。寛容に処す。大男は朝7時頃に帰って行く。

2010. 8. 26|THU

飼い猫

長い一日。働き過ぎた。疲れた。帰宅が28時。そして日記を書こうとするも、この状態で書くとあまりよろしくないな、と判断し就寝。明けて27日の正午にこれは書かれている。

しかし、日記としては、昨夜、つまり26日の夜の混沌とした状態で書いたほうが「そのまま」だったはずだが、一夜置くと判断したのも26日であるし、言い換えれば単に疲れてそれを放棄したのが26日だ。写真は飼い猫のもきち。猫を撫でることによる睡眠導入効果は覿面で、そのせいかすっと眠ったのも26日。

疲れた状態で書かなかったのは今敏の逝去に少し触れようと思ったのが大きい。Twitterによって公式発表の随分前にその情報は得ていたものの、真偽が不明だったし、どう触れて良いのかわからなかったし、と明けて26日に公式な発表があり、夕方に「KON’S TONE」内にある彼のブログの投稿、「さようなら」を読んだのだった。

今敏作品は『パプリカ』しか観ていない。筒井康隆のファンであることから映画館に赴き、そんなことは忘れて映画館を出たのだった。2006年の12月10日のこと。面白かったな、『パプリカ』。……俺が書けることはおおよそこんなところか。

そして27時、生きるということを思う。いろいろ思って全部投げ捨て眠って明けて、さっき煙草を買いに表に出たら強過ぎる日差しに眩眩した。

2010. 8. 25|WED

川面

朝からこつこつ作業をし、夜、久しぶりに会う友人と食事。

一日、部屋で作業をしていたので、帰り路、涼しかったこともあり、どこかでぼんやりしようかと思うも、ここ数日、パン1個→労働(デスクワーク→肉体労働)→パン1個→就寝、という昔の兵士のような食事で生活していたほど窮していたので、外食をしてしまい、もう金を使うべきではないな、と、川辺で寝っ転がっていた。

じゃあ、眠たくなって来て、もう涼しいしたまには野宿でもしようかと思っていたら、周りに羽音の五月蝿いゴキブリみたいな虫(コオロギかと思ったのだが、鳴き声は無かった)がたくさんいることに気が付き、やっぱり嫌だな、と帰宅。

2010. 8. 24|TUE

日記を書こうと、昔でいうところのノートを開く、というようなことをしたものの、特にこの日の日常で書き残したいことが無いのだった。少し煙草について書くことにする。

先ず、例えば俺は長年の喫煙者だが、煙草臭い部屋では眠りたくないし、飯も食いたく無い。味覚と嗅覚の繋がりは言わずもがななので、飲食店で煙草の火を消さずに灰皿に置いたまま何か飯を食らう人は嫌いだ。先に食事を終え、相手がまだ食べているのに火を点けるのもどうかしてると思う。これは煙草が嫌いという話には全くならない。例えば、カレーが好きでも、四六時中カレーの匂いを嗅ぐのは嫌でしょう。すごく頭の悪い話をしています。想像力のことだ。世の中、たくさん馬鹿が居るが、同じ馬鹿でも特に喫煙者の場合、飲食店などで相手を不快にする可能性が高いわけだ。

もっともな話で、ただ、喫煙者が減少傾向にあり、世間的にも批判してよろしいものに認定され始めると、上記のような不快を口に出来なかった人たちが堰を切ったかのように声を上げ、同じ事、というかそんなに非難のパターンは無いから、文句を次々と放言し、最終的には逆に自身の低知能をあらわにするかのようなわけのわからない罵詈になることもある。

もうすぐまた煙草が高価になります。「あんな、ただの葉っぱがどうして……」と俺が口にすると、例えば煙草が嫌いな人は、「そんなただの葉っぱ、じゃあ、何で吸ってんの」と莫迦にした笑いを浮かべるが、この問答の下らなさがご理解いただけるだろうか。煙草を別のものに変換すれば簡単だ。珈琲としよう。なぜか高価になり続ける珈琲。「あんな、ただの豆なのに」、こう口にすれば、「ねえ、ただの豆なのに」と同意が得られることは容易いはずだ。「あんな、ただの葉っぱがどうして……」が自虐に聞こえるのは偏見です。だって、ただの葉っぱで、本来チープなもので、日常的に消費する目的にあるものなんだもの、煙草は。

「でもさ、どうせさ、煙草が悪いって言うんだから、喫煙者がマナー守ってさ、いろいろしてもさ、結局、非難されて、高価になるんだろ、じゃあ、良いよ。もう。あんな、ただの葉っぱがどうして……」今でも煙草を喫っているほうが「アリ」な場所もあり、そうでない場所は現在、もちろんそれよりももっとある。しかし、局所的には、今度は逆に、ヒステリックな嫌煙家が目立ってしまったがために、正当な不満を口にしにくい状態も発生しているのではないかと思う。食事中に煙草に火を点けられたことを咎めて、「ああ、嫌煙の人ね」なんて言われたら不幸だ。ただの罵り合いである。

俺ももはや黙っていれば良いのかもしれないが、それは「どうせ、どうにもならないでしょ」と選挙に行かないのと同じ状態だから、ここはぐっと堪えて、こうして書きたく無いことを書いている。

2010. 8. 23|MON

The Girl Problem

まだまだ暑いのに、俺のTwitterのタイムラインでは、もう夏も終わり……というような雰囲気が漂い始めている。今日も「やまごえ温水プール」で黙々と泳いでやろうかと思い立つも、月曜日は休館日だった。

水泳をやっていたと言うと意外に思われることの多い華奢な俺だが、10代後半の夏の日中はほとんどプールに居た。水がたくさん有る場所というのは、どこか猥雑な雰囲気があるのか、どうも吸い寄せられる。26歳を2ヶ月残して、今はまた別の水がたくさん有る場所で労働しているが、先輩従業員は終始猥談をしている。そして喫煙者が非常に多い。水と猥雑と喫煙には、ただの思い過ごしかもしれないが、何か関係性があるのだと思う。

掲載の画像は、来月、9月16日に渋谷屋根裏で催されるイベントのフライヤーだ。このところの濃密な作業時間はこれの制作に充てていて、東京では間もなく配布され始めるだろう。全然似ていないが、デザインのイメージにあったのは、DAVID BOWIEの『LOW』のジャケット。あと、ピンクを何とかして使いたかったのは『Je t’aim Moi Non Plus』のデジタル・リマスター版の劇場公開用フライヤーがとても美しいピンクと黄色と黒で作られていたから。白黒の部分の情報整理のために必然的にピンクの補色にあたる水色がそこに使われたが、意図せず『THIS IS HAPPENING』を連想させたようで、それは指摘されて気が付いたことである。このイベントの中でバストリオが上演する『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』は、今年6月に大阪で一度上演しているのだが、そのことから、前回のフライヤーに、新しく作品のモチーフも加えたかった(前回は、作品の全貌が全く見えない状態で作っていたので、それがあまり出来なかった)。それで加えた円は、風船をイメージしたし、フライヤーの右半分だけが中央で色を割っているのは、フィボナッチ数列を要素として使えないかと考えていたものの、途中で放棄し、結局ほとんど関係無い形で具現化した結果である。被写体は橋本和加子。厳しいスケジュールだったが、シリーズ化ではなく、前回をふまえた新しいもの、に出来た感があり、それが良かった。そんなわけで、来月は今年3度目の東京である。何も罪を犯していないのに取調室に入れられた渋谷警察署がある渋谷である。ちなみに実は俺はその少ない出演の中で最も長かったそれでの台詞をほとんど忘れている。なんか、いろいろあったんだよな、台詞。覚え直さないと。

その他諸々。余談だが(って全部余談だけど)、次で今年3度目の共演になる小澤(薫)ちゃんは、今回のフライヤーの写真が(橋本)和加子さんなので、自分じゃない、ずるい、悔しい、と思っているのではないかと想像しているのだが、どうだろう。

2010. 8. 22|SUN

家の前の空

21日。早朝からフライヤー制作の続き。昼過ぎ、深夜の労働に備えて少し眠りたかったのだったが、そうもいかなかったのでとにかく待機。深夜の労働を終えて帰宅後しばらく作業をし、明け方に入稿。

明けて22日。radikoでFMを聴きながら少し眠ったら、それがカーラジオになり、車が欲しくなる夢を見て、しかしまだ午前中で、とはいえ目が醒めてしまったのでバイクに乗り「やまごえ温水プール」に向かう。ただただ泳ぐためのプールだったので、ただただ泳ぎ、水の中が心地よいのでプールから去りたくは無く、しかし水中にいるのならば泳がねばならず、泳ぐのは楽しく、しかし体はずいぶんとなまっていて、繰り返される麻薬のようなクロールから解放された時にはへとへとになっていた。

存分に泳いだ効果で、首や肩の凝りがずいぶん緩和され、憑き物が落ちたかのような心持ちで帰宅する。

やまごえ温水プール」までの道程は、山こそ越えなかったが、普段行かない方向で、「へえ、こんなところも」なんて感じで運転していたのだったが、途中でそれが昨年、何度も足を運んだ「丹波マンガン記念館」までの道のりと同じであることに気が付いたのは、道中にある仁和寺によってではなく、仁和寺を越えて間もない場所にあるセブンイレブンからだ。このことからわかったのは、俺は地理の感覚が鈍く、そして寺に全く興味が無いということだ。郊外にあるため駐車場の広いそのセブンイレブンだが、とはいえそれも珍しいものではなく、良くあるそれだが、1年以上前に訪れたそこで100円ライターを買ったことを覚えていた。結局、寺への興味云々ではなく、ただ単にパッケージ化された当時の記憶群にそこがしっかりとおさまっていただけのことだが、とはいえ世界遺産を置き去りに、セブンイレブンに郷愁を覚えた次第。

このことから連想するのは、終戦記念日が近かったこともあってか、第二次大戦を「知らない」ということに対するこのところの論考だ。無知が罪なことは認めるが、問題としていたのは「知る」のシニフィエだ。どうも戦争や原爆に関すると、例えば「知識としては知っています」「知ったような……」という言動に負の感情が作用するのだが、この時、例えば対話ならば互いの「知っている」の定義が曖昧かつ、一方的には差別的な部分もある場合があるため、話は終わらないし、終わりようがない。そんなわけで戦後だが、やはり俺は何も知らない。そのことでやましさを覚える最後の世代で良い。問題はもっと近いところで多発しているのだし、今こそ「知る」の困難を見つめなければならない。

何の話だったか。あ、そうだ。で、気分爽快「やまごえ温水プール」からの帰路、道すがらにあった「妖怪ストリート」の前で、コワカナ(先日、8月11日付けの日記参照)にぴったりの人材を見つける。「コワカナだ」って思ったからね。

夜、ばかみたいに泳いだせいでSkypeをしなければならなかったのに寝てしまった。明けて23日、早朝に目を覚まし、日記。

2010. 8. 20|FRI

19日、20日と寝食のとき以外はデザイン業務。突貫工事だが、こういった時こそ真価が問われる。

とはいえ、あの、基本的にはディレクション開始から納品までは2週間以上欲しいところです。あと、いつだったか、もうデザイン作業で金銭を貰うのは止めようと書いたが、前言撤回します。しっかり頂きます。そうじゃないと良くわからないことになるとわかっていたのだけれども、少し前にそれを再認識したのでした。

いつ寝ていつ起きてがおぼろでレンタルビデオも延滞してしまった。暑い。泳ぎたい。

2010. 8. 18|WED

ミラーボール

17日は夕方に目を覚まして、そのまま深夜まで労働の後、ぼんやりしていると朝で、家を出ようと思っていた時刻にうつらうつらしてしまい、予定より1時間ほど遅れて家を出る。

すでにあけて18日だが、大阪の北加賀屋にある「コーポ北加賀屋」というところに行って来た。今月末にクロージングのイベントがある「AD&A gallery」の(小西)小多郎さんが、今後、この場所を使って色々とプロデュースしていく予定とのことで、場所や、建物が家具工場の跡地であるということに興味を持ったのだった。この日は写真家の西光祐輔さんを案内するために小多郎さんが訪れていて、chikinのトミーも来ていた。

ほんとにただ広い工場跡なのだが、無骨な雰囲気が良いし、なぜかミラーボールもあり、音響機材も結構あった。さらに小多郎さんが機材を持っていらっしゃるので、今後より充実する予定とのこと。ライブも出来るだろうし、何より工場街だから音が出したい放題らしい。

ただ、今は空調が無いので、特にこの日は猛暑で汗だく。汗だくだが、小多郎さん、トミー、そして初対面の西光祐輔さんとの雑談が面白く、ついつい長居する。やっぱり大阪の空気は汚くて良いな。

帰宅すると夜。さすがにぐったり。ぐったりしつつ少しデザインの仕事の構想を練り、日付が変わる前に就寝。

あけて19日、朝。こうして日記を付けている。

2010. 8. 16|MON

昼、近所の「ろおじ」というつけ麺の店で昼食。旨かった。夜、DVDで『かいじゅうたちのいるところ』。途中からビールを呑みつつ、も酔えず/終始、乗れず。なにも面白くなかった。

そんなことより中古で取り寄せた『RINGS AROUND THE WORLD』。『Run! Christian, Run!』最高! 

2010. 8. 15|SUN

このところ連日、夜は木屋町に居るが、今日もまたアートスペース「其の延長」に。久しぶり、昨日ぶり、の人々と深夜まで話す。

昨晩から『Melody♡Cup』で関わった方々と久方ぶりに会っているため、話題は主に今秋のタイでの公演のことになる。それとはあまり関係無いが、以前から聞いていたことに、バンコクにはどうやら「スーパーノーマル」っていう良くわからない団体が居て、いろいろと手伝ってもらったらしいのだが、俺が聞くぶんにはバッファローってあだ名のでかい奴と、美少年の二人だけがそれなのかと思っていたら、もっと居るらしく、飲み会の席には見知らぬ「スーパーノーマル」も突然現れると(小西)小多郎さん(小多郎さんは「其の延長」に来て早々、顔が良い、だとか、もこみちみたい、だとか言われ、もうそのいじられ方は嫌だとぼやいてらしたが、その姿は大友良英さんのブログの記事に見られる)に教えてもらった。「スーパーノーマル」のバッファローは力持ちに見られるので、ある力作業の時にある物へのタックルを求められ、しかし実際は細かな作業のほうが好きな大人しい青年らしく、タックルするもののなんだか失敗して、美術館の壁に穴を空けてしまったらしい。このコント的な不幸から、バッファローに凄く会いたい、というか見たいのだが、秋に会えないかしら。っていうか、誰一人「スーパーノーマル」のことを詳細に説明できる人がいないということが気になるのだった。

バストリオからデザイン案件に関しての電話。深夜に帰宅してガリガリ君2本。昨日、打ち合わせた仕事はわりと作業量があるから計画的に進めないといけないし、バンコクで公演もあるみたいだし、来年2月はまるまる公演で神戸/横浜らしいし、掃除、洗濯、猫の世話もしないといけないし、だからあれだよ、昨日初耳で、どうやら俺が噛んでいる、みたいになってるらしい輸入雑貨のwebショップのことは知らないよ、俺。大体、webショップっていうと、ただ単に溜め込んだ古書がインターネットってやつでなら簡単に金にできる、まるでそれが錬金術であるかのように勘違いしていた甘えた爺(結局、数百万の借金を抱えたまま夜逃げしたのだが、目撃情報があって追われたりもしている。追った人、つまり借金を踏み倒された人も別にちっとも関わりたかったわけではない人だったのだが、なんだか忘れたが話す機会があり、完全に裏稼業の人だったため、その、追う、がまずい感じに聞こえたのを覚えている)が、執拗に、報酬の話になると惚けながら俺に頼ってきたことが昔あり、それからとりあえずなんか嫌なの。webショップ。それよりあるでしょ、楽天とか、そういうの。

話がトブが、少し前、何で読んだか忘れたが、音楽の変遷とリンクするドラッグの変遷、それで見た時、ゼロ年代ニッポンを象徴するドラッグが精神安定剤であるという内容のそれには異論は全くなく、ただ、そのことが何も照射していなかったようにその読み物からは感じられて、そのせいで紙面(たぶん、紙媒体の何かで読んだ)からふと目をはずしたら、ついつい不健全な金のことについて考えてしまった。その薬が合法であるが故に生む金のことだ。全く気が滅入る。巨万の富しか金を無効化できないとはわかっているが、ついつい金への思考を放棄したくなる。困った代物。

で、まあこれは俺の日記だから、こんなことばかり書いているとまるで俺の今日が憂鬱なそれみたいに思えてしまうので、この辺りで止めるが、別にそんなことはなく、楽しい一日だった。悪い方向に脱線してしまった。

なんだかこのまま閉じるのもあれなので、以下にBlack Lips『Bad Kids』のPV、YouTubeへのリンクを貼っておく。

YouTube – Black Lips – Bad Kids

2010. 8. 14|SAT

家守

昼過ぎに仕事で打ち合わせの後、夜、木屋町で呑む。お盆で、『Melody♡Cup』で共演した姉さん(木村敦子さん。勝手に姉さんと呼ばせてもらっている)が関西に帰省されていて、お誘いが。(伊藤)彩里ちゃん、諸江(翔大朗)君、同じく共演メンバーを交えて。それからその面々で、chikinがなにやら演るというアートスペース「其の延長」に。

それは特に名前の無い催しで、chikinの3人がそれぞれ展示をしており、この日の夜は加えてトミーと山村(麻由美)のパフォーマンスがあったのだった。

先ずあった山村の『only woman’s capacity [watashi]』は、タイトルを知らずともその意図が伝わるそれだったが、身近で知るものとしては、あんたそんな小細工せんでももっと見せられるでしょ、と思うところもあった。違う方法で同じことをやれば、もっと良かったんじゃないか、っていうか、小細工、得意じゃないじゃん、っていう。

トミーのそれは『TMY TV』というタイトル。何が『TMY TV』だよ! ってツッコまされるところまでトミーの手中なのか、焦らしというか、心地よいストレスを巧みに繋いでいたパフォーマンスだった。あいつ、巧えな。展示もパフォーマンスを期待させるのに効果的だったし。面白かった。

で、それからもうしばらく呑んで、底抜けに下らない話をしながら鴨川沿いを歩き帰宅。ひたすら下らないことを言い続けるのが久しぶりだったこともあって、酔いも醒めていたのにぼんやりしながら口だけ動いていた。

2010. 8. 13|FRI

労働後、ガリガリ君や、とろろ蕎麦、おにぎりなどをコンビニで購入し、食べて、煙草を喫って、16の時、初めて働いて得た賃金で買ったVictorのDVDプレイヤーの電源を点ける。ふと当時のことを思い出すが、わりとDVDプレイヤーが普及し、低価格化が進んでいた中で、再生専用機のくせにわりと高級なそれを俺は選び買い、当時すでに発売されていたプレステ2でもDVDは見られるし、ちょっと奮発してそっちにすれば良かったのに、と友人に少し馬鹿にされたVictorは、その友人との関係がいつのまにか無くなってしまった今もまだ俺に映画を観せてくれる。

さっきまで『ゴールデンスランバー』観てたんよね。中村義洋監督の。面白かった。TSUTAYAで、こう、なんかとりあえずおもろいの無いかなあって結構うろうろしてさあ、で、4枚で1,000円とかのキャンペーンしとったから、まあ、ちょっとその目的に適当ってのじゃないやつも織り交ぜつつ、レジ持ってったら財布忘れとってさ、昨日の夜。ちょいくじけたんやけど、でも『ゴールデンスランバー』観たかったからカブ飛ばしてさ、とんぼ帰りしたんよね、TSUTAYAに。良かったわ、そうしといて。めちゃおもろかったわ。観たほうがええで。中村義洋監督と伊坂幸太郎との3作、ハズレ無しなんやけど、いっちゃん良かったわ。『幸福な朝食 退屈な夕食』、中学入ってすぐくらいん時、聴いとって、で、えらい久しぶりに聴いたんやけど、新録やったんやけど、良かったわ。あ、もう俳優しとる人らはちょっとでも出たくてしゃあないんちゃうかいう、役者の輝かせっぷりの中、それでもひときわ濱田岳、良かったわ。あんなかっこいい役、ちょっと無いよ。いやあ、ええね、映画。ナイスフィクション! ポール・マッカートニーはもう観たんかな。観たらええよ、ポール。

2010. 8. 12|THU

知らない写真

写真はiPhoneがいつのまにか撮影していたものである。おそらく帰宅した俺だが、アングルが良くわからない。先ず、この写真の俺はどっちを向いているのか。向こうか、こちらか。腕の曲がり方からこちらなふうに思えるが、ならば、なぜ家の扉は開いているのか、いや、向こうを向いてドアを閉めようとしているのならば、iPhoneをどうやって持っているのかということになるし、どちらにしろやはり良くわからない。

昼、SECOND HOUSE銀閣寺店で、ケーキセットが500円だったのでケーキを食う。以前、訪れた時と雰囲気がずいぶん変わっていて、席は減り、代わりにガラス張りのケーキ工房が出来ていた。いつのまにか禁煙の雰囲気が漂った店内になっていて、そういった場合、普段はどちらなのか店員に訊くが、それも諦める。

夜、わけあってまた「お粥さんBAR 京楽」に。帰りに木屋町にある大豊ラーメンでラーメン深夜3時。ナイスラーメン。

上野顕太郎『さよならもいわずに』を読む。赤裸裸というには違う。これを「描いている」目線はドキュメンタリーの主人公ではなく、暴力的なカメラだ。自分自身を論理的に、そして緻密にバラバラにするかのような筆致に異常なものを感じる。この作家のことはこの作品しか知らないが、ふつうこんなことしたら人間は死んじゃうんじゃないかと思う。そして死なないから、この人は作家なのだろう。なんてことだ。

先日、なんとなく思い立ち、イギリスの音楽だけを選別しiTunesでプレイリストを作っていたのだが、まだiTunesが無かったと思われる時期に購入したSuper Furry Animalsの『Rings Around The World』を紛失してしまったため、それは完成しない。CDなんて無くしたことが無いし、当時、それの発売は高専に通っていた頃だが、SFAを聴く友人なんかいなかったと思うから貸してもいないだろうし、なぜ無いのかわからないが、とにかく無いので、TSUTAYAを探し回るも、無い。無い。iTunes Storeにも無い。Amazonには中古があるが……。買おうかな……。『Presidential Sweet』を聴きたいんだよ、俺は。しかし、なんだろう、Importなら新品があるが、日本じゃ大きなところは輸入してないし、当時、国内版も出ていたと思うが、それも廃盤なのだろうし、TSUTAYAにもiTunes Storeにも、そして購入し、聴きたい俺の部屋にも無いし、なんとも不遇な名盤だ。

なんで無いのか。貸してはいないはずなんだよなあ……、ん、それはともかく、なんか多分、俺、人に貸して返ってきてないものが幾つかあるぞ。あの、思い当たる方は自主的に返却するように。終わり。

2010. 8. 11|WED

夜、労働を終えて、あ、そうだ、という案配で木屋町にある「其の延長」にchikinの展示を見に行く。着いてすぐにトミーが作業のためにやってきて、彼女の展示について話す。13日、14日、15日の午前0時からはそこでパフォーマンスがあるとのことなので、chikinも居るし、小さな場所だし、そのタイミングで行くのが良いと思う。

そのまま何となく併設されている「お粥さんBAR 京楽」でぼんやりする。バイクだったので呑めなかったのが残念。

ところで、俺は大学で映像を学んだものの、映画を撮るということはとうに諦めていて、というかさほどその欲望が無いことに幾らか前に気が付いたのだったが、とはいえ撮れるものなら撮りたいというのが映画である。で、今、撮るならどんなのを撮るのか考えたのだが、タイトルは『恐怖! 三つ編の女』。夏だし、ホラーである。キャッチコピーは「怖くて、悲しい」だ。怖田悲子(コワタカナコ)という三つ編の40女が主人公。コピーも主人公の名前も略してコワカナ。で、どんな話かというと、コワカナが別段、怖いことをしているわではないのに、というか事故的に人に怖がられる悲しいものである。そしてコワカナはどんどん傷付いていく。コワカナ以外の登場人物は、コワカナの勤務するガソリンスタンドの店長。彼女の優れた技術を認めながらも、接客がとことん向いていないことから、自動車整備士の資格取得を彼女に仕切りに勧め、裏方にまわることを求めている(コワカナはパン屋で働きたかったが、不採用が続き、接客業を探し求め、今のガソリンスタンドで働いている)。あと、夏だしガリガリ君って名前の人も出したいから、ガリガリ君。コワカナの住むアパートの近所にある基地で自衛官をしている坊主頭の若者だ。コワカナとは道で立ち話をするだけの仲だが、実は彼女の理解者であり、密かに恋心も抱いている。後に、コワカナの為に自衛隊の備品を持ち出し、除名/逮捕される。

もうこれ以上、書かなくてもどんな話か想像がつくだろう。良くある話である。誰もが思いつくような話だ。だからこその魅力もあるにはあるが、夢想するだけで十分なそれ。

ところで1年以上前に「WEBにおけるメディアリテラシーについて|Ver.1.0」という文章を書き、web上にアップしていたのだったが、都合でそれを消したので、読めなくなってしまった。ローカルに置いていると思っていたのだが、見当たらない。とはいえ書いたのは書いたので、内容は大体覚えていて、そろそろ今の自分とずれてきたな、というところがあり、Ver2.0を書く必要があるように思えてきたのは、身の回りで濫用されるSNSの現状を見てのことか。Ver.1.0を読ませることができない状態で言っても仕方ないが、Ver2.0の内容は保守的/退歩的になることが予想されるのだった。

2010. 8. 10|TUE

夕方、断続的な雨。もう雷害には遭いたくないので、同居人が寝ていたが、エアコンを含む家電の電源は全て落とし、労働に向かう。

夜、手塚治虫『奇子』を読む。もはやドラマが閉鎖的空間で、暴力や性が直接的な力を保持し得る中でしか成立/生存できないということを40年近く前に明示している。ルールが成立しなくなればゲームはゲームで無くなり、現象の連続いじょうでは無くなる。阿部和重が『ピストルズ』において「菖蒲あおば」の語りをあそこまで聞かせたことの凄さを再考する。踊らない決意。すぐにダンスしちゃう時代である。飛んだり跳ねたりするしかない。観る側も、演る側もそうだ。これは難しい話だと思ってきたので、中断。考えないと。

2010. 8. 9|MON

森小路にある医者に通院。動画は京阪の車窓。医者からの帰路、実家に少し寄り、午前0時に帰宅。

2010. 8. 8|SUN

雲

7日。昼に高野にあるサムジャナというネパール料理屋に。その後、いろいろと移動し、ガリガリ君をたくさん買って帰宅。夕方にトミーが家に来る。なにやら今度やる展示とパフォーマンスで使うものを借りに来たのだった。トミーが帰ってからのことはあまり覚えてなくて、あ、USTREAMで「元気が出るテレビ!!」をみんなで見る会を見たのだった。面白かったのだが、なぜか体調が芳しく無く、視聴後、元気を失ってしまいいつのまに眠っていたのだった。

本日。一度起きるも未だめまいがあったので再び眠り、夜、労働。帰宅後、汗だくで働いたのが良かったのか(そのせいで、その存在を忘れていて初め何だかよくわからなかったくらい久しぶりに汗疹ができたりしたが)ようやっと頭が動くようになったので少し作業をし、今こうして日記を付けている。

2010. 8. 6|FRI

昼過ぎに濱ちゃん(濱崎彰人)が、ちょっとした用事で来訪した以外は、夕方まで主に雑務。屋外は太陽が攻撃的。帽子をかぶりましょう。サングラスをかけましょう。俺は、眼鏡を着用していて、昔、プールの監視員のアルバイトをしていた時は仕方無く度の入った色付きのレンズの眼鏡を掛けていたけど、そうでなくても基本的に今の眼鏡のレンズは紫外線対策が施されているし、で、基本的に眼があまり強くないので思うのだが、裸眼の方、ほんとサングラス掛けたほうが良いと思う。肌が焼けるんだから、眼も焼ける。脳にくるからね、視覚への攻撃は。俺もできれば色付きのレンズを着用したいが、昔むかしアルバイトで掛けていたそれは、バイト先のNさんにグーパンチされて壊れちゃったんだよな。ふざけていたのだけれども、あのとき俺、怒り過ぎたな。Nさんしばらくしょんぼりしていた。悪かったな。すぐにシバきシバかれる職場だったのだから、あんなに怒ることはなかった。そこはアウトローの集まりだった。ボールペンを使って腹に自分で文字を彫っていたロリコン(自分で自分の腹を直接見つつ、人に見られた時、読めるように彫ったつもりが、頭わるいから意味不明な記号になってしまっていて、それが一段と気持ち悪かった)、ナイフで傷害事件を起こして家庭裁判所に出廷しなければならないのがバイトを休む理由だった人(一度、従業員仲間を殴って記憶喪失にしたこともある。幸い、記憶が喪失していたから表沙汰にはならなかった)、マリファナ吸ってやってくる人、我々バイトの仲間たちと横領した金ででらためな花火大会をした時に、二寸玉(打ち上げ用の花火)を手持ちで投げて遊んでいたら手元で爆発しちゃって右手がほとんど焼けた人、死んだ人、元やくざ(入れ墨の客を注意しないといけないのに、本人が上半身ほぼ入れ墨だった)。客も客で、ありとあらゆる変質者がいた。痴漢、盗撮、露出狂……。10代の後半、夏は毎日そんな人間たちと触れ合って、楽しくて脳も焼けてしまっていた。そんな彼らもいまや職に就き、結婚し。暑い。まったく夏だなあ。

夕方、びわ湖花火大会に。ほぼ恒例行事になっている。今年はいままでに見たことのない花火があった。「何あれ?」という声が飛び交ったそれは、爆発後、無数の毛虫のような形の赤い火が、空中でしばらく動かず滞在するというもの。長いのよ、それが。10秒くらいそこにあった。おもしろかったな。あ、今は土曜日の朝だが、ドアチャイムが鳴り、日差しの強い中、キリスト教系の勧誘が来た。こういった場合、俺は寺の息子になることにしている。するとすぐに帰ってくれるものの、真面目に対応すればするほど押しが強く、揚げ足を取るかのように押し入る彼らは人と接するということを何だと思っているのだろう。邪見にすれば、何だかこっちが嫌な気持ちになるし、その時、彼らは害悪以外の何者でもない存在だ、と話がそれたが、そんなわけで花火を堪能し、労働しなければならなかったのでその足で職場に。

マジで金欠なのでビールも飲まずに明け方、眠ったが、すぐに目が醒めてしまった。そして生あくびの日記。明日からもう少し整えよう。

2010. 8. 5|THU

バックミラー

4日は……、5日の午前7時に目が醒め、果たして今はいつなんどき? 朝なのか夕暮れなのか。何もわからないほど無闇に眠っていた。iPhoneを見るとメールや着信履歴。俺が眠っていた時も何かはあったんだなあ……って。

幾つか書こうと思っていたことはあったのだが、今は午前4時、疲労困憊でビールを飲んで、やや朦朧としつつ日記を書こうとするのもよくわからないが、っていうか、眠たいから寝たいのだし、何の意味も無い写真をトリミングして、サーバにアップしてさあ、文字が回り込むようにclassを入力したりして、俺は何やってんだろう、以前、人に言われたことだが、例えば、俺は善人だから云々、浮気はしなさそう云々、で、それは日記を見ればわかるって言うけども、そんなはずはない。何を以てこれを赤裸裸なそれだと思うのか。言っとくけど、LOSCOは決して発散の場では無い。断じて違う。酔っぱらいながら書きつつも、違うんだよそれは。古いバージョンのそれらは確かにそういう側面の強い格好悪いそれだったかもしれないが、現スタイルに落ち着いてからは、常にある一定の制御が意図的に施されている。なんていうか、よくもまあ、ここに書かれていることが事実だと思えるものである。嫌だ嫌だ。

もう明日から嘘しか書かないもんね。嘘日記だもんね。ビールなんて飲んでないしね。眠い!

2010. 8. 3|TUE

2日は早朝から起きていて、午後に今、思案中の『筏』という曲はコットン・ピッキングで弾き語ったりするのが良いのじゃないかとElizabeth CottenのCDを聴いたりするも、そもそも俺はアルペジオもろくに出来ないし、もっと言えばアンプラグドで演奏できるギターも持っていないのだった。いちおうYAMAHAのGL1という、通称ギタレレともされる小さなギターもどきは持っているが、ほとんど弾けない。小さいから、手がそれなりに大きな俺には弾き難いし、ナイロン弦だし。でもやってみようかな。あるものでやってみれば良い。コットン・ピッキングに惹かれたのも、そういう理由だったし。

それから音楽制作のパートナーである山村(麻由美)に、『Das lied der arbeit(仮)』という曲の歌唱を担当してもらい、それの録音に着手したが、途中で俺が体調不良になってしまったため申し訳なかったが中断。それで少し眠ろうとするも、それきり昏睡してしまい、申し訳ない続き、約束していた今野(裕一郎)くんとのSkypeもすっぽかしてしまう。

本日。阿部和重『ピストルズ』読了。「菖蒲あおば」の語りをもっと読みたかったと書けば、この小説の評価として十分だろう。随分まえに読み記憶も曖昧なため、というか、はっきりとした粗筋の無いそれと記憶もしているが、なのでそのそれを引き合いに挙げることがどういうことになるのかわからないが、保坂和重の『カンバセイション・ピース』のことを思い出した。で、おぼろなまま続けるが、『カンバセイション・ピース』の文章と同等の強度を、俺は「菖蒲あおば」の語りに感じていたのかもしれない。だとすれば、それだけでも十分なそれは、彼の複数の過去作と絡み合い、さらには未来の存在を匂わせた(余談だが、『インディビジュアル・プロジェクション』のラストの感触に似たそれによって)。もはやバランスだとか構成だとかという言葉はどうだって良かった。凄いです。

『ピストルズ』は神町サーガと呼ばれる彼の一連の作品の最新作だが、つまりは「神町」という名前の町を軸に書かれたそれを読み、俺は今、田中野神町という土地に住んでいるのだが、その田中野神町サーガを束の間、夢想する。でも、Google Mapsで調べたら、というか、そんな調査が不要なほどに田中野神町は狭い町で、我が家から右に1分歩けば隣町、左に1分歩けば……という案配なので、先日、落雷による火事があり(我が家のエアコンを破壊した雷である)、今日行くと、レジに「日曜にバナナ400本って、土曜に言ってな!」と走り書きのメモが貼付けられていた「なかむら」というスーパーくらいしか、シンボリックな建築物は無い。だいたい、京都という場所は町が多すぎて、町名というものがあまり意味を成していないというのをいつかテレビで見た記憶がある。なにしろ「田中」を冠称する町は30町もあるらしい。そんなことを調べているうちに、俺は生まれてから22年、大阪の寝屋川市に住んでいたのだったが、幼少のころ、時折あそびに出かけた太間町にある太間公園のことを思い出した。18の頃、自動車に撥ねられ、安い保険金を提示され、腹が立ち法律を調べ、結果、提示の6倍に膨れた保険金でバイクの免許とバイクを手に入れた俺がその辺りを走っていると、橋の手前で「絶間橋」と書かれた標識を目にし、迫力のある名前だが、はて、何と読むのか、と思うも、すぐに太間公園が近いことを思い出し、「絶間=太間」なのかもしれないと帰宅後インターネットで調べ、思いのほかあっさりと事の仔細に辿り着き、その知への過程のたやすさに落胆する。別に太間公園での思い出も特には無いため、「絶間=太間」の理由を知っても大して感慨深くもなく、インターネットで簡単に入手できる情報を得るより、知らずに妄想していたほうが楽しかっただろうと、つまらなくなったのだった。田中が付く町だらけの土地にある田中野神町。最寄りの駅は元田中だ。田中って何だ、って思いつつ、しばらくは知らずに遊ぶことにしよう。なにしろ気を抜くとすぐに検索してしまうからな。

さて、夜は今野(裕一郎)くんとSkypeで話す。提案され、数日考え込んだ答えを適切に伝えられた感触があったため安堵する。そのまま流れて結局、朝まで話し、蝉は鳴き始め、そしてこの日記を付けている。

2010. 8. 1|SUN

洗濯鋏

7月31日は本当に無為な一日で、気が付いたら8月になっていた。Amazonから『現代語裏辞典』(著:筒井康隆)が届く。こちらのほうが確かに装丁は凝っていると思うが、アンブローズ・ビアスのそれを翻訳した『筒井版 悪魔の辞典 <完全補注>』のほうが、かっこいいし迫力がある。あと、辞典じゃないけど『欠陥大百科』(今は古本でしか手に入らない)も装丁が良い。

……やっぱり過剰さが無くなっていくのだなあ。欲望の果てを見たいのだなあ。久しぶりに『顔面崩壊』を読む。傑作長篇『敵』はもう10年前の作品なのか。

それにしても暑い日が続きますね。夏ですね。ふと、去年の8月1日は何をしていたのかしら、と思い日記を見ると、

『Melody♡Cup』まで一週間である。

とのこと。『Melody♡Cup』は再演するらしいので、また詳細が判ればお知らせします。予定では来年2月に関東での上演もあるみたい。

あ、そうだ。家に『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』のフライヤーが届いたのが一昨日。鈴木理策さんの写真と相馬(称)さんのデザインによる色味の素晴らしいフライヤー。サイズがたぶんブランケット版の四つ折りで、フライヤーとしては特殊だと思うのだけれども、それによって写真の掲載サイズがとても良い。関西でも幾つかの場所に置いていると思うが、見たい方は我が家に来ればあるので、お越し下さい。

あと、何かあったかな。書き忘れている事。今日。ところで、何が欲しいのかな。今。