April 2010

2010. 4. 28|WED

河原町丸太町

27日。雨と風邪の予兆とでぐったり。大人しくしていた。翌28日、本日。快晴。昨晩、発熱を感じつつ眠ったのだったが、快復したように思い、所用で外出。ところがすぐにやはり熱があるなあ、といった案配になり帰宅。大人しくする。

夜、ここ三日あまりまともな食事をしていないと思い、一乗寺の元亀で天丼。

『ルパン三世 カリオストロの城』で瀕死の重傷を負ったルパンが気付き、すぐさま大量に食事をし何とか快復しようとするシーンがあるが、あんなふうに傷付き快復したいなあ。

風邪だしさあ、インプットも無いから書く事がないのだった。小松紘子という方の『GAGA』というちょっとしたマンガが面白かったよ。

2010. 4. 26|MON

路地

夕方、所用で外出。帰宅し、少しして孝学(直)くんと植松(昂)ちゃんが来訪。植松ちゃんは随分ひさしぶりに会ったのだったが、元気そうだった。孝学くんは午後9時ごろに帰ったが、彼は深夜2時ごろまで居て、色々と話す。

さて、このところ「まあ、昨日書いたし良いか、今日は」なんてアティチュードになってしまっている日記なので、いや、いけない、毎日書いてこその日記だ、と自分を戒め記述を開始したものの、あまり書く事が無いのだった。

深夜、腹が減ったが52円しかないし困ったなと思い、はっとなって引き出しを開けるといざという時のために取っておいた千円札があったので吉野家に牛丼を食いに行った。

2010. 4. 25|SUN

青い車

24日のことから。昼過ぎ、京都駅で山村(麻由美)と、東京からいらした相馬さんと落ち合う。相馬さんは地点の公演を観るために京都に来、我が家に一泊の予定。昼飯を食い、相馬さんのもう一つの目的でもあった谷川清次郎商店というキセル専門店へ。キセルは物として美しかった。欲しいな。でも肝心の刻み煙草は現在、一つの銘柄しか販売されていないとのこと。

店を後にし、相馬さんは観劇のために京都芸術センターへ。同時にそれを観劇しなかったのは、アトリエ劇研でその日上演された象、鯨。『次回作 高山なおみ作「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」舞台化のキャスト・スタッフ募集のためのプレゼン』を観るためだった。西山(真来)さんと濱崎(彰人)くんの二人。改めてなにだが、二人とも舞台の上でのほうが映えるね。衣装も良かった。濱崎くんは共演したことがあるぶん、今回、どこまで自分の体に自覚的だったのかは気にかかったものの、かといって、そこでの振る舞いが悪かったというわけではない。試演会という名目の公演(象、鯨。以外に二団体、合計三団体のセット公演だった)だったため、尺は30分以内という規定があったようだが、それよりも短く感じられたそれはもっと長い時間、観たかった。次があるのかはわからないが。

さて、観劇後、再び山村と相馬さんと合流し、夕食。山村(麻由美)も出演する『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』の話など色々。帰宅して、俺は来客があったというのにいつのまにか眠っていた。

25日。昼過ぎに相馬さんと京都駅で別れる。それから地点の公演に向かった山村と、52円しか所持していなかったため観れない俺は別れ、帰宅。裕木奈江『水の精』を聴きながら、必要があって舞台公演の出来そうな寺を調べる。とにかく足を運んでみないとな。

2010. 4. 23|FRI

もきち

21日はサニーデイ・サービスとFlying Lotusの新譜の発売日だったが金欠でどちらも買えず、仕方無く今は『Los Angels』を聴きながら日記を書いている。

三日ほど空いてしまったので、例の如く、特に日時を指定せずに思い出すままに書くが、今野(裕一郎)くんのTwitterでの言葉で知ったのはLCD SOUNDSYSTEMが、次のアルバムを以て、「アルバム」の発表を最後にするということ。傑作EPを出しつつ、「まさかの」1stアルバムを発表したのが2005年だったと思う。で、確かその前にエレクトラグライドで来日していたはずだが、単独では日本初のツアーの初日、梅田でのライブに俺は行ったのだった。この時は、パニック障害が発症していたのだけれども何の病気だかわからず相当のストレスと体調不良を抱えていた時期だったことを覚えているが、死ぬほど良かったね、ライブ。で、それから彼らを筆頭にニューヨークから色々と出て来たが、結局俺にとっての2000年代のバンドはLCD SOUNDSYSTEMと、離れてイギリスからMetronomy、の二つ。『KID A』『DISCOVERY』『Futurama』の傑作3枚は90年代の精算という感触が強かったのだな。

あ、22日はそのこともあって今野くんとSkypeで色々と話し、確かDTM系のネットレーベル、マンブルコア、カオスラウンジ、DIY STARSと端的に今に見るメディアを使った戦略のようなことを軸にした内容のことだったと思うが、それから何故かデートの定義の話になって、で、長話をやめて、来訪していた孝学くんとまた話し、夜、近所の「おくだ」という店でナイスなとんかつを食ったのだった。

でもまあ、ディケイドで語るってことがなんか、やっぱり無茶している気もするね。象徴的なものを求めるってのは、そもそも順序が逆だし。必要悪なのだろうけれども。

2010. 4. 20|TUE

ショッピングカート

阿部和重『ピストルズ』を読もうと手に持ったものの、重くて分厚いので机に置けば、首をずっと下に向けていて辛かったので、古本で買った井上ひさし『偽原始人』に持ち替える。

新潮文庫版を読んだのだったが、「井上ひさしジュニア文学館」と銘打たれて書籍化もされているので、児童文学としての側面は強く、小学生でも読める文章だが、終盤、「佯狂」という言葉が現れてから事態は変わる。

主人公である小学生の一人称で語られることから、登場する「大人」はデフォルメされたステロタイプなものばかりだ。物事もわりかし簡単に進む。それが、「佯狂」の発生後、そうではなくなった。「大人」は背景を持ち出し、夏休みは終わりだとばかりに現実はディティールを浮き上がらせる。つまり、とても残酷な物語なのだった。大人たちに抗い、距離を作ろうとすることで距離を埋めてしまった子供たちである。そして戦慄のラスト。あーあー。

まったくなんて悲しいんだろう。どうして上手に生きられないんだろう、なんて子供じみたことを未だに思う俺である。齢を重ねて、うまいやり方は幾らでも知っているのにできない。できるけどできない。だから、それは子供の時のそれより根が深い。全く以て絶望的だ。かといって原始人になっている場合(なれないのだけれども)でも無いし、さて。さて、だ。

2010. 4. 19|MON

暖かい気候の一日。体調は悪くなかったのだったが、どうも気分が晴れず、減薬の影響も思ったが、むろんそれについてははっきりさせる術は無いし、まあ、時折ひどくつまらない気持ちになるというのは良くあることだし、敏感になり過ぎるのもあれなので、こういうものだとしておく。

『原始人みたい』の再演のことや、去年出演した舞台のバンコクにおける再演のことなどがはっきりしたら、本腰を入れて金を貯めようと思っている。というのも、金が無いということ以外に、京都に居る理由が無いと気が付いたからだ。別段、京都にいたくないわけではないが、居ても仕方が無いという思いもあり、あと、単に飽きているのだった。

まあ、とはいえこういったあれこれも今の気分、でしか無いのかもしれないが。

昼過ぎに鴨川で呑んでいる『シティ派で』の面々と合流し、のんびりと過ごす。

2010. 4. 18|SUN

さて、18日の俺は昼ごろまで眠れず、その後、眠ってしまい、chikin『シティ派で』の楽日に行けず、バーカウンター担当であったことから酷く怒られた。反省。

chikinの公演は、縁あって一番始め、大学の一室を使用して催されたものから、劇場はもちろん、公園、ショッピングモールの中、ほとんど全て観て来てきたが(3回公演ならば3回)、今回、ついに楽日を観なかった。

というのも、17日の2回目の鑑賞で完全に心が折れてしまっていたのだった。つまりダメだと思ったのだった。気になる箇所が山のようにあるため、それをいちいち挙げていくと、まるでいじわるのようになってしまいそうだから批判の概略を例えで言うが、初めにドンと柱を立てて、それで終わっていたように思った。『シティ派で』というタイトルと共に柱を立てた瞬間に、すっぽりと細かな箇所への視線を放棄したかのように俺には映ったのだった。少し具体的な箇所を挙げていくと、先ず、非常に大きな問題として、絶望的に音が小さい。劇場の事情があるのはわかるが、だとしても、それによって綺麗に映されるべきものが、まるで昔の電波受信の悪いテレビを通じて観ているかのようなストレスを観客に与えるという、大げさでなくそれほどの問題だと感じていなかったであろうため、そこに目を瞑れたのだろう。だがしかしそうだった。それによって一気に全てが緩くなってしまっていた。そしてあのステージである。説明すると、フラットな、オールスタンディングを意識したほぼ正方形の空間の中心に、おおよそ2メートルの幅、奥行き、そして1メートルと数十センチの高さのお立ち台が設置されていたのだが、これが、非常にその上での事を鑑賞しやすいのだった。そして、ある一方にのみそこへ上がるための階段が設置されていたことから、360°を意識して演じていたのはわかるものの、どうしても正面が存在してしまっていた。じゃあ、片面ステージで良いじゃない、と。こういったコンセプトの根底にあることが気にかかりつつ、さらに細部への疑いが溢れてしまったため、今回俺は観ることができなかったのだった。

いつも失敗している彼女達だが、その失敗を含めて俺は面白かったのだった。だが、今回の失敗はただの失敗だった。俺はというと、一度でなく、全てでなく、二度だけ観に行った事が失敗だったのかもしれない。

そしてここまで書いておいてあれだが、俺はchikinの今回を含めた過去三作、どんどんと落ちていった印象なのだが、周囲の意見はそれとは反対で、どんどん良くなっていったというものが多い様子。彼女達の感触もそうなのだとすれば、もう俺は近くに居るべきではないのかもしれない。

2010. 4. 17|SUN

花(雨)

16日のことから。未明から、小説のためのノートが数冊に分散してしまっていたので、それを一冊にまとめる作業をしていた。気が付くと午前9時になっていたため、通院のため雨の中、駅まで歩き、京阪電車。医者に減薬のことを相談する。数日続いていためまいも治まってきていたし、それにそれほどの困難はないように思えている。

帰宅し少し眠り、chikin『シティ派で』のバーカウンターを担当するのと、鑑賞とを兼ねて、劇場に。開演が近くなった頃、バストリオの二人がやってくる。終演後、3人で天天有に。そのまま二人は我が家に滞在し、本日、『原始人みたい』の再演場所として候補になっているというクラブを偵察に行くということで別れる。しかしまあ、我が家に泊まってもらう、というような予定だったが、結局話は尽きず、夜は明け、ブランチの時間まで話してしまった。

どうやら、そのクラブの様子だが、

17日は大阪のとあるクラブを見に行く。「原始人みたい」をやるかもしれないことになっているので、偵察だったけど、この場所はまた違うことをやった方が いいなと思い、もう少し短い「原始人みたい」のなにかか、まったく新しいものをやるべきかもとなった。でもクラブのマネージャーが良い人だったという事でとてもやる気にはなったので収穫ありでした。

とのこと。乞うご期待。

日記に戻るが、今野(裕一郎)くんと別れ、俺はchikin『シティ派で』の2回目の鑑賞に。バイクで行ったことを忘れてうっかりビールを呑んでしまったため、バイクを押して帰宅。Amazonから届いた相対性理論『シンクロニシティーン』を聴く。聴いていてふと思い当たり、Twitterにも書いたのだが、えと、面倒なのでそれをそのまま引くと、「相対性理論の新譜を聴いている。わかった、つまりあれだ、リズム隊の巧みさにより、(エレクトリック)ギターが、そこに当然のごとく宿るであろう男性性から解き放たれ擬人化し、性を持たない者、それとしてまるえつと共に「歌う」、さらにそれが確信的である、 それによる勝利だということだ。」ってなわけで、これはなかなか言い得て妙だと思うのだが、いかがだろう。

あ、あと、そのCDと同時に阿部和重の『ピストルズ』も届いている。彼の著書の中で今までで一番良い装丁ではないかしら。そして分厚い。その物質の佇まいに、対峙したとき、少し緊張感すら感じるのだった。

そんなわけで夜も更け眠ったが、なぜか寝入って2時間後の午前4時に目が覚める。『シティ派で』の公演が18日までなので、そして今回、それの鑑賞を経て、彼女たちに多くの言葉とそれを用意/使用するためのエネルギーを使わなければならないと考えているので、日記は明日の夜まで空けようと思っていたのだったが、朝の穏やかな時間につい言葉を書き始めてしまった次第。というわけで、このあたりで。

2010. 4. 15|THU

chikin

さて、久方ぶりに連日、日記を書いているが、まあ、明日の午前に医者に行って薬を処方してもらうし、それまでの辛抱だ、というような体調なので、これといって書くようなトピックも無い。

昨日、今日に分けてUSTREAMで、3/31日に催された「談話室 宮沢」のログを見た。ゲストがスチャダラパー。1時間くらいかしら、と思っていたら3時間弱あったので、わりと見るのは大変だが、ログのあるうちに見ておくことを強くお勧めする。面白かったなあ。そういえば、「談話室 宮沢」が催されたSNACを主催されている桜井圭介さんは、先日、出演したバストリオの舞台『原始人みたい』を観にいらしたとのことだったが、演出の今野(裕一郎)くんは感想を聞けたりしたのだろうか。さて、そんなこんなで連想し、次に思い出すのは、『原始人みたい』で共演した(そもそも大学の同級生だが)小澤(薫)ちゃんのブログ(ozablo)である。本日付けの記事「高田馬場、エスペラント」が良かった。なんだろう、静と動、というか、生と死が淡々とむき出しに語られる筆致が心地よかったのだった。さて、芋づる式の記述の最後は、宮沢章夫さん主催の遊園地再生事業団の次回公演にも出演する山村(麻由美)がやっている団体、chikinの最新公演の話だ。『シティ派で』は明日から三日間、京都の劇場、アトリエ劇研で上演される。面白いかどうかは始まっていないので知らないが、ともかく京都に山のようにあるダセー劇団(あれとか、あれとか、あれとか……)にうんざりしている方は観てみてはいかがだろうか。俺は全日程観る予定だが、もし仮につまんなかったら、ここ(LOSCO)で徹底的にこき下ろしてやるだろうし、まあつまり人に何かを金取ってみせるってことになると、そういう命がけのことになってくるのは自明のことだが、まあ、それはそれとして、いつも良い方向に裏切られる彼女たちの公演を単純に楽しみにもしている。

さて、意図せず原意であるところのweblogのような内容になったが、これは日記だった。まあ、でも日記としては冒頭で述べたように、ダメな感じなのだ。あの、コンビニなんかで良く売られている、安い紙で分厚いコミック本があるでしょう、あれ、なんていうのかな、水木しげるの短篇が収められたあれが居間の机にあったので読んでいたが、未読だった『雷石』と『丸い輪の世界』がすごくよかった。傑作『錬金術』や『テレビくん』も収められていた。で、『丸い輪の世界』のほうは水木しげるが発明した、例のコラージュ的手法が大胆に使われているのだったが、そうではない『雷石』の水墨画のような線もまた美しくて良かったなあ。どちらも渋い話なんだよ。そんな傑作群を読んでいると、やはり昨今の、短篇作品というものの地位の貶められ方が、いろいろを悪くしているんじゃないかと、極端にも思えてくるのだった。なんでもかんでも長篇である。文学賞の公募だって最近は、ぎりぎり単行本化でき、芥川賞候補になりうる100枚と少しという応募規定か、もしくは数百枚のミステリー作品のどちらかがほとんどだ。中篇という概念が無くなっていることで、小説における一つの自由地帯が失われているようにも思えるが、こういったあれこれは映像作品などにおいてはもっと顕著なのかもしれない。短篇の楽しみ方を知らない年齢層が生まれると、もっとその辺りは貧しくなってしまうだろう。

久しぶりにどんどん脱線している日記。こんなこと書くつもりじゃなかったってことに気付いた時の喜びというのは確かにあるのだった。さて、明日の通院に遅延しないようにもう寝よう、とか思って時計みたらもう朝じゃないか。ラララ。

2010. 4. 14|WED

出町柳

ああ寒い。もう仕舞ってしまおうかと思っていたファンヒーターを稼働させる。

さて、昨日の日記にある通り、通院しそびれた俺は若干、離脱症状気味である。これを機に、良い加減、薬代も莫迦にならないし、通っている医者もあまり治させる気がなさそうだから、自主的に減薬していこうかとも思う。幸か不幸かあまりスケジュールも埋まっていないし、万が一寝込んでも大事にはならないだろう。とはいえSSRIを自己判断で減薬する危険性などは、よく聞かれる話であるのも事実で、だがしかし、あのテレビドラマの「GTO」で体育教師役をしていた俳優に似ているかかりつけの医者が俺のことを良く見てくれているかというのも甚だ疑問で、それよりかは自己判断および日頃側にいてくれる人の言葉のほうがよっぽど信用できるのだった。

そんなわけで、自他ともに発症以来、最も良い状態と思われる俺である。っていうか、舞台出演に耐えられている時点で治ってるじゃねえか、とも思えるのだが、なにしろ5年だからな、減薬は慎重にならざるを得ない。まあ、ぼちぼちだな。投薬しつつも出演した去年から今年にかけての3本の舞台はどれも素晴らしかったからな。全然いける。むしろ、完全復帰の自分に今から期待している自分がいるくらいだ。ラララ。

とはいえ、って今日の日記はとはいえ、ばかりだが、とはいえ、就労しても唐突にぶっ倒れる俺は、甚だ金がない。それなりに齢も重ねて、世知辛い日記になっちまったよ。これで完全に絶望していて燃やす欠片も無けりゃ死んでるところだが、どうもそうではないから大変だよ。とにかく、世知辛い諸問題と付き合い、まだ殆ど何もできていない全てをやり続ける。その両義的と言わざるを得ない歩みを止めるわけにはいかんのよね。って今日の日記、なんでこんな感じになっちゃったんだろう。

あ、そうだ。夕方に読んだほぼ日の「たまねぎアメと森繁パンダ。」というコンテンツが抜群に面白かった。むろん黒柳徹子のサービス精神や話芸には毎度感服するが、特に今回、彼女の語る森繁久彌とのエピソードは素晴らしい。90過ぎても女の子のことばかり考えていた凄い人がいるのに、ぐずぐずしてられないよ、全く。

2010. 4. 13|TUE

さて、12日というか、東京から京都に帰ってきてからずっとだが、酷く眠い。逸る気持ちを抑えて、春眠暁を云々。持病のパニック障害のために通院する日だったが、雨ザーザーのお天気もあって自宅でぐったり。少し書き物をしたりもしたけど、大体ぐったり。

今日もぐったり/ぐっすり。少し気合いを入れて表に出て、銀行などに寄りつつ、TSUTAYAに。東京に滞在していた間、気になっていたものをまとめて借りる。レジで松田(正隆)さんに会う。西山(真来)さんの次の企画、面白そうですね、と二言三言話す。

そうそう。ほとんど自主的に演劇を観に行くことの無い俺だが、象、鯨。『次回作 高山なおみ作「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」舞台化のキャスト・スタッフ募集のためのプレゼン』は、ほんと関西では久方ぶりに観に行くことを楽しみにしている公演だ。これは、今月の24日、25日にアトリエ劇研で催される企画の一部らしいが、それはそれとして、今週末には同じ場所でchikinの公演がある。『シティ派で』。16日、17日、18日。

それにしてもすっかり周囲が演劇関係の人たちになってしまった。そんな人たちよりも俺は、アートなんてこれっぽっちも興味のない着飾った美女とパフェとか食べたいのだ。果たして、どうすれば良いのだろう。先ず、何をすべきなのか。

あーだめだ。体調悪い。頭が壊れかけのテレビみたいに、視界が途切れ途切れだよ。強制的停滞というか、静止というか。面倒だな。同じ場所になんとなく居て、良いことなんてあった試しがないんだよ。

2010. 4. 11|SUN

ガソリンスタンド

今日は4月の11日。このところすっかり途切れがちな日記だ。空白を埋めようにも記憶が曖昧だが、とはいえ今は京都に戻りすっかり落ち着いたので徒然なるままに。

京都に戻って来たのは10日の午前中だ。8日の昼過ぎにみっちゃん(小林光春)が北千住の家に来て、今野(裕一郎)くんも交えて映画『河童のまぼろし』と『ゴーストアース』を観る。共に面白い作品だったが、特に『河童のまぼろし』の、実のところ一つの解釈しかしようがないとは思うものの、様々な要素が観客に振れ幅を与える構造が面白かった。

9日は『原始人みたい』を観に来てくれた方のお宅にお邪魔し、挨拶をした。今野(裕一郎)くんは今後、この家の子供を被写体に映画を撮る予定らしいが、ご両親含め快活で気持ちの良い人たちだった。

写真にあるようにレンタカーで東京をドライブしたのは9日未明だったか。楽しい時間だった。車内では『Sweet Spot』を聴いた。

まあとにかく『原始人みたい』を終え、遊びまくっていたのだ。そして今は京都の自宅にいる。

『原始人みたい』を終え、確認できたことは、共に同じ作品を作らなくなった5年間、俺は間違っていなかったということだ。恐怖と絶望を抱えて前に進んでいたのだと思えた。ある確信を得られる作品を作り、恐怖と絶望は増幅するばかりだが、だからこそ次に進むしかない日々が新しく進んでいる。

昨年からパフォーマーとしての活動が増えているし、今後も確定ではないものの、過去の出演作の再演が二つ予定されている。どうやら体言してきた。そしてもうデザインで収入を得ることは止めようと思う。求められて、与えたかったら無償でする。つまらない連中との金での関係を、デザインの感触にまで響かすことはないと考えた。もう、俺は嘘つけないから。

そんなわけで新しい時間です。また始まります。

2010. 4. 6|TUE

木

日記が一週間ほど空いてしまった。今月、3日4日に『原始人みたい』は3ステージ公演され、5日と本日6日はのんびりとした時間を久方ぶりに過ごしていた。

なにはともあれ、『原始人みたい』にご来場頂いた皆様、本当にありがとうございました。終わりました。やれることはやったつもりです。終わったので、もう少し北千住の家でゆっくりすれば、京都に帰ろうと思います。

一つのまとめとして、『原始人みたい』は「距離/愛と哀しみ」の物語だったと思う。我々につきまとう、原始的な感覚の最たる物の一つとして。だから、そこに表出させたフィクションと現実はリンクするものが多いだろうし、単純にその境界もまた距離だった。

公演が終わった俺は東京を離れる。距離。大好きな共演者たちを見つめる距離。流動するそれらの距離をコントロールする気は毛頭ないけれども、その距離はいつも正しいものにしたい。だからすべきことがあるのだし、そこに佇んではいられないようだ。

日記が滞っていた間、とにかくできる限りをし、公演日を迎え、そこに立ち、終わって、遊んだ。北千住の家で打ち上げをし、ゲームをし、カラオケに行き、上野で花見をし、ボーリングをし、またゲームをした。楽しい時間だった。そうして久しぶりに日記を付けている。我々の孤独に美しい花吹雪を。