2011. 12. 19|MON
昨日に引き続き、16日に観たしたため『はだあし』についてだが、濱ちゃん(濱崎彰人)が役者として良いことは彼との共演や、彼と西山(真来)さんの二人芝居を観て十分知っていたことだが、少し分析のようなことをすれば、彼の潔癖な「動くということ」に対する思考と、簡単なイメージを拒否するいびつな身体がそれを実現していて、そんなことを言うと、はっきり言って誉め過ぎな気もするので、そういう感じのそれがちょっとあるということにしておきたい。
端的に言うと、濱ちゃんが、屈み、サイズの合わなそうな靴を、あまり光の当たらないところで長い時間をかけて履き、やっぱり全然サイズ合ってない! という姿になり、立ち上がり、歩き、去って行く場面があったのだが、(この時、下手で男女の会話があり、そちらにもちろん意識はいくのだけれども、冒頭から作られていた地面に近い場所への視線の誘導は強く、つまり、下のほうを見ちゃう感じがあったから、その濱ちゃんに自然と目はいくのだけれども、ただ、濱ちゃんがいたのは上手の、面であった[つまり、劇場の大きさなどからして、決して客席から見えやすい場所ではなかった/後ろの席だと、前の人の頭で隠れそうな場所、ちなみに俺は、一番前の席だった]ということが気にはかかる[果たして、どのように意図された演出だったのか]のだけれども、それはそれとして、下手での男女の会話へと視線を映すことによって切断されることにより、より長い時間だった彼の行為)それは、全体の構成を見てもとても良い場面で、だから思ったのは、彼のそのことのような意志が序盤にもっと積み上げられていれば、ということである。
あと、もっと簡単な感想として、照明が素晴らしかったのだけれども、音響は良く無かった。これ、結構大きいんじゃないかな。
さて、日記を書こうか。家の、洗面所の灯りのためのスイッチが、一度直して半年程度問題なかったのだが、またおかしくなって(点いたり点かなかったり、点いても明滅)、修繕を試みたのだけれども、先ず、前回、徹底的に直さなかったために気になっていた箇所/疑っていた場所を徹底的に直すも、依然不調で、あれ、じゃあこっちかな? とちょっとしたことをしたら直った(っぽい)ので、順番を間違えたなァ、となる。家が寒く、手がかじかんでいて、針で親指を刺してしまって痛い。刺し損だった。しかし、修理、という行為はほんとに好きだナ、俺。問題と徹底的に向き合い、試行錯誤し、元に戻す美しさ。もっと簡単、つまり、大した経済的リスクを背負わなくとも、修理以外の選択肢がある中(いま)で、その行為は、機能回復だけを求めているわけではないわけで、そのことが、好きだ。日曜大工が好きな人が多いというのは、こういう理由だろうね。小さな喜びがある。小さな喜びは、もともと小さなことだから、向き合い方を変えれば、些事でしかない。
やっぱり、そういったものを下敷きにして、どこかへ行こうとしなければならないのだろうか。このことについては、少し悩む。それが悪いということでは決して無くて、むしろ良いのだが、……その時、俺は、とおくの大きな何かに届かない怒りのことのほうが、いま、気にかかるのだった。敗北のことである。いつまで経っても、バカみたいに、朴訥と、犬のように、与えられる敗北を拒み続ける。そうしたいとか、したくないとかっていうより、良いとか悪いとかで言えば、悪いっていうか、ただただ……、つまらないと思う。だけど、どうしても目を瞑れない。
