18|SUN

2011. 12. 18|SUN

こんばんは。17日のことから。それは昨日だった。びっくりするくらい無為に時間を過ごしてしまった。ぼんやりとしていた。何もする気が起こらなかった。

18日。晴れ。灯油を買いに行く。良い天気で、表は比較的あたたかかった。でも家は寒くて、夕方に少し寝ようと布団に入ると冷たく、湯たんぽでも用意しようかと思い布団から出ると、ちょうど飼い猫がいたので抱き上げ、布団に放り込んで寝た。起きたら汗だくだった。ちょうど良い頃合いで布団から出て行ってくれるとなお良かったのだが、とにかく暖かかった。

Leiden

一昨日、16日に観たしたため『はだあし』だが、俺がしっくりこなかったのは、そこで行われていることが、丁寧であると同時に、簡単に感じられたことだった。もっと残酷で、もっと不自由であるべきだと思ったのだった。

ところで、俺の父親が電車に乗っている姿を、俺は見たことがない。生まれてから、一度もない。だから、父親は俺にとっては、電車に乗らない人でもある。ある日、父親と電車に乗ることになったら、どうだろうか。俺は、なんとなく、吊り革を握る父親を見たく無い気がする。俺は電車が嫌いじゃない。それとこれとは、別の話で、つまり、俺はいつのまにか、電車に乗らない人が電車に乗る人に変わることを恐れている。

ただ、28年間、一度も見なかった姿は、ふいに現れるかもしれない。そういうものだと思う。特別の日ではなくて。その時、俺が何を思うかは、わからないというほかない。何も思わない可能性すら、否定はできない。

簡単というのは、なんだろう。たぶん、重心に関することじゃないだろうか。きっと、体の中心ではない、また別のどこか、そこにある重心が、体を不自由にする。それが見たかったのかもしれない、と観劇後に気が付いたのだった。

昼過ぎ、そういうことを考えていて、「曠野と野生」という小文を書いた。それは、あまり考えていた事とは関係の無い文章だった。「きっと、体の中心ではない、また別のどこか、そこにある重心が、体を不自由にする。それが見たかったのかもしれない」などと書いたが、そのこともまた、疑わしいのだった。

結局、「ことば」について考えているのだった。ことばを骨抜きにしたい。それだけのために、俺はことばを書いている。不自由このうえない。だから、簡単をつい疑うのだろう。電車に乗る事もまた、困難なのに、どうしてお前にはそのことばが? そういう思いなのだと思う。つまらないと思う。だけど、どうしても目を瞑れない。