2010

2010. 10. 23|SAT

夜、打ち合わせを終えて帰宅する途中、ふと思い出し、菊池成孔『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』を買う。文庫化されていたのだ。買ったのは、同じく文庫で読んだ『スペインの宇宙食』が最高だったからだが、カバーデザインも引き続き名久井直子によるもので、写真は荒木経惟、綺麗だ。

帰宅し、疲労と頭痛で寝てしまい、起きると深夜だった。時間が経っているので当然、なんらかのことは起きていて、それをのろのろと確認し、本を開く。

少しして閉じ、このところ集中的にやっていたそれとは別のデザインを始める。考えてみれば、バンコクにいくのにほとんど時間が無いし、家は散らかっているからそれもどうにかしたい。

明け方、緻密な局面に差し掛かったので中断する。我が家は卓袱台、もしくは炬燵なので椅子に座り食事を取ることは少ないのだけれども、何となくテーブルでそれほど好きというでもない珈琲を飲みたくなり、明け方の東大路通を、いつもなら南に歩くのだが、ふと北に進むと何も無く、白川通まで東に進み、しかし明け方だからどこも閉じていて、ぐるりとまわり百万遍。結局小一時間歩いただけで帰宅し、水を飲む。

それから人々が起床していておかしくない時間になり、印刷物を一つ入稿。心置きなく『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』を開くのが午前9時。日記を書いているのは午前11時の手前。少し眠りたいが、寝付きが悪いから、おそらくそれは正午を過ぎるだろう。

2010. 10. 22|FRI

多忙と無縁の日々を選んで生きてきたのは、学生だった頃、無理がたたって病を患って以来だが、なので、多忙というものがどういうものか忘れていて、まあ大丈夫だろう、といろいろ頷いていたら、今月26日の出国までの予定がアホなことになっている。関西人は、世代差もあるだろうが、「阿呆」と「莫迦」なら、「阿呆」に親しみを込め、ほんとうの罵倒の時に「莫迦」を使うと思われているようだが、実際は逆だ。「阿呆」にも二種類ある。悪く無い方の「阿呆」と悪い「阿呆」。「莫迦」は「くだらない」と同義なことが多い。閑話休題、俺の予定は悪い方の阿呆なことになっている。片手落ちになるくらいならやらないほうが良いわけだが……、まあ、そうもいかないのね。いまはやれるだけやるほかない。とはいえ……。

別段、大げさに参っているわけではないのだけれども、もう少しうまくやれたのにな、と思うと、悔やまれることも無くはないのだった。

大体、家がきたないよ。掃除/洗濯/消耗品の買い出しにも行けていない。自炊もしていないし。今は23日の早朝だけど、いよいよ京都は冷えてきた。……腹も減ったし。何か食いに行こうか。

2010. 10. 21|THU

高速バスの車窓

17日から日記が滞っているが、その間、つまり5日間のことを時系列に沿って述べていくと、肝心のところで力尽きそうな気もするので、ごちゃっと一塊の時間としてその日記を書く。

18日、19日の夜は座・高円寺で『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』を観劇する。俺はそれを「欲望」というタイトルの抽象画として観ていた。そのタイトルは「人間の欲望」でも「欲する人間」でも無く、「欲望」。

欲望にも色々あるが、代表的なものとして食欲、性欲、睡眠欲。『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』は眠りについてのお話だから、そこでは様々な睡眠の状態や、睡眠への欲求が語られるが、そこでの「眠り」は、「食」や「色欲」に替えて観ることもある程度は可能だと、思い返して思ったのだった。だけど、今、単純に、語るべきお話は「眠り」についてだった。だから眠りについてのお話だった。そう考えたとき、それは「欲望」の演劇に思えたのだった。そしてそれは欲望を振り回す人間の絵画ではなく、欲望そのものの抽象画だった。

最近、平野啓一郎のブログで、「絵画とグラフィック・アートの違い」というタイトルの記事を読んだのだけれども、そこでは「額縁(フレーム)」をその違いの中心に置き論じられていた。観劇後、その記事を思い出したのは、舞台美術に見られた多数の四角形(フレーム)が印象的だったからだ。さらに立体を考えれば、鏡の舞台は底面、袖があり、モニター、さらに客席を一面と考え組み立てれば、上面には何も無いと捉えるか、単純に劇場の屋根があると捉えられる。

さて、何か言おうとしているふうのことを述べているが、別段、何も結論めいたことは用意できていない。それどころか、実のところ、一切、何もわかっていないと言っても良い。

端的に言えば、「欲望」というタイトルの抽象画は様々な側面を見せ、美しさ、怖さ、エロス、タナトス、愚かさ……、じっと画の前に佇み、もっと観ていたいと思っていたら、閉館の時刻を迎えてしまった。そんな気分で終演はあった。絵画には無い「時間」の概念がそこに当たり前のこととしてあって、だからそれは演劇だった。そしてつまり、あり得ないかと思われていた2010年のパンクがそこにはあった。

まとめられない色々を書けばきりがないので日記に戻るが、17日の明け方には『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』をDVDで観ている。面白かった。それからデザイン業務をしばらくして、仮眠し、夜行バス。世話になった北千住の家で少し眠り、昼過ぎにハノイハノイに。翌19日も行く。店で宇田川ちゃんに久しぶりに会った。(橋本)和加子さんには誕生日プレゼントとして綺麗なライターをもらった。その他いろいろ。ちょっと、やっぱり事細かに書くのは不可能だ。もう東京は後にしよう。

20日、午後8時、京都で『Melody♡Cup』の稽古初日。本日、朝からデザイン業務、『Melody♡Cup』稽古二日目、打ち合わせ、デザイン業務、午前4時、一旦終了。日記を書いている。

2010. 10. 16|SAT

書きたいことは幾らもあるが、例えばそれを塵の積もった山に見立てて、さて、本当に書くべきことはどれだろう、ゴミを漁ると山は消え、ただ汚れた地面が剥き出しになる。そしてもうここは何も無い土地にしてしまおう、箒で綺麗に塵を忘却の彼方、もしくはコールタールのごとく振る舞われることを覚悟で心の墓地へと葬る。

夜、近所のcafe ZANPANOに。徒歩3分。松倉(如子)さんと渡辺勝さんのライブを観に行く。とても良かった。二人のライブは過去何度も観ていて、今日も知っているお二人だったのだが……、なんだったのだろう、無性に感傷的な気持ちになってしまい、最後から数えて3曲目(演奏曲が非常に多く、頭からだと何曲目だったかはわからない)、渡辺勝『好きなことだけを』(『ぼくは白い雲』収録)で、とても堪らなくなる。

松倉さんが、勝さんは20代半ばにこの曲を作ったのだったが、還暦を迎えたつい最近までライブで演奏しなかったというエピソードを話す。「———ようやく歌えるようになった」そう松倉さんが口にすると「歌えなかったわけじゃない」、そしてちょっとした言い合いがあり、ふいに言葉を発することを止めた勝さんは鍵盤に手をかけた。そして、

好きなことだけを 楽しくやろうと思った
見知らぬ人や おせっかいには もう飽き飽き
楽しくやろうと思った

渡辺勝『好きなことだけを』より

と歌い始めた。それは美しい唄だった。2時間半のライブ。この涙に近い気分をなんと表現すれば良いのか。悲しみ、その言葉も間違ってはいない気がする。

夏にとあるインタビュー撮影を孝学(直)くんと行った。インタビューに答えて頂いた幾人かの中に、鴨川で写真を撮っている方がいらっしゃって、その方を撮影した素材は夕暮れの撮影であったこともあり暗く、おそらくそれが一つの理由として今回、素材として不採用になったことをメールでお詫びとともにお伝えすると、とても心ある返信をくださった。申し訳ない気持ちで、そして嬉しかった。俺はこんな言葉を頂けるような人間ではないのだと、どうだって良いことを思う。

くだらないずるや卑怯なまねは決してするものかと生きてきたが、もう一度それを思おう。

さて、やはりどうも感傷的な日記になってしまい、しまった、と思っているが、今日はこういう日だったのだから仕方あるまい。深夜、少し眠り、とあるかわいい女の子にさんざ罵倒されるという色気のある夢を見、それをしばらく反芻してから飼い猫のもきちを目で探し、あ、東京に行きしばらく家を空けるから人に預けたのだった、と思い出し、日記を書くことにした。もう朝だ。

2010. 10. 15|FRI

14日。引き続き来訪していた南くんと遊んでいたが、明け方に彼が寝たので、俺はその間に雑務をし、彼が起き、しばらくして俺がソファーで少し眠り、起きてもやはり眠いからしっかり眠ろうとしていたら、彼は帰っていった。

夜、デザインの仕事の打ち合わせ。帰宅し、バストリオとSkype。こちらもデザインの打ち合わせ。

本日15日。今はまだ陽のある時間で、具体的に言えば17時だ。なので、つまり、まだ終わっていない日記である。なぜこんな時間に書いているのかというと、午前中からメール業務をし、俺はメールを書くのに結構な時間がかかるからその間に三村京子さんの新作『みんなを屋根に』を3回も聴いてしまうほどで、ようやく終えた15時過ぎ、風呂を浴び、ある街頭インタビュー撮影にご協力いただいた方々に、その素材がどうなったかの報告を兼ねて改めてお礼に伺い、幸運にも、いきなり訪ねてしまった二人にお会いでき、良かった良かったと帰宅し、さて、これからの今日、仮眠をとって夜の労働に備えようと思い、するとまあ、日記を書くタイミングとして、労働後も労働前も書く内容は大して変わらないだろうから、だったら気の向いた今、という考えからである。

それにしても『みんなを屋根に』は抜群に良い。3日で15回も聴いている。こんなことはあまり無い。日暮れの京都の片隅で音楽がリピートされているが、東京では『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』の幕が間もなく開く。普段、非常にぐうたらしているので、人並み程度の忙しさで息を切らす俺だが、その息を切らしている俺はそれを2回観ることにしている。18日と19日。そのために、つまり、知らない時間と空間を求めて俺は夜行バスに乗るだろう。それは、金を貯めて無意味に東南アジアを廻るそれとは別の、正しい意味での旅になるはずだ。

2010. 10. 13|WED

こわれたベル

11日、12日、13日の日記。

11日。昼過ぎに京都を訪れていた小澤(薫)ちゃんと猫町に。夜、美女がケーキを持って来訪してくれる。誕生日である6日に連絡をもらっていたのだったが、俺がまた別の美女と会わなければならなかったため、日を改めて来てくれたのだった。さて、右の二文だけで、相当数の方に嫌われそうな気もしないでもないが、その理由とそれに対する言い訳は省略して、ただお赦し頂きたい。ただただすっと書けばそういった単語が先頭に立ってしまう、そういう意識があるということは誤摩化しようが無いのです。

12日。夕方に所用で京都芸術センターに。帰宅後、体調が余り優れず、いろいろと薬を服用したら眠気に襲われ、仕方が無いので完全にポーズとして音楽を大きな音量でスピーカーから鳴らして、深夜の労働に出かける。

13日。注文していた三村京子さんの『みんなを屋根に』が届く。前作『東京では少女歌手なんて』に続き、傑作。音楽。聴くものが見つからず、でも聴かずにはいられず、探すも探すも、の間を繋いでくれた1枚と、そこにあった光としての1枚。俺は本気で言っている。

夜、長い友人である南くんが家に来る。彼は今はリビングで寝ている。俺は日記を書いている。14日の朝が今だ。

2010. 10. 10|SUN

ガレージ

8日、9日と日記が滞っている。しかしまあ、日記なんて「書かなくても良いもの」だから、書くにはそれなりのモチベーションというか、やる気がいるわけで、つまりは8日、9日とやる気が起きなかったのだろう。では、10日付けのそれはこうして書かれているのだから、やる気を起こしてそうしているのかと言えば、もう6年も続けていることから、今ではやる気というには大げさな、まあ、ちょっと書くか、という具合の気分で成立する。一度そうなってしまえば楽なもので、というのも、やる気の漲った日記は大抵の場合、恥ずかしいからだ。書くべきことなど何も無い。そう思って書いてこその日記である。掲載の写真にも意味など何も無いのだ。

さて、空白の間で覚えていることをいくつか。基本的にはもちろん働いていたのだが、トピックとしては9日の夜にトミーが家に来た。Gmailのことで相談、というのと、誕生日プレゼントを持って来てくれた。このところ家で飼い猫と居るばかりなので、トミーにこのところのいろいろをやんや話す。トミーは来月、バンコクでの『Melody♡Cup』の共演者でもあるから、そのことなども。話しているうちに不安になったのは、思い返してみれば、当時の俺(昨年8月)は、連日自転車屋で肉体労働していた体力がまだあった頃で、1辺10メートル以上の巨大ビニールシートの下で大きな負荷の中、踊り、その後、舞台袖で携帯用酸素を口にしながら(ビニールシートの中はサウナ状態で、しかも20分ほど居たはずである)大慌てで次のシーンの準備をしていたりして、今、あんなことできるかしら、ということである。大体、当時ですら冒頭15分でバテていたし。困ったな。今からジョギングしてもダメかな。とりあえずしてみようか。

今日、10日。暗い場所、特に室内での写真撮影で、所持しているデジタル一眼の性能の低さにいつも頭を抱えていたことから、それはもはや随分と古いモデルなので、今となってはレンズを新調するよりもカメラ自体を新調したほうが安い状態で、さてどうしようか、金も無いし、と悶々とし、とりあえず現行のカメラのISOを最高にし、シャッタースピード1/30は確保して色々な状態を撮影してみようと夜の街に出る。場合によっては、乗ったとしてもなんとかなるノイズなのではと淡い期待を抱いていたのだった。その流れでふらふらとカナート洛北に立ち寄る。靴を見たり、楽器屋でKORGのELECTRIBE・SXを触る。真空管がかっこ良いんだ。これ一台あれば大体のことはできるなあ、と触っていると、店員が近寄ってきたので、いろいろ訊くも何も得られない。挙げ句に、それどうやったんですか? と驚かれるような始末で、まあ、こんな機材を本気で買う人はここじゃ買わないよな、と思いつつCD屋に移動する。幸か不幸か財布に400円しか入っていなかったので何も買わない。本屋も右に同じ。本屋を出ると見知らぬ番号から電話が掛かってきて、はて、何かの入金が遅れているのか、と出れば、唐突にマンションを買わないか、と言われる。そういう仕事の人なのだろうが、その人が手にする何らかの番号リストは一体なんだったのだろう。どこから漏れたのかわからないが、400円しか持っていない男が入っている時点でダメなリストだと思う。買うはずないだろう、マンション。400円しか無いんだ。

トミーが9日に持って来てくれたタイ料理が米にとても合う総菜で重宝したのだけれども、それでも俺の手による簡単な自炊には飽き飽きしていたので夜、天天有に。

カメラのことを忘れていたが、やはり今のカメラでは目的に耐えうる高感度撮影は不可能だった。静物なら何とかなるが……。仕方あるまい。何か考えよう。

物も歳を取る。部屋を見渡せば古い物ばかりだ。

2010. 10. 7|THU

児玉悟之

昨日は深夜、米を炊き、最寄りのスーパーなかむらで購入した辛拉麵を食べた。で、今日は依頼の写真撮影の帰りに、丸太町にあるタイ料理屋「パクチー」でパッタイ。帰宅して蓮茶。食が多国籍だが、それはともかく、このところは胃がダメで胃薬を服用し続けているのに、間違っているのではないか。辛拉麵なんて、胃に対してかなり攻撃的だったし。

写真は柏原(文恵)さんに撮って頂いた『The Girl Problem』ゲネ中の俺。気に入ってプロフィール写真に使わせて頂く許可をもらったのだった。7、8分の間、コーラを自販機で買い、飲み、匍匐前進をし、携帯電話に出て話し、話し続ける/台詞を言う、を続けながら買ったコーラを飲み切り、ある台詞をきっかけに飲み干されたコーラの缶を踏みつぶしてゴミ箱に捨て、ある台詞のタイミングで舞台中央に置かれたネクタイを締め終えなければならなかった。大変だった。そんな写真がこれだ。

さて、日記に戻るが、依頼の写真撮影は今月5日のそれの続きだったのだが、被写体はあまり知らない方々で、ようやく少し打ち解けられ楽しかった。で、既述の通り「パクチー」で飯を食い、帰宅後テレビを点けると「アメトーーク!」が放映されていて、野球に関して話すコーナーが面白くて見入るも、肉体労働に出向かねばならない時間になり、しぶしぶテレビを消したが、その、しぶしぶテレビを消した感覚というのはすごく懐かしかった。

このところ忙しくて本も映画も摂取していない。ダメだ。

2010. 10. 6|WED

デーデ

写真は、同居人が昨年の11月に拾い、間もなく死んでしまったデーデという名前の猫である。椅子に座る俺の足に居る。拾い猫だから、正確な誕生日はわからないのだけれども、拾われた11月9日、弱っていたのですぐに動物病院に連れていくと、生後1ヶ月くらいではないかと言われ、それなら、と誕生日は俺と同じ10月6日にしたのだった。今は鴨川の、ある桜の樹の下に埋葬されている。

誕生日は、たくさんの方からTwitterやメールで言葉を頂き、嬉しい限りだった。一昨年、一軒家に引っ越してから、毎月のように誰かの誕生会を催していたが、このところはご無沙汰で、今日、家主の俺は誰とも会わず、飼い猫とずっと居た。とはいえ、それも悪い話ではなくて、我が家に良く来ていた人々もそれぞれ忙しくなったのだ。東京に行った人も多い。

夕方、昼寝をしているとハノイハノイのナカネさんからダンボールが届き、荷解きすれば、俺の好きな蓮茶を初め、それはプレゼントだった(実のところ、失礼な話だが、ずっと「ハノイハノイの人」とお呼びしていて名前を存じ上げなかったのだったが、同封されていたメッセージカードによってようやくそれを知った)。ありがたいことだ。早速、蓮茶を淹れて、飼い猫のもきちと穏やかに過ごしていた。ただ、穏やか過ぎたと言っても良いが。ほんとにぼんやりした1日だった。

日付が変わる少し前、ようやく人と会う。西山(真来)さんと打ち合わせ、というか、相談に乗るというか。

そして日付が変わり帰宅し、少し仕事をする。気付けば昼から何も食べていないので、米を炊いている。この日記はその間に書かれている。

2010. 10. 5|TUE

もきち

3日は夜にデザインの仕事の打ち合わせがあったので、日中は資料をまとめていた。雨。夜、打ち合わせ後、五条にあるお店で一足早く誕生日を祝って頂く。どうもありがとうございました。良い日だった。

4日。雑務多々。The Mirrazを初めて聴いたが良かった。なんやかんやの依頼が多々。ようやく流れと波長が合ってきたか。夏に引いた浅草寺のおみくじも大吉だったしな。

本日。今は昼過ぎだが、この後とある写真撮影と肉体労働があるので、暇を見て日記を書いている。誕生日は職場で迎えることになりそうだ。

2010. 10. 2|SAT

The Girl Problem

さて、久しぶりの日記になってしまったのは、体調を崩していたからだった。それに加えて、先月、東京に行っている間、体調が優れなかったためにいつもよりも処方薬を多めに呑んでいて、そのせいで薬が足りなくなってしまい、ぐったりしていたのだった。

この日記を書いているのは3日の昼だが、2日には復調した。では、日記を始めよう。

先ず、掲載の写真のことである。先月16日に渋谷屋根裏で催されたBUSSTRIO LIVE EVENT 「The Girl Problem」の記録写真である。撮影は、柏原文恵さん。バストリオが馴染みのベトナム料理店、ハノイハノイでの繋がりで出会った方である。稽古場も撮影して下さり、その写真はどれも良かった。掲載の写真は、クリックすれば拡大表示されます。

9月28日から10月1日までは、大体ぐったりしていたので、書き残すことも特には無い。2日は、一転、活動的で、明け方に目を覚まし、昼に通院、帰り路に実家に寄り、母親と来訪していた伯母と話し、その足で三条に向かい、『Melody♡Cup』の一部メンバーや、高嶺(格)さんと会う。高嶺(格)さんとは随分、久しぶりだったはずなのだが、そういうことを一切、感じなかったのが不思議。皆と合流した瞬間、前回『Melody♡Cup』終了時からの色々を飛ばして、シームレスに繋がったような感覚だった。

この日は、前回のあるシーンの衣装を作り直すということで、衣装の方を交えての採寸や、打ち合わせ。その後、皆で飲みに行く。復調したのを良いことにビール3杯と焼酎のロック2杯。酔っぱらいながら前回の『Melody♡Cup』の映像を見たり、わいわい話し、とても楽しかった。ああ、楽しみだな、バンコク。

実家に帰った際、俺名義の古い通帳が発見され、それには福沢諭吉と新渡戸稲造が挟まっており、ラッキー。幾つかの小さな不幸の後に、幾つかの小さな幸せ。『情熱の薔薇』の歌詞が好きなのです。

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ 
なるべくいっぱい集めよう 
そんな気持ち分かるでしょう?

THE BLUE HEARTS『情熱の薔薇』より

2010. 9. 27|MON

オプティミズムで攻める、というよりは耐え凌ぐといった案配で、実のところなかなか疲れている。今日は雨の一日だった。

日記として書く事が思い浮かばないので、こういった日は大抵、サンプリングだとか、話題を散らかしてレンジを作り、それをメタファーにしたりだとか、そういった何とかでそれっぽく書いてしまうのだけれども、今日は書く事が無いにも関わらず、書く事が無いこととちゃんと向き合ってみようかと思う。

ただ、そうすると、冒頭の文のような、愚痴に近いダメな言葉がポロポロとこぼれるだけなので、悩ましいところだ。オプティミズムで耐え凌ぐ日記をやるには、例えば上記の技法の様な、ある種の誤摩化しが必要だということか。ましてや攻めるとなれば、これはもう嘘八百にならざるを得ないだろう。

困ったな。ただ、困っている、というのはもう長年の状態で、今日の日記の特徴には成らないから、さて、困ったな。何が書かれていたら、面白いだろう。そのことはずっと考えている。

困ったので、筒井康隆『腹立半分日記』を久しぶりに開く。もう何度読み返したかわからないほど好きな本だ。一日分の内容は数行で、体言止めの連続によるリズムが心地よい。考えてもみれば、日記に毎度、趣向を凝らしたって仕方のないことなのだが、それでは成り立たないから、困っているのである。反復するが、オプティミズムで耐え凌ぐためには、大した体言で止められない俺の日記は破綻してしまうのだ。

となれば、もう開き直って、金が無い、とか、つまらない、とか、腰が痛い、肩が凝る、馬鹿ばっかりだよ、というような日常の瑣末なあれこれを丁寧に書けば良いのかもしれないが、そんなことはしたくないのだった。

さて、このあたりで今日の日記もある程度の分量に達した。毎度のことながらこれは苦しく、時間を要する日記である。

2010. 9. 26|SUN

もきち

ここ4日ほど、仕事をし、布団を干し、掃除をし、洗濯をし、取り込み畳み、自炊し、食し、飼い猫の相手をし、本を読み。そんな具合の平凡な日常であった。フットサルだとか、合コンだとか、立食パーティーだとか、そういうことは一切していない。というか、そんなことまともにしたことが無いよ。椅子に座っていると、写真にある通り、飼い猫のもきちがやってきて、じっと俺を見る。「なんや」と言うと、小さく鳴いて、椅子に上ろうとしてくるので、抱き上げてやる。しばらく音楽を聴きながらそのままで居ると、何か閃いたり、洗濯機が終わりましたという合図の音を出したり、玄関チャイムが鳴ったり、っていうか重いよもきち、となったりして、猫を放り投げる。

ここ4日ほどやっているデザインは、難儀している。MORISAWA PASSPORTでもあればもっと動くと思うのだけれども、持っていないから仕方無い。書籍を作るわけではないから、まあ何とかなっている。兵庫の印刷会社から取り寄せた資料で光明は見えた気もしたし、一旦、これは切り上げて、別の作業に移ろう。その間、資料でも集めたいが、デザイン系の書籍は高価だ。金が無いのが面倒くさい。

毎年、誕生日は色々な方に来訪してもらい、祝って頂いているが、それも同居人のおかげである。同居人はもうしばらく不在だから、これはセルフ・プロデュースしないと祝ってもらえないということである。で、ここで何か声明を出したいところだが、身近な連中に限って読んでないだよ、俺の日記。どうやら、大阪や東京の人がよく読んでくれているようだ。でも言おう、10月6日ですから、わたしの誕生日は。27歳に成りますよ。ロックスターが死ぬ歳です。ロックスターじゃないから俺は死なないですし、祝って欲しいし、プレゼントも欲しいので、あの、ひとつよろしくお願いします。

2010. 9. 24|FRI

壁と線

筒井(康隆)さんの誕生日である今日は一日労働していた。偽文士目碌に由ると筒井さんは奥様からディオールのペンダントをもらったらしい。格好良いな。いつまでも憧れとして在ってくださり感謝します。

それにしても、冷えかたが急過ぎるのではないだろうか。長袖を着てバイクに乗ったが肌寒かった。ぼんやり見たテレビでは自販機の補充をしている人が大慌てだった。つめたい、から、あたたかい、へ。大急ぎ。

飼い猫は寒そうにしている。さきほど俺の布団でうずくまっていたので毛布を掛けてやったら、大人しく眠った。俺の睡眠中もずっと布団の中に居た。

紅茶でも飲もうか。さて、今年の紅葉はどうだろう。悪く無い気候だったのかもしれないが、8月、うながされて大文字山を見ると、木が弱っていた。緑の時候に、茶色くなっていた。原因を聞いたが忘却してしまった。

2010. 9. 23|THU

工場

秋分の日である。急に気温が下がった。エアコンを稼働したい昨夜から、長袖を着る今朝である。そしてなぜか今年いちばん蚊に刺された。偶然か、何か理由があるのか。

夜に仕事終わりの孝学(直)が家に立ち寄ったので、先月、とあるインタビュー撮影をさせてもらった方から送って頂いた写真を渡す。カメラを新調し、空を被写体にカメラを確かめていた方に声を掛けたのだった。孝学とは何の縁で仲良くなったのかは忘れてしまったが、友人ではあるものの、これまで共に何かをするということが無い人だったので、運良く記念撮影してもらえた格好になる。写真では二人とも汗だくである。暑い日だった。

写真を手渡し、何か雑談をしていたところ、テレビで「キングオブコント2010」が始まる。「キングオブコント」を見るのは初めて。ピース、ジャルジャルの二本目が白眉だった。ジャルジャルはようやくテレビサイズの、得意の長尺ではないコントを生み出しそして見せたのに、採点には恵まれなかった。ほとんど舞台上の総合格闘技戦の様相だったそれだが、クオリティが上がれば上がるほどに、審判は少数精鋭のほうが良いように思われた。このところはテレビをほとんど見ないので勝手な発言になるが、ここまで板の上で勝負する意識を持つ人たちが人気者では、昨今のバラエティ番組は成り立たないのではないかと思う。

(ふたたび)フィクションに関する話だ。……偶然、特にその映画に感心があったわけではないから、偶然辿り着き見た『ヘヴンズ ストーリー』という映画のサイトに、『人間は「悲しい存在」である、という事実を乗り越えた者だけが。』と題された中原昌也の寄稿が掲載されていた。

いまでは誰もが忘れているノストラダムスの大予言のせいかどうかわからないが、我々はいつかカタストロフがやってきて、すべてが劇的に終わってしまうものだと考えてきた。だが、そんなロマンがあったのはまだ幸せな時代だった…現実はもっと残酷だ。

序盤の一文を引用したが、そこに書かれた変化がフィクションに困難をもたらした、というのは常々、考えていたことだ。そしてとうの昔に考えても仕方が無いことだと気が付いていた。先日、テレビのニュース番組で、著名なコメンテーターが「日本は1800年代初頭の状態に戻った」と言い放ち、キャスターが困惑する、という夢を見た。絵空事の銃声(機関銃によるもので、モノクロの映像)が頭の中で響く。急に気温が下がった。エアコンを稼働したい昨夜から、長袖を着る今朝である。写真では二人とも汗だくである。暑い日だった。

昨今のバラエティ番組の話は何処へいったのか。とにかく、急に気温が下がった日の日記を書こうとし、そしてそれは書かれたと思っている。

2010. 9. 22|WED

木箱

わりとまめに書かれることぐらいが取り柄のこの日記だが、今月はずいぶんと滞ることが多く、いけない、とノートを開いた。すると18日から空白が続いていた。はて、18日?

京都に夜行バスで帰ってきたのは21日の早朝である。BUSSTRIO LIVE EVENT 「The Girl Problem」が終わってからは、世話になっていた北千住の家で『ONE PIECE』を読み耽っていたはずだから、18日から20日はおそらくそういうことだったはず。同様に北千住の家に来、一足先に読み始めたイベントで共演だった小澤(薫)ちゃんが、確か35巻あたりを読みながら、わあ、だの、嘘やん、だのと言っているので、それに促され、いつか来るだろうと思っていた『ONE PIECE』一気読みの時がついに、と1巻を開く。

連載開始時は雑誌で読んでいたのだったが、それも中学生の頃である。3日かけ既刊59巻まで読んだが、全く圧倒される筆力である。たとえば還暦あたりで連載が始まり読み始めた人は、今70前後になるはずだから、そういった人の心配事は死ぬまでに物語が完結するかどうかなのではないか。それも特殊なことではないと思えるから、凄いものである。

さて、21日、家に帰る。昼過ぎまで眠り、労働に出向く。7月半ばから始めたそれがどういう労働かは特に意味も無くうやむやにしているが、そのまま話を続けると、東京に半月滞在していたから久しぶりの職場、新しいこととして、ある空間のある場所に塩が山盛りになって置かれることになっていた。とにかく山盛りにしておかなければならず、こぼれていたら片付けろ、そして補充しろ、と指示を受け、その場所に行くと、塩は全部こぼれていた。盛ってあると聞いていたのに全部こぼれていたので、こういうものなのかと無線で確認しようかとも思ったが、おそらく誰かが全部こぼしてしまったのだろうと判断し、いや、それはそうだと思うのだが、故意にやったとしか思えないほどに全てがこぼれていて、それがそれとの初対面だったから困惑したのだったが、とにかく指示通り、片付け、そして補充しようと思うも、どうしようもなくこぼれていたので、こぼれていたものを手ですくい器に戻すと、それは山盛りになった。何の話だ、と思われるだろうが、塩の話である。それは思いがけず厄介な塩だったという話である。終わり。

本日22日。預かって頂いていた場所に飼い猫を引き取りに行く。俺の世話が行き届いていなかったせいで、ご迷惑、ご心配をおかけしていて、情けない思いになる。というのも、飼い猫のもきちは長毛種で、とにかく毛だらけなのだが、即ち毛玉が出来やすく、それが少し困ったことになっていたのだった。動物を飼うのはもきちが初めてだが、わりと手のかかる猫だということを再認識し、しっかり世話をしてやらねば。不甲斐ない。

そうして家に戻る。片手に飼い猫、片手に猫のトイレ用の砂を持って歩くと、100メートルくらいで腕が限界になり、秋分の日を前に汗だくで立ち尽くす。でもまあ、そうして歩くしかないのが今の俺だから、そうしないと。

帰宅し、思いがけず疲れていたので猫と眠り、起きると深夜。そして久しぶりに日記を書いている。

2010. 9. 17|FRI

BUSSTRIO LIVE EVENT [The Girl Problem]

あれ、日記、一週間も空いていたのか。いやあ、申し訳ない。季節の変わり目だということもあって体調が悪くて。BUSSTRIO LIVE EVENT 「The Girl Problem」が終わったから言えるが、だいぶんダメな感じだった、体。でもまあ、集中力のピークはもちろん本番に持っていきましたよ。嘔吐かなかったし。いやね、胃がね、いろいろあって随分ダメで、稽古では4割ぐらいしかちゃんと台詞、言えてなかったのです。すぐに嘔吐いちゃって。ほんと申し訳なかった。それのストレスでさらに胃がやられちゃって。昨日16日、本番日、胃薬しか呑んで無いからね(本番で摂取した飲みものは除いて)。

あ、そんなことより、だ。共演のArthur & Sabrinakanina、会場だった渋谷屋根裏、そしてご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

共演者、スタッフは言わずもがな。終わりましたね。さて、また新しい時間です、が、今は17日の午後9時。北千住。何もする事が無い。そして金も無い。でもまあ、いろいろな人に迷惑をかけて生きているぶん、そのぶん、それだけは、とにかく楽しんでおりますので、何卒、お許し下さい。

あ、誤解のないように一言加えれば、演じる、ということは僕にとって、全く楽しいことではありません。何一つ楽しくない、辛い仕事です。でもまあ、演じることを求められるのは嬉しいのです。それで、そのうえ演じること自体まで楽しんじゃったらバチが当たりますよ。舞台上は崖っぷちです。今回もなんとか、滑り落ちずに生き残ることができました。死は、一回きりです。で、まだ死んでないから、今回の公演の台詞を引くと「また会えるかもしれない」。繰り返しますが、また新しい時間です。「こんにちは」「さようなら」。

今日は夕暮れに起きました。

2010. 9. 10|FRI

7日、8日、9日、10日の日記。7日は……、と書き出そうと思うも、頭の中のいろいろが時系列に並ばない。台風による大雨があった。あの雨と、その後、半袖では寒いくらいに気温が下がったことで、体調を崩し、居候の身で眠ってばかりいた。起きている時は、大抵、旨い物を食って過ごしていた。遊園地再生事業団の稽古場に見学に行ったり、今回のイベント(BUSSTRIO LIVE EVENT 「The Girl Problem」)のグッズを作るという話になったので、その作業をしたり、すっかり台詞を忘却していたから、記録映像を見ながら思い出したり。

イベントのことが「CINRA.NET」というサイトで紹介されている。詳細を掴むのにわかり良いので、今月16日、19時、お時間のある方は「CINRA.NET」を見てもらい、興味があればお越し下さい。上記のグッズの件も、まだ未完成なので詳細は言えないですが、良いものになると思いますし、お楽しみに。

と、いうことで、短いですが、ではまた。

2010. 9. 6|MON

電話ボックス

4日、5日、6日の日記である。

4日は、しばらく家を空けるので、一通り家事をし、さて家を出ようか、と思っていたら電話があり、まあまだ大丈夫か、と油断していたら京都駅行きの市バスが思っていたよりも遅く、でも、それは知っていた遅さであり、もっと言えば、それ以上速い市バスなどこれまで乗った事が無かったし、つまりは完全にぼんやりしていて大慌て。三条辺りでこのままでは夜行バスを乗り過ごしてしまうと判断し、千円札に羽が付いてどこかに飛んでいってしまう、あの最もありきたりなイメージを浮かべながらタクシーを拾い、ぎりぎり夜行バスに乗車。

明けて5日である。東京に来る度に世話になる北千住の家に着くと、早朝でみな寝ていたので俺も少し眠り、昼の起床時に挨拶。早速、稽古である。夜は、(橋本)和加子さんの誕生日を祝い、多忙で睡魔に襲われまくっている和加子さんは喜んだり眠ったり食べたりに大わらわ。

6日、本日も昼から稽古。夕方まで。その後、久しぶりにハノイハノイに。とにかく、Twitterで俺がフォローしている皆が「ハノイハノイなう」とつぶやくたびにちくしょう、と思っていたので、ようやくである。今回の北千住滞在期間は少し時間に余裕がありそうなので、もう何度か足を運べるだろう。あ、しまった、「ハノイハノイなう」ってつぶやき忘れたな。京都に居る時、皆があまりにもそれをつぶやくので、ただの嘘になあるが「ハノイハノイなう」って俺もつぶやいてやろうかとすら思っていたのに、すっかり忘れていた。またの機会に。

さて、それはともかく台詞をすっかり忘却している俺である。追い込まなければ。、BUSSTRIO LIVE EVENT 「The Girl Problem」は10日後、9月16日である。今日は初めてサブリナに会った。あ、CDにサイン貰えば良かった。持って来るの忘れちゃったなあ。しまった。とにかく、良いイベントになるだろう。あと10日です。是非、お越し下さい。

2010. 9. 3|FRI

さて、2週間ほど東京に行くので、家の掃除や雑務などを済ませる。あと、今日、医者に行っておかなければ困ったことになってしまうので、ハイリスク・ローリターンで有名な「ちょっとだけ寝る作戦」は採らず、「もういっそ寝ないでおく」作戦を英断。

医者の帰りに樟葉モールに寄り、昨日、壊れてしまったテトラポッド型の道具を新調し、加えて、今回の東京行きも数えると、これから半年で3度は家を長期間離れる予定があるため、旅行用の、車輪の付いた鞄を思い切って買う。本当は、金も無いし、今回はリュックサックと手提げとショルダーバッグという、(過去何度も経験している)結構しんどい格好で移動しようかと思っていたのだったが、ここ3日ほど体調も優れず、それに加えて、わけあってエレキギターも持って行かねばならないことを思い出し、ダメだ、それ、嫌だ、と英断である。

夕刻に家に帰り、ふらふらバタンと寝る。明日4日、というか、もう日付が変わって、しかも朝なので今日だが、4日はゆっくりしつつ、『The Girl Problem』の予習、というか復習、いや予習だな、をしようという算段だが、とにかく現場に行ってみないと状況はわからないので、一人遅れての合流、どちらかと言えばそれに備えてコンディションを整える感じの一日になるだろう。今年、何度乗車したかわからない夜行バスの旅路だし。さて、寝よう。

2010. 9. 2|THU

例えば青年のように。しばらく砂漠にある街で自転車修理工なんかを営み、砂利にまみれ乾いた自転車のチェーンに油なんかを注すわけだ。すると感謝され、今度うちに寄ってね、などと食堂の娘に言われ、実際に彼は赴き、それで営みとしての食事を取るわけだ。街を歩けば会釈され、声を掛けられる。

今日、明後日の夜に東京に発つので、飼い猫が入ったバッグを持ち、預かって頂く方の家に向かったのだった。飼い猫はとても重たかった。

バス停で通りすがりの中年女性に声を掛けられ火を貸した。なにやら立ち話。私はすぐ死ぬけど、あんたは長生きしいや、と言われる。紫煙にまつわる会話だ。

とある資料が届いたので横になりながら読む。それは昼のことだ。深夜は前田司郎の『グレート生活アドベンチャー』を読んだ。読み終えたら朝だった。

自転車修理工はその後、腕を買われ、国の兵器開発に携わるわけだが、途中で思い直し脱走を図り、初めは匿ってくれていた人に裏切られて投獄されるわけだ。

年相応のあれこれを書くのが嫌で、その思いのために以前述べたことを撤回する旨の何かを書くこともまた嫌で、それらを無いことにしたら、見知らぬ景色しか浮かばなくなった。そこはたまたま、砂漠だった。

YouTubeに、市バスの車窓を撮影し、随分むかしに作った音楽をのせたものをアップロードしていたら、それは編集し、何も考えず適当に、数秒事にカットを割っているのだが、そんなものより、ただ撮影したものが見たいから、それをアップロードしてくれとメールがあった。簡単に出来ることだったので応じる。

飼い猫が家に居なくて寂しいうえに、肩や腰を揉むための(テトラポッドのような形状の)道具が、腰が固く凝り過ぎていたためか折れて壊れてしまった。愛用していた道具なので悲しい。

暫し砂漠のことを忘れていた。というよりも、砂漠のことは知らない。日記を続けるというのも苦労である。

修理から戻って来た外付けHDDは、外見は同じだが、中身が変わったせいで聞き覚えのない音を立てる。前のものは、猫の鳴き声のような、屁のような音を時折立てていたが、新しいものはいかにも機械的な音を立てる。いかにも機械的なので、またすぐに壊れるのではないかと不安になるが、考えてみれば、機械が機械的なのは真っ当なことで、だからもしくは長持ちするのかもしれない。今日、火を貸した中年女性と男のどちらが長生きするかは知らないように、それもまたわからないことで、だから考えても仕方のないことだが、ありきたりなことに、考えるくらいしかすることは無い。

自転車修理工がそんなふうに物思いに耽っている間に時間は経ち、彼の知らぬ事情で彼は解放され、しかし街人とは以前のように接することが困難だ。でも、男と食堂の娘の投獄前の出来事で自身の子供を得ていた彼は、彼女によるその告白によってそこでの営みを確定させる。そして街人も胸をなで下ろす。

2010. 9. 1|WED

このところ『電脳筒井線 – 朝のガスパール・セッション』を読んでいます。これについてはWikipediaの「朝のガスパール」の項を読むのがわかり良いでしょう。端的に述べますと、僕が8歳になった日(1991年10月6日)から始まった「パソコン通信」を用いたBBSのログを書籍化したものです。

悔しくなるほど、そこでは大人たちが全力で遊んでいました。さて、19年後もマウスとキーボードは現役です。それに関してはAppleさんが少し頑張っています。ただ、YouTubeが5周年、TwitterやUSTREAMなんてものも出来ましたが、遊び道具としては敷居が下がっただけのことです。例えて言うならば、貴族の遊びだったそれが、20年かけて庶民の遊びになったのです。しかしまあ、せいぜい庶民の頭ですから、大して面白くも遊べていません。

0が1になる感動と、10が100になる感動はどうしても相違があります。ある方がブログやTwitterは弱者のメディアだと言ったそうです。今もまだ憧れることが可能な方です。ところがそのことに無自覚、もしくは自覚的に、その弱者のメディア、同じメディアに貴族から庶民までが居住することになるとすれば、果たしてそれは良いことなのでしょうか。庶民は庶民のままで、貴族が庶民になってしまうだけのことではないでしょうか。

「すごい人」や「えらい人」はもう要らないのでしょうか。そんな時代は無かったですし、単純に、それは僕は困ります。

話は変わりますが、綿谷りさが、新刊を電子書籍としても販売し始めたそうです。19歳で芥川賞を獲った時は話題になりました。ここ数年の芥川賞受賞作を僕は知りませんし、電子書籍はiPhoneという電話機能がおまけのような機械で読めるのですけれども、「ブック」のランキングをいま見たところ、高田純次の『適当日記』のほうが売れている様子です。

僕は退屈です。夏も終わってしまいました。それにしても、今年も夏は暑かったです。

2010. 8. 31|TUE

路地

昼間から雑務。夜、仕事の打ち合わせの後、『Melody♡Cup』の面々と会い、タイにどの程度の期間、滞在するか相談する。相談している間に8月も終わってしまった。

退屈が追いかけて来る。飽きている。体勢を変えようと思う。それもまた繰り返していることだ。

『東京ガールズブラボー』を再読している。軽い。こんなふうに軽薄に生きたいのだった。高級な腕時計も、車も、別にそれほど欲しく無い。昔は欲しかったのに。困った話だ。退屈が追いかけて来る。飽きている。体勢を変えようと思う。それもまた繰り返していることである。

2010. 8. 30|MON

国道1号線

28日のことから。昼間の記憶があまり無いが、何か作業をしていたのだと思う。夜、大阪にある「AD&A gallery」に行く。このギャラリーは今月で休廊することが決まっていて、この日、最後の催しとして、それまでにここで個展を行った作家たちが集まる「オールナイト解体」というイベントが行われたのだった。

28日の20時から29日の正午までの長丁場のイベント。ハイライトは25時からの1時間半で、30分ずつ、contact Gonzo西光祐輔DODDODO。contact Gonzoは以前、『Melody♡Cup』の稽古の一環として塚原(悠也)さんにワークショップをして頂いたが、パフォーマンスを観るのは初めてで、白い空間に車座で鑑賞する客の様相もあってか、儀式のような、静粛なものに感じられた。面白かった。西光(祐輔)さんはつい先日知り合った写真家だが、その時に作品の構想を語っていらして、それは映像作品だったが、構想を聞いていただけに、ある種、予告ホームラン的な要素が俺の鑑賞には含まれて、そしてもちろんそれとは別に面白かった。ドキュメンタリー映像だったが、被写体がその場所(上映場所)に居ることで成立するものであり、そのことからも真摯な人だなと思う。そしてDODDODOである。なんだろう、見事だったな。そこはライブハウスではなかったから音も小さいし、光も単調で明るいし、ライブハウスの時と違いノーメイクだったし、リハーサルも無かっただろうし、流れも映像を鑑賞したすぐ後だったのだ。良かったな、一曲目、『夕日』で鳥肌。久しぶりだったよ、鳥肌が立つことなんて。

日付は代わり29日、午前7時頃、京阪に乗り京都に戻る。車内でメールを幾つか送り、帰宅して少し眠る。12時前、孝学(直)くんが来て、とある撮影に向かう。日差しの強い、暑い日だった。暑い街を歩き続ける。孝学は被写体になってもらった方に水分補給を促されるほど汗をかいていた。俺ですら目に汗がしみたのだから、孝学を知るものであれば彼の発汗がどれほどのものだったか想像がつくだろう。思いがけず今年一番、夏を感じたのだった。「氷」と書かれたのぼりに吸い寄せられるように喫茶店に入りアイスコーヒーを飲み、日陰、それは涼しい、夕暮れ、日が暮れれば花火をする子供を見かけた。なんだかんだで家に帰ったのは日付が変わる頃だった。孝学くんは疲れでふらふらしていたが、素材を確認し、25時解散。俺は何だか寝付けず、漫画(岡崎京子『ジオラマボーイ☆パノラマガール』)を読み、お灸をして、午前4時頃にようやっと眠る。

30日。昼前に孝学くんが再びやってきて、(一人では運べない大きさだったため)二人で借りていた撮影機材を返しに行き、紫蔵というラーメン屋で昼食を取る。孝学と別れ、帰宅し、平日にしか処理できない雑務を片付けようと思ったのだが、あまり寝ていない日々だったので眠気に耐えれず夜まで眠る。日記を付けている今は、もう31日の陽が昇りかけている。夏休みも最後の日、という感慨は我々の世代までで、今はどうやら31日から学校が始まるらしい。日本は年々暑くなってるんだから、夏休みも延ばせば良いのに。しかし毎年夏は呆気ないな。

2010. 8. 27|FRI

MacBookのTime Machine用に使っていた1TBの外付けHDDが壊れ、保証期間内だったので修理のために郵送する。夜9時まで開いている最寄りの宅配便の営業所が一乗寺だったので、ついでに恵文社に寄る。今度共演するArthur & SabrinaのCD『a Rosa e o Girassol』が置かれていたので、イベントのフライヤーを今度、置いてもらおう。恵文社で物欲と戦いつつ、何とか財布を開けずに帰宅したものの、その後、やっぱり欲しい漫画があり、今度はガケ書房に行ってしまい、ついに散財。ガケ書房ではレジでUSTREAMをしていて、突然「告知とか無いですか」と言われたので、BUSSTRIO LIVE EVENT 「The Girl Problem」、渋谷ですが、と断りつつ宣伝させてもらう。

恵文社で手に取ったみなみ会館のパンフレットで、以前、相馬(称)さんの日記(2009年03月03日「シルビアのいる街で」)で読み、観たいと思っていた『シルビアのいる街で』が劇場公開されていることを知る。ようやく観ることが出来るのか。

深夜、孝学(直)くんが来て、『ゴールデンスランバー』二回目。俺、二回目だったから許したが、観ながら喋ってくるんだよあいつ。うるせえよ。ただ、今は借りがあり、何だか疲れている大男である。寛容に処す。大男は朝7時頃に帰って行く。

2010. 8. 26|THU

飼い猫

長い一日。働き過ぎた。疲れた。帰宅が28時。そして日記を書こうとするも、この状態で書くとあまりよろしくないな、と判断し就寝。明けて27日の正午にこれは書かれている。

しかし、日記としては、昨夜、つまり26日の夜の混沌とした状態で書いたほうが「そのまま」だったはずだが、一夜置くと判断したのも26日であるし、言い換えれば単に疲れてそれを放棄したのが26日だ。写真は飼い猫のもきち。猫を撫でることによる睡眠導入効果は覿面で、そのせいかすっと眠ったのも26日。

疲れた状態で書かなかったのは今敏の逝去に少し触れようと思ったのが大きい。Twitterによって公式発表の随分前にその情報は得ていたものの、真偽が不明だったし、どう触れて良いのかわからなかったし、と明けて26日に公式な発表があり、夕方に「KON’S TONE」内にある彼のブログの投稿、「さようなら」を読んだのだった。

今敏作品は『パプリカ』しか観ていない。筒井康隆のファンであることから映画館に赴き、そんなことは忘れて映画館を出たのだった。2006年の12月10日のこと。面白かったな、『パプリカ』。……俺が書けることはおおよそこんなところか。

そして27時、生きるということを思う。いろいろ思って全部投げ捨て眠って明けて、さっき煙草を買いに表に出たら強過ぎる日差しに眩眩した。

2010. 8. 25|WED

川面

朝からこつこつ作業をし、夜、久しぶりに会う友人と食事。

一日、部屋で作業をしていたので、帰り路、涼しかったこともあり、どこかでぼんやりしようかと思うも、ここ数日、パン1個→労働(デスクワーク→肉体労働)→パン1個→就寝、という昔の兵士のような食事で生活していたほど窮していたので、外食をしてしまい、もう金を使うべきではないな、と、川辺で寝っ転がっていた。

じゃあ、眠たくなって来て、もう涼しいしたまには野宿でもしようかと思っていたら、周りに羽音の五月蝿いゴキブリみたいな虫(コオロギかと思ったのだが、鳴き声は無かった)がたくさんいることに気が付き、やっぱり嫌だな、と帰宅。

2010. 8. 24|TUE

日記を書こうと、昔でいうところのノートを開く、というようなことをしたものの、特にこの日の日常で書き残したいことが無いのだった。少し煙草について書くことにする。

先ず、例えば俺は長年の喫煙者だが、煙草臭い部屋では眠りたくないし、飯も食いたく無い。味覚と嗅覚の繋がりは言わずもがななので、飲食店で煙草の火を消さずに灰皿に置いたまま何か飯を食らう人は嫌いだ。先に食事を終え、相手がまだ食べているのに火を点けるのもどうかしてると思う。これは煙草が嫌いという話には全くならない。例えば、カレーが好きでも、四六時中カレーの匂いを嗅ぐのは嫌でしょう。すごく頭の悪い話をしています。想像力のことだ。世の中、たくさん馬鹿が居るが、同じ馬鹿でも特に喫煙者の場合、飲食店などで相手を不快にする可能性が高いわけだ。

もっともな話で、ただ、喫煙者が減少傾向にあり、世間的にも批判してよろしいものに認定され始めると、上記のような不快を口に出来なかった人たちが堰を切ったかのように声を上げ、同じ事、というかそんなに非難のパターンは無いから、文句を次々と放言し、最終的には逆に自身の低知能をあらわにするかのようなわけのわからない罵詈になることもある。

もうすぐまた煙草が高価になります。「あんな、ただの葉っぱがどうして……」と俺が口にすると、例えば煙草が嫌いな人は、「そんなただの葉っぱ、じゃあ、何で吸ってんの」と莫迦にした笑いを浮かべるが、この問答の下らなさがご理解いただけるだろうか。煙草を別のものに変換すれば簡単だ。珈琲としよう。なぜか高価になり続ける珈琲。「あんな、ただの豆なのに」、こう口にすれば、「ねえ、ただの豆なのに」と同意が得られることは容易いはずだ。「あんな、ただの葉っぱがどうして……」が自虐に聞こえるのは偏見です。だって、ただの葉っぱで、本来チープなもので、日常的に消費する目的にあるものなんだもの、煙草は。

「でもさ、どうせさ、煙草が悪いって言うんだから、喫煙者がマナー守ってさ、いろいろしてもさ、結局、非難されて、高価になるんだろ、じゃあ、良いよ。もう。あんな、ただの葉っぱがどうして……」今でも煙草を喫っているほうが「アリ」な場所もあり、そうでない場所は現在、もちろんそれよりももっとある。しかし、局所的には、今度は逆に、ヒステリックな嫌煙家が目立ってしまったがために、正当な不満を口にしにくい状態も発生しているのではないかと思う。食事中に煙草に火を点けられたことを咎めて、「ああ、嫌煙の人ね」なんて言われたら不幸だ。ただの罵り合いである。

俺ももはや黙っていれば良いのかもしれないが、それは「どうせ、どうにもならないでしょ」と選挙に行かないのと同じ状態だから、ここはぐっと堪えて、こうして書きたく無いことを書いている。

2010. 8. 23|MON

The Girl Problem

まだまだ暑いのに、俺のTwitterのタイムラインでは、もう夏も終わり……というような雰囲気が漂い始めている。今日も「やまごえ温水プール」で黙々と泳いでやろうかと思い立つも、月曜日は休館日だった。

水泳をやっていたと言うと意外に思われることの多い華奢な俺だが、10代後半の夏の日中はほとんどプールに居た。水がたくさん有る場所というのは、どこか猥雑な雰囲気があるのか、どうも吸い寄せられる。26歳を2ヶ月残して、今はまた別の水がたくさん有る場所で労働しているが、先輩従業員は終始猥談をしている。そして喫煙者が非常に多い。水と猥雑と喫煙には、ただの思い過ごしかもしれないが、何か関係性があるのだと思う。

掲載の画像は、来月、9月16日に渋谷屋根裏で催されるイベントのフライヤーだ。このところの濃密な作業時間はこれの制作に充てていて、東京では間もなく配布され始めるだろう。全然似ていないが、デザインのイメージにあったのは、DAVID BOWIEの『LOW』のジャケット。あと、ピンクを何とかして使いたかったのは『Je t’aim Moi Non Plus』のデジタル・リマスター版の劇場公開用フライヤーがとても美しいピンクと黄色と黒で作られていたから。白黒の部分の情報整理のために必然的にピンクの補色にあたる水色がそこに使われたが、意図せず『THIS IS HAPPENING』を連想させたようで、それは指摘されて気が付いたことである。このイベントの中でバストリオが上演する『ガール・プロブレム あなたの葬式でわたしが言うべきこと』は、今年6月に大阪で一度上演しているのだが、そのことから、前回のフライヤーに、新しく作品のモチーフも加えたかった(前回は、作品の全貌が全く見えない状態で作っていたので、それがあまり出来なかった)。それで加えた円は、風船をイメージしたし、フライヤーの右半分だけが中央で色を割っているのは、フィボナッチ数列を要素として使えないかと考えていたものの、途中で放棄し、結局ほとんど関係無い形で具現化した結果である。被写体は橋本和加子。厳しいスケジュールだったが、シリーズ化ではなく、前回をふまえた新しいもの、に出来た感があり、それが良かった。そんなわけで、来月は今年3度目の東京である。何も罪を犯していないのに取調室に入れられた渋谷警察署がある渋谷である。ちなみに実は俺はその少ない出演の中で最も長かったそれでの台詞をほとんど忘れている。なんか、いろいろあったんだよな、台詞。覚え直さないと。

その他諸々。余談だが(って全部余談だけど)、次で今年3度目の共演になる小澤(薫)ちゃんは、今回のフライヤーの写真が(橋本)和加子さんなので、自分じゃない、ずるい、悔しい、と思っているのではないかと想像しているのだが、どうだろう。

2010. 8. 22|SUN

家の前の空

21日。早朝からフライヤー制作の続き。昼過ぎ、深夜の労働に備えて少し眠りたかったのだったが、そうもいかなかったのでとにかく待機。深夜の労働を終えて帰宅後しばらく作業をし、明け方に入稿。

明けて22日。radikoでFMを聴きながら少し眠ったら、それがカーラジオになり、車が欲しくなる夢を見て、しかしまだ午前中で、とはいえ目が醒めてしまったのでバイクに乗り「やまごえ温水プール」に向かう。ただただ泳ぐためのプールだったので、ただただ泳ぎ、水の中が心地よいのでプールから去りたくは無く、しかし水中にいるのならば泳がねばならず、泳ぐのは楽しく、しかし体はずいぶんとなまっていて、繰り返される麻薬のようなクロールから解放された時にはへとへとになっていた。

存分に泳いだ効果で、首や肩の凝りがずいぶん緩和され、憑き物が落ちたかのような心持ちで帰宅する。

やまごえ温水プール」までの道程は、山こそ越えなかったが、普段行かない方向で、「へえ、こんなところも」なんて感じで運転していたのだったが、途中でそれが昨年、何度も足を運んだ「丹波マンガン記念館」までの道のりと同じであることに気が付いたのは、道中にある仁和寺によってではなく、仁和寺を越えて間もない場所にあるセブンイレブンからだ。このことからわかったのは、俺は地理の感覚が鈍く、そして寺に全く興味が無いということだ。郊外にあるため駐車場の広いそのセブンイレブンだが、とはいえそれも珍しいものではなく、良くあるそれだが、1年以上前に訪れたそこで100円ライターを買ったことを覚えていた。結局、寺への興味云々ではなく、ただ単にパッケージ化された当時の記憶群にそこがしっかりとおさまっていただけのことだが、とはいえ世界遺産を置き去りに、セブンイレブンに郷愁を覚えた次第。

このことから連想するのは、終戦記念日が近かったこともあってか、第二次大戦を「知らない」ということに対するこのところの論考だ。無知が罪なことは認めるが、問題としていたのは「知る」のシニフィエだ。どうも戦争や原爆に関すると、例えば「知識としては知っています」「知ったような……」という言動に負の感情が作用するのだが、この時、例えば対話ならば互いの「知っている」の定義が曖昧かつ、一方的には差別的な部分もある場合があるため、話は終わらないし、終わりようがない。そんなわけで戦後だが、やはり俺は何も知らない。そのことでやましさを覚える最後の世代で良い。問題はもっと近いところで多発しているのだし、今こそ「知る」の困難を見つめなければならない。

何の話だったか。あ、そうだ。で、気分爽快「やまごえ温水プール」からの帰路、道すがらにあった「妖怪ストリート」の前で、コワカナ(先日、8月11日付けの日記参照)にぴったりの人材を見つける。「コワカナだ」って思ったからね。

夜、ばかみたいに泳いだせいでSkypeをしなければならなかったのに寝てしまった。明けて23日、早朝に目を覚まし、日記。

2010. 8. 20|FRI

19日、20日と寝食のとき以外はデザイン業務。突貫工事だが、こういった時こそ真価が問われる。

とはいえ、あの、基本的にはディレクション開始から納品までは2週間以上欲しいところです。あと、いつだったか、もうデザイン作業で金銭を貰うのは止めようと書いたが、前言撤回します。しっかり頂きます。そうじゃないと良くわからないことになるとわかっていたのだけれども、少し前にそれを再認識したのでした。

いつ寝ていつ起きてがおぼろでレンタルビデオも延滞してしまった。暑い。泳ぎたい。