2010. 9. 2|THU
例えば青年のように。しばらく砂漠にある街で自転車修理工なんかを営み、砂利にまみれ乾いた自転車のチェーンに油なんかを注すわけだ。すると感謝され、今度うちに寄ってね、などと食堂の娘に言われ、実際に彼は赴き、それで営みとしての食事を取るわけだ。街を歩けば会釈され、声を掛けられる。
今日、明後日の夜に東京に発つので、飼い猫が入ったバッグを持ち、預かって頂く方の家に向かったのだった。飼い猫はとても重たかった。
バス停で通りすがりの中年女性に声を掛けられ火を貸した。なにやら立ち話。私はすぐ死ぬけど、あんたは長生きしいや、と言われる。紫煙にまつわる会話だ。
とある資料が届いたので横になりながら読む。それは昼のことだ。深夜は前田司郎の『グレート生活アドベンチャー』を読んだ。読み終えたら朝だった。
自転車修理工はその後、腕を買われ、国の兵器開発に携わるわけだが、途中で思い直し脱走を図り、初めは匿ってくれていた人に裏切られて投獄されるわけだ。
年相応のあれこれを書くのが嫌で、その思いのために以前述べたことを撤回する旨の何かを書くこともまた嫌で、それらを無いことにしたら、見知らぬ景色しか浮かばなくなった。そこはたまたま、砂漠だった。
YouTubeに、市バスの車窓を撮影し、随分むかしに作った音楽をのせたものをアップロードしていたら、それは編集し、何も考えず適当に、数秒事にカットを割っているのだが、そんなものより、ただ撮影したものが見たいから、それをアップロードしてくれとメールがあった。簡単に出来ることだったので応じる。
飼い猫が家に居なくて寂しいうえに、肩や腰を揉むための(テトラポッドのような形状の)道具が、腰が固く凝り過ぎていたためか折れて壊れてしまった。愛用していた道具なので悲しい。
暫し砂漠のことを忘れていた。というよりも、砂漠のことは知らない。日記を続けるというのも苦労である。
修理から戻って来た外付けHDDは、外見は同じだが、中身が変わったせいで聞き覚えのない音を立てる。前のものは、猫の鳴き声のような、屁のような音を時折立てていたが、新しいものはいかにも機械的な音を立てる。いかにも機械的なので、またすぐに壊れるのではないかと不安になるが、考えてみれば、機械が機械的なのは真っ当なことで、だからもしくは長持ちするのかもしれない。今日、火を貸した中年女性と男のどちらが長生きするかは知らないように、それもまたわからないことで、だから考えても仕方のないことだが、ありきたりなことに、考えるくらいしかすることは無い。
自転車修理工がそんなふうに物思いに耽っている間に時間は経ち、彼の知らぬ事情で彼は解放され、しかし街人とは以前のように接することが困難だ。でも、男と食堂の娘の投獄前の出来事で自身の子供を得ていた彼は、彼女によるその告白によってそこでの営みを確定させる。そして街人も胸をなで下ろす。
