2010. 8. 22|SUN

21日。早朝からフライヤー制作の続き。昼過ぎ、深夜の労働に備えて少し眠りたかったのだったが、そうもいかなかったのでとにかく待機。深夜の労働を終えて帰宅後しばらく作業をし、明け方に入稿。
明けて22日。radikoでFMを聴きながら少し眠ったら、それがカーラジオになり、車が欲しくなる夢を見て、しかしまだ午前中で、とはいえ目が醒めてしまったのでバイクに乗り「やまごえ温水プール」に向かう。ただただ泳ぐためのプールだったので、ただただ泳ぎ、水の中が心地よいのでプールから去りたくは無く、しかし水中にいるのならば泳がねばならず、泳ぐのは楽しく、しかし体はずいぶんとなまっていて、繰り返される麻薬のようなクロールから解放された時にはへとへとになっていた。
存分に泳いだ効果で、首や肩の凝りがずいぶん緩和され、憑き物が落ちたかのような心持ちで帰宅する。
「やまごえ温水プール」までの道程は、山こそ越えなかったが、普段行かない方向で、「へえ、こんなところも」なんて感じで運転していたのだったが、途中でそれが昨年、何度も足を運んだ「丹波マンガン記念館」までの道のりと同じであることに気が付いたのは、道中にある仁和寺によってではなく、仁和寺を越えて間もない場所にあるセブンイレブンからだ。このことからわかったのは、俺は地理の感覚が鈍く、そして寺に全く興味が無いということだ。郊外にあるため駐車場の広いそのセブンイレブンだが、とはいえそれも珍しいものではなく、良くあるそれだが、1年以上前に訪れたそこで100円ライターを買ったことを覚えていた。結局、寺への興味云々ではなく、ただ単にパッケージ化された当時の記憶群にそこがしっかりとおさまっていただけのことだが、とはいえ世界遺産を置き去りに、セブンイレブンに郷愁を覚えた次第。
このことから連想するのは、終戦記念日が近かったこともあってか、第二次大戦を「知らない」ということに対するこのところの論考だ。無知が罪なことは認めるが、問題としていたのは「知る」のシニフィエだ。どうも戦争や原爆に関すると、例えば「知識としては知っています」「知ったような……」という言動に負の感情が作用するのだが、この時、例えば対話ならば互いの「知っている」の定義が曖昧かつ、一方的には差別的な部分もある場合があるため、話は終わらないし、終わりようがない。そんなわけで戦後だが、やはり俺は何も知らない。そのことでやましさを覚える最後の世代で良い。問題はもっと近いところで多発しているのだし、今こそ「知る」の困難を見つめなければならない。
何の話だったか。あ、そうだ。で、気分爽快「やまごえ温水プール」からの帰路、道すがらにあった「妖怪ストリート」の前で、コワカナ(先日、8月11日付けの日記参照)にぴったりの人材を見つける。「コワカナだ」って思ったからね。
夜、ばかみたいに泳いだせいでSkypeをしなければならなかったのに寝てしまった。明けて23日、早朝に目を覚まし、日記。
