2010. 7. 24|SAT
いま、『ねじとねじ回し』という本を読んでいる。
ときどき、俺は日記を書くうえで(もちろんその日あったことを文章にする、という行為自体によって今から述べることの意味を果たすことはできるのだが)、客観性を強めるために少しバカになることがある。例えば、当たり前のことを書く、というようなことも、バカになる、と俺が呼称することの一つだ。他にも、バカ丁寧に書く、だとか、言わなくて良いだろうくだらないことを敢えて言う、だとかがある。今日の日記はそんな体である。
23日。どうやら風邪をひいたらしい。のどが痛いので、トローチを舐めてそれをおさめてからでないと旨い煙草が喫えない。鼻水も出る。持病のパニック障害で、ひどい時はあたまの、ちょうど鉢巻きを巻くあたりを縄でぎゅっとやられたような感じになるうえに息苦しい、という状態になることがたまにあるが、大抵の場合は具合が悪いといってももっと軽いもので、その症状というのが、顔がほてって、のぼせた感じになったり、少しふらふらする、というようなものなのだが、初期の風邪の症状というのがそれと混ざるので、俺はこのところ風邪に気付きにくいのだった。だから、風邪はおそらく数日前からひいていたのだろう。風邪は薬などを飲まず、寝て治す方針の家庭に育ったものの、最近の俺は、前述したように、風邪の諸症状と、持病の症状が混ざってしまうため、風邪によってパニック障害の発作を誘発する場合があり、もう少し詳しく言えば、風邪のせいであたまがぼんやりするのに、脳がバカだから、それをパニック障害のそれだと勘違いして、パニック障害のほかのあれこれも引き起こしたりすることがあり、そうなると、風邪でしんどいだけのことが、脳みそのせいで二重苦に仕立て上げられるので、しぶしぶ、風邪だとわかると、風邪の症状を市販の風邪薬でおさえることにしている。バカバカしいのが、先ほど書いた、はちまきの辺りが締め付けられる感じも、つまり実際に鉢巻きなんかを巻くと、誘発されることがある。だから俺はよく野球帽を被っているが、それは髪の毛をセットしたりという行為が面倒だから被っているわけだけれども、あまりぴったりだと頭を軽く締めるので、それは大抵、緩く調節して被っている。従って、強い風が吹いたりすると、帽子が飛ばされることが多い。
冒頭に書いたように風邪だろうと自己判断がついたので、風邪薬を呑み、風邪の時は何となく飲んでしまうポカリスエットもごくごく飲み、少し落ち着いた頃に、今野(裕一郎)くんとSkypeで話す。2時間ほど話し、その後、テレビで『朝まで生テレビ!』を観る。Twitterで、どうやら若者の不幸について討論するらしい、と知り、ついでに番組放送開始時間も知っていたのだったが、同居人とともにその時間、そのチャンネルを点けると、『朝まで生テレビ!』はやっておらず、ブラックマヨネーズの小杉や、アンタッチャブルの山崎、FUJIWARAの藤本が犬を散歩させている様子が映り、おかしいなと思い「あれ、関西だともうちょっと遅いのかな」と、東京で人気の深夜番組が関西ではもっと深夜に放送される法則に慣れ親しんでいるせいでそう口にすると、同じ慣習を持つ同居人も「そうかな」と言い、しばらくその番組を見て、山崎の連れている犬がクローズアップされているが、小杉が連れている犬のほうが実は顔がおもしろいなどと言いへらへらしているとハッと気が付き、「でも、生テレビだから、生放送じゃないか」と言えば、同居人も「そうだ」と頷くのだった。
どうやら何かの理由で放送時間が変更していたようで、その芸人が犬を散歩させていた番組の後に、例のジングルで番組は始まった。「始まったぞ」と俺は言った。番組が終わったのは午前5時頃で、俺は「終わったぞ」と言った。このコメンテーターは良い人そうだな、とか、この人は甘えん坊だよきっと、というような会話をしながら観るくらいしか楽しみは無かったのだけれども、一つ日記に書いておこうと思ったことがあって、それはアルバイトという労働の難しさについてである。
俺は、わりと多種多様なアルバイトをこれまでしていて、というのも、飽きっぽい性格だから、その時ほとんどよく知らないことをしようとしないと、一定期間モチベーションを持てないのである。なので、自転車を持っていないのに自転車屋で(それも幾つかの情報を処理した結果、日本でトップレベルに多忙な店舗)働いたりしていたこともある。話の本題に入るが、本来はより一般的なアルバイト、例えばコンビニの店員や居酒屋の店員を例に挙げたいのだが、勤務経験が無いので、ここでは自転車屋店員のアルバイトを例として挙げる。出勤、朝礼、開店の準備。開店時は表に陳列している自転車を閉店時に店内に運び入れるため、開店の準備として自転車を表に陳列しないといけないのだけれども、一台ずつ運んでは遅いので、二台まとめて表に運ぶ。これが先ず、難しいだろう。つまり二台の自転車の並行を保ちつつ素早く移動させなければいけない。俺が働いていた自転車屋の店員はみな素晴らしい人たちで、とても親切丁寧に仕事を教えてくれ、多少の失敗は赦してくれたが、俺の経験上、客商売でのミスはサッカーでいうレッドカードになり得るものが多く、そこまでにはならずとも、確実にイエローカード相当にはなる。客に嘘の情報を伝えてしまったり、金銭を扱う場合、間違った釣り銭を渡したりすれば、カードが出る。ただ、考えて欲しい。毎日、忙しい中、様々なことを行いつつ、しかも経験が浅ければこういったミスを犯してしまうのは当然のことだと思うのだ。そして、勤務先によれば(もちろん比喩だが)すぐにカードが出され、そのプレッシャーが逆にミスを誘発する。そしてレッドカードに至る。
こういうことを言うのは少し嫌だけど、俺はわりと器用なほうだから、大体のことはそれなりにこなせるし、こなしてきたつもりだ。そして酷いことを言うが、イエローカードが出される人というのは、会って数分でわかる。どこのバイト先にでも居る「仕事が出来ない」と称される人のことである。当然、彼らはいわゆるミスを犯し、怒られる。そして反省する。しかし繰り返す。追い込まれる。辞職するか、雇用を解除されることになる。
つまりアルバイト先というのは、常に即戦力を求めるから、育てる気概というのはあまりない。それは実は非常にハードルの高い就職なのだ。それぞれの仕事は「簡単」だということになっているが、簡単なものか。簡単で無いことは働いている当人が一番わかっている。そして、だからこそ小器用な人間は「あいつは仕事が出来ない」と言って自分の力を誇示するわけである。
仕事が無い、金が無い、プレカリアートでない就職先が無い、なのでアルバイトをする、しかし器用にこなせない、簡単な仕事を優しく教えますと言われるもそれは嘘だ、だから追い込まれる。これは不幸だと俺は思う。それもこれも、どこにも余裕が無いことから作り出される不幸だが、一番余裕が無いのは、プレカリアートにも属せないため、他の可能性を模索する余裕などあり得ない人たちである。それはチャンス/希望を持ち得ない状態だと想像する。
暗いうえに収拾のつかない話をしてしまった。日記を先に進めよう。本日、24日。
昼、風邪マック(風邪を患いながら、マクドナルドで食事をとること)をしようかと店舗に向かうも、やっぱり風邪だし胃にやさしいものを食べようと考え直し、しかし妙案が出ず、結局コンビニでパンを二つ買うと、そのうちの一つはまずいパンだった。残念な食後、以前、出演した舞台がタイで再演されるという話があり、それが濃厚になったというメールを受けて、パスポートの期限などを確認していたら、外では強い雨が降り出し、稲光と雷鳴があり、夕立だな、と思い作業を続けていると、聞いたことのない乾いた、そして強烈な雷鳴が轟くと同時に窓が白くなり、驚愕する。後から知った情報に由ると、自宅から程近いスーパーマーケットの倉庫に落雷があったそうで、近隣の家では電話が使えなくなったりしたそうである。我が家の被害はというと、なぜ(前後に接続されたものがあったのに)それだけなのかは不明だが、MacBookのUSBポートに繋いでいたUSBハブ(この先に、オーディオインターフェイスと汎用カードリーダーが繋がっていた)が壊れてしまった。他のデスク周りの機器は無事だったが、そんなことより、この暑い中、エアコンが壊れてしまったのだ! 夏場に部屋を涼しくする優れた機械のことである。それが壊れて、部屋を涼しくすることが出来なくなってしまったのだ。これは憂いべき事態であることは間違いない。なにしろ、木造二階建ての我が家の二階は酷い湿度で、表に出た方が涼しいくらいなのだ。帰るべき場所が一番、蒸し暑いとなれば、これは嫌だ。外で汗をかき労働するなり遊ぶなりする場合、帰る場所が、部屋を涼しくする優れた機械を備えているのか、そうでないうえに、外より悪条件な場所であるのかの違いは、パフォーマンスに著しい影響を及ぼすだろう。しかし、我が家の場合、一階は日当りも悪くそれなりに涼しいので、エアコンの修理がなされるまで一階で主に過ごせば大した問題ではないこともまた事実だ。
ところで、随分と長くなってしまったし、この調子で日記を書く事に飽いてしまった。どうしよう。ああ、そういえば『ねじとねじ回し』という本を読んでいると記述したことを忘れていた。『ねじとねじ回し』は半分ほどまで読み進めたが、そのうちの半分ほどはハンマーやのこぎりについて書かれていて、ねじ回しについての記述はじょじょに増えてきたものの、ねじについては、まだあまり書かれていない。俺はねじが好きだから何となく、そしてエアコンが壊れ、家にいると暑いため、そうだバイクに乗ると爽快なのではないかと思い少しバイクを走らせ、24時間営業の本屋に立ち寄り、何か適当な読み物を、と手にした書物がそれだったが、まだあまりねじが登場しないのでそれほど面白くないのだった。
最後に。インタビューイという言葉がある。インタビューやインタビュアーには馴染みがあるが、インタビューイという言葉は何故かそれほど知られておらず、これはインタビューされる人のことを表す言葉だ。敬愛する筒井康隆さんの小説に『インタビューイ』という短篇があり、それは新潮文庫の『エロチック街道』に収録されている。筒井さんは、SF作家であり、その先見性を評価されることが度々あり、それは例えば、わかりやすいところで嫌煙運動の激化の予見などに代表されるが、『インタビューイ』という作品の中にも、予見を試みていると思われる箇所がある。以下、引用である。
「ああ。先生。先生。次にお訊ねしますが、どういう女性がお好きですか」
「柔らかい方がいいですね」
「あ、あの、ちょっとそれは。また、あの、抗議が来たり」『インタビューイ』著:筒井康隆(新潮文庫『エロチック街道』収録)より抜粋
いや、待てよ。これは昭和56年、つまり俺が生まれる2年前に文庫で刊行されているから、発表はもっと以前のはずで、つまり俺が知らない時代に書かれたものだから予見などではなくて、当時、実際、そういうことがあったということかもしれないが、さて、ふらりと『ねじとねじ回し』(著:ヴィトルト・リプチンスキ 訳:春日井晶子)を買った左京区にある丸山書店のマンガコーナーで、平積みされたそれらの表紙を眺めた印象では、現在、このような問答に抗議が来る様な雰囲気は一切無い。なにしろ、いやらしいイラストの表紙で、タイトルが『柔らかい女』というものがあった。他にも同じ類いのイラストで「おっぱい」がタイトルに付くものが多々あった。丸山書店にはいやらしいマンガのコーナーがあり、俺が眺めていたのはそうでないほうのコーナーであったにも関わらずである。
さて、ほんとうはここから、先日書いた「封建的エロス」の話に繋げたいのだけれども、いくらバカになっているからといって、さすがに書き過ぎたし、疲れた。ところで『ねじとねじ回し』と同時に買ったいましろたかしの『引き潮』はとても面白かった。
