2010. 6. 7|MON

6日、7日と京都の自宅での日々である。改めて書くあれでもないが、自宅はやはり快適だ。ふと思いついた時に資料などが手元にある場所というのはやはり大切である。例えば、デザイン案を考えていて、俺はデザインに於いてわりと手癖があり、それが嫌なのでグラフィックを考える時は一定期間、画集であったり、CD/レコードのジャケット、金属部品、スーパーに陳列された食料品のパッケージなどを、思いつくままにじっと見るのだけれども、それはネットで事足りそうで全く事足りない。何がわからないのかわからないから見ているのだった。確実な検索ワードは無いのだった。
ところでAKB48の『ポニーテールとシュシュ』だが、惜しい! iTunes Storeでサビ部分を視聴し、おっ、となり、しばらくしてYouTubeを使えば全部聴けると気が付いた。何を言っているのかと思われかねないあれだが、ネットに関するあれこれに実のところ疎い俺である。それはまあどうだって良いのだけれども、とにかく『ポニーテールとシュシュ』をYouTubeを通じて聴いたところ、予想通りの転調と、やや趣きを変えたサビの連続は完全に予想にあった通りだったが、これが何というか、惜しかったのだ。もうちょっとで魔法がかかったんじゃないかって。すぐに小室哲哉を思い浮かべた俺である。彼ならこういった手落ちはなかっただろうと思うのは彼の音楽に対する異常な愛を認めているからで、だがしかし、やや狂気を帯びたビートや低音をAKB48が望んでいるはずもなく、見当はずれな想像だな、と思っているうちに、ついついまたglobeの気が狂っているとしか思えない楽曲『genesis of next』を聴いてしまう。何度聴いても意味がわからない。
今日は早朝に目が醒めたので、相馬(称)さんに貸して頂いた「新潮」(2008年4月号)に掲載されている宮沢(章夫)さんの小説『返却』を読む。その後、そのことをTwitterでつぶやき、宮沢さんとのやりとりで知ったのは『レパード』という未読の作品もあるということ。読みたいなあ。『返却』は面白かった。宮沢さんの小説特有の、一行目を読み始めたら、もう同じ場所には戻らないだろう、主人公に与えられた時間と彷徨を追体験するような、その感じを堪能する。
さて、もうそろそろ夜行バスに乗車するために京都駅に向かわなければならない。飼い猫であるもきちとの束の間の再開も終わりだ。何とか済ませなければならない雑務も終わった。
