2010. 4. 17|SUN

16日のことから。未明から、小説のためのノートが数冊に分散してしまっていたので、それを一冊にまとめる作業をしていた。気が付くと午前9時になっていたため、通院のため雨の中、駅まで歩き、京阪電車。医者に減薬のことを相談する。数日続いていためまいも治まってきていたし、それにそれほどの困難はないように思えている。
帰宅し少し眠り、chikin『シティ派で』のバーカウンターを担当するのと、鑑賞とを兼ねて、劇場に。開演が近くなった頃、バストリオの二人がやってくる。終演後、3人で天天有に。そのまま二人は我が家に滞在し、本日、『原始人みたい』の再演場所として候補になっているというクラブを偵察に行くということで別れる。しかしまあ、我が家に泊まってもらう、というような予定だったが、結局話は尽きず、夜は明け、ブランチの時間まで話してしまった。
どうやら、そのクラブの様子だが、
17日は大阪のとあるクラブを見に行く。「原始人みたい」をやるかもしれないことになっているので、偵察だったけど、この場所はまた違うことをやった方が いいなと思い、もう少し短い「原始人みたい」のなにかか、まったく新しいものをやるべきかもとなった。でもクラブのマネージャーが良い人だったという事でとてもやる気にはなったので収穫ありでした。
とのこと。乞うご期待。
日記に戻るが、今野(裕一郎)くんと別れ、俺はchikin『シティ派で』の2回目の鑑賞に。バイクで行ったことを忘れてうっかりビールを呑んでしまったため、バイクを押して帰宅。Amazonから届いた相対性理論『シンクロニシティーン』を聴く。聴いていてふと思い当たり、Twitterにも書いたのだが、えと、面倒なのでそれをそのまま引くと、「相対性理論の新譜を聴いている。わかった、つまりあれだ、リズム隊の巧みさにより、(エレクトリック)ギターが、そこに当然のごとく宿るであろう男性性から解き放たれ擬人化し、性を持たない者、それとしてまるえつと共に「歌う」、さらにそれが確信的である、 それによる勝利だということだ。」ってなわけで、これはなかなか言い得て妙だと思うのだが、いかがだろう。
あ、あと、そのCDと同時に阿部和重の『ピストルズ』も届いている。彼の著書の中で今までで一番良い装丁ではないかしら。そして分厚い。その物質の佇まいに、対峙したとき、少し緊張感すら感じるのだった。
そんなわけで夜も更け眠ったが、なぜか寝入って2時間後の午前4時に目が覚める。『シティ派で』の公演が18日までなので、そして今回、それの鑑賞を経て、彼女たちに多くの言葉とそれを用意/使用するためのエネルギーを使わなければならないと考えているので、日記は明日の夜まで空けようと思っていたのだったが、朝の穏やかな時間につい言葉を書き始めてしまった次第。というわけで、このあたりで。
