2010. 3. 11|THU

10日。曇天。午後5時から稽古。先ず、荒川土手に向かう。淀川を近くに育った俺は京都の、例えば家の近くにある川、鴨川とかは少し違って、やはり土手が必要なのだった。荒川土手。ああ、これだよ、となる。真心ブラザーズに『荒川土手』という曲があって、好きなのだけれども、歌になるのはやはりそこが土手だったからだ。土手から稽古場に戻り、午後10時解散。世話になっている北千住の家で豆乳鍋。日付が変わって11日未明、3時間ほどwebの作業。その後、演出家から出された宿題をしていると早朝ではない朝にまでなってしまった。ようやく寝たが、昼過ぎに北千住の家に学生時代から友人だったみっちゃんが来ていたので起き、ひさしぶりに話す。本日も午後5時から稽古。晴れた荒川土手はさらに良かった。日暮れまでそこで稽古。その後、稽古場で午後10時まで。終えていろいろで、この日記を書いている今はもう夜明けが近い。筋肉痛なうえに体がバキバキにこっているが、明日は稽古後、京都に夜行バスで帰り、そのままコンピューターの仕事をしなければならない。先は長いし体に気を付けないと。それにしてもなかなか過密だが、だからこそもっと時間の使い方に意識的にならねばならない。
さて、『原始人みたい』の稽古はすこぶるおもしろい。ちゃんと今、おもしろい場所に居れて、安堵とともにだからこそ過酷だ。知らぬ間に時間が止まった時に生は死ぬのだと意識する。だからこその過酷。どうやら死ぬ気は無いようだから今ここにいるのだなあと思うと、感覚は変容するし、つくづく時間は残酷だと思う。とはいえ、ただでさえ間に合わないようになっている今、その残酷さにかこつけて他を待つ猶予もどうやら無い。黒いもやから逃げている感じ。逃げる動機は、やはり恐怖なのだろうな。人間の生のための逃走をはっきりと意識すると、つまりは逃げ続けることを意識しなければならないという状態に陥っているわけで、とっとと諦めることを嫌悪しているわけでは決して無いが、やはりそれは恐怖からなのだろう、走ろうとしてしまうのだった。そんなわけで、そろそろ眠らないと。こんな感じで一度神経をバカにしちゃった代償は大きかったからなあ。寝よう寝よう。今は、とても立体的。

