2010

2010. 12. 30|THU

元田中

おそらく年内、最後の日記になる。29日のことから。夕方、確認と写真撮影の仕事で阪急電車で移動。本日。webサイトの仕事を終日。そうすぐに終わる仕事では無いので、年内は仕事納めということにする。

残すは大晦日だけだから、2010年を振り返ってみるタイミングだとは思うのだけれども、……面倒だな。まあ、とにかく舞台に立った年になった。2月に『西山真来はなぜこうなってしまったのか』に出演したのを始めとして、バストリオの公演に多数、高嶺(格)さんの舞台『Melody♡Cup』の再演をバンコクで。chikin主催のイベントに個人名義で立ったりもした。思えば出会いの年でもあったわけで、今年もまたたくさんの方の世話になった。ありがとうございました。

祖父を亡くした年でもあった。母方、父方、共に亡くなってしまった。どちらも長寿で、悲しみは少ないが、長い時間を生きた二人の死で、自分の立ち位置を再確認した。

まあ、金銭面は相変わらず落第点で、来年はその辺り、多少、力を入れて行く所存だ。健康面はぼちぼちかな。全快への道のりは険しい。

ほんとうに勉強した年だった。必要に駆られて。良い年だったね。もちろん、引き続き。いつだって新しい時間です。

2010. 12. 28|TUE

ストリートビュー

27日。印刷物の納品が3つあり、入稿が1つ。webサイトの仕事。

本日。webサイトの仕事。昼過ぎにweekendersでサンドイッチ。何の用事も無いのに叡山電車に乗る。雨が降ってきた。雨が降ってきたので体調が崩れて、帰宅し眠る。

今は起床後の、29日早朝である。写真は久しぶりに見たストリートビューの、飛田新地付近のキャプチャー。

2010. 12. 26|SUN

24日から日記が滞っている。24日は夕方から体調不良でずっと寝ていて、25日の早朝に目を覚ました。25日は早朝から仕事をし、夕方に作業を一段落させ、その後、クリスマス・パーティ。

来て頂いた皆様、ありがとう。主催者なのに皆にとって恒例のイベントになっているとは思いも寄らなかった。来年は盛大にやりましょう。

26日の昼過ぎに寝て、M-1は完全に見逃した。

2010. 12. 23|THU

さて、なんだかんだで年度末です。我が家に「今年はクリスマス・パーティをしないのか?」との問い合わせがありました。過去の日記を参照すると、2008年、2009年、確かに25日に我が家ではそれらしいものが催されていました。

どちらかと言えば忘年会寄りの催しですが、問い合わせもありましたし、今年もやることにします。すっかり忘れていました。過去を振り返ったところ、どうやら、クリスマス・パーティ的なこととして、プレゼント交換が行われます。確か、幾らまでのもの、と決まっていたはず(1,500円くらいだったと思う)。

それ以外には特に何も無かったと思いますが、改めて告知しますと、25日の夜のいつか(まあ、最初に誰かが来てからです)、我が家にて、年末的集いがありますので、お時間ある方は、気兼ねなくお越し下さい。事前に私か山村に連絡いただければ良いですが、(どうせ朝までやってると思いますし)別に当日ふらっと来てもらっても結構です。このところ見かけないな、という人がいれば、誘い合わせのうえお越しください。

以上、パーティの告知でした。

2010. 12. 22|WED

London Sessions

21日、印刷物の入稿。夜、自分の名刺が残り僅かになってきたので、新しいものを制作する。あと、本棚に本が納まりきらないのは今に始まったことではないが、あまりにも納まりきらないので、新しいものを買い、それが届いたのだった。ネットで買う安い本棚の何が大変って、組み立てだよ。俺はわりとこういった作業が好きだからさほど苦では無いけれども、苦手な人には半日仕事じゃないだろうか。ひどかったのが、や、まあ、構造上、仕方無いのだけれども、新しい本棚は幅120cm、高さ210cmなのだが、組立説明書の最後のページで、上130cmくらいのパーツを、下の上に載っけろ、という指示が矢印で簡単に書かれていて、そうなるとは思ってたけど、それ大変だよ。ちょっと持ち上げる前に精神統一したからね。一回ミスったら、けっこう体力減るから。と書きつつ、解体した今まで使っていた本棚が邪魔でなかなかそれを下の上にやるのは苦労だった。深夜だったから、静かにしないとあれだったし。そんなわけで本棚が大きなものになったのだが、本は納まりきらない。もう仕方ねえな。

本日。名刺を入稿する。iTunes Storeで『London Sessions』購入。来年、CDでも出るらしいそれは、11月の初旬にリリースされていて、LCD Soundsystemの長年のファンとして恥ずかしい、何で聴いてなかったんだって名盤。これだよこれ。(たしか)単独初来日ツアー初日、心斎橋CLUB QUATTROを思い出す。James Murphyは、大阪のおばちゃんが着ていそうな、高専で同級生だった恩地くんが着ていたようなホワイトタイガーのTシャツを着ていて、ベースが素人目にもヘロヘロで、俺は、謎の体調不良(後に、パニック障害だってわかるが、半年後のことだ)で、それでも最高に最高だったそのライブ。当然、Nancy好きになるし。『London Sessions』の何が良いって、『Get Innocuous!』で、Nancyが「Get Innocuous!」って言うところ。もう一回観たいな。仮に来日アクトがあっても、CLUB QUATTROみたいなハコではもうあり得ないだろうなあ。ところで、心斎橋CLUB QUATTROは16の時にDMBQを観に行って、それが初めて観たライブだった。いろいろ観たな。行ってないな、ライブ。ずっと一人で行ってた。

夜、録画(ビデオに録画なんてしたの、何年ぶりだろう。VHS買うのが面倒で、DVテープに録ったのだけれど)しておいた「気分は上々」のスペシャル番組を見る。同居人に頼まれていたのだった。これもまた、16、17の頃を思い出す。毎週見ていた。大人になったらああやって遊べるのか、と、ほんとに夢と希望だった。

まあ、それはそれとして。大掃除で古い洋服もたくさん捨てた。胸が高鳴るね、何もないけど。「新しい夜」って書いて間違いでない時間が、これからもまた死ぬほどあるのかあ。ご苦労さんだよ。

2010. 12. 20|MON

時計

17日から日記が空いているけど、17日って3日も前か。何をしていただろう。とりあえず、寒さにあてられて体調がガタガタだったんだ。今もだけれど。

だから例の如く、思い出すあれこれをランダムに書き連ねていくが、良く覚えていることってのはまあ、それなりに象徴的で、例えば、このところ(橋本)和加子さんにもらった綺麗なライターのガスが切れていて、だから持ち歩かずに家に置いていたら、出先で火が無いことが多々あり、100円ライターを二つも買ってしまった。なのでガスを買い、青いライターがまた火を煙草に点けてくれることなどは、小さなことでありつつ、良く覚えている。道具というのは、手で触れるから、とても大事だ。日常的に使うものとなれば、殊更である。写真は壁に掛けてある時計である。Riki Watanabeのデザインだが、日常的に見つつ、やはり美しいと思える素晴らしいプロダクションだ。

こんな性格だから、別に高級なそれ、という話ではなく、日用品はそれなりのものを使うべきだと思っていて、ボロくても手入れしてあればそれは美しいし、だから、投げやりなものをずっと使っている人を見ると、貧しい気持ちになる。機能してこその道具だから、機能に差し支えが生じているそれを、無理やりに使うというのは、下品だと思うのだ。物を直す、という行為の美しさはそこにある。

あれ、なんでこんな話をしているのか。日記だった。あと、あ、そうそう。『愛しのアイリーン』新装版(上)を読む。下巻は来年。あと、ずっとベニー・ライの足技目当てで観たかった『ポリス・ストーリー2/九龍の眼』を観た。

大掃除も始めた。肩こりがひどい。なんか、あんまり面白くないな、いろいろ、って気分の時期。面白く無い理由って、そいつがそういう気分だって以外、無いでしょ、正直なところ。

2010. 12. 16|THU

もきち

14日。あまりはっきり覚えていないが、仕事をした後、通院している病院に行ったはずである。もう通院して6年になるが、一応、特別のろまの牛の牛歩で治癒はしている気がしなくもない……、というような感じ。で、その間、ずっと受付を担当されていた、目のキラキラした、おそらく30代の女性が居たのだが、2ヶ月前から居らず、それ以前からじょじょに新しい受付の職員が増え始めていて、それまではその方一人で仕事をこなしてらしたから、これは何だ、あれか、引き継ぎなのか、と不安を覚えてはいたが、この日、やはり退職されたのだな、とついに確信する。ショック。あの人だったら電話で用件を言えばすぐにわかってくれたし、第一、かわいい方だし、もう嫌だ。どうしたんだろう。こんど新しい受付の人に訊いてみようかな。いや、どうだろう。でもな……。

帰り路に実家に寄る。実家の最寄り駅である香里園が近づいた頃、俺はiPhoneで『Pyramid Song』を聴いていて、これは、まあ口にするのが恥ずかしいが、自分で選曲したイギリス音楽のプレイリストに入れている曲で、終盤のそれである。で、駅を出て、歩き始めた。実家まではおおよそ10分である。『Tomorrow Never Knows』が聴こえ始め、ビートルズのド名曲(余談だが、この名曲の冒頭で何度か聴こえる渡り鳥の声は、舞台『原始人みたい』の音響を思い出させる)だし、ああ、俺はこれをこのプレイリストの最後にしたのか、じゃあ、家に辿り着く前に終わっちゃうな、と思いながらそれを聴き終え、道半ば、ところが少しの静寂の後、『Waterloo Sunset』が鳴り始めたのだった。ああ、そっか、って。家への最後のカーブでフェイド・アウトして終わった。時々ある、音楽の、良い時間だったなあ、という話。

15日。発注していた印刷物が午前に納品され、仕上がりを確認し、新しい、同系列のそれに手を付ける。夜、ラフを持って打ち合わせに。終日仕事だった。

本日。夜、頭痛で寝てしまい、行こうと思っていたイベントに行きそびれる。仕事。それにしても、寒い。

2010. 12. 13|MON

また雨が降っていた。このところ、降ったり降らなかったり。

「新潮」2011年1月号に掲載のものを幾つか読む。岡田利規 × 飴屋法水『往復書簡 無神論者による神さまに向けたパフォーマンス』は、今年、様々な舞台に立ったが、特にバストリオでのそれを思い返すことを促すもので、そして、そのことをここに書く事を何ら躊躇わないほど、わかるものだった。さらに傲慢なことを書けば、二人のそれは優れた文章であったから、体験を伴う俺には、そこからはみ出しまくっている色々な手触りが想起されそしてシニフィエは膨れ上がり、読み物ではなく、パーソナルな記憶を一度、風で中空に巻き上げる装置だった。でも、だからといって何でも無いのである。巻き上がったそれらは過去だから、静かにまた着地するだけだ。少し感情が動くだけ。そもそも迷ってなんていないから、指針になるものでもない。とにかく、このタイミングでこの文章が読めたことが嬉しかった。

夜は、公演を終えた山村(麻由美)を労い、近所の中国料理屋「華祥」に夕食を。とても美味しかった。

2010. 12. 12|SUN

本日のことから。

午後2時に「人間座スタジオ」で辻企画『愛 ー在りかー』を観劇する。10日の午後2時の回/初回、も観ているので、2回目の鑑賞を経て、つまりは初回と最終回を観たことになった。10日の夜は『愛 ー在りかー』が残り3ステージを控えていたため日記に感想は書かなかったが、さて、書こうと思う。

10日の観劇では、様々なことがひっかかった。美術装置の、あの後ろの上下(かみしも)両方のはけ口、音のセンスの無さ、よくわからない模様の照明、男の演技。特に男性役の黒田(政秀)さんの演技にひっかかることが多く、それは女性役の山村(麻由美)と、演技の、言わば虚構レベルに相違があるように感じられたほどで、ただ、2度目の鑑賞を終えた今は、初回には、それだからこそ聞こえてきたテキストがあったようにも思ったのだった。というのも、二人芝居だったのだが、それでいて、そこにいる二人の虚構レベルに相違があれば、意識はどうしてもその他の虚構レベル、つまりは客席だとか、劇場の外にも向き、そうなった時、二人が発するテキストは、例えればそこがそこであるための重しのようであり、言葉は肉体からも離れて浮遊し、だからこそ孤立して聞こえてきた、というか、不安定なそれを掴もうとする意識が自分に働いたのだったが、二度目の観劇、つまり楽日である今日の回は、男女共に均一の芝居が成されており、そうなった時、二人が口に出す言葉は「唯一」の通底音となり、その時、音響や照明の粗も気にならなくなり、俺は、ただただ眠くなったのだった。

俺の中のシニフィエは拡張せずに、ただただそこではシニフィアンがこぼれていった。二人の演技が整えば整うほど、ただこぼれるだけになった。今日の観劇はその事を確認しに行ったと言っても過言ではなく、実際、その疑いを手に劇場に足を運び、腑に落ち、眠気を携えて劇場を後にしている。

食卓にある塩を片手に兄が「これ、魔法の薬」と言い出し、弟がそれに乗じて遊ぶ光景。それはそれで愉快である。ただ、たとえば弟がどこかそれを信じていないが乗じている、というふうだったらどうだろう。事態は複雑になる。興味を惹く。だけど、どうやらそれは誤解だったらしい。弟もそれを、魔法の薬だと思って兄弟は遊んでいた。ああ、そうだったのか、なら、まあ、ひとしきり遊んでいなさい、まどろみの中、塩で遊んでいることを誰かにたしなめられた二人はどこかに消え、私はただ眠気を引きずっている。

以上が感想だ。

さて、昨日の日記を書く。夜、「コーポ北加賀屋」で写真家の西光(祐輔)さんの展示(西光祐輔 × パトリック・ツァイ『Something bursted and splattered』)が始まり、そのオープニング・パーティにお誘い頂いたので出向く。企画の(小西)小多郎さんと話しながら、終電間際までお邪魔する。

帰りの電車は忘年会帰りと見受けられる人ばかり。最寄り駅からの帰路「爆睡」って言葉、あんまり使ったことないけど、たとえば俺なんかは、酷い時は寝ている間に日付が2つ変わったことがあるくらい眠ることがあるが、しかし、爆睡という言葉にはピンとこないな、などとしばらく思ったあと、ああ、単にいびきがうるさい人が寝ている様子を示すだけのあれか、と納得する。

今日は、上に書いた様に観劇後、同じ境遇の二人と昼飯を食ったりしてぶらぶら。帰宅後、眠いが、今日書かなかったら書けないなと思い、上記のそれを書き、ああ、もう少しで書き終わる、と安堵しているのが今である。

2010. 12. 10|FRI

壁と地面

早朝にバイクに乗ったが、この冬、一番の寒さだった。俺がバイクに乗る時に使う手袋は、以前、手袋をバイク(カブ)の前カゴに入れっぱなしでどこかに移動し、2度も盗難にあったため、自分に対し放置すまいと宣言する目論みで、昨年か一昨年かにアウトドア・ショップで購入した高級なそれで、馬鹿馬鹿しい機能として、空気を送り込む穴がある。つまり、口で呼気を送り込み、その熱で手袋内を満たすという作戦だ。人に言うと馬鹿にされるそれだが、登山家の為にまじめに考えられた機能らしく、効果はある。で、長々と手袋の話をしたが、いよいよその穴から呼気を吹き込みたい寒さの朝だったのだ。

さて、午後2時に「人間座スタジオ」で辻企画『愛 ー在りかー』を観劇する。11日、12日と本番は続くので感想はその後にするが、観ることを迷っていたり、もしくは単に暇な人がいたら、観劇を勧める。

2010. 12. 9|THU

交差点

体調が冴えない日々だが、突然、降雨があったり冷えたりの時候、不可抗力。我が家にある唯一の不満が「寒い」ということだが、いよいよ部屋に居ながら指だけ出ている手袋をしてデスクワークをしたい気温になってしまった。

さて、趣味の音楽『KODAMA SATOSHI Ⅰ』の後、3曲出来ていて、気が向いたので3曲をまとめたのものが『Night E.P』。もう少し楽しげな音楽は作れないのだろうか、俺。

や、あのー、決して私の作る音が良いとは思っておりませんのですが、だからこそ趣味ということばで表現からの罷免を願っておるところでもあるのですが、なんというか、最近、良くできてるんですよ、大体。大体のもんは、ああ、良くできとるなあ、と。時折、自分には、あんまり良く出来てないものを欲することがありましてね、そういうあれが、これなんです。作ってて楽しいですよ、嫌になったらやめますから。嫌になってもやめられないことばかりですから、後は。

さて、ところで日記だが、まあ、体調が冴えないということはもう書いた。本を読んだりいろいろしてるっちゃしてるけど、何もしてないっちゃしてない。ちょっとね、今年、無理したぶん、態勢を整えているのです。

2010. 12. 7|TUE

DARK SIDE OF THE MOON

なぜか心身ともに参った状態になっていた。理由が良くわからないのが厄介なのだけれども、6日の明け方にコンビニに向かうと雨がパラリ、気圧の変化のせいだということにした。

今(2ヶ月ほど前から)、デザイナーとして今までで一番大きな仕事をしているのだけれども、勉強になりっぱなし、というか、勉強しないとどうにもならん状況の連続で、面白いと同時に疲れてもいる。

今日、7日。昼過ぎに印刷会社と自宅で打ち合わせをしていると、見知らぬお婆さんがトイレを貸してくれとやってきた。俺は慣れない2色印刷に頭を抱え、印刷会社のお世話になっている方は何とかできないか一緒に考えてくれていて、トイレの位置を指し、「そこがトイレです」、すると何故か、我が家の構造を知っている方はわかり良いと思うが、トイレの戸の真横の、何も無い白壁の前に立ち尽くし、「ここですか?」と言うので、慌てる。次に電気の位置を教え、再び頭を抱える。が、ふと、寝起きの俺、見知らぬ老婆、スーツ姿の印刷会社の方が同じ部屋にいる状態がシュールに思えてきて、改善策を思考する脳がすこしそれて、なんだいま? と思う。

その後、無事、お婆さんは用を足し、印刷物も入稿出来る。次に内装を手がける会社からメール。俺が作成したロゴが看板になるので、それの色指定。印刷物はかなりざらつきのある高級紙を使っていて、看板はカッティング・シートで作成するうえに、アクリル版の上にシートを使用し作成し、背後から白色灯で照らすと聞いていたから、同じ色を指定してもいけないと頭を抱える。

経験も資料も機材も足りないので、とりあえず必死で最善策を練る。面白いじゃないか、デザイン。ウェブ・デザインの方が経験値はあるから想像が容易く、これらの作業よりよほど簡単なのだが、それだけに底知れぬ奥深さが垣間見えてきた印刷物が面白い。

今年は気付かぬうちに走り続けていた感触だが、正念場。常に同時にパフォーマーでも音響でもデザイナーでもある。この仕事は来年2月まで続く。2月はといえば、神戸と横浜で公演が控えている。それに備えて英語とダンスを学びたかったが、すこし難しそうだな……。先に学ばなければいけないことがたくさんある。とはいえ、もう少し資料と機材を集めたいから、まだまだ仕事するよ、俺。別段、収入にならないことだってものによればどんどんやるよ。修行モードだから。

別に普段よりやる気に溢れているとかそういうことではない。単に今年はやることにしているのだ。それはもうしばらく続きそう。

2010. 12. 5|SUN

時計

4日。土曜日。印刷会社から頼んでいた色校正を受け取り(実際は、俺がうたた寝していたので、自宅のドアノブにそれを掛けていってくれた)、俺の経験不足から、「あー、そうなっちゃうか」となり、今日の打ち合わせ用に急いで新しい案を考えるが、その晩は飼い猫を風呂に入れると同居人と約束していたことから、一旦、そのことは忘れて猫を風呂に入れる。

猫を乾かし、作業。何とか良い案が出る。5日の打ち合わせの準備をし、DSで「New スーパーマリオブラザーズ」をし、それでも別案が果たして良いのかともやもやし、globeを聴きながらこたつで寝てしまう。

本日。5日。夜、打ち合わせ。外出前の確認で新しい案が悪く無い事を確認し、安堵。さらに依頼主に新しい案の方を気に入ってもらえて喜ぶ。

夜、テレビ番組で「手帳術」とやらの特集をしていて、確かに手帳を使いこなす、ということは人を魅了するものの、俺はと言えば、数年使っている「ほぼ日手帳」が年々、白紙のページを増やし、今は革張りのただの分厚いノートを使っていて、それでようやく落ち着いている。スケジュールは机の横に掛けてあるカレンダーで管理している。(時には分厚いノートを見ながら)机の上に常にあるB5サイズのメモ帳にToDoを書き出し、整頓し、カレンダーに書き込む。それを毎日見る。目で覚えている。手帳に書き写すのが面倒なのだ。まあ、どっちでも良いかな、というような用事はそこには書かない。なのでその類いの予定は大抵、忘れて、その時間、家でぼんやりしているか、別のことをしている。手帳やカレンダーが書き込みでぎっしりと埋まってしまうと、うんざりするだろう。うんざりしたくない。大体で良いはずだ。俺のように神経質な人間が手帳を使い込み、ぎっちりと言葉で埋めてしまうと、とつぜん死にたくなりそうでそれを恐れている。「×××」とか、××××の××とか、どうだって良いからね。××とかで行動するのはうんざり。

西光(祐輔)さんから写真展の開催の知らせをもらい、久しぶりに『NEW GAMES』という写真集を開く。良いな。西光祐輔 × パトリック・ツァイ写真展『Something bursted and splattered』はオープニング・パーティが11日。行こう。伏せ字の何かを適当にあれしたら、簡単に行けるだろう。

2010. 12. 3|FRI

日記を付けてはいるものの掲載する写真が無いのは、単に撮影していないからだ。ほんとうは何か写真を載せたいのだけれども、何も載せるものがない。撮影していないから。

俺が写真を撮っている時、というのは、思えば暇な時で、だからそれは趣味なのだろうけれども、暇は暇でも家に居る時は、撮って飼い猫くらいのものである。ただ、これは俺の日記で猫の日記ではないから、毎日、猫の写真を載せても仕方が無いし、かといって俺の写真を載せるのもどうかと思うので、写真を撮っていない日は、写真の無い日記になる。

当たり前のことを何度も言っている。先月11月は立て続けに公演があり、従来の日記というよりかは、近況報告に重きを置いたそれになってしまっていて、ほんのひと月の間のことだが、果て、どういうふうにここは書かれていたか、なかなか思い出せないのだった。

できれば何も書きたく無いのだけれども……。別に不機嫌だとか、そういうことではない。ただ、どちらかというとつまらないのだった。

2010. 12. 2|THU

夕方、仕事で大阪は水無瀬という土地に。帰り路は雨。

なんだか無性に退屈な気分だ。狭いな、と。感覚が。飽きてるな。だからもっとできることを増やしたい。もっとできることがあれば、もっと飽きるまでに時間が掛かるのではないだろうか、という、憶測。

2010. 12. 1|WED

12月になってしまった。印刷会社と打ち合わせをするために午前に起床し、打ち合わせを終えるとまた家で眠ってしまった。さして疲れている感じも無いのに眠ってばかりだ。

夜、今野(裕一郎)くんを乗せてバイクで大きな銭湯に行く。「天山の湯」というところで、わりと丁寧に作り込まれた落ち着ける銭湯だった。

帰宅してまたうとうとし、少し仕事をして今、日記を付けている。

いまはこういうじかんだが、やらなければならないことを忘れている気がしてならない。良くわからないものに追われている感触が薄れているような気がする。それはむかし良く日記に書いていた、よくわからない黒いもや、のことだろうか。

飽きっぽい。サディスティックな気持ちで、酷い目を求める。場合によっては粉々にだってしたい。遠くへ行きたい。飽きっぽいからな。眠たいし、何かしていないと、目が醒めない。

2010. 11. 30|TUE

さよならアメリカ

日記が一週間空いた。27日は『まるいじかんとわたし』でした。ご来場いただいた皆様、遅くなりましたがありがとうございました。

さて、一週間というと長い時間だからもちろんいろいろなことがあったのだけれども、仔細は覚えていないし、思い出した端から書き連ねる日記になる。

写真は、昨日29日、父親が今年定年退職し、その記念か何かでもらった食事券が今月までしか使えないため、わりとかしこまったレストランが嫌いであり、主役であるところの父を除いた家族三人で大阪に食事に行き、その際、妹からずいぶん遅れてもらった誕生日プレゼントのTシャツである。『まるいじかんとわたし』で、俺は「さよならアメリカ」というシーンを演じていて、それを知らない妹のドンピシャな贈り物に驚く。ちなみに左隣の茶色のシャツは、『原始人みたい』という舞台で着ていた、この時期もっとも着る普段着だ。

……昨日のことしかちゃんと思い出せないな。24日から27日はとにかく必死で台詞を覚えたり音響の作業をしていた。で、終わって、上演場所であったCafe&Gallery Tranq Roomで打ち上げ。東京から相馬(称)さんがご来場くださったのが嬉しかった。くわえて、サイトに感想を書いてくださっている。「まるいじかん」というそれで、『まるいじかんとわたし』がどういう作品だったのか、文章で見るのにとてもわかり良いので、是非お読みいただきたい。

公演が終わってからは大体寝ていた。振り返ると11月はバンコクと京都、2つの公演に出演したのだった。まったく想像していなかった2010年も間もなく師走だ。とりあえず今年の出演予定はもう無い。舞台公演、イベント出演、合わせて7本。出たね。なんだかわからないがとにかく舞台に立った年になった。来年もそれは引き続きそうだが、舞台に出るのはホントしんどいと言い続けて結局、出続けてしまっている。来年のことは良くわからないが、あの、俺、今年出た7本、全部面白いと思っている。確実に。

どの作品も、それぞれ特別な時間を過ごし、本番を迎えたが、『まるいじかんとわたし』はそれでも特別不思議なじかんだったな。良いメンバーだった。稲森明日香/小澤薫/橋本和加子/青木洋平/魚谷純平/児玉悟之/小林光春/今野裕一郎/澤田栄一、そして衣裳のirishcream(安食真/告鍬陽介)さん。

2010年代はやりますよ、われわれ。とりあえずスタートは上々。乞うご期待。ということで、今日の日記はこんな感じで。

2010. 11. 23|TUE

ミーティング

22日。昼から夜まで『まるいじかんとわたし』の稽古。その後、雨のなか肉体労働に出向き、深夜帰宅。眠って23日。昼から稽古。その後、スタッフ会議。写真はその時のもの。その後、実家から届いた荷物を受け取りに行き、帰宅してから風呂に入るとすぐに眠った。

明けて24日。早朝から音響とパンフレットの作業を行い、一段落つき日記を付けている。もう24日なんだな。『まるいじかんとわたし』は27日の19時に始まります。

さて、まだ未完の本、台詞を覚えよう。

2010. 11. 21|SUN

地下駐車場

19日のことから書く。午前から祖父の葬式。俺より5つ歳が上で、亡くなった祖父より66、歳が下の僧侶が、お経を唱えた後に説教をしたのだけれども、俺は葬式でそんな一般論というか世間話というか、つまらないこのところの宗教意識の低下に関する嘆きは聞きたくはなくて、右のように歳のことをあえて書いたのも、我々は数えるから、それは祖父が98も数えたことを労う儀式であって、それより若干数のあれこれについては(しかもくだらない)、もう一切口をつぐもうじゃないか、と言いたかったのだった。とはいえ親戚だけで、その親戚も少数で執り行われたその式は、上のようなことをことさらには書いたものの良いもので、そうした死が齎してくれる静けさにじっといた。

夕方に京都に戻り、『まるいじかんとわたし』の稽古に。終えて、パタリと眠る。

20日は稽古が休みであったので日が暮れるまで怠惰に過ごし、デザインの仕事で考えあぐねていたことが式典によってリセットされたのが良かったのか、深夜に仕事が捗る。

本日。稽古。そのまま上演場所であるCafe&Gallery Tranq Roomに移動し、諸々の確認。帰宅し、短期集中的に仕事をし、ようやく一つの印刷物に関して光明が。それでやや安堵し、そのまま音響の作業など。

気付けばまた明け方で、夜から雨が降り続けている。歳を追うごとに夜が短くなっている気がするが、昼もまた同じだった。寝よう。

2010. 11. 18|THU

16日。『まるいじかんとわたし』稽古初日。初めて出演者が全員揃う。稽古を終えて肉体労働に出向き、帰宅し眠り、17日、朝から通院のため大阪まで京阪に乗り、戻り、ふたたび稽古をしていると母親から連絡があり、父方の祖父の訃報。

享年98歳の大往生である。長い時間、生きた人だ。わからないが、長い時間だったと思う。そんなふうなことを、18日、本日、通夜のときに思っていた。

18時に通夜のため帰省し、終えて会食、みなは葬儀場の宿泊施設に泊まり、俺はwebサイトの作業のためにネット環境のある実家にもどる。思いがけず時間がかかってしまい、その作業を終えた今は午前3時前。

長い時間生きると、葬儀がしめっぽくならなくて良い。肺炎を起こしていた祖父はそのことを聞き「仕方ねえな」と言い、「俺はもうだめだ。明日死ぬ」と言って、翌々日に亡くなった。最期は近くにいた家族に「もう死ぬから帰れ」と言っていたという。かっこいいじゃないか。

明日は葬式。

2010. 11. 15|MON

command

14日。夕方から仕事の打ち合わせに出かけ、22時頃に帰宅。あ、そうだ、今月、忙しかったんだ、と思い出す。とはいえ、体もなかなかのぐったり具合で、ああ、雨が降るな、と天気予報よりも正確にそれを予測し、気怠さのなか眠り、眠っている間に雨は降りそして上がったらしいが、それはそれとして、起きたのが15日の20時頃だったので、大体の予定は狂ってしまった。

仕方無いのでこつこつと出来る事を進めて行く。やらなければならないことを紙にまとめたり、メールをしたりで一仕事で、なかなか実務に取りかかれない。

それはそれとして、明日からは『まるいじかんとわたし』の稽古が始まる。楽しみだ。稽古が終わると、シームレスに久しぶりの肉体労働である。明後日はwebサイト制作に取りかからなければ。ややこしいな。『まるいじかんとわたし』では音響もしなければならない。ふと見ると、ヘッドホン・ケーブルがcommand(⌘)の形になっていた。AM4:49。Miles Davis『On The Corner』を聴きながら日記を書いている。

2010. 11. 13|SAT

『まるいじかんとわたし』のワークショップ・オーディション2日目。昨日/初日の独特の、不思議な密度をもたらす時間はその感触を薄めたものの、また違う何かが漂い始めた2日目/最終日。

会場であったSocial Kitchenの雰囲気が良かったな、と思ったのは、広さや質感が、単純に今回のワークショップ・オーディションを行うにあたって、とてもやりやすいものであったからだと終わってから気付き、というのも、凡庸な言い方だが、あたたかみのあるその場所の広すぎない正方形、白々しく無い照明、適度な解放感が、なんとなくいろいろなことを円滑にしていたようにも思えたからだった。って、結局どういうことかわからない感じになってしまったが、とにかく良い場所だったと思ったのだ。

で、内容は引き続きとても面白かった。あっという間に終わってしまった。キャスティングのためのワークショップ・オーディションであったことを忘れていた。でも、それだったから、バストリオから決断があるはずである。それが本当の、新たな作品の始まりになるわけだが、それにしても、その助走になった2日間は不思議な時間だった。

さて、その後、我が家で、お世話になっている美女と、今野(裕一郎)くんの誕生日が同じく本日13日であったことから、合同の誕生会。個人的に、2010年に集ったことが不思議な、過去に想像し得なかった面々によるそれは賑やかに、未明まで続いた。

明けて部屋を片付け(久しぶりの我が家でのパーティ、みなが帰り、一人静かに部屋を元の状態に戻していくあの時間は、寂しいようで嫌いではなく、むしろ好きなそれで、わたしの貴重な時間のひとつだ)、今は14日の午前8時。良い一日だった。

2010. 11. 12|FRI

まるいじかんとわたし

18時から『まるいじかんとわたし』のワークショップ・オーディション。俺は、なんというか特異な立場で、バストリオでも無ければ応募者でも無いのだけれども、一応は出演することになっている人で、はてどういう感じで居たら良いのかしら、と思ってもいたのだけれども、それは杞憂だった。それが何故かというのは、ワークショップ・オーディションは明日も行われるし、そもそも別段、書いておく必要のあることでもないので割愛するが、それとは別に、本日のそれがただただ面白く進行したということもまた大きいと思う。

こんなに笑うとは、と驚いたほどである。ワークショップ・オーディションというもののことを俺は全く知らないのだけれども(オーディション/ワークショップというものを受けたことが無いので)、それの時点でこれだけ面白ければ、それなりのものはできるだろうと思った。過去3回、バストリオの公演に参加した時は、毎回ほぼ同じメンバーで少数だったため、予測がある程度限られていたのだったが、今回はほんとうに何が起きるか/できるかわからない。

前述の通り、明日もまたSocial Kitchenにてワークショップ・オーディションである。今までの制作空間よりも、なんというか、アクロバティックなスリルがある。とりあえず面白そうな感じだけがそこにはあって、他は何も固定されていない。不思議な時間が先ず、作られた。

2010. 11. 11|THU

10日。夕方、今月の27日に上演する『まるいじかんとわたし』の会場であるCafe&Gallery Tranq Roomに。そこで主催であるバストリオのメンバーと合流し、会場見学。

本日。昼過ぎから簡単な印刷物の仕事に取りかかり、夜の手前に終える。予定より早く終わったので髪を切りに行く。頭の悪そうな話し方をする人によくわからない髪型にされる。理髪前に「眼鏡を預かります」というので手渡し、ある程度、終わった時に「どうですか?」と問われたので、「眼鏡が無いからわかりません」と答えると「そうだ、見えないんだった」と眼鏡の男の美容師はつぶやいた。眼鏡を渡され確認し、「もう少し前髪を短く」と注文した後、全く同じやりとりがあり、この男は口のきき方を知らない事が命取りになることを知らずに良い歳になっちゃったんだな、と憐れむ。

理髪後、たこ焼きを買っているとバストリオの三人と路上で会い、(橋本)和加子さんに髪型を笑われる。俺は今年、東京やタイに長期で何度か行っていて、加えてバストリオは東京の団体だからややこしいかもしれないが、俺は今、京都に居て、これは京都での話だ。明日から『まるいじかんとわたし』という公演のためのワークショップ・オーディションが始まる。

2010. 11. 9|TUE

空

ひさしぶりに自宅の自室の椅子に掛け日記を書いている。帰国は8日の18時の予定だったが、タイ航空の遅延によって9日の0時を過ぎてしまった。スワンナプーム国際空港に8時間も居た。エアポケットの一日。

ところで、バンコクでの『Melody♡Cup』上演に際して痛切に感じたのは、英語力の必要性だった。時間が無かったため速いレスポンスが必要であった状況で、言葉でコミュニケーションがうまく取れないというのは大きな障害だった。それは単純に必要だった技術が無かったということで、情けないことだった。即席でどうにかなることではないから、必然的に何かを諦めていた。公演自体は成功だったと思うものの、制作過程においてやりたいことが出来ていない自分は確かにあり、その片手落ちの自分への苛立ちがつまらないものだった。『Melody♡Cup』は来年の2月にも神戸と横浜で上演予定である。あまり時間は無いが、とにかく変化しておかなければなるまい。これが一番の反省点。

あとはまあ、寝ながら嘔吐しない、とかそういうあれである。や、もっとあるのだけれども、まあ、そのあたりは良いだろう。

しかし帰ってきた京都は寒い。今日は炬燵を出しました。その今日は午後に起床しダラダラ、タイ滞在中に納品された印刷物2点の仕上がりを確認、夜、所用で京都駅に。その後、新しくできたヨドバシカメラのビルでカレーを食い、おもちゃコーナーで『バカ姉弟』のガチャガチャをして(寝ているおねいが出てきた)、MacBook Airの11inchめちゃええやんと触り帰宅。

寒いな。エアコンを点けてのベッドから湯たんぽの布団へ急降下。なんというかまあ、仕方ないのだけれども。

2010. 11. 7|SUN

Tourist

11月5日、6日、『Melody♡Cup』本番、満席に加えて盛大な拍手ありがとうございました。事故も無く無事終えることができて幸いです。写真はふざけていますが、本番中に共演の諸江(翔大朗)くんが撮ったもので、ふざけている演技です。Tourlistというシーンで、僕が構成/演出した箇所です。テーマはタイ人にわかるコント。本番2日目、6日のそれは大いにウケたのでほんとうに良かった。一つ仕事が出来て良かったです。

さて、今回の公演に際して反省点はたくさんあり、そのことは帰国後、落ち着いて書こうと思う。7日である今日は、今回のタイ滞在中唯一の自由日だが、皆と共にカオサンロードのクラブに繰り出したものの、張っていた気が解けたせいか、それとも疲労か、めまいがあったので引き返しタクシーでレジデンスに戻ってきたのだった。戻って来ると、勝手にパトラという名前を付け呼び、それが皆に定着した猫が居て、こいつとも明日でお別れである。

『Melody♡Cup』は来年2月、再び日本で。神戸/横浜の2箇所の予定です。みなさん、またよろしくお願いします。

さて、そんなわけで明日、帰国します。日本は寒いという噂だけど、ほんとうだろうか。

2010. 11. 4|THU

さて、日記は10月30日からとんで11月4日である。空白の期間は異国の地での5日間だったから、もちろん色々なことがあったのだけれども、それよりもとにかく、明日は『Melody♡Cup』の本番である。

知らぬ間に増席もされ、明日はたくさんの人が来るだろう。

今は日付が変わり、5日の午前2時。広い廊下からは王宮が見え、そこでは今も稽古が行われている。

2010. 10. 30|SAT

花火

10月30日である。28日、29日は午前中から午後3時頃まで映像素材のための観光。稽古は大体、午後10時過ぎに終わるため、毎日が長い。

30日。この日の午前中は特に予定が無く、午後1時から稽古。その後、バンコクの中心部に皆で出向く。船で河を渡っていると花火が上がった。なぜかはわからないが、とても綺麗だった。

詳細に書けば、異国の地で観光に行ったりいろいろしているのだから、それはそれは大変な分量になるだろうけれども、いつもの調子で書けばこんなところだ。

まあ、『Melody♡Cup』という作品のために来ているわけだから、稽古でのあれこれを書くべきだろうけれども、さて、毎度のことどうなることやら。

2010. 10. 27|WED

犬

バンコクでの生活2日目。朝の7時に目が醒めてしまったので周囲を徘徊する。昨夜のスコールのせいか近くにあるチャオプラヤ川が増水し、街はところどころ浸水し通行止めになっていたものの、大体は大丈夫であった。ところが、正午を近くして、再び街を歩くと、ほとんどの場所が推進10cmほどになっていた。幼児用のプールを歩く感じで屋台の並ぶ通りを歩く。

昼を過ぎ、部屋に戻ろうとすると、犬がだらしなく寝ていた。この犬は、清掃をしてくれる女性の飼い犬で、彼女の後をずっと付いてまわっていた。街も、滞在場所も犬猫ばかり。みな大人しい。

午後2時近くになると、街の水は引き、いつもの状態に戻る。劇場で稽古。考えてみれば、本番の10日も前から劇場で稽古が出来るというのは贅沢である。

早起きと寝不足のせいで瞼が重く、踊って腰も痛い。そして、稽古場/上演場所が半屋外の劇場であるために暑さに参ってしまう。京都はどうやら寒いらしい。タイは寒い、が無い国らしい。ならば、暑いも併殺されそうな気がするのだが、暑いのはやはり暑いらしい。確かに暑い。

明日は上演作品の映像素材撮影のために観光地を廻る予定。実はいま滞在しているのがバンコクのどこなのか地名も知らない。三条から車に乗り込み、気付けばここだった、という感覚のままだから、明日の観光が楽しみ。

2010. 10. 26|TUE

路上喫煙

朝、6時起床。7時に家を出る。7時半、三条。9時半、関西国際空港。11時過ぎ、バンコクへ発つ。現地時間(日本時間を2時間早めればそれになる。以下、全てタイ時間で記述)16時、バンコク着。車で移動し、17時過ぎ、パトラバディシアターに。真横にある宿泊施設に18時。

日中は30℃を越える気温と、日本のそれのような湿度に完全に夏を思うが、こちらの暦では冬らしい。タイ人の面々にひさしぶりに会い、食事。

まったく食事は旨いし、物は安いし、天国のようだ。ひたすら移動の一日。夜はスコールの中を走って宿泊施設に戻った。ずぶ濡れ、川に落ちたような様相で、会話は雷鳴にかき消される。しかし深夜には止んだ。今は現地時間午前2時。コカ・コーラは15バーツ。

2010. 10. 25|MON

さて、日記を丁寧に書きたいのはやまやまだが、今は26日の午前6時を過ぎたところで、あまりその時間が無い。タイに行き、バンコクで『Melody♡Cup』というパフォーマンス公演に出演します。本番は11月の5日と6日。

出国するまでに成すべき仕事は全て終わった。25日深夜のことである。よくやったよ、俺。次はバンコク。国内での稽古は諸事情からほとんど実体を伴わなかったが、とにかくやるからにはやろう。なぜそこにいるのか、それをくっきりとさせるほかない。

私にご連絡がある場合は、携帯電話は繋がりませんが、mail@losco.jpにメール頂ければ。レスポンスは遅いかもしれませんが、確認可能です。11月半ばまで日本には不在ですが、この日記は普段通り書かれる予定です。あくまでも予定ですが。