2009. 11. 19|THU

朝、自宅の一階をルーティンとしての掃除の5割増しくらいのテンションで行い、風呂を浴びるとすっかり眠くなって寝てしまった。
深夜、『12枚のアルバム』を細かく読み継いでいる。今月17日に亡くなられた大里俊晴が二度目のゲストとして登場するところまで読み、全体の半分といったところ。とにかく面白い。
佐々木敦の『ニッポンの思想』のプロローグで、ゼロ年代、昨今、書店の「思想書」のコーナーに置かれている売れていそうな新刊を大別したときのその一に挙げられている広義の「左翼」本(ワーキング・プアに始まり、単に、貧乏でも大丈夫! みたいなあれ)、これはもう本当に最近良く目にするのだが、その系譜とも見てとれる「雑誌」やサブカル本もこのところ急増していて、とても嫌なのだけれども、あの、そんな代物より『12枚のアルバム』を読もう。正しいノイズを読もう。
面白いのだけれども、連続して読み進めると、知らない固有名詞にいちいち反応できないようになるので(知らないことに順応してしまうので)、『12枚のアルバム』はこつこつ読まれる。そんなわけで上記の箇所で読むのをいったん止め、Tyondai Braxtonの『Central Market』と、俺のアルバムを聴く。俺のアルバムって何だということになるが、俺がこつこつ作りためた曲の中から、コンパクトなものを集めた45分くらいのデータのことを言っている。幼少のころはレゴで遊ぶのが好きだったのだが、それが変化して、今はこれになっているという説明がふさわしいように思える、つまり、そういう個人で楽しむ代物のこと。
あ、どうでも良い話だが、Tyondai Braxtonを演劇だとかダンスの公演で使うの禁止! あんなものを大音量で流したら、杖なしでは歩けない老婆の歩行ですら躍動感に満ちてしまうだろう。
しかしまあ、日記は完成なんてしないところが良いよねえ。最近の俺は、「完成させないとだめだ」というようなことはもう信用しないことにしている。完成させるためにやってるんじゃないってことが、どんどん明白になってきたのだった。
