2009. 10. 21|WED

雑誌「考える人」の2009年秋号の特集は「活字からウェブへの……。」というもの。まだ少ししか目を通していないが、まあ、こういった特集が組まれているのを知れば買うほかないのである。長々と日記を付けているが、やはりいまだに良くわからない。読まれる日記を書くという事は何を意味するのか。
ここのところ世間的にも注目されつつあるTwitterのアカウントは随分以前に取得していたが(右のカラムの、Profile欄に「詳しく」というのがあるが、それは俺のGoogle プロフィールのページにリンクしてあり、そこに各SNSのリンクがまとめられている)、いま一つ俺は呟かない。
思えばこの日記は、夜にまとめて呟いているような体であり、なんというか、俺の体感としてはそのくらいの「リアルタイム」で十分なのが現在のようだ。
さて、日記である。昨日20日は、夜「おおきに屋」で御馳走になる。おいしゅうございました。労働をせずに旨いものを食うとなんだか罪悪感を感じるのが面倒だが。
本日。誕生日に尾上くんからもらったラッキーストライクのBOXのカートンが無くなったので、3箱ほどまとめて買いにコンビニに向かう途中、『Melody♡Cup』で出会った太郎から入電。京都で呑むって話で暇だったので顔を出す。まあ、終始くだらない話をしていたのだったが、収穫として、太郎が最近観たというオリヴィエ・アサイヤスの『クリーン』が観たくなる。アサイヤスは『レディ・アサシン』しか観ていなくて、まあ、それが大変良かったので他のものも観ないとなあと思いつつの体たらく。確か間もなく『NOISE』がみなみ会館で上映されるはずである。
と、まあ昨日今日の日記をTwitterで細かく発散すれば、せいぜい5tweetほどのものだろう。まあ、その程度のことしかいつもここには書かれない。とはいえ、日記は、その呟きの合間を「いらんこと」で埋める必要がある場合が多い。それがねえ、好きなのだけれども、それはそれとして、Twitterにおけるタイムラインのことを視野に入れて考えたとしても、結局、元はと言えば俺は軽薄な意味での「デザイン」と「好きに書ける」ということから日記を付けていて、タイムラインを構成したりといった先進的なメディアリテラシーは、もう、保守的というかなんというか、柔軟性に欠ける人間だからどうしたって馴染めないという、なんとも身も蓋もない感じ。なんか、流れていってしまう言葉の消費感が、以前(今年8月26日)の日記で述べた、「スイッチ」を押す感、と違うのだろう。もう、タイムカードのように打刻されねば気が済まず、さらにその古いタイムカードたちをファイルに整頓したい病らしい。
まあでも、考えてみれば、iPhoneで「つぶやき」を入力するのが面倒なだけなのかも。本当に口でつぶやいて、その声が文字としてpostされるのならつぶやくかもしれない。まあ、そんなようなものだ。その、そんなようなもの、が大きなビジネスチャンスなのかも知れないけど、そういうことに熱くなれない性格だし知らないよ、それは。
俺はねえ、海沿いの家に住んで、昼間は草野球なんかして、夕暮れ風呂を浴びて、夜、温かい照明の下の木製のダイニングテーブルでクリームシチューとかを食べたいんだよ。音楽をかけて。喧噪は時折、煙草を喫うように都会に出て浴びるくらいが丁度良い。
何が言いたいのか良くわからなくなってきたが、そもそも何か言いたいわけでは無いのだった。日記である。
なんていうかもう、あれ、ここどこ? って思いたい。
