28|MON

2009. 9. 28|MON

SANYO

26日の夜は友人達とボーリング。この日記には度々「ボーリングがしたい」という俺の呟きが記述されるが、実際にボーリングに行ったのはかなり久しぶりだった。もちろん楽しかったのだが、時間の関係で2ゲームしかできなかったのが残念。ボーリングはねえ、夜通しやるんだよ。ひたすら。ある昔の夏、朝からアルバイトに行き(体力仕事)、終業してボーリング場に向かい(国道沿いの、哀愁漂う)、ひたすら投球し(17ゲーム)、閉店の午前5時に店を出た。そして、少し眠るか眠らないかして、またアルバイトに行き、さらにまたボーリング場に向かった。いわゆるダメな人の典型のようなそれだが、あの恍惚感ったら無い。今後の人生で二度とそんなことはできないだろうけれども。

さて、昨日27日。正午から仕事。夕暮れ退社。夜、久方ぶりに陽陽食堂で食事。

今日28日。月末なので金の雑務を幾つか。昼過ぎから友人に会いに出かける。降るのか降らないのか、ちょっと落ち着けと言いたい天候だったため、バイク、いや電車、いやバイク、あ、降って来た、もういいや、バイクで、というような逡巡が面倒だったし、ガタガタした天候に体調も優れず。帰りは日暮れ。滋賀と京都を繋ぐ山中越えを通ったのだったが、滋賀側から山中越えに入る手前、高地から見る夜景が美しかった。滋賀のあの夜景はすごく好きで、今度写真でも撮りに行こうかと思う。

つい最近、chikinのcossiをはじめ、俺の撮る写真を誉めてもらえることが何度かあったが、写真を撮るのは面白いものの、技術としてのそれはそれとして、表現としての写真に対して俺は不勉強だ。だからといって、技術を付け(それは、俺、たぶん得意なんだ)、それを抜けて、また(筒井康隆の愛読者故か、脱構築してからしか表現にならないと思い込んでいる節が私にはある)はだけた写真を撮れるようになるほど熱心にそれをやるかというと、そういうつもりはない宙ぶらりんな男である。

あのねえ、日記にはあまり書かないが俺はわりと落ち込むのだ。時には、真面目にやってるし、人のことを思うために生きてる、だけどあたしゃ所詮、社会不適合者ですよ、と愚痴をこぼしたくもなる。さすがに、真面目にやればやるほど損をして辛い、っていうようなわかりきった状況に消耗はもはやしないし、それを盾にいらだちを外に向けたりもしないが、とはいえ粘り気のある何かが胸で重い時もある。

出来れば大体のことをうまいことやって生きていきたいが、大体のことはうまいこといかないし、別にそれを悲観もしない。今月のラテン語(あの、上に書いてあるやつです。毎月変わっているのです)「Nemo ante mortem beatus」の意味は、「だれも死ぬまでは幸福ではない」。これ、先月出演した舞台『Melody♡Cup』の関係で小耳に挟んだ程度のあれだが、仏教の根本理念と同意である。すごくポジティブな言葉なのだが、同時に逃げ道が無いことを意味している。……こんなこと書いていると、児玉のやつ、何か特別辛いことでもあったのかしら? と思われるかもしれないが、特に無い。

優れない天気と秋の夜長のせいだと思っていただきたい。このところ、わりと読まれる日記になってきたので、何かこういうことを書くことに躊躇いがあったのだった。誰も人の日記に愚痴やイデオロギーを求めていない(っていうか、そもそも日記なんて読ませるものじゃあないじゃないか、と思われるかもしれないが、だってほら、今読んでいるでしょう? 読んでしまうんです人の日記は)。

だって、ねえ、もう朝の5時ですよ。来月には26歳ですよ。あごの関節痛いし。腰も痛いし。お金無いし。ドラクエやってる場合じゃないですよ。じゃあまあ、何をやってる場合なのかというと、これといってない。強いて言えば、ドラクエをやるのも真面目にやるべきだというくらいか。南国でふざけた色のジュースでも飲んでいたいものだが、それを想像した時、そのふざけたジュースを飲みながらの俺の焦燥感ったらひどい。思わず一気飲みしてしまうのではないだろうか。「仕方無いなあ」「仕方無いですよ」。それはそれとして、愛機PowerBook G4の調子が優れない。壊れないでよ。ご老体を労るように、ディスクユーティリティでメンテナンス。朝の5時。油断したら、朝の6時になって、もしもすれば、朝の7時かも。「それはそれでね、いいんだけどね」「まあ、そうですよね。どうにもね、ならない」。そんなふうなこと。「Nemo ante mortem beatus」なんて、しょせんそんなふうなことだ。だから強靭だし、眩しい。外は雨が強くなってきた。そろそろ寝よう。