2009. 8. 26|WED

深夜、webの作業が一段落し、日記を付けている。使った事のないjQueryのプラグインを試し、わりと疲れる。煙草を幾本か喫った。
例えばこうだ。好きな作品集である中原昌也の『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』の中でも取分け好きな作品に『消費税5パーセント賛成』がある。その中の一節を引用する。
昨日書いた分を読み返して、やっぱりいいなあと感心する。そこで男は思い出したかのように机の上にある機械のスイッチを押す。そうすれば、自分の生きている時が、まるで映画のフィルムを切断するかのようにスパッと区切れるのだ。それは人が今まで見つめていたある一点から急に別の場所を見てるという行為に似ているかも知れない。
『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』著:中原昌也 河出書房新社 (1998/09)69ページ
ここでの「スイッチ」というのは何だか良くわからないものとして登場するのだが、この感じはよくわかる。例えば、煙草を喫うような、一息つきブログを書くような、暇を見つけTwitterにPostするような「区切り」と、ここでの「スイッチを押す」という描写を同意には考えられないのだが(これはもう、この作品を読んでもらう以外に説明のしようがない)、97年発表のこの作品に登場する「スイッチ」は、当時から抽象的な「あ、なんかわかる」感を俺に与え、2009年の今となっては、例えばコンピュータのモニタ上にあるブログの投稿ボタンや、携帯電話でTwitterにPostする際のボタンといった、あ、これもその類いかも、とついつい思わされる実体が多数存在している。
この「区切る」ことに依る安堵について、日々考えるものの今ひとつ思考が進まない。ただ、人は形はどうあれ区切らないと生きていけない生き物のようだ。より簡単に、よりわかりやすく区切ることができるものが求められている。煙草は言わずもがな現在批判の的だが、それは無くならずただ姿を変えていくだけだろう。
と、日記である。昨日購入した洗濯機が届く。写真は代わりに回収されていったバラバラの洗濯機。
夜、百万遍の近くにある「フジ」という店でモダン焼き。ものすごい数のメニュー。
深夜、冒頭で述べた通りwebの作業である。ボーリングがしたい。
