19|SUN

2009. 7. 19|SUN

昼過ぎに目を覚ます。雨。ザーザーと降った一日だったが、幸運なことに稽古場への往復時はほとんど止んでいて濡れずに済む。

ようやく、何となくだが『Melody Cup』の「感じ」がわかってきた気がする。

帰宅後は連日やっている飼い猫の毛を切る作業だが、ひどい毛玉があってそれがどうにもならない。鋏の先で皮膚をわずかだが切ってしまい、猫のもきちは何かあってもうんともすんとも言わない猫だから、しばらくして気が付く。僅かだからほとんど出血も無いものの、あのひどい毛玉を取るとしたら同じ失敗をする可能性がとても高いので、鋏でがんばって切る作戦は断念。何か妙案は無いものか。やはり麻酔をかけて全身の毛を刈ってしまうしか無いのかしら。でもなあ、やっぱりたかが毛を切るだけで全身麻酔は大げさだと思うし……。

深夜。雨がしとしと。もうそろそろ梅雨明けかしら。降るなら降るで盛大に降るのも夏っぽくて良い。

「錬金術」『ねずみ男の冒険』

人生はそれでいいんだ……………
この世の中にこれは価値だと声を大にして叫ぶに値することがあるかね
すべてがまやかしじゃないか

さて、右に載せた画像と上の台詞は『ねずみ男の冒険』のとあるページを掲載していた「ユリイカ 2005年9月号 特集*水木しげる」からの孫引き。

続いて高嶺さんの『[大きな休息]明日のためのガーデニング 1095㎡』のパンフレットおよび、俺も文章を寄せさせてもらったカタログに掲載されている『[大きな吐息]怒りのガーデニング 1095㎡』という文章から引用する。

ガラスがある、以前ならそれをたたき割ってしまうことで表現になっていた。いまはもう、割らない。柱がある、それをぶっ潰さずに腑抜けにする。いまどんなに価値があるとされているものも、いずれゴミになって価値を失う。廃材の山を見て美しいと思うのは、どれも等しく価値がないからだ。感動的均一性。私の実現したいのはそれだ。

今月の3日の日記

夜、酒と煙草を買いにコンビニに行って雑誌のコーナーを眺めれば、ファッション雑誌、テレビの雑誌、コミック雑誌、新製品関連の雑誌、結婚関連の雑誌、エロ本。

と、「STUDIO VOICE」の休刊に際して既述したが、価値が不明確なものがことごとく消されていく現状は明白である。そして「価値を認めろ」ではなく、われわれは「価値」そのものの化けの皮を剥がしたいのだろう。そのために順序だてた行動は必要か否か。当然、必要に思えるものの、論理的順序などおそらく存在し得ない。だから、答えは否だ。そしてねずみ男、半妖怪という稀有な存在が言う上記の言葉に収斂される。つまり不明確どころか不可視なる世界までをも想定しなければ、表現は不可能だということだ。笑われても踊り続けるだけである。

見ようとするよりも、それがあるということを認識することから始まる。今回は、そういうことが特に大事な気がした、という今日の日記