23|TUE

2009. 6. 23|TUE

雨

ここのところ良かった体調だが、少し崩れる。まあ、この気候だから多少、体がガタガタすることは予想していた。

ところで去年の7月2日付けの日記に、

en-taxiの最新号を読んでいたのだったが、とにかく前田司郎の『夏の水の半魚人』が素晴らしかった! これでようやく、小説でも何かしら受賞するでしょう。

と書いたものの、それが単行本化されてからどうなったのかというのはちっともフォローしておらず、今日、何気なく五反田団のサイトを見て、一月も前に三島賞を受賞していたことを知った。第21回から審査委員が総入れ替えされ、フェードアウトしていたその賞への興味が、それを機に完全に断たれたのだった。まあ、賞の意義云々はともかくとしても、『夏の水の半魚人』という小説に「受賞」があったことは、小さな安堵と喜びを感じさせる。

さて、ここのところ何冊か在日に関しての本を読んでいる俺だが、相当参っている。在日に関してのことには限らないが、というか、ほとんどのことに言えることだろうが、「本当に正しい「真実」」なんて手に入るわけが無く、情報を取り入れていくうちに「それが右でも左でも、それを書き、どちらかの「武器」になり得るのならば、自ずと資本は潤うわけで、ならばもはや戦争における特需と一緒じゃないか!」というような懐疑心まで、それらの書物に対し抱くに至ってしまうのだった。

そこで思い出されるのは、高嶺格さんが『美しい前歯 Roads to Lebanon』というパフォーマンス作品の発表を控えていた時に、偶然、近所で会い、食事をした際に話してらしたことで、俺の記憶の中でそれは「どうしようもない、っていうのはもういいから、無理にでもこれが正しい、というものを決めないと進まない」というような意味のことで(あくまでも、俺の解釈として、である)、そうだなあとは思っていたものの、今になって本当にそうだなあ、となり、そして「フィッシュマンズ」の『MY LIFE』が遠くから聴こえてくるのだった。遠くから。

収拾がついたとは全く思わないが、この話はこれで終わり。

ああ、正直ちっとも大丈夫な感じじゃないが、俺は常に「大丈夫」だと思われたい。欲を言えば「ああ、大丈夫だ」と思わせたい。例えば、嬉しいことに我が家には来客が多いが、客人にとってそこが常に大丈夫な場所であって欲しい。「大丈夫な家」だ。

余談だが、白いほわほわの猫は大丈夫感を出すのに一役買っているとは思うものの、猫アレルギーの人にとっては全然大丈夫じゃない存在だ。大丈夫な家は難しいね。