2009. 6. 22|MON

というのも、かなり未整理でいい加減なことを書くが、例えば「進行方向別通行区分」の楽曲をネットで聴いたり、三村京子さんの言葉をウェブサイトやmixiで読むと、「現代詩」というものを明確に意識していることが窺える。体感が無い故に安易に、それが今の「東京」かしら、と思ったりして、さらに安易の上乗せで、じゃあ、きっと東京にはアンチ「ナンバーガール」アンチ「ZAZEN BOYS」のミュージシャンがたくさんいるのだろうなあ、なんて想像し、ここからは安易どころか「ただなんとなく」、きっとそういったミュージシャンたちは「文学」よりも「演劇」や「コンテンポラリーダンス」を「信用」していて、「近代」への造詣があり、お笑いが好きなのだろうなあなんて。
そして、ここからは自身でも何がなんだかわからないが、じゃあ、上記した「感じ」に「なんだか」乗れないとなれば、小説を書くしか無いじゃないかと確信してしまい、愕然とする。
「映画は? 映画はダメなの?」
「や、その、私たちはそもそも映画や漫画に初めから挫折しているのです。情けないことですが」
「なぜ?」
「うーん、草食系男子とかって言うじゃないですか? 最近」
「……ふーん」
「や、すいません……、適当なこと言いました」
「あのねー、あれだね。つまり伝説とか思想のデフレ、引いては人間のデフレってことで、やっぱもう、プロレスラーか芸人しか無いんじゃね? 体張るってことでさ」
「ああー。たしかにねー」
「じゃあ、まあほら、現実的に言ってプロレスは無理でしょ? 漫才かコント……、まあ、コントかな?」
「あんまガチガチじゃないやつでしょ?」
「そうそう、ガチガチだとね、やっぱきつい」
「じゃあ、どうすんの? お前ネタ書く?」
「あー……。そのほうが良いか?」
「や、別にどっちでも良いけど」
「じゃあ、俺も書くしさ、お前も書いてよ。添削しあってさ」
「あー、はいはい」
「できたらメールで送るし」
「オッケー。じゃあ、また」
「おお、バイバイ」
とか、やっぱね。って何がだ。日記だった。日記を書こう。
日記っていってもなあ……。雨だった。夜、無印に注文していた布団カバーが届く。お好み焼を食う。 テレビを見る。俺、実はスザンヌより木下優樹菜のほうが好きなんだ、とか言ったら言われた方も困るだろうから言わないほうが良いな、などといったような、どうだって良いこと……、そんなこと言っちゃうと大体はまあ、どうだって良いことだしなあ……、とはいえ蓄積である、塵も積もれば、ってことでどうだって良いことの集積を何故か作っちゃったんだ俺は。こういうのは部屋の掃除とかと一緒で思い切って破棄してしまうのが一番だとは思うんだけど……、の、だけどの部分なのよね、結局は。……主語がグラングランしているせいで述語が暴走してしまい、上から踏みつけたって際限なくそのさらに上からがあり、ついにはシニフィアンがシニフィエを背負いきれなくなっちゃって壊れる。それがリアルだとしたら、やっぱり乗れない。だからやっぱり、小説を書かないと/読まないとダメなのだろう。まさかの、最も客観的なる、最も冷静なメディアとして。(冒頭に戻る)
