2009. 6. 17|WED
16日。医者。京阪で森小路駅へ向かう途中、雷雨。少し電車が停まる。iPhoneで「AU REVOIR SIMONE」を聴きながら。iPodはiPhotoのバックアップが主な用途になってしまった。
帰省。帰宅は午後11時。眠るも明け方に目覚め、読書。姜尚中『在日』を読了。良くも悪くもそれが明確に「自伝」であることの、読者としての自分の落としどころについて考えあぐねる。
本日。一昨日、来訪してくれた京極くんやchikinの山村に話した、「公演日」があるっていうのは良いよね、小説は終わり難いし、まるで苦行だ、というような戯れ言は、一応舞台に出演するということを経験したことがある故に安易に発した言葉だったが、今日、「女郎花慈悲蔵(OMINAESHI Jihizou)」という架空の人物の名前を思い付き、すぐさま考えたのは随分と前から書きあぐねている小説にどう「入れ込む」かで、となれば、半ば放棄していたつもりだったにも関わらず脳裏に佇んでいたそれの呪いとも言うべき存在感に、「何を喜びを求めてるのか、呪われたから苦しむだけの話じゃあないか、そしてそれは、すべからず同じだ」と思い、自戒。
深夜、「Twitter」や「mixi」を覗くと「iPhone OS 3.0」の話題で持ち切りで、アップデートしてみるも、それほど使い込んでいないのだと思われるその機械の変化は些細なものにしか感じられなかった。大体、「別の人」の「Twitter」や「mixi」ではきっと別の話題で「持ち切り」なのだろう。果たして俺はいま、何に付いて最も話したいと欲しているのだろうか。
