2009. 2. 25|WED
青山真治の『死の谷’95』を読み始める。
夜、京極くんがやって来てディナー券をくれた。
天気はすぐれなかったが、あたたかな一日。昼ドラを見て、連ドラの再放送を見て、「いけるかなあ?」と思いつつ洗濯物を干すという、主夫のような日を過ごしてしまう。
帰宅した同居人が「ポートフォリオを作ったほうが良いのでは?」と提案してくれる。そうよねえ。これまで話をもらうも、連絡がつかなくなったり、後で聞けば夜逃げしていたり、向こうの失敗を半分なすりつけられたり、webに無闇に希望を抱いている人に現実を説いてそれが無くなったり、大体、個人を相手にばかりしているから、俺が思う正当な金額をなかなか提示できなかったり、と、まあ、ある種、柔軟性に欠けた性格のせいで苦労している俺だから、何か紙媒体にまとめたものを作成するというのはワンクッション置けて良いかもしれない。
大体、個人サイトをこうしてデザインの仕事をやりつつ日記にしているというところがおかしな話なのかもしれない。もっとポートフォリオの要素に特化したサイトにすべきだとは百も承知だが、そしてもちろん寺山修司じゃあないが、どうも職業は自分でいたいという希望があり、それが強過ぎるのだろう。
じゃあ、仕方無いよなあ。欲望を捨てるくらいなら、はなからこんなわけのわからない生き方はしていないわけだし。
まあ、そんなことは良いや。点ではどうしても、極端な判断しか不可能だ。だから、線を描く。点の集合体を。どこをどう結んで頂いても結構だ。だとしたら、やっぱり「良い」だけじゃなく、「悪い」も口にせねばならんよなあ。この日記で具体的なものに怒ることはもうよそうかと思ったこともあったが、やっぱり出来得る限り正しく怒ろう。じゃないと、ダメだ。
考えれば、もちろんいろいろ言葉が溢れるが、やはりどれも思想家のようなそれ。そして、そういった類いは何か後ろめたさがある時、一気にメッキが剥がれる。人は絶対に、それが見える。結果的に騙されて、それでも気付かなくても、人は、見ている。「どちらにしろ」見ている……。
……このまま日記を続けると分裂を繰り返してわけがわからなくなるだろうから、そろそろやめよう。それはそれで良いかもしれないが、下げのある日記なんて嘘だが、でもまあ、わけのわからない日記はあとで読み返すと面白い反面、情けないのだ。何が情けないって、なんだか情けない、としか言いようがないが。……何の話だろう。いやいや、話とかじゃなかった。日記だよ。これは日記。かれこれ5年もの日記との格闘。今日のような日記が過去に何度あったか。何年か前にも似たようなこと書いてたりして。もう、ネジのピッチで前進していることを信じるしか……、って、このネジのピッチって話、たぶん2回か3回目な気がするなあ。
日記って、たぶん、「最低」は書いても「最高」は書かない。日記というより、言葉というものの性質のせいか。じゃあ、「最低」なんて別に書いても仕方ないから、「普通」の蓄積で「最高」を構築するしかないだろう。あれ、上と同じ話か。酔っぱらっているわけじゃないよ。日記を長年書いているとわかると思うんだが、時折こういった日がある。無意味に書いてしまうのだ。こういう日の日記をどう鎮めるかというと、大体、それを果たすのは尿意だ。一度、パソコンから離れて用を足して戻ってくれば、まあ、もういいやってなるのだ。本当に。
ああ、なんかオチみたいになっちゃった。いやだなあ。いやだなあ。
今日もまた全部消してしまいたい系の日記だ。消さないけど。こんなことしてないで『死の谷 ’95』の続きを読もう。
