16|MON

2009. 2. 16|MON

なんか、いろいろとボロボロというか……。

昨日、良い陽気で、風も温かく、「もうすぐ花見だな」などと思い、昨今のペラペラのJ-POP群はなぜか「あげろ! 上を見ろ!」的なことをやたらと歌うが、大体、私たちはそんなことを言われずとも向上心を持っているし、それと同時に今の状態を憂い、そして同時に幸福にも思うのだと感ずる。

帰る家があって、贅沢はできないが来客があればちょっとした食事を振る舞え、時折花見や海水浴に行ければ、それはそれで俺は「良い」。断じて、良い。薄型テレビもドラム式洗濯機も不必要だ。ビッグになりたいという幻想も信じない。

大体、昨日購入した「METRONOMY」のような素晴らしい音楽を、珈琲でも飲み、煙草を飲み聴ければ私はそれで良い。というか、それに関してのいわゆる「それ以上」は、さほどのものではない。音を鳴らすのが高級オーディオ機器であったり、珈琲豆が高価いものであるくらいだ。俺は今、「METRONOMY」を鳴らすONKYOのスピーカーが気に入っているし、「WORLD COFFEE」で買った一番安い珈琲も旨いと思うし、ラッキーストライクはいつもの煙だ。

そして、少し先の桜のことを考えて楽しい。

だが、問題は、帰る家も桜を楽しむ余裕も無い人々がそう遠くでないところに居るということだ。その日暮らし。あてもない。果てしない。彼らに「挙げろ!」などと誰が言う? うるさいよ。お前らは軽薄な唄を歌い、金を持って、勝手にわけのわからない天井に挙がってれば良いよ。そんな言葉は無意味だ。意味のある言葉を、吐けるか? そうしようと試行錯誤する人々は、ありあまる金など持っていない。

問題は、皆が桜を楽しみにしているかということだ。例えだよ? ある季節に咲く花である。帰る家に帰り、「少し」の先への不安があり、だけど何とかなっていて、だからこそ向上心を持ち、同時に今の幸福を知り、今の不幸を知り、正しいを思考し、動く。敏捷で無くても良い。動ける。その状態を与えられない人々は、ただただ怠慢なだけでは決して無い。全体的負の連鎖が生んだ虚ろな被害者だ。彼らに桜を思わせるのは、音楽でも小説でも映画でもなく、それ以前だ。しばらく暮らせる家であり、そう遠く無い未来までを想像させる金銭だ。そして明日を持ち得る今日だ。与えよ、されば与えられん。国よ、資本的「上」で「挙げろ」だの何だの叫んだり、空虚な贅沢を消費する人間のことはもう良いだろう。真摯な生活者、真摯に成り得るはずが、虚ろにのまれて闇を抱えざるを得ない被害者に、桜を思わせなければならないはずだ。それが成れば、全体的エネルギーは格段に上がる。

なんか、いろいろとボロボロというか……。

それを矯正するのは、一時的な按摩でなく、全体的筋力だ。

いろいろとのたまい、俺はどう思っているのか。具体性を持たない幻想を語っているのか。何を、しようと、しているのか……。どんどん思想家のようになりつつ自身を感ずる時もあるが、でも、やはりどうしても体言したい。身体で表したい。嘘が無いこと、そして可能性、「俺は本気であなたの苛立ちを解消したいのだ」。思い……。いや、動きが必要で、そしてその困難さは、身に染みて。

……そして「良い人ですね」なんて言われたくない! ただ、苛立ちが解消された様を見たい。

と、ここまでは俺が目の敵にしている中川財務・金融相の醜態を機に昼に書いたのだったが、ここからは夜に付けている。

夜、雪の中フライヤーのための写真撮影。出たとこ勝負だったからあれだが、まあいけるだろう。とりあえずデータのバックアップだけ取り、作業は後日。

深夜、「SHIENYO|紫煙葉」の更新。