3|TUE

2009. 2. 3|TUE

POSTER

節分。ということで、例年足を通わせている吉田神社の節分祭に。

もう、3年目になるかしら。恵方巻もまた、例年この日だけ訪れるお店にて。あいにくの雨だったが、午後8時頃には傘がいらない程度の霧雨で、露店も含めて祭は賑わっていた。フランクフルトと、去年も繁盛していた店でたこ焼き。

しめ縄などを燃やしてもらう。盛大に燃やされ始めるのは午後10時からであったため、同居人も含めそれほど体調も良く無かったし、雨もあり火を見ずに帰宅。

今年の恵方は東北東でした。

右上に貼ってある画像は、何の意味もありません。俺が、たぶんchikinの小道具だったと思われるアフロを被って、携帯で撮影してもらった写真を加工している。サイトを新しいデザインにして、どうも殺風景だから、それに何と言うか、グラフィックを作るのは趣味だし、この白いサイトにポスター感覚で貼っていこうと思って。

ある照明家の方のblogが好きで時折閲覧しているのだが、というのも、写真がとても良いし、文章も優れているからだが、面識の全く無い方のblogに関わらずそこに書かれていた薄利多売の罪に関する記述にとても納得する。ここからはそれを糧に俺が勝手に思ったことだが、薄利多売というのは言わずもがな、巨大なシステムが「勝つ」に決まっている仕組みである。絶対に。ただ、表現は工業製品ではないから、と、今の記述は別段、表現を崇高なものとして言っているのではない、だから、そこに「適正価格」を生み出すのは、社会性を伴った論理に委ねられる。そしてその「適正価格」を成立させないと、持続は不可能だ。ほとんどの表現を志す者、は、よっぽどの幸運がない限りここに盲目でくじける。そしてここに同情の余地は無い。

この挫折は、人をどうするかといえば、ねじ曲げるだけではないだろうか。古くからある種類の不幸だが、その形態は変容し、現代のそれは極めて醜悪な様相を持っていると思う。そして、その不幸は大量生産の仕組みができてしまっている。だからって俺が何をするかといえば、俺と、身の回りのおもしろい人々に不幸が訪れぬよう、武装するだけである。「SHEINYO|紫煙葉」も、今はまだ冗談にもならない程度の力しか持さないが、そういった目論みから生まれたのだと思う。申し訳ないが俺はとても迷惑な奴だから、日頃から周囲の方々に迷惑をかけ通しだが、そのぶん、困っている時に助けられる力を付けたい。助ける想像力を。鬼は外、って言っても鬼は無視だから、やっぱがっぷり四つから逃げれんよなあ。