2009. 2. 1|SUN
昼過ぎ、chikin『豚』楽日、三回目の鑑賞。おそらく一番客入りが良かったのではなかったか。おぼろであった『豚』という作品の性質が大分わかってくる。
お客さんには知った顔も多々。賑やかでよろしかった。
俺がwebサイトの制作依頼を受けていた方も来場。その後、移動し我が家で話す。仕事としての話とは別に、表現の話になってしまうと、それは俺にとっては全人格にまで言及することとなるため、小手先の言葉では話にならない。その辺りに觝触することの迫力が共通認識でなくては、同じ地平に立てないだろう。ある種、覚悟と呼ぶべきか。それで色々な人のことを思う。例えば、高嶺格さんは、俺のような特に仕事を残していない若造にたいしても、本当に同じ地平で話してくださると感じて、だから尊敬しているし、慕っている。東京に行ったかつての仲間達も、今では時折しか合わないため、その迫力の相互関係は稀薄となったが、それでもやはり、いつ会っても気持ちが良い。
夜、chikinの打ち上げ。流れて我が家。もちろん、そういった迫力の共通認識というものは困難な事象のため、たとえばchikinと俺との間にそれは成立していないし、だけれども、付き合いが長いから彼女たちのそこへの覚悟は十分理解しているつもり。そしてその理解はじょじょに深まり、だから俺は今回、彼女たちの稽古場に行かなかったのではないだろうか。それは、もちろん、軟弱な寂しさは伴うが、きっと良いことだ。彼女たちが発し続けるならば、この状態は良いそれであり続けるだろう。
それにしても、chikinの打ち上げは例年、男子がいないから猥雑な話ができずさみしい。ちょっと「SHIENYO|紫煙葉」の面々を集めて、猥雑な話がしたいなあ。これ、聞き役の女の子がいるともっと盛り上がるから、あの、や、何も無い。二月二月。

